駄文リストへ戻る
まとめ
- GAME-T2へ向けた3つのターゲットは、
- タイの水資源の現状、実態調査と、今後の展望(将来予測)
- 洪水予測と警報への水文学的・気象学的観測およびモデリング技術の応用
- 大規模貯水池操作のための気候の(年々の)変動予測
と設定される方向である。 - 新たに5地点に雨量計を設置した。
- TMD MaeHongSon測候所: チェンマイの西、山のビルマ方面、 MaeChaemよりもさらに山を越えたところ。
- TMD MaeSot測候所: Phitsanulokの西、Sukhothaiを越え、 Takからさらに山を越えたビルマ国境の街。
- RID Hydrological Center 1 (ChiangMai): Thadaさんの本拠地。 隣に置かれた普通雨量計の雨水は同位体比測定用にサンプリング。 P1流量観測地点に於いて、 Ping川の河川水を毎週月曜日朝に同様にサンプリング。
- RID MaeNgat貯水池地点(予定): チェンマイの北、Ping川上流。
- RID Wang川W16流量観測地点(予定): Kiulonダム操作用。
Jump to:
08月10日(木)
予定を3時間オーバーして、研究室を出たのが午前2時。食事をして、荷物を作り終って寝たのは午前4時過ぎであった。7時過ぎには出発、ということで、6時15分には起床。ということは、目論見通りに23時に仕事が終っていても、5時間程度しか眠れなかった、というわけだ。お盆で外からの業務は少ないとは言え、各種〆切などがあり、原稿を作ったり、reviewを書いたり、今回のタイ側との討議資料を作ったりしていたのである。
TCATでcheck inできたかどうか記憶が不明だし、大楽君達の荷物が大きいので一緒にcheck inしよう、ということで久しぶりにスカイライナーで成田へ。日暮里出発10分前には満席になる。昨日黒澤さんにとっておいてもらって助かった。大楽君、芳村君とも無事会えて、3人並びの席もとれた。雨量計2つを一緒にくくった荷物は5kgと軽いがかさばるので、持ち込み荷物にすることに関して地上係員にやや難色を示されたが、壊して文句を言われる方がもっと嫌なのだろうか、少し偉そうな地上係員が、OKを出して持ち込めることになった。時節柄空港は混んでいて、特に出国のところが満杯だった。タイ向け土産などを購入して機内に乗り込む。B747旧型機。ほぼ満席に近い。
新聞と芳村君の雑誌を読み、いつものメニューの昼食をとったら、芳村君がポケモン金とゲームボーイを買ってきていて、やらせてもらった。3時間ぶっつづけ。基本的にはロールプレイングで、ウイザードリィとウルティマをミックスしたドラクエ系のゲームである。子ども向けに簡単にできていて、飽きないようにうまく作ってある。しかし、やや手持ちポケモンの成長が早すぎて、必死さに欠ける展開となってしまった。でも、充分にその楽しさは味わえた。おかげで、睡眠時間をあまり取り返せなかった。
バンコックに付いたら雨。バスに乗って移動中に本降りとなる。雷も鳴り響き、雨の観測に来た気分が盛り上がる。後で聞くと、この時、里村先生達の飛行機は雷雨のため着陸できず、上で旋回して様子をみていたのだそうだ。大楽氏はいつも5月と11月の雨季前、雨季後にメンテナンスで訪れているので、タイは5回目だが、8月に来るのは初めてなのだそうだ。そういう意味では、僕はソンクランの4月に来たことがない。他の月はたぶんある。4月に来るのは、予算年度の都合上、仕事では今後もなさそうだ。長い国際線ターミナルの廊下を歩いて地上のバスゲートへ。少し待っていると里村先生が岡村君と現れた。お元気そうである。芳村君がつくそうそう、「日本への土産は何がいいでしょうかねぇ」と言うので、もちろん蘭の切り花を奨める。撒き餌にもいいよ、と言うと、それで髪の長くて背の高いお姉さんをこの夏はゲットする、との決意表明であった。でも、きっと芳村君からお土産をもらったのはそういうタイプの女の子ではないと思う。
少しは寝たが、チェンマイ行きでも芳村氏と今後の攻略について検討していたら、すぐに到着。しかし、入国審査に非常に時間がかかり、到着は18時過ぎだったが、出て来たら19時であった。税関では雨量計について質問されたが、NRCTの研究カードを見せたらそうか、という感じで通してもらえた。今回はKannika台長以外に、Thada氏も来てくれていて、TMDのワゴンとRIDのピックアップトラック改造車で、一旦TMDにかさばる雨量計を置いた後、今回は
Diamond Riverside Hotelにチェックイン。朝食つきで1泊700Bと安いだけあって、掃除は行き届いていないし、なんとなく全体に汚い。僕の部屋は鍵はうまくまわらなかったりするし、電源用にキーを差し込む所も壊れていた。とはいえ、メキシカンダブルの部屋は広くて良い。空港で両替したら1万円が3,695バーツ。1B=2.7円。このところバーツの為替レートは低値安定で、我々としてはありがたい。
Phone +66 53 270080, Fax. +66 53 271482
タイ名はPetngamホテル。
Thadaさんが夕食を食べに連れて行ってくれた。川でとれる手長海老の焼いたの、トムヤムクン、蟹カレー炒め(パッポンカレー)、蟹炒飯、トートマングン、野菜炒め。Thada氏は、ダイエット中で、夜はフルーツしか食べないのだそうだ。Panyaさんは研修のためオムコイ見学には来られないそうだ。例の東海岸で今月末開かれるGEWEX-HELP会合には、Utai氏とThada氏が行くことに決まったそうである。旅費の件や、主催者側への連絡などに付いて、明朝虫明教授に相談することにした。ぐるっと回って宿に戻る。ふらふらで、すぐに就寝。
