ロミ山田
1960年春、マンハッタン・アッパーイーストサイドのレストラン「フォーシーズンズ」で食事中、ブロードウェイドラマ『スージー・ウォンの世界』地方公演の配役を捜していた芸能事務所社長にスカウトされ、女優としては全く未経験ながらオーディションを受けることになる。ほっそりしたチャーミングな容姿、声楽で鍛えた声量と舞台度胸が、同作品の総合プロデューサーデイヴィッド・メリック (David Merrick) に見いだされ、スージー・ウォン役に抜擢され、人気を得る。
1963年に帰国後は、歌手、女優として活動する。同年に日本デビュー曲「煙草のけむり」(作詞・作曲平岡精二)がビクターより発売される。アメリカでは「ARIGATO」、イタリアで「ARIGATO (Non Avere Piu` Paura〈もう恐れないで〉)」として、それぞれレコーディング、アレンジを変えて同時発売された(米伊のタイトルの由来は、歌詞中にある「ありがとう」という印象的な台詞からと思われる)。
1971年、ギリシャで開催された国際ポピュラーソング・コンテスト、アテネ国際音楽祭 (OLYMPIAD OF SONG) に出場、「Her Name was Sakura (君の名はさくら)」(作詞・作曲服部良一)を歌い、5位入賞する。
2010年、第19回日本映画批評家大賞舞台ミュージカル賞を受賞する。また初の自伝『楽譜を抱いて』(角川学芸出版)を発表する。さらに、家族の療養・介護のため長期間休止していた本格的な芸能活動を再開する。
2016年、スメタナの代表曲『モルダウ』に自らの歌詞を付け、編曲家・目黒真二を迎えて制作した新曲「さらば燃えた日よ〜モルダウ(我が祖国)より〜』をキングレコードから発売する。
全国各地での公演および講演、また随筆などで活躍中。
- 芸名の「ロミ」は、幼少時から肉親や学友らに呼ばれてきた「ひろみ」の愛称である。留学先のアメリカでは「Hiromi」が発音しづらいと言われたため、ロミで通した。その後、アメリカで芸能界デビューとなったため、アメリカ式に名前を先にした呼び名が、そのまま芸名となった。日本に帰国後は、エキゾチックな名の響きとアメリカ帰りのイメージから、しばしば日系アメリカ人と間違われたという。
- 声楽を始めたきっかけは、5歳の時に幼稚園の唱歌の時間、隣の男児に「変な声だ。大人みたいな声だ」と言われてショックを受け、以来その「変な声」を矯正したいと思い悩んでいたためという。
- ニューイングランド音楽院時代、学友たちとニューヨークに遊びに出かけた際、フランス・ニュイエンが主演した『スージー・ウォンの世界』、および『フラワー・ドラム・ソング』を、一番安い3階席で観ていた。のちにスカウトされるまでの間に山田が実際に観たブロードウェイの舞台は、自分が主演することになるこの2作品だけであったという。
- ラスベガスショーの歴史をまとめたドン・ネップ (Donn Knepp) 著 "Las Vegas: The Entertainment Capital" (1987年)によれば、山田が主演した『フラワー・ドラム・ソング』ラスベガス公演は、ブロードウェイの演目が初めてラスベガスで興業し、なおかつ1年6ヶ月のロングランと観客動員数の塗り替えを続けた公演として、エポックメイキングなものであった。まさにこの公演の成功が、それまで歌手・ボードヴィリアンの単独公演や半裸のレビューダンスなどが主流であったラスベガスのショーが、ミュージカルやイリュージョンなど、家族連れで楽しめるような演目が常時催されている現在の形態へと、変化を始めたきっかけとなったとされる。本書には、メイ・リーを演じる山田の写真とともに、このことが記載されている。
- ラスベガスでの活躍が当時の日本でリアルタイムに報道されることは少なかったため、実際の山田の舞台を鑑賞した日本の有名人は、永六輔、渥美清、岡田英次などの数人であった。
