「ER」の第6シーズン第13話では、長期にわたり続いている「ER」の歴史の中でも最も深刻な事件の一つが起きる。「ER」シリーズの実質的な主人公である医師ジョン・カーター(ノア・ワイリー)が、精神分裂病患者に背中を刺されて重症を負うのである。同時に彼の下で研修を積んでいた医学生のルーシー・ナイトも身体のあちこちを刺された。「ER」ではしばしば狂暴な患者が登場する。シカゴマフィアの抗争での銃撃戦。そして同じ第6シーズンでも、女性を何人もレイプした凶悪犯罪者が(まるで『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターのようなサイコパス)病院に担ぎ込まれる。しかし「ER」のメインキャストがこのように深刻な傷を負うのは稀だ。彼らは多かれ少なかれ家族やプライヴェートの問題を抱えているが、病院内での事件はそう多くない。
第13話(「誰よりも君を愛す」(Be Still My Heart)」)では、カーターが患者に刺され、倒れたとき、既に刺されて倒れていたルーシーを発見するという場面でエピソードが終わる。そして事件が発覚し、主人公カーターは一命を取りとめ、ルーシーは手術後の合併症のために死ぬ。そうした悲劇が展開されるエピソードには「All In The Family」というタイトルが付されている。「ER」のエピソードタイトルはどれもたいてい複数のプロットに関わる、二重、三重の意味が込められている場合が少なくない。このエピソードでは「家族」というモチーフが、言葉にはされないものの、反復され、強調され、非常に大きな意味を持つ。
第一に、本エピソードの最初のシークエンスでは、ラウンジでくつろぐ医師たちとの世間話の中で、古株の医師ケリー・ウィーバーは他の医師たちにこう暗示的に語りかける。「Nice to have someone at home.(家族がいる人は幸せね)」。ここではケリーが恋人もいなく、孤独な人間であることが示される。
第二に、エピソード冒頭で示された孤独なケリーが、実は最も「ER」の舞台であるカウンティ総合病院の緊急救命室の仲間を「家族」同然に思っていることが、分かる。このエピソードでは、カーターとルーシーの負傷に最初に気づくのがケリー・ウィーバーなのだ(事件当時、病院はヴァレンタインデイの浮かれ騒ぎで、ほとんどこの事件に気づいているものはいなかった)。ふだんは極めて冷静で冷酷な面もある権力者ウィーバーが、このエピソードでは非常に弱い存在として描かれていることは特筆に価する。これまでも時おり示されていたように、彼女は非常にマッチョな権力志向と、母性的な優しさを兼ね合わせた存在として描写される。「ER」創成期から登場していた彼女はある意味で「ER」の「強い母親」なのである。このエピソードは、他のすべてのエピソード同様、医師たちを言わば「群像劇」として同時並行的に描くのだが、実質ここでの焦点人物はケリー・ウィーバーであり、ウィーバーの動揺が(実際事件発覚の直後、治療が終わったあと、いつも冷静なウィーバーはすぐに病院を出、そして外で嘔吐する。)「ER」という一つの共同体の「家族」的結束を象徴している。
第三に、「ER」という共同体の「家族」的性質について触れよう。物語中、たびたび触れられるように「ER」の舞台は「ティーチングホスピタル」であり、医学生の養成を目的の一つとしている。このことには稿を改めて詳しく触れるつもりだが、医学生の養成というのが、特に「ER」の前半には物語の核を成す。特に「ER」第1シーズンでは、主人公のカーターが、医学生として何も知らずに「ER」の舞台に飛び込んでくるところから始まる。「ER」は言わば教養小説(ビルドゥングスロマン)という性質を持っているのである。物語前半はカーターの成長に焦点が当てられ、そしてカーターが一人前になった「ER」第5シーズン以降、カーターは今度は医学生を指導する立場となる。そのカーターに指導されるのが、このエピソードで死亡するルーシー・ナイトである。