Jump to:
08月11日(金)
7時頃までぐっすり休む。もう一晩同じくらい眠れそうな気がするが、久しぶりに充実した睡眠。野菜多め、全体の量は少なめにして朝食。コーヒーも含めて悪くないが、ニンニクとうまみ調味料の味が少しきつい。日本の虫明先生に連絡して、UtaiさんとThada氏がGEWEX-HELP会合に参加する件を伝えた。TMDチェンマイ運転手のBhumipatさんの迎えでTMD北部地方気象台へ。カニカ台長の部屋にはDusdee氏、Ananさん、Nipaさんがいた。
Dusdee Sarigabutoe氏は、dupty director general待遇の地位になるそうだ。この9月に上の方が退職したら、彼がdupty director generalになるだろう、とのことである。Ananさんは、Research and Study DivisionのDirector。Vipaさんの上司で、現在Vipaさんは、GAME-Tを含む対外的プロジェクトの担当なのだそうだ。
話を聞いていると、TMDも独立行政法人化の風に晒されているそうだ。NRCTもそうだし、国立大学もすべて2002年に独立行政法人(free organization)になる方向だそうだ。UKやニュージーランドの例を真似て、そういう風潮らしい。ただし、TMD全体が独立行政法人になるのではなく、コマーシャルベースの部分と、国営の部分に分離するのだそうだ。日本の気象庁と気象協会、業務支援センターの様な切り分けが参考になる、と後でTaweesithさんはおっしゃっていた。
待っている間に、TMDのpromotion videoを見せてもらった。TMDは1906年にRoyal Thai Navyにできた。現在は交通省に属している。秘書課以外、9つの課に分かれている。
- Secretary Office
- Studies and Research Division
- Telecommunication Division
- Meteorological Instruments Division
- Meteorological Observations Division
- Weather Forecast Division
- Climatology Division
- Aeronautical Meteorological Division
- Agrometeorological Division
- Hydrometeorological Division
Mr. Taweesith Dumrak氏登場。9:50から会合。紹介。Dusdee; Senior Expert, Anan; Research Division,Vipa; GAME-T and other project under TMD。日本側から紹介の後さらに次。Thadaさん; RID, Wandeeさん; NRCT,Wanasriさん、Mathurosさんは来られない。Kannikaさんは、チェンマイを選んでくれてありがとう、とのコメント。
TMDチェンマイの現業室見学。目が大きな台風8号(Jelawat;マレー語でfresh water fish)は中国へ。台風9号(Ewiniar)は関東の南にいた。GMSの受信画像表示システムは、SGIのO2にupgradeされていた。NOAAのTOVSの解析データも表示される様になっていた。
レーダを見学した後BRRAAのオフィスへ。Hydrological Center 1にいるBoonchob Kanchanalakさんが語る。RIDでPhumipholダムの設計をし、各種観測ネットワークをタイ中にインストールしてからWorld Bankへ行き、現在はデータ観測記録のNGOに属しているのだそうだ。亡くなった竹内先生と親交があったという。世銀を引退してタイに帰って来て3年だという。人工降雨がどのくらい貯水池に入るか、というのに関したプロジェクト(Skywater Project)を、現在提案中だそうだ。Utaiさんの前のBRRAAのdirectorのDr. Sanehもいて、共同で考えている様であった。
Boonchob氏の提案の趣旨説明は、次の通り。
- Phumipholダムの貯水池操作のため、 Ping川流域の洪水予報は重要である。 Ping川のティーセンポリゴン図を見せて、 雨量計密度は充分だ(5%誤差で面積雨量が求められる)、とも言っていた。 問題はデータ転送である。
- Yom川には特に治水施設はない。ダム建設に対する人々の反対が強い。
- 洪水予測だけではなく、渇水予測も重要である。 2~3ヵ月前に渇水がわかっていれば、 作付作物をadjustするなど対策が建てられる。
- 雨の情報の伝達の問題解決には、レーダがふさわしい。 Yon川はオムコイレーダの範囲外なので、 Yon川にはレーダと自動雨量計が必要である。(Utai)
- 雨量計から人手(マニュアル)で内挿した雨量図と、 レーダ画像とは分布が全く違う。
- そうした雨量分布図と現実とが異なると、人々が信用なくなる。
- レーダ込みの現プロポーザルは300,000US$である。
- 40年前、ダム建設現場の視察に来た世銀関係者は、 ジャングルの中の建設予定地を見て、
猿のためのダムか?
