ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 洗顔料ってなんですか?2012年3月11日 18:07 早乙女学園のランチタイム。オレ、こと、来栖翔は、クラスメイトの神宮司レンと、昼メシを食おうと食堂へやって来た。 相変わらず、ここの食堂はたくさんの生徒たちでごった返している。寮にはキッチンもあるから、生徒の中には自分で弁当を作って来る奴もいるらしいが、早乙女学園の食堂のメニューは格別にうまいので、ほとんどの生徒はここにランチを食べに来ている。噂では、ここのコックは、フランスの三ツ星レストランで料理長を務めていた男を、校長がスカウトして日本に連れて来たって話だぜ。「おっせーなぁ、レンのやつ……」 オレは“ケン王の男気全開・激辛カレー”を目の前に、待ちぼうけを食わされていた。スパイスの刺激的な匂いに腹がぐ~っと鳴る。オレはとっくに目当てのメニューをゲットしてテーブルについているというのに、レンの奴が戻ってこないんだ。 先に食っちまうぞ、と思った時に、生徒たちの間を縫ってレンの姿が近づいて来た。「お待たせ、おチビちゃん。あっちでレディたちに捕まっちゃってね」 レンは、“早乙女学園特製・和牛100%ハンバーガー”と、“理事長のお気に入り☆北海道の新ジャガポテトフライ”の乗ったトレイをテーブルに置くと、キザな仕草で椅子を引いた。「もう少しで先に食っちまうところだったぞ」「ごめんごめん」 本気で悪いと思っていないような調子で謝ると、レンはしなやかな動作で椅子に腰を下ろした。ほんと、悔しいけど、こいつの動きっていちいち絵になるよな。「んじゃ、いっただっきま~す!」 ピカピカに磨き上げられた銀のスプーンを手に取ると、オレは激辛カレーを口に含んだ。「うめ~っ!」 口の中に広がる熱さがたまらない。すぐに額から汗が噴き出して来る。そんなオレを見て、レンが呆れたように口を開いた。「おチビちゃんは、よくそんな辛い物を食べられるね。普通のカレーの100倍の辛さなんだろう?感心するな」「これぐらい食べられないようじゃ、男じゃねーっ」「はいはい」 レンは肩をすくめると、自分もハンバーガーを手に取った。それを口元に持って行った手がぴたりと止まる。ごったがえす食堂の中で誰かを見つけたのか、オレの肩越しに向こうを見つめている。「あ、あの、すみません。と、通してください。通して……」 聞き覚えのある声にオレも振りかえると、ランチの注文に並ぶ生徒たちの間に、Aクラスの七海春歌の顔が見えた。生徒たちの列に阻まれて、前に進めないようだ。手には、“リンちゃんのオススメ♪ミートソーススパゲティ”の皿とオレンジジュースの入ったグラスを乗せたトレイを持っている。皿が重いのか、トレイがぐらぐらと揺れている。 危なっかしいな、と思ったとたん、生徒のひとりが七海の肩にぶつかった。「きゃあっ……!」 七海がよろけた。足がもつれたのか、そのまま体が前傾していき、トレイが手の上から滑り落ちる。「ななみっ!」「……!」 オレが思わず腰を浮かせるのと、レンが立ち上がったのは同時だった。でも、ここからじゃ、オレたちのどちらも七海を助けるのに間に合わない。食器が床に落ち、彼女が倒れ込む惨事を想像して、身をすくめた時、「七海っ!」 人波の間から、彼女の名を呼ぶ大きな声が上がった。その人物はかなり強引に周りの生徒を押しのけると、まっすぐに腕を伸ばしてよろける彼女の腰を抱きとめた。レンがふうっと息をついたのが聞こえた。オレもほっとしたとたん、脱力して椅子に腰を落としてしまった。「七海、大丈夫?」「は、はい。あの、一十木くん、ありがとう、ございます……」 一十木音也に抱きとめられて、七海は顔を真っ赤にしながら、ぺこりと頭を下げた。「ハルちゃん、こっちも大丈夫ですよぉ」「うむ。せっかくの食事が無駄にならなくて良かった」 七海の手から飛んで行った料理とジュースは、四ノ宮那月と聖川真斗が受け止めたらしい。パスタの一本もこぼしちゃいねえ。悔しいけど、見事なファインプレーだ。それに、音也のやつ、ハプニングとはいえ、七海の腰を……腰を……。……いや、決してうらやましいわけじゃねーぞっ!「ところで、一十木、いつまで彼女の腰を支えているつもりだ」 オレと同じことを思った者がいたらしい。