阿波の国(徳島)と淡路島の淡(アワ)。その間が「鳴門」です
その間を渦が巻く。つまり魂の洗濯の要素の「アワ」です。
洗濯機は「渦」を巻いているでしょう。
アワの島には「ス(州)」本が在るでしょう。
私は「富士鳴門」の仕組みを、ほとんどの神々や霊能者の方達は間違った解釈をしておられるとは気づいていました。私自身若い頃に数ヶ月間淡路島の「洲本」で暮らしていたことがあり、何か型を織らされたのではないかとは思っていましたが「泡」には気付きませんでした。
昭和五十六年、私にボッティチェッリが描いた有名な裸の【ビーナス】の絵画が見えて来て、今生のそなたの役目はこの裸のビーナスの意味を紐解くことであると出たのですが、その時に「泡」がキーワードとして出ていました。
古来より、救世主の星は太白の金星と云われて来た。金星のビーナスは、ギリシャ神話で主(ウラノス)の娘。
旧約聖書において、バビロニアの大姦婦と呼ばれて来たのはギリシャ神話の中のビーナス神。主の娘の立場を忘れて他の神達と姦淫をしたです。
人々の良心神は、主の神を忘れて他の神と姦淫をしているのです。人の魂の中の良心神は女神形でも変性女子。
救世主は女神形で主の娘(女の良)。汝の魂に内在する良心神は、水(瑞)の女神。大本教の出口王仁三郎聖師は非常に面白い演技をされました。男でありながら女装をして変性(へんにょう)女子と名乗っていました。開祖の出口なおを変性男子としたのです。そして、救世主は変性女子(瑞霊)だと説きました。瑞霊とは水の女(汝)の意味。
しかし大本教からは、この型演技が出来る女子が出口一族や幹部の女子達から見つからなかった(霊界物語第十三巻信天翁)。開祖の娘は[りょう]でも、良(りょう)子ではなかった。良子と云う遊女の型が必要だったのです。
また、大本教三代教主補であった出口(高見)日出麿さん。その日出麿さんと同郷であったことから大本教機関誌の編集長であった日月神示の岡本天明さんは倉敷出身でしたが、この型は「九ラ式」として成り立つ。
主を忘れた遊女も主の胸に戻るならば、その装いも新たに嫁ぐ六(禄)付きの神の花嫁。
主のシンボルが海に漂って泡となっているところから生まれた美の女神。泡から生まれた裸の女神。
俗に言われる富士鳴門神業の「鳴門」にしても、四国「阿波」と淡路島の「淡」の「アワ」であり、鳴門の渦巻きは「泡」なのです。
上一宮大粟神社本殿の御祭神は、日本神話の中の「大宜都比売命 (おおげつひめのみこと) 」となっています。この大宜都比売命は霊能者の間では「豊受」様だと言われる方が多く。俗説でもそう言われていますが、日本の記紀神話で行くと「大宜都比売命」は「豊受」様とはなりません。日本神話ではこの2神は完全に別の存在として書かれています。
神殿で拝していますと、出て来られたのは「豊受」様でした。俗に言われていることが正しいようです。豊受様から一言いただいて帰りました。ただ、それは私が見たのは豊受様であり、学者さん達の大宜都比売命と豊受神は別神だという説を否定するのではありません。
ただ、それで「アワ国」の「アワ」の意味には、阿波(泡)のみならず、五穀神「豊受神(大宜都比売命)」に関しての「粟(あわ)」もあるのだと思っただけのことです。
では、その「泡」を出す洗剤とは何なのでしょう?
それは「言霊」という洗剤(宣材)を持って、魂の汚れを洗うわけです。
「泡」に「阿波」に「淡」に「安房」です。言霊で言えば「ア」から「ワ」までの道です。一部の方達は「あわ」の歌を説かれていますが、その「アワ」の歌のことなのかどうかまでは未だ不明と言えます。私個人の感想は「あわの歌」のアワとは意味が違うとみています。
【あわのうた】「あ」から始まって「わ」で終わる言霊の並べ歌。
あかはなま いきひにみうく
ふぬむえけ へねめおこほの
もとろそよ をてれせゑつる
すゆんちり しゐたらさやわ
通常神社に参拝して神主さんに御祈祷をお願いしますと、まず最初に【身滌大祓(みそぎおおはらい)】をしてくださるでしょう。
しかし、それで魂の過去の全ての汚れが落ちるというものではないのです。魂に付いたチリやホコリを祓うであって、別に魂の洗濯をされているのではないのです。では、毎日毎日神社に参拝して神主さん御祈祷してもらうなど現実的はありません。
現実的には、自分の魂に付いたチリやホコリ(人の想念)は自分が日頃から身滌大祓(みそぎおおはらい)の祝詞を上げていけばいいのです。しかしそれは過去に付いた魂の汚れを洗うところまでは行きません。
そこに【言霊】と呼ばれる宣材(洗剤)を入れればいいのです。
宣材の言霊としては「アイウエオ」「いろは」「一二三(ひふみ)」があります。
アカサタナ ハマヤラワ ガザダバパ
イキシチニ ヒミイリヰ ギジヂビピ
ウクスツヌ フムユルウ グズヅブプ
エケセテネ ヘメエレヱ ゲゼデベペ
オコソトノ ホモヨロヲ ゴゾドボポ
いろは にほへと ちりぬるを (色はにほへと 散りぬるを)
わかよ たれそ つねならむ (我か世たれそ 常ならむ)
うゐの おくやま けふこえて (有為の奥山 今日越えて)
あさき ゆめみし ゑひもせす (浅き夢見し 酔ひもせす)
ひふみ よいむなや こともちろらね
しきる ゆゐつわぬ そをたはきめか
うおゑ にさりへて のますあせえほれけ
こうした「言霊」を上げる事が、魂の汚れを洗ってくれるのです。
どれが一番効果があるかは、どうも人によって違いが見られます。この三つとも唱えられたならばいいでしょう。その上げ方の見本は私のHP言霊(kotodama)にも載せています。
上野公園さんの手組と言霊。
大本教で「いろは」を教え、日月神示で「ひふみ」が出て、トドメは【アイウエオ】。
アカサタナハマヤラワ
いろはやひふみは、369の「米」が織れないヨハネ(四八音)
自分の魂を洗う「宣材」を入れてください。
魂を磨くのには「研磨」で解る様に、日々の努力や行いが大切です。その為に長い年月の魂の「輪廻転生」も必要でした。
仮にそうしたことを忘れていたとしても、自己の魂の汚れを洗うことをしておけば、トドメ(艮)の時にはその魂の洗いが自分の魂を助けることになります。
こうしたことをキチンと教えておられる御神霊ならばいいのですが、そうでない御神霊が多いように見受けられます。
天津祝詞(御祓大祓)
たかあまはらに、もとつおやすめおおかみ、あまたのかみがみをつどえて、とことはにかむつまります、かむろぎ、かむろみのみこともちて、すめみおや かむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらに、みそぎはらひたまふときに、なりませる、はらえとのおほかみたち、もろもろのまがことつみけがれを、はらえたまへ きよめたまへと まおすことのよしを、あまつかみ、くにつかみ、やほよろづのかみ、りゅうじんたちともに、あめのふちこまの、みみふりたてて きこしめせと、かしこみかしこみもまおす。
かんながらたまちはえませ
かんながらたまちはえませ
[出口王仁三郎さんの天津祝詞]
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