と言ったそうだ。その後、人口が増え、耕地面積が増え、 潅漑用水の取水が増えて、 しかもこの辺の気候では潅漑に利用された水は蒸発して return flowがないので、どんどん消費される。 その結果、流量がどんどん近年減っている。 - 年降水量と年流出量を比較すると、過去の流出率は25%程度あったのに、 現在は15%程度になっている。 そうした結果を、1905年からのNakhon Sawanでの流出量で議論していた。 X軸降水量、Y軸流量のダブルマスカーブの傾きが、 昔は27度だったのに、最近は0.9倍位になった。 このまま流量が減り続けると、22年後には河川に流量が無くなる。
- お金はIMFから借りられるが、水はどうするのか? ビルマからもらうのか? それにはとても長い時間がかかる。
- 河川に水が無くなりつつあるので、地下水を使う様になりつつある。 滞水層が10mも下がっていて、かなり深刻である。
また、Suradet Leawongphuthornさんという方も同席。National Economic and Social Development Board (NESDB)。政府のオフィスだが、チェンマイ大学の中にある。BRRAAのプロジェクトについて、reviewし、評価した様だ。
Lunch: ホテルのブッフェ。日本食フェアがあった。つい、刺身も食べてしまった。麺やデザートがおいしかった。話を聞いていると、TMDではJICAにtelecommunicationプロジェクトを提案していて、誰か一緒に働いてくれる技術者を捜しているのだそうだ。Vipaさんによると、レーダ観測の承認に関するletterを送付してくれたそうだ。
午後はHydrological Center 1へ。洪水位を示す動く絵本の様なしかけが、P1, W1C, Y1C, N13Aに関して作成されていた。毎日の河川水位も示されていて、きちんとしている印象。Thadaさんの部屋は僕の部屋と同じくらい大きい。この建物は今年2000年にできたばかりで、綺麗であった。特に、今日は金曜日で、みな同じ青いシャツを着ていたので、よりまとまっている印象を受けた。
Thadaさんの発表。
- 1993年は深刻な渇水だった。
- 過去のmaximum/mean/minimumを示した図では、季節的なpeakが異なる。
- 1035mm/yが年平均。137mm/monthが5月の平均。 両者には相関が高い。台風があると、この関係は崩れるだろう。
- Nam川では、7mを越えて越流した洪水があった。 昨年も、最大7.29m水深までいった。 N1地点で、水位7mを越えると洪水になる、ということは知られている。
- TMDが作成した洪水危険図では、80mm/dayを越えると危険だとされている。
- もし、即座に雨量情報が入手可能であれば、 洪水が到達する1日前に洪水警報を出すことが可能となる。 Nam川上流の5つの雨量計のデータが入手可能となることを期待する。
- しかし現状で利用可能なのは日雨量だけなので、待たねばならない。
- 台風の話。1994/1995年。iso-ハイエトグラフ(等雨量線図)。 →total annual rainfallは、台風が来るかどうかでかなり大きく異なる。
- N.42で、1時間に60mm, 3時間で80mmという雨が降ったこともあった。 だから、時間雨量データなどより短い時間での降水量取得が重要である。
- first rain(雨季の始め)の洪水では、降った雨のかなりが浸透する。 つまり、土壌水分など初期値の影響が、雨季の始めには関連している。
- Sirikit Damの水位の話。 1989年~1993年はずっと減少していた。 1994年にはほぼ満水位近くなった。 1995年には再び満杯になり、洪水を止めることができなかった。 1996年には、洪水を気にして、水位を下げていたら、 台風が来なくて1998年まで減少し続けていた。 1999年は雨季の雨が多くて、水位は回復した。 これはモンスーン期の雨。 2000年がどうなるか、というのが問題。
- 特に、台風もモンスーンの雨も9月に来るから問題。 7月等に来るのならもっと管理はやりやすい。
タイの降水量の時系列を、 台風とそれ以外に分離して議論してみる必要あり。
Suradet Leawongphuthorn氏が語る。
- これらの年々変動がエルニーニョのせいかどうか、に関する疑問。
- 太陽高度と雨のパターンの関連。モンスーンと太陽の関連。
- 5月の雨から年雨量を予測するのが適切かどうか?