聖川が鋭い視線と声を、音也に投げた。「えっ?あ、ああ、ごめん!」 指摘された音也は、慌てたようにパッと両手を上に上げた。七海は相変わらず真っ赤な顔で、胸の前で両手をぎゅっと結んでいる。「あーっ、翔ちゃんだぁ!」 流れた微妙な空気を打ち破るように、那月がオレたちの姿を見つけて、嬉しそうな声を上げた。「おう!」 オレとレンが手を振ると、四人はこちらのテーブルに近づいて来た。「翔とレンも昼ごはん?」「一緒に食べてもいいですかぁ?」「おう、いいぜ!」「わぁい。翔ちゃんとランチだぁ。嬉しいな」 げっ。那月の奴、俺の首に抱きついて来やがった。「いちいち抱きつくのやめろーっ!!」「本当に、おチビちゃんとシノミーは仲がいいよね」「うらやましくなっちゃうな」 音也、その物欲しそうな顔はヤメロ! 那月をようやっとひきはがし、音也と聖川と一緒にランチメニューを取りに行かせた後、通りがかった一ノ瀬トキヤにも声をかけて、俺たちは7人でランチを食うことになった。 「レディ、さっきは危機一髪だったね」「はい。びっくりしました」 七海はパスタをフォークにくるくると巻き取っていた手を止めると、レンの言葉に頷いた。「そういえば、今日はもうひとりのレディがいないね?」「トモちゃんのことですか?トモちゃんなら、何か買い物があるとかで、購買部の方へ……。『後ですぐに行くから、先にランチをしてて』って言ってました。たぶん、もうそろそろ来るんじゃ……あっ、ほら!来た!……トモちゃん、こっち!」 七海が答え終わるのよりも早く、七海と仲良しの渋谷友千香が食堂に入って来るのが見えた。手を振る七海の姿をすぐに見つけ、駆け寄って来る。 渋谷は七海の隣に座ると、手に持ったビニール袋をテーブルの上に置いた。「トモちゃん、買い物はできた?」「ダメ。売り切れてた。今日のお昼に入荷するって情報を掴んだから、慌てて買いに行ったのに。やっぱ、超人気ある。あの商品」 唇を尖らせながら、ビニール袋の中から取り出したのは、早乙女学園名物“さおとメロンパン”。それを見た聖川の目がキラリと光る。あー、そーいやこいつ、メロンパンが好物なんだっけ。「売り切れって何を買いに行ってたの?“さおとメロンパン”じゃないの?」 不思議そうに訊ねた音也に、渋谷は首を振った。「メロンパンはついで。あたしが買いに行ったのは、“シャイニング早乙女謹製・アイドルを目指すならこれ使わなきゃダメなのヨンヨンヨン洗顔料”よ」「“シャイニング早乙女謹製・アイドルを目指すならこれ使わなきゃダメなのヨンヨンヨン洗顔料”???」 トキヤ以外の全員が、口をそろえて、その長ったらしい謎の商品名を繰り返した。「あれ?みんな、知らないの?」「……今、学内の噂でもちきりの、理事長がプロデュースされた洗顔料のことですね。あらゆる汚れを取り去る洗浄力を持ちながらも肌に優しく、使い続ければどんな醜男や醜女でもアイドルを目指せる美男美女に変貌できるという奇跡の洗顔料。理事長が10年の歳月をかけて研究を重ねた究極の一品とのことですが。購買部でも、入荷と同時に一瞬で完売してしまうレア中のレア商品のはずです」「そう!それよ、それ!」「へえ~。トキヤ、よく知ってるね」 音也が“ケン王の寂しい時はLalala甘口カレー”を食べながら、感心したように言った。トキヤは、知っていて当然です、という顔で野菜スープを飲んでいる。そういや、以前、音也が言っていたけど、トキヤは1日の摂取カロリーを細かく計算して、食べるメニューを決めているんだってさ。ランチにカレーなんて高カロリーなもの、食べている姿を見たことがない。「購買部から、そんな洗顔料が出ているのか」「そんなに素敵なもの、僕も使ってみたいです~」みんながトキヤの博識と、噂の洗顔料の効果に感心していると、七海がぽろりととんでもないことを口にした。「センガンリョウってなんですか?」「………………!!??」 たぶん、その場の全員が固まったと思う。「なに!?春歌!?洗顔料っていうのは、顔を洗う石鹸のことじゃん!」 渋谷が驚いた顔で七海に詰め寄る。すると七海は心底感心した顔でこう言った。「顔を洗うのに専用の石鹸があるんですか?わたし、知りませんでした」 せ、洗顔料の存在を知らなかっただって!???