色々なコンプレックスを抱えながら生活してきた。

ニートをこじらせていた時期もあった。

いや、ニートを飛び越え、ヒッキーにまでクラスチェンジしていた。

そんなコンプレックスヤローの半生を反省してみる。

基本スペックは、

30歳。男。会社員。既婚。子供3人。友達0。

人と関わるのはひどく疲れるので、最小限の人間関係しか築かない。

というか根暗で、人から好かれることも無いという孔明の罠。

携帯の着信履歴もここ数ヶ月無い。


小学生の頃、活発でクラスの中心的な存在だった。

今思えば、目立ちたがり屋で、仕切りたがり屋で、見栄っ張りなナイスガイだったと思う。

スポーツ万能で、勉強を特にしなくても良い点を取れる。

そこそこモテた。

人生の絶頂期。

そして中学へ進学。

複数の小学校が集まってくるマンモス校だった。

小学生の頃と比べると若干影が薄くなってはいたが、そこそこの存在感を出すためがんばって見栄を張っていた。

そんなある日、面識の無い学生に話しかけられた。

たわいのない話だった。

「はぁ!?」

周囲に存在感を示すため、粋がっていた私はそう返した。

面識の無い学生は、わたしに殴りかかろうとしていた。

面識の無い学生のツレがそれを止めてくれた。

なんとかその場はおさまった。

・・・・ここから地獄が始まった。

面識の無い学生は、1つ学年が上のヤンキーだった。

「生意気な奴だ」

わたしの名は、同学年のヤンキー共に知れ渡ることとなった。

数々の嫌がらせ。

部活のランニング中、硬式ボールを顔面に投げられ危うく大惨事に。ということもあった。

呼び出してリンチ。なんて話も聞こえてくるようになった。

俗に言うイジメというやつだ。

まさか自分がイジメの対象になるとは考えたことも無かった。

恐怖にかられたわたしは、愛書「ろくでなしブルース」を擦り切れるほど読みつくし対応策を練った。

またジャンプの最後のほうについてる「2週間で強くなれる!」とかいう通販に手を出したこともあった。

そして天パをからかわれ、わたしは始めて天パを意識した。

朝はブローに1時間ほどかけ、チン毛を伸ばした。

そんな努力の結晶も「雨」という奴は、無常にも奪ってしまう。

汗をかくとチン毛に戻るので、部活も行かなくなった。

さらに、毛深いことを笑いのタネにもされた。

付いたあだ名は「スネちゃま」「スネ夫」「モジャオ君」

夏でも長ズボンがデフォになった。

そんな中学1・2年を過ごしていた。


だが中学3年になると、徐々にわたしに対する嫌がらせは減っていった。

ヤンキー共の攻撃対象は、別のチン毛君に移っていた。

安堵した。

だが、いつ何時攻撃の対象に晒されるか分からない。

ヤンキー共と仲良くなる。

これが当時の私が出した結論だった。

一見すると友達のようだが、対等な立場ではないパシリ的な存在になりさがる。

殴られ、からかわれ、家に遊びに来ると物品が盗まれる。

そして逃げるように、ヤンキー達の手の届かない偏差値の高校へ進学した。

恐怖と緊張の毎日だった、中学生活とはうって変わって平凡な高校生活が待っていた。

男子校だったので、恋愛とは無縁だったが平和で落ち着いた日々が戻ってきた。

バイトなども始め、徐々に友達も増えた。

そこそこ楽しい日々だ。

だが、中学時代のヤンキー共から再び呼び出されることが多くなった。

パシリではなく、暴力の対象として。

殴られ蹴られエスカレートしていった。

夜中、一晩中殴られていたこともあった。

素っ裸にされ殴られたこともあった。

小学校時代の友達の前で殴られていたときは、言いようの無いみじめさだ。

昔好きだった子の前でなんて時もあった。

自宅の電話が鳴るのが怖くてしょうがなかった。

そして私は決心した。



これまでの交友関係は捨てる。


一切の電話に出ないようした。

外出するときも、帽子などを被り変装をした。

格好悪いが逃げ回ることにしたのだ。

家まで来ることもあったが居留守を使ってやり過ごした。

バイト先に来たときは、心臓が縮みあがったが、何とか隠れきった。



そして、日本でトップクラスのFラン大学に合格した私は故郷を捨てた。

ヤンキーではない普通の友達との関係も捨てた。

イジメられていた過去を捨てたいというプライドか。

大学生活は平穏だった。

Fラン大学ゆえ、日本屈指の学生が集まっていたが、大学でのイジメは見たことも聞いたこともなかった。

イジメという恐怖から完全に開放された。

バイト関係の合コンが2,3度あった。一度もうまくいったためしはないが。

カラオケにも行った。

ユニコーンの「大迷惑」を歌った。

空気が重くなった。

「・・・ホント大迷惑だよ・・・」と言われた。

バイトをやめた。

それ以降、人前で歌ったことは無い。

2年に進級するとき、大学の友達は1人だった。

3年に進級するとき、その一人の友人は退学した。

大学に誰も知り合いがいない状況となった。

4年になると就職活動をしなければいけなかった。

「どもり」持ちである私は非常に憂鬱だった。

「え・・ぇえーーぇ、え、ぇーーえ、Fラン大学から来ました。ぁあ、まぁー、まー、増田です」

就職活動をせず、FF11にはまった。

そしてこの時期、童貞を捨てた。

バイト先の人妻。

サイコーの腰使いだった。

そんなこんなで大学を卒業し、晴れてニートとなった。

実家に戻り、ヒッキーとして質素に暮らした。

FF11の廃人ギルドに入り、寝る、食べる、排泄、シコる、ゲーム以外の行為を行うことが無くなった。


そんな折、数少ない知り合いから運良く就職の話をいただく。

ニート生活丁度1年目のことだった。

勤勉に働き、女性と関係を持ち、結婚した。

デキちゃった婚だった。

仕事も私生活も、まずまずだった。


だが仕事上、経験を重ねるごとに人前で話すことが多くなってきていた。

そして「どもり」が自分の中で大きな問題になった。

もうこれ以上は無理だ。転職しよう。

プログラマーになった。

これで人前で話すことは無いはずだ!

しかし、電話番をまかされることになった。

「ぁ・・あぁはあ、は、はあーはー、あー、はい。ま、まぁー、まー、増田株式会社です」

1年で転職した。

「たった一年でやめやがって」と思われそうだが、地獄のような1年をよく耐えたと思う。

電話の恐怖は、「どもり」の人間にしか分からないだろう。

次の会社では、電話に一切出ないようにしていた。

そこそこ平和だった。


だが、プレゼンをやることになった。←今ここ


「どもり」と「天パ」と「音痴」と「ムダ毛」とコンプレックスが多い人生だ。

「天パ」と「音痴」と「ムダ毛」はどうにでもなる。

ストパー掛けたり、脱毛、音痴は歌わなければいい。

だけど「どもり」は別格。

「どもり」がある以上、仕事は制限され、恥をさらしてしまう恐怖に一生晒される。

おそろしす。

人生の折り返しを迎えた三十路の初春。

コンプレックスいっぱい、キモオタ、ヒッキーでも何とか人並みの生活はできている。