- Meteorology→Hydrologyの段階を追った警告(warning)が重要ではないか。
- 地形や森林と雨の関連。
議論:
- 台風の来る回数はいろいろな要因に左右されている。 この5年位来ていない。
- エルニーニョと西太平洋の海面水温変動、 それが台風等熱帯低気圧の強度に及ぼす影響。
- こうやって多機関が同じテーブルで議論することに意味がある。
- 昨(1999)年から、地形の影響や年々変動などについて研究しろ、 と圧力をかけているところである。(Taweesith氏)
Phumiphol Damは、1951年にプロジェクトが始まり、1964年にオペレーションを開始したそうだ。一方、ラマ5世の主導で、1905年から水位流量観測が始まっているのだそうだ。各種資料をもらい、15時に予定通りHydrological Center 1を後にする。出たらすぐにチェンマイ駅。旧市街の東側に位置している様だ。
ポケモンを育てながら車で2時間。P14の流量観測地点に到着。大楽氏のGPS測位によると、北緯18度13分47.2秒、東経98度32分47.8秒。10年前に0mとして設定した河床が2m近く上昇しているそうだ。従って、今日の水深3.40m程度も、実際の水深は1.40m程度ということになる。洪水期で濁っており、水深が浅いせいかboilingも激しいが、乾季には清流となり、多くの人々が訪れるのだそうだ。流量観測のデモンストレーションをやってくれた。動力もない船で、流れの抗力を利用して舵だけで横断方向に移動する。プロペラ流速計は30秒に180回転で1.1m/sだとかいうことであった。20cm水位が変化するごとに流量観測を行い、横断方向には5mおき、水深方向には今日くらいだと6点で測定するのだそうだ。ここはOb Luangまで7km位の地点であった。
途中尾根筋の道で、水牛の群れや、キャベツを山盛りに乗せたトラックとすれ違いながら、ちょうど19時頃、たそがれ深いOm Koiレーダサイトに到着。1992年の開設式には王様も参列され、その際に滞在された、という東向きの一角が特にきれいにしつらえてあった。すぐ隣には立派なトイレも跡型をとどめていた。すぐに夕闇が空を覆い、星がひとつふたつと見え始めた。人工衛星が独特のスピードで移動して行くのが見えた頃、夕食。
日本から贈られたというティラピアと、鯉とを掛け合わせた魚のフライ。淡水でも汽水でも育つそうで、その色からRubyという意味のタイ語で呼ばれているそうだ。チリ醤油で食べるローストダック、豚と冬瓜のスープ。椎茸に似たキノコの炒め物。揚げた豚とチャイニーズブロッコリーの炒め物。ご飯。フルーツで出たロンガン(龍眼)は、今年は雨が多く豊作で、農家出荷時点では1kgなんと5Bだそうである。今日出たのは果肉がピンクで上物なのだそうだ。その他バナナ、完熟みかん、パイナップル。
食事中いろいろ話す。
- 昨年はエルニーニョのせいで、米の価格が高く、農家の生産意欲が旺盛で、 タイ中央部で2百万raiの作付の指導をしたのに、5百万raiも作付があり、 どうやって水を供給するかが大問題だったそうだ。 エルニーニョのせいで、というのは、水害のあったベトナム、 フィリピン、 中国などで米が足りず輸入しようとしたからだそうである(Taweesith氏)。 やはり、水問題は農業、さらに、 国際市場との関係を考慮しなければならない。 さらに、日本の米の話になり、 タイ米が沖縄の泡盛の原料になっていること、 それが日本の米開放以前からずっとつづいていること、 などの話題も出た。この辺では、 チェンライ付近でジャポニカ米を作るよう奨励しているのだそうだ。 もちろん、日本向けの輸出用である。 米の価格も、砕米混入率によって大きく違うそうだ。
- BRRAAの役目として、森林火災の防止、鎮火もあるが、 1998年(?)には100,000raiの森林が焼けたのに、 昨年は30,000rai、今年は20,000raiですんだそうだ(Utai)。
- タイは、中央部などはモンスーンの雨も台風も9月にくるが、 半島部では、どちらも11月に来る。 ずれてくれればずっと水管理はやりやすいのに(Thada)。
- Phumipholダムの貯水率は現在67%でまだしばらくかかるが、 Sirikitダムは77%で、目標値の80%に後10日ほどで届く。 だから、放流するなよ、とUtai氏がThada氏に言うと、 rainmakingで作ってくれるのでどれだけ放流しても大丈夫、 とThada氏が切り返した。
- 1973年に1,600m3/s流れる大洪水がPing川であった。 河道の容量は350m3/sなのだそうだ。 Yom川だと、1995年にやはり大洪水。 プラーの街は2mの浸水。 もし事前にわかっていたら、水位を半分にして被害を減らせたのに、 とThada氏が言う。
- Super Sandwichというのも説明してもらった。 Warm cloudに種蒔きをするのに、 雲頂と雲底を種蒔き用とモニタリング用の飛行機で挟んで飛ぶのを Sandwichと呼んでいて、 そのwarm cloudが発達してさらにその上にcold cloudができた際に King Airでその雲頂を飛んで観測実験している様子を super sandwichと言っているそうだ。こういう場合、 170~180%の降雨増強が認められるのだという。 これまでに3回こうした例が観測されたが、 そのメカニズムなどもっと研究しなければならない、 とUtai氏はおっしゃっていた。
- 今回の会合についてNRCTからRFDのKowith氏にも参加要請の連絡をしたが、 バンコックでのトレーニングと重なって参加できない、 ということだったそうだ。 今日午後のRIDでの会合にはRFDからも1人来ていたという。
- GAME-T Phase 2 (GAME-T2)では、
- 水資源の現状
- flood forecasting
- 季節予報と貯水池管理
ナショナルの温水機があって、トイレと一体ながらシャワーも快適。その後、焚火の側でなんとなくみんなでゆっくり話をする。寒い位の気温で、Thada氏やUtai氏はwind breakerを羽織っている。チェンマイ地方に20位あるdistrictのひとつ、この辺のdistrictのdirectorさんが来た。その上に、governerという地位があるそうだ。districtとはうまくやっていて、水が足りないときなど融通してもらったりしているそうだ(Utai)。Typhoon Committeeが、2001年3月にパタヤで会議を開く予定で、もしGAME-Tの会合と重なったらTMDからは人が行きにくいということであった。調整はまた明日、ということになる(Taweesith氏)。どうも、タイ側は会議、というよりも、せっかく山奥まで来たのだから山岳民族など、社会経済的視察をしたい、という雰囲気が強い。今日の会合でかなり大枠は固まったし、なによりもタイ側からどんどん提案が出て来ている点がすごい。そう思えば、まああくせくする必要はあるまい。遠くに雷光が見える。ぴかぴかして見ている分にはきれいである。23時頃就寝。
Jump to:
08月12日(土)
5時50分起き。雲が多いが、朝焼けがきれい。散歩をするUtai氏と、ジョギングをするTaweesith氏。芳村君は、「変な夢を見ちゃいましたよ」ということであった。彼女に彼がいて、その彼というのが研究室の某君だったらしい。深読みの夢判断すると楽しい。彼は昨晩ポケモンに燃えたそうだ。6時過ぎに朝日が昇る。朝に弱いという里村先生を含めて、いつのまにか日本人もタイ人もほとんどの人が出てきて日の出を楽しんでいた。奥村君は、「久しぶりにきれいなものをみた」と言う。僕は、シャワーを浴び、庭でメモの整理。
7:30から朝食。カオトムガイ。非常においしい。その辺をうろちょろしている鶏が使われているせいであろうか。お酢に青唐辛子をいれたのも、新鮮な辛みで非常においしい。ついお代わりをしてしまった。食後にミロを飲んでいると、10時までには会議を終了してくれ、というUtai氏の指示あり。山岳民族の生活を調査に行き、戻って来て昼食をとり、チェンマイへ戻るそうだ。
8:00から、会合。Agendaを確認。Utaiさんの指示に沿い、緊急に必要のないもの、GISPで出て来た話はskipすることに。朝の涼しいうちに宿題を済ませましょう、という、小学生の夏休みの様なスケジュールである。
- まず、時間の余裕のあるうちにlogistics
- GAME-T Workshopに引き続いてGAME-AANやGAME-Radiationの 会合をやる件は、NRCTとして、 GAME-Tではない会合も面倒を見ろ、 ということか、という質問あり。 安成先生、中島先生から正式な依頼状を出してもらう必要あり。
- Proceedings of GAME-T WS 2000の件は今年中には、ということ。
- 研究許可証の期限が切れる件は伝わった。 追って催促することも必要だろう。 全員のがexpireする、ということも伝えた。
- GEWEX-HELP会合への参加の件についても確認。
- つぎに、研究発表。聞いているのは、我々以外はUtaiさん、Taweesith氏、 Vipaさん、Wandeeさん、Chetpongさん、時々Warawut氏。 OHPもなく、大楽君のPCにOHPスライドを置いて、説明。 みんなちゃんと真剣に発表したし、聞く方も、きちんと聞いていてくれた。
- 大楽さん: 標高と降水量の関係、エルニーニョの影響、 数値モデル(RAMS)を使ったシミュレーション。 風上側の地形依存性について知りたい、という Thada氏のコメントあり。
- 渡辺先生: 熱帯における大気擾乱の話。 OLRで見たモンスーン時の対流活動。 ゾンデ観測に基づく安定度や対流活動の日周期。 Super Cloud Clusterの紹介なども。 たくさんの材料をお持ちいただいたのだが、 発表機材もなく、時間も短く、大変申し訳ない。 湿度や安定度の日周期などに関し、それが雨の原因か結果か、 について里村先生からコメント。 将来については、赤道レーダやウインドプロファイラーの紹介。
- 里村先生: まず数値計算の結果から紹介。 PCで、2km高度のCAPPIアニメーションを見せて、 これは非常に好評であった。Thada氏も気に入っていた。 ロッキー山脈の例や日本との比較もしていた。
見晴らしの良い場所での会合は吹き抜ける風も心地よく、快適である。 - breakの後、water resourcesの話を少し紹介。結局、
- タイの水資源の現状、実態調査と、今後の展望
- 洪水予測と警報への水文学的・気象学的応用
- 大規模貯水池操作のための気候(年々)変動予測
10時に現地視察へ出発。10:50頃、1,450mというこの辺の最高峰へ。Queen's Projectの家屋が見える。山岳民族を定住させて、森林伐採を止めさせよう、という意図らしい。山岳民族の村を車で通り抜ける。猪が、家畜として飼われていた。村には、電話box、TV dish、電気も来ていた。さらに奥へ。棚状に作り上げられた水田、キャベツ畑など。国道のメインテナンスに人が集まっていたが、道は狭い。11:35に、Forest Conservation Centerへ。熊や鹿、雉などがたくさん飼われていた。bleedingをしていて、野生にはいなくなった絶滅種の保全を計ったりしているそうだ。育てた後はジャングルに放したりもするそうだ。孔雀や鴨類、烏黒鶏なども飼われていた。
13時過ぎにOm Koiレーダサイトへ戻る。昼食はあんかけ麺など、タイのファーストフード。13:25からWarawut氏のlecture。オムコイレーダの紹介。
- Frequency 2801MHz, Peak Power 500KW, Pulse width 0.8μs, max range 480km。 機種はWSR88S。 普段はlow PRF (560pps)で観測。high PRF (934pps)も可。
- long modeで、unambiguous range 250km, short modeで、unambiguous range 159km。 long modeを5分ごと、short modeを30分おきに観測している。 仰角は、short modeで、3.1, 4.0, 4.8, 5.6, 6.5, 7.7, 9.1, 10.4, 12.6, 14.9, 17.5, 21.1。 long modeで、0.6, 1.4, 2.0度。1.5km高度分解能を、 どこかのレンジで確保するように設定しているらしい。 データは1993年以降現在まで取られている。
- アンテナサイズは20ft、利得43dB。 beam widthは1.2度で、convective rainとして、 Z = 200 R 1.6ではなく、 Z = 300 R 1.6を雨への換算に利用している。
- GAMEに期待するのは次の項目である。
- long range weather prediction
- rawinsonde and nowcasting
- cloud physics: CCN, updraft, drop size distribution, aerosol consentration
- radar refectivity, rain
- raingauge: 38 rainguges within 50 are alive. 象に踏み潰されたのか、ペシャンコになった雨量計もあるそうだ。
- rain increase
- runoff/inflow increase
- hydropower
- agriculture
- cost/benefit
- calibration
- attenuation
- evaporation and advection
- reflectivity enhancement
- beam filling error, block effect
- vertical airmotion
山を下りて宿へ戻ったら18時過ぎ。19時に集合して、今度は日本側から招待。サヤエンドウ、ブロッコリーなどの野菜炒め。ソーセージやナムプリックオンなどの北部タイ風オードブル。生野菜と食べるべし、と言われたラープモー。鶏のから揚げ。ゲーンキヨワン。トムヤムクン。フルーツがおいしい。
NRCTの手配でチェンマイ大学のDr. Pongin Rakairiyathan氏と引き合わせてもらう。Dean of Faculty of Social Scienceだそうだ。LUCC(Land Use / Cover Change (IGBP/HDP))にも関わっていて、NRCTのNOAAデータを利用したりしてきているそうだ。過去20年間の土地利用変化を調査したりできる、と言っていた。元はcivil engineeringで、その後リモートセンシングとGISを利用した社会科学をやっているのだそうだ。
Taweesithさんは、レーダ観測をなぜ5月からやらないのか、雨季の前と後で、だいぶ雨の特性が違うはずだ、と言ってくれる。こちらは、ちょっと遠慮をしている面もあるのだが、ああ言ってもらえるとは非常にありがたい話である。2年前の状況を考えると、隔世の感がある。来年以降はもう少し早めから準備を始めることにしよう。
王妃様の誕生日記念で、花火大会をやっていた。本当は、UtaiさんとともにSanehさんがVIP席に招待してくれるはずだったのに、この会議のために断ってくださったという。来年はそちらに行けるとよいなあ、と思う。日本側もビールを頼まず里村先生のウイスキーを飲んだ上、タイ側が配慮してくれて高い海産物などを頼まず、さらに、Thadaさんの顔で2割引にしてもらえて、かなり安くあがった。
Jump to:
08月13日(日)
朝、9時にホテル発。休日のTMDへ。会議室を明けてもらい、観測全体の打合せ。
- 日程調整
- 期間: 8月13日~25日夜まで。25日の夜勤はなし。
- 定常観測は、昼間1人、夜間2人。レーダサイト8時/18時発。
- 雨量計の設置について
- TMD/RIDとの意見交換、打合せは休み明けの15日に?
- キャリブレーション、動作確認を13日~15日で。
- インストールは16日以降に。
- TRMM時刻はUTCで表示されている。タイの地方時はUTC+7。
- レーダの操作管理WSの時刻は9分程度進んでいる。
- 当然ながら現業オペレーション観測最優先。 (ワークステーションの時計で) 毎時25分~42分位の間は観測jobを投入できない。
- TRMM軌道は軌道修正によりがらりと通過時刻が変わるので、 最新の情報を利用すること。 ちなみに、衛星は西から東へ飛んでいる。
- TRMM/PRの観測幅が220kmで片側110km、 チェンマイレーダの特別観測は半径レンジ120kmでやっているので、 230km以上離れると重複域はない。 オペレーショナル観測は倍の半径240kmでデータを取得している。
- あまり頑丈なシステムではなく、負荷や割込みに弱く、 何かにつけて落ちる。落ちたら落ち着いて再loginすれば良い。
- レーダ特別観測担当の目的は次の通りである。
- TRMM通過に合わせてvolume scanをすること
- 発達した降水システムに合わせて、 特別観測を2回/時間、現業と合わせて3回/時間にすること。
- 記録tapeの監視をし、 必要に応じて3日に1度位交換すること。 Archive画面で、 unload→eject→(tape交換)→format→load for archive で完了。
- ワークステーションのハードディスク上に蓄積される productsを、古いものは消していくこと。
- 顕著なエコーパターンについて、 画面をデジタルカメラで撮影記録すること。 昨年まではプリントアウトしていたが、 現在プリンタが故障中なので応急手段で対応。
クリーニングテープが無くなっているのに気づく。日本から送付してもらう必要を感じる。今日はPreechaさん。Sommart, Sarawuut, Preechaのレーダオペレータ3人組のうち、Sommart氏は、モンクになって、11月まで帰って来ないそうだ。代わりに、Ransan氏がシフトに入っている。ただし、昨年は12時間シフトだったのに、現在、24時間シフトなのだそうだ。9月30日にデータ記録が終了した後、どうすればよいか、Sarawuut氏に伝えてくれ、ということであった。
レーダの操作の仕方を学生さん達に伝え、特別観測を入れる。現業観測の仰角が増やされていて、かなりちゃんとしたvolume scanができる様になっていた。昼食は明日帰る渡辺先生のためにタイスキ。以前地下にあったタイスキ屋はAirport Plazaの上に移動していた。食後は地下のTopsで買物。ヘアジェルやオレンジジュースに加え、ビオレ鼻パックまでつい買ってしまった。午後も、操作をし、radiationが落ちるのがどうしてか、いろいろ検討をしているうちに夕方となる。レーダ塔の上に昇って回りを見渡すと、雨が迫って来るのが良く見える。一応、パルス幅を0.8μsだったのを2.0μsに変更してみて、様子をみることにした。ドップラー用にはその方がいいはずである。ただし、PRFが250ppsに下がるし、回転速度の制限がきつくなる。うまく夜のうちはとれているといいのだが。
5時にレーダサイトを出て宿へ。日本へPCからfax.送付。無事に送付できたと思う。夕食は、ホテルのすぐ隣のAntique Houseで。ガイドブックに載っているのか、欧米人が多い。ビール、ジョッキだと思って6つたのんだら、ジャーで、1人あたり1リットル位の割当となってしまった。トムヤムクン、鶏蒸し焼き、ヤムタレー、ソムタム、トートマンプラー、グーンオプウンセン、魚の胃と野菜炒め、マナオレモン魚、鶏カシューナッツ野菜等。里村先生がウイスキーを買って持参してくださったこともあり、6人で2,000B弱であった。渡辺先生最後の夜、ということで、少し酔っぱらいつつ、研究談義、恋愛談義などでかなり盛り上がった。
『恋愛って、あんまり大人になっちゃうとうまくいかないんだよ』笛や琴の生演奏のすぐ近くの席で、雰囲気も良かった。ナイトバザールをぐるっと回ってホテルへ戻る。浜田君が好きだったCD-ROM屋さんは、インターネットカフェになってしまっていた。特に何も買わずに宿へ戻り休む。
渡辺明先生、芳村氏に対して。
Jump to:
08月14日(月)
朝、5時半に起きて日本へ電話し、再び寝る。7時に起床、シャワーを浴びて軽く食事。8時に出発。母の日で休みであるにも関わらず運転手さんがちゃんと迎えに来てくれる。
どうも、夜の間は順調に観測されていたように見える。断面も大丈夫。とりあえずは全員で観測を見守る。僕は書類整理。渡辺先生を訪ねて、ソムサック氏、トムチャイ氏、タンノム氏、ニポン氏らが来た。彼らの案内で、まず、航空気象台へ。車の荷台に乗って行った。雨は3時間おきだが、気温湿度風向風速等の気象要素は30分おきに計測記録通報している様だ。次に、高層気象台と観測圃場に。各種放射計なども眺めた。ロンガンの木があり、折ってもいでくれた。新鮮でおいしかった。GPSの観測装置の無停電電源装置(UPS)が壊れていて、直結したらとりあえず動作。明日、UPSを購入することにしよう。北緯18度46分15.84秒、東経98度58分21.17秒、279.8mと出ている。
昼食はNang Nualへ。Ping川のほとり。石積みらしき堰があり、左岸の用水路に取水している様であった。川が右へ曲がっているちょうど水当たりのところがレストランとなっていた。昼のブッフェは1人65Bで、お茶や水などを入れ、チェンマイ高層観測グループにおごって全部で800B程度。
戻ったら、雨量計の検定。そそくさとやったら、10%程度少なめに出ることがわかり、渡辺先生らの工夫でゆっくり水を出して検定。大楽君が考えた釣道具+キャンプ用品セットで、ちゃんと検定ができている。
今日も曇っているが、エコーはちらほら。油断していると、仰角があがった付近でradiationが落ちて電波が出なくなる。昨年のデータでも、考えてみればそういう観測があった気がする。今夜の便で帰る渡辺先生、最初の夜勤の里村先生、奥村君が一旦宿へ戻る。大楽、芳村、沖が残って、雨量計の検定と、レーダの監視を続ける。Sarawuut氏の奥さんのジェニーさんが挨拶に来たりしてくれた。
遠くには雨が落ちているのが見えるが、雨量計検証実験中、レーダサイトでは雨は降らなかった。非常にゆっくりにしたら、無事、85tipで、1.5tip程度の誤差に収まる。シフト案を考えて、書き残して宿へ戻る。
入れ替わりに、帰国する渡辺先生、夜勤の里村先生、奥村君が宿を発つ。夕食は、初日にThadaさんが連れて行こうとして休みだったシーフードレストランへ。野菜炒め(パックブンファンデーン)、茹で魚(プラーチョーンペサ)、ガーリック蒸し海老、カオパッグン、イカのヤム、パッタイ。ビールを5本位飲んで、3人で1,500B余り。少しは夜店をひやかして歩いたが、雨も降って来たし、宿に戻る。鼎さんからのfax.が届いており、その対応で、クーラーを効かせて返信を準備送付したりしていたためか、体調が悪い。夜中に目が醒める。ニンニク関係の食べすぎかもしれない。
Jump to:
08月15日(火)
朝食は、コーヒー3杯とトースト1枚だけにする。タイ料理もちょっと飽きて来た。化学調味料いっぱいの味に少しへき易している、という気もする。シフト案が奥村さんによって修正されて、最終決定。
| 担当\日付 | 14(月) | 15(火) | 16(水) | 17(木) | 18(金) | 19(土) | 20(日) | 21(月) | 22(火) | 23(水) | 24(木) | 25(金) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 昼間 | 大楽 | 芳村 | 奥村 | 沖 | 里村 | 奥村 | 芳村 | 大楽 | 沖 | 里村 | 大楽 | 奥村 |
| 夜 | 奥村 | 大楽 | 里村 | 大楽 | 沖 | 大楽 | 奥村 | 芳村 | 奥村 | 奥村 | 芳村 | × |
| 間 | 里村 | 沖 | 芳村 | 奥村 | 芳村 | 里村 | 沖 | 里村 | 大楽 | 芳村 | 里村 | × |
- 15日(火): 朝交渉。GPS用のUPS購入と設置。夜勤。
- 16日(水): 明け。元気があれば、大楽氏の雨量計データ回収に同行。
- 17日(木): 昼間勤務。FDの購入? 雨量計のインストール?? RIDと打合せ??
- 18日(金): 雨量計のインストール?? RIDと打合せ?? 夜勤。
- 19日(土): 明け。週末、1泊旅行にでかけるか??
- 20日(日): 夜勤までに帰って来る。
- 21日(月): 明け。休養。夕方、瀧沢氏らがチェンマイ着??
- 22日(火): 昼間勤務。コグマ試験地視察。 各種交渉などを終らせる。
Tawiesith氏へ、レーダの点検をレーダ会社に依頼して欲しい、 という旨の手紙を書き、カニカさんの部屋へ。少し議論。
- 2つの雨量計の置き場所は考えて、後で伝える。 山の中のRoyal Projectのところが候補地だとか言っていた。
- レーダの点検の依頼については、 fax.で送信してくれると引き受けてくれた。
- GPSのUPSについては、この後すぐやる、と伝えた。
- ガソリン代については、見積もって後日請求する、とのことだった。 9月30日に観測が終った後送付してもらう件も、 郵送代を見積もって、後日請求してくれるそうだ。
空港で両替してから、 UPSを購入にBhumipatさんに連れて行ってもらう。 3,400Bで、同じ機種の後継機が購入できた。 以前の半分位の値段になっている気がする。 2年間の保障つきだそうだ。 Upper Airへ行き、購入したUPSをさっそくインストールする。 CHMI-000-0というジョブをGPSレシーバの方で走らせる。 Approx Memory Left 923HRとか、出て、おそらく大丈夫。 PCの方も電源を入れる。電源コード等がスパゲティになっていたのを、 少し整理した。 PCの方も無事立ち上がって、
とかいうページになり、きちんと動作している様に見える。 ちょっと問題は、アースがしっかりしていないので、 Box PCが少し帯電していることである。また、熱も持っていた。 アースをとることを考えた方が良さそうである。Select >
- Manual Download
- Exit
部屋に戻ったら、地震観測所のチーフのAdisonさんが来ていて、いろいろおしゃべり。大楽氏も戻って来る。明日朝は8:30にホテル発。コグマのフラックス観測隊は、21日の夜、TG116で夕方18:25頃に到着する予定だそうだ。雨量計の台は1つ1,500Bで、5つ合わせて7,500Bということになった。MaeCham行きの車代は、2,000B/日だという。バーミーナムの昼食を食べたら大楽さんと共にホテルへ送ってもらって、少し休むことにする。
少しは休養した。クーラーで冷えて、風邪をひいていたかもしれない。4~5時間寝ていたら、ちょっと元気になったが、まだ胃が満杯で食欲がない。ニンニクと化学調味料が詰まっている感じだ。鼎さんからまたまたfax.で連絡。いろいろ後方支援をしていてもらえると非常に助かる。松山君のお父様が亡くなられたそうだ。