「な、七海さん、では、君は、毎朝何で顔を洗っているんですか?」 スープにむせて多少咳き込みながら、トキヤが聞き返した。七海は、きょとんとした顔で小首を傾げている。「水ですけど……?」「………………!!!」 7人の息を飲む音が響いた。 渋谷が勢いよく手を伸ばすと、七海の両頬を挟み、その顔をぐいんと自分の方へ向けさせた。「信じらんない!水だけ!この美肌が、水だけ!あたしなんて、ちょっと手を抜いただけでニキビが出来るのに!」 渋谷の驚愕はオレにも分かる。だって七海、肌白いし、キレイだもんな。「へえ~っ!七海も水だけなんだ!オレも水だけだよ。水だけで十分だよね」 音也が、おそろいだね、と笑った。いや、お前の場合、ツラの皮が厚いだけだろっつーのっ。「もしかして、みなさんも、洗顔料なるものを使っておられるのですか?」 衝撃を受けて固まっている渋谷を気にかけながらも、七海がオレたちの方を向いて問いかける。その瞳が興味でわくわくと輝いている。「アイドルを目指す者として、肌のケアは当然です」「僕も使ってますよぉ」「レディたちの喜ぶ顔が見たいから、セルフケアは欠かさないよ」「へえ~。そうなんだ。みんなはどんなものを使ってるの?」 七海だけじゃなく、音也まで興味津津といった表情を浮かべ出した。こういう時、目がキラキラしだすところ、音也と七海って似てるよな。「トキヤは?そういえば洗面所に何か灰色のチューブが置いてあるよね。あれがそう?」「私は、クリニークのメンズラインを使っています。洗顔の後、化粧水と乳液だけの3ステップで手軽ですし、肌状態に合わせて種類を選べますから」「クリニークって化粧品のメーカー?」「クリニークはもともとニューヨークのメーカーで、皮膚科医の監修のもと商品開発をしています。厳しいアレルギーテストをクリアしたものでないと販売されず、低刺激がコンセプト、無香料というのもいいですね。私の特に気に入っている商品は……」 分析・解説好きのトキヤのスイッチが入ったらしい。……こうなるとトキヤの話って長いよな。「ねえねえ、マサは?マサはどこのを使ってるの?」 トキヤの話にはもう興味を無くしたらしい音也が、隣に座る聖川を振り返った。「オレか。オレは牛乳石鹸だ」 聖川が至極真面目な顔でそう言ったとたん、「ぶはっ!牛乳石鹸?」 レンが噴き出した。「何がおかしい?」 ジロリと聖川がレンを睨む。「おいおい聖川、それはボディ用だろ?洗顔料じゃないな」「何を言う。牛乳石鹸には乳脂とスクワランが配合され、しっとりとした洗い上がりがするのだぞ。それに、代々、聖川家の石鹸は、牛乳石鹸と決まっている。ならば、そういうお前は何を使っているのだ?」 レンが使ってる化粧品か……。それはオレも気になる。「オレはロクシタンを使ってる」「ろくしたん?」 聞き慣れない単語に、音也の眉が寄る。ロクシタンってあれだよな、自然派化粧品っつーの?ハーブとか、植物のエキスが入った化粧品を売ってるブランド。女物だと思ってたから、オレは使ったことねーけど。「意外ですね、あなたがロクシタンとは。ランコムメンあたりかと思いましたが」 誰も聞いていないとようやく気付いたのか、トキヤがクリニークの解説を止めて、レンを揶揄した。ランコムは外資系のブランドで、女物はどこの百貨店にも入っていて、バラのマークで有名だよな。ちょっとお高めっつーの?大人のイイ女が使ってそうなイメージ。へえ~、メンズラインもあったんだ。「ランコムメンも昔使ってたんだけどね……肌に合わなくなったのさ」 そう言って、レンは肩をすくめた。「それに、ロクシタンなら、レディが急に部屋に泊まることになった時にも、貸してあげることができるだろう?」 思わせぶりに七海に向かってウインクをする。 レディが部屋に泊まる時って…………。それって、それって…………!? おーまーえーはー、何を言いだすか!!!そこで七海を見るな!!!「翔くんは何を使っているんですか?」 レンの流し目の意味にも気づかず、七海が無邪気に俺に笑顔を向ける。七海……、お前のそういうところ、オレ、やっぱ……。 頭に浮かんだ2文字の言葉に、思わず顔を赤くする。それを誤魔化すように、慌てて口を開いた。「オレは、プロアクティブ!やっぱアイドルにニキビは禁物だよな!!」「とことん、らしい、ね、翔」 レンがにやにや笑っている。何かムカツクぞ。「さっすが翔ちゃん、気を遣ってるんですね」「そういや、那月、お前はどこのを使ってるんだ?」 一緒の部屋に住んでいるのに、今まで気にしたことなかったな。洗面所に置いてあるくまさんのトレーに、白い石鹸が置いてあるけど、あれ、那月の洗顔料なのか?「僕はねえ、まかないこすめ、っていうところの、ラベンダーの香りのする石鹸を使ってるんですよぉ。パッケージにうさぎさんの絵が描いてあって、とっても可愛いんです。いつも『パッケージを捨てちゃうのがもったいないなあ』って思うんですよ」 那月は、可愛いものをぎゅーっとする時と同じ顔でそう言った後、でもね、と首を傾げた。「不思議なんです。いつも、石鹸をパッケージから出して、くまさんのお皿に置くところまでは覚えているんですけど、僕は本当にあの石鹸を使っているんでしょうか。……いえ、たぶん使ってるんだと思います。だって、石鹸はだんだん小さくなっていくから……。でも、毎朝気が付いたら、僕は洗面所の前に立っていて、お顔はすっきりとしているんです。確かに顔を洗った後なんだって分かるんですけど、いつ洗ったのかよく覚えていないんです。ね、不思議でしょう?」 …………オレの背中に冷や汗が一筋流れた。 朝。那月が顔を洗う時。 それ、すなわち、那月が眼鏡を外す時。「………………」 にこにこと笑顔を浮かべる那月以外のみんな――音也はちょっと困ったような苦笑いで頬を掻き、トキヤは感情を読まれないための無表情、聖川は目を丸くして、レンは口を押さえて笑いをこらえ、七海は――七海は同情を瞳いっぱいに溜めて俺を見つめている。「もしかして、僕が眠っている間に、こっそり妖精さんが洗ってくれているんでしょうか」 能天気な那月の言葉に、思わずこめかみに青筋が浮かぶ。ああ、そうさ、お前の同居人という妖精さんが、毎朝、地獄の試練に耐えているんだっつーの!! そして今朝も、あいつがやって来る。「那月―……顔、洗い終わったかー……」 オレは細心の注意を払い、そろそろと洗面所の扉を開く。右手には那月の眼鏡。左手には万が一の時のためにフラインパンを盾代わりに。 那月はタオルで顔を拭いているところだった。オレの気配に気が付いて、鏡越しにこちらを見つめて来る。「……なんだ?チビ。急かしに来たのか?」 うっ……相変わらず、いつも機嫌悪ぃなこいつ……。「うるさいんだよ。顔ぐらいゆっくり洗わせろ。噛みつくぞ」 噛みつくってなんだよ!?「いや、でも、そろそろ順番変わってくれねーと、遅刻するからさ……」 ギロリと鋭い視線で一瞥された後、那月の、いや、砂月のこぶしがあがった。げっ、ぶっとばされる、とフライパンを掲げた瞬間、そのこぶしが洗面所の鏡を打った。グヮシャッ!という威勢のいい音と共に、鏡に無数の亀裂が走り、砂月の鏡像がひび割れる。 オレはえいままよと息を飲むと、右手に持った眼鏡を超ド級の早さで砂月の耳にかけた。 ……一瞬の間があり、「あれ?」 鏡の中の砂月、いや、那月の目が瞬いた。「あれれ~?どうしたんでしょう。鏡が割れています」「はぁ~」 オレは力いっぱい脱力した。力いっぱい脱力なんて、なんか矛盾してるけど、そうとしか言いようがない、この感覚は。「あっ!翔ちゃん、大変です。もう8時15分です。遅刻しちゃいますよ」 那月が、洗面所の防水時計を見て慌てたようにオロオロしだした。「わかってるって、ああもう、早くそこどけっ。オレが顔洗えねーだろっ」「そうだね、ごめんね、翔ちゃん。僕、先に制服着てるね。でもちゃんと翔ちゃんのこと待ってるから。先に行ったりしないから」「わーった、わーった」 オレと那月の毎朝は、いつもこんな感じだ。これが、1日最初のオレの試練なんだ……! これが卒業まで続くのか。キツいよなあ……。バシャバシャと水を顔にかけながら、そんなことを考える。 パジャマを脱いで急いで制服に袖を通し、部屋の外へ出ると、言葉通り那月がオレを待っていた。「待たせたなっ」「翔ちゃん、急いで!」「おうよ!」 オレは那月と並んで寮の廊下を走り出した。「校舎まで競争だね」「負けるかよ!」 毎朝、サバイバルで大変だけど、でも、不思議と嫌じゃないんだぜ。