ルーシー・ナイトはそのため、かなりカーターと似たキャラクターを与えられている。どこか弱さを持ち、ひょうきんで、そして他の完成された医師にはない繊細さを秘めた存在だ。実際ルーシーは「ER」での研修を終えたあと、精神科のインターンとして素質を発揮する。またルーシーの登場は「ER」に、それが初期の頃に持っていたコメディ的な性質を取り戻させた。「ER」はエピソードが進むにつれ、シリアスさを増し、様々な社会問題を取り上げるようになっていく。そしてカーターは医師としてほぼ完成され、「新人」という外部の視点が「ER」には欠けることとなる。そこで「ER」のリフレッシュの役割を担ったのがルーシー・ナイトの存在である。彼女がどうして死ぬ運命を担わされたのかはわからない。彼女は第二の主人公となるべく起用されたに違いないのだから。ただ、この第6シーズン第14話の事件を境に、キャロル・ハサウェイ、そして少し前に物語の舞台から消えたジョージ・クルーニー演じるダグラス・ロス、などの初期の重要人物が後景に消え、ルーシーを治療したイギリス人外科医のエリザベス・コーデイやクロアチア人医師のルカ・コバッチュ、そしてまたルーシーと背丈も、キュートなキャラクターも似ている「第三の主人公」アビー・ロックハートが台頭する。第6シーズンの第14話は、そういう意味において、「ER」という壮大なサーガ全体の流れの中での一つの分水嶺と言える。
「ER」では、舞台が教育施設としての病院という性質上、以前からいた古株医師が師となり、そして新しいメンバーが弟子となる。まるで徒弟制のような世界が描かれる。カーターは「ER」の初期に、ひたすら最も厳しい教師である黒人外科医のピーター・ベントンの弟子として、言わば彼を「父」のように、尊敬しつつも対立する。そしてカーターを「父」として、ルーシーはそのほとんど同型反復をするのである。カーターとルーシーは師弟関係であり、同時に似たもの同士であるがために、反目し合う。(「ER」における「父殺し」というのは非常に興味深いテーマであるがまた稿を改める)。
14話でカーターの命を救うのは彼の師であるピーター・ベントンである。そしてルーシーを救おうとして挫折するのが、権威主義の独裁者でみんなの嫌われ者だが腕の立つ外科医であるロバート・ロマノだ。嫌われ者であるロマノが、本当に人間的な優しさのようなものを表に出すのは稀だが、彼は瀕死のルーシーを安心させるためにこう言う。「Don't worry Miss Knight, we put too much time and energy into your training to lose you」。ルーシー・ナイトの師とは言わないが、先輩のドクターの一人としてルーシーの医学への情熱を認め出したのはロマノだった。そのロマノが必死になってルーシーを助けようとして失敗する場面は、この第6シーズンの大きな山場であろう。
このように「ER」第6シーズン第14話には、一つの死、一つの事件を中心として、様々な「擬似家族」の形が見出されることになる。「ER」が比喩的な意味で運命共同体であると言うことを、このエピソード内のすべてのシークエンスが示している。このように、タイトルに付けられた一つの言葉が(今回の場合は「家族」だ)、様々な次元でエピソードを束ねる原理となり、あるいはメタファーになり、時には直接言及される、そのような理由から、「ER」はきわめて精緻に構築された作品であると言えるだろう。
第13話(「誰よりも君を愛す」(Be Still My Heart)」)では、カーターが患者に刺され、倒れたとき、既に刺されて倒れていたルーシーを発見するという場面でエピソードが終わる。そして事件が発覚し、主人公カーターは一命を取りとめ、ルーシーは手術後の合併症のために死ぬ。そうした悲劇が展開されるエピソードには「All In The Family」というタイトルが付されている。「ER」のエピソードタイトルはどれもたいてい複数のプロットに関わる、二重、三重の意味が込められている場合が少なくない。このエピソードでは「家族」というモチーフが、言葉にはされないものの、反復され、強調され、非常に大きな意味を持つ。
第一に、本エピソードの最初のシークエンスでは、ラウンジでくつろぐ医師たちとの世間話の中で、古株の医師ケリー・ウィーバーは他の医師たちにこう暗示的に語りかける。「Nice to have someone at home.(家族がいる人は幸せね)」。ここではケリーが恋人もいなく、孤独な人間であることが示される。
第二に、エピソード冒頭で示された孤独なケリーが、実は最も「ER」の舞台であるカウンティ総合病院の緊急救命室の仲間を「家族」同然に思っていることが、分かる。このエピソードでは、カーターとルーシーの負傷に最初に気づくのがケリー・ウィーバーなのだ(事件当時、病院はヴァレンタインデイの浮かれ騒ぎで、ほとんどこの事件に気づいているものはいなかった)。ふだんは極めて冷静で冷酷な面もある権力者ウィーバーが、このエピソードでは非常に弱い存在として描かれていることは特筆に価する。これまでも時おり示されていたように、彼女は非常にマッチョな権力志向と、母性的な優しさを兼ね合わせた存在として描写される。「ER」創成期から登場していた彼女はある意味で「ER」の「強い母親」なのである。このエピソードは、他のすべてのエピソード同様、医師たちを言わば「群像劇」として同時並行的に描くのだが、実質ここでの焦点人物はケリー・ウィーバーであり、ウィーバーの動揺が(実際事件発覚の直後、治療が終わったあと、いつも冷静なウィーバーはすぐに病院を出、そして外で嘔吐する。)「ER」という一つの共同体の「家族」的結束を象徴している。
第三に、「ER」という共同体の「家族」的性質について触れよう。物語中、たびたび触れられるように「ER」の舞台は「ティーチングホスピタル」であり、医学生の養成を目的の一つとしている。このことには稿を改めて詳しく触れるつもりだが、医学生の養成というのが、特に「ER」の前半には物語の核を成す。特に「ER」第1シーズンでは、主人公のカーターが、医学生として何も知らずに「ER」の舞台に飛び込んでくるところから始まる。「ER」は言わば教養小説(ビルドゥングスロマン)という性質を持っているのである。物語前半はカーターの成長に焦点が当てられ、そしてカーターが一人前になった「ER」第5シーズン以降、カーターは今度は医学生を指導する立場となる。そのカーターに指導されるのが、このエピソードで死亡するルーシー・ナイトである。
ルーシー・ナイトはそのため、かなりカーターと似たキャラクターを与えられている。どこか弱さを持ち、ひょうきんで、そして他の完成された医師にはない繊細さを秘めた存在だ。実際ルーシーは「ER」での研修を終えたあと、精神科のインターンとして素質を発揮する。またルーシーの登場は「ER」に、それが初期の頃に持っていたコメディ的な性質を取り戻させた。「ER」はエピソードが進むにつれ、シリアスさを増し、様々な社会問題を取り上げるようになっていく。そしてカーターは医師としてほぼ完成され、「新人」という外部の視点が「ER」には欠けることとなる。そこで「ER」のリフレッシュの役割を担ったのがルーシー・ナイトの存在である。彼女がどうして死ぬ運命を担わされたのかはわからない。彼女は第二の主人公となるべく起用されたに違いないのだから。ただ、この第6シーズン第14話の事件を境に、キャロル・ハサウェイ、そして少し前に物語の舞台から消えたジョージ・クルーニー演じるダグラス・ロス、などの初期の重要人物が後景に消え、ルーシーを治療したイギリス人外科医のエリザベス・コーデイやクロアチア人医師のルカ・コバッチュ、そしてまたルーシーと背丈も、キュートなキャラクターも似ている「第三の主人公」アビー・ロックハートが台頭する。第6シーズンの第14話は、そういう意味において、「ER」という壮大なサーガ全体の流れの中での一つの分水嶺と言える。
「ER」では、舞台が教育施設としての病院という性質上、以前からいた古株医師が師となり、そして新しいメンバーが弟子となる。まるで徒弟制のような世界が描かれる。カーターは「ER」の初期に、ひたすら最も厳しい教師である黒人外科医のピーター・ベントンの弟子として、言わば彼を「父」のように、尊敬しつつも対立する。そしてカーターを「父」として、ルーシーはそのほとんど同型反復をするのである。カーターとルーシーは師弟関係であり、同時に似たもの同士であるがために、反目し合う。(「ER」における「父殺し」というのは非常に興味深いテーマであるがまた稿を改める)。
14話でカーターの命を救うのは彼の師であるピーター・ベントンである。そしてルーシーを救おうとして挫折するのが、権威主義の独裁者でみんなの嫌われ者だが腕の立つ外科医であるロバート・ロマノだ。嫌われ者であるロマノが、本当に人間的な優しさのようなものを表に出すのは稀だが、彼は瀕死のルーシーを安心させるためにこう言う。「Don't worry Miss Knight, we put too much time and energy into your training to lose you」。ルーシー・ナイトの師とは言わないが、先輩のドクターの一人としてルーシーの医学への情熱を認め出したのはロマノだった。そのロマノが必死になってルーシーを助けようとして失敗する場面は、この第6シーズンの大きな山場であろう。
このように「ER」第6シーズン第14話には、一つの死、一つの事件を中心として、様々な「擬似家族」の形が見出されることになる。「ER」が比喩的な意味で運命共同体であると言うことを、このエピソード内のすべてのシークエンスが示している。このように、タイトルに付けられた一つの言葉が(今回の場合は「家族」だ)、様々な次元でエピソードを束ねる原理となり、あるいはメタファーになり、時には直接言及される、そのような理由から、「ER」はきわめて精緻に構築された作品であると言えるだろう。