- 寺山修司は、山田の熱烈なファンの一人であった。帰国後の日劇などの舞台へたびたび足を運び、「ハイヒールを履いて生まれてきたような女」という賛辞を残している。事実、山田自身は小柄ながら、その足は同世代の日本人には珍しく膝が出ずすらりとしている。これは山田の母が、真っすぐな足に育つようにと、幼少時からあまり正座をさせずに育てたためという。
- 「知りすぎたのね」は、ロス・インディオスのヒット曲としても知られるが、もともとはなかにし礼が山田に書いた曲である。
- 宗教はカトリック(幼児洗礼)であり、祖母、母ともに熱心な信者である。
ディスコグラフィー
シングル(A面/B面)
- 煙草のけむり/にくいあなた(1963年、ビクター)
- スイートハート・トリー/愛なき夜のブルース(1966年、ビクター)
- 言いわけなんてよして/白い炎(1967年、ビクター)
- 知りすぎたのね/恋のボヘミアン(1967年、ビクター)
- 愛のあきらめ/疑わないで(1968年、ビクター)
- そんな目をしないで/それでいいのね(1969年、ビクター)
- 私も女/お別れしましょう(1969年、ビクター)
- 一秒でもいい/ミサよ、タンゴを踊ろうよ(1969年、ビクター)
- 陶酔の中で/お別れはわたしから(1970年、ビクター)
- 今日でお別れ/甘いタバコ(1970年、ビクター)
- 心は流れて/愛の完結(1970年、ビクター)
- 晩歌/指定席(1971年、ビクター)
- 追想 (おもいで)/昨日のように(1972年、ビクター)
- マリコ/愛の残り時間(1974年、コロムビア)
- 煙草のけむり/知りすぎたのね(1975年、ビクター)
- ミラノ・ファンタジー/モザイク通り(1980年、ポリドール)
- そ・れ・だ・け・よ/それでもダーリン(1982年、トリオレコード)
- さらば燃えた日よ〜モルダウ(我が祖国)より〜(2016年、KICB 2663 キングレコード)[1]
- 私の愛する歌(1997年、サテンドール三井)
- アヴェマリアを歌う(2005年、ジェイズレコード)
- 45周年記念ベストアルバム「ロミ山田 BEST SELECTION-45 ANNIVERSARY」(2005年、ダイプロ・エックス)
- 波影(1965年)
- 我が青春(1965年)
- 日本侠客伝 雷門の決斗(1966年)
- インディレース 爆走(1967年)
- 日没前に愛して(1967年)
- シンガポールの夜は更けて(1967年)
- カモとねぎ(1968年)
- 俺っちのウエディング(1983年)
- どんぐり兄弟の梅干(2009年)
テレビドラマ
その他の番組
- 熱血 二代目商店街(1999年)
- 女心の急所教えます(ルック社、1966年)
- 母と子の喧嘩の仕方 私の"感情教育"15年の記録(祥伝社ノンブック、1983年)
- 純金でお肌すべすべ すてきな美容法見つけた(リヨン社、1985年)
- 女が鏡をのぞくとき 五十歳からの毎日をイキイキ美しく(PHP研究所、1994年)
- 誰かと行きたいとっておきのお店ガイド(PHP研究所、1997年)
- 楽譜を抱いて(角川学芸出版、2010年)
- 『楽譜を抱いて』4-6ページ。
- 『楽譜を抱いて』6ページ。
- 『楽譜を抱いて』7ページ。
- 『楽譜を抱いて』8ページ。
- 『楽譜を抱いて』11-13ページ。
- 『楽譜を抱いて』13-14ページ。
- 『楽譜を抱いて』25ページ。
- 『楽譜を抱いて』25-26ページ。
- 『楽譜を抱いて』31-32ページ。
- 『楽譜を抱いて』43ページ。
- 『楽譜を抱いて』50-51ページ。
- 『楽譜を抱いて』51-52ページ。
- 『楽譜を抱いて』52ページ。
- 『楽譜を抱いて』58-62ページ。
- 『楽譜を抱いて』11-12ページ。
- 『楽譜を抱いて』7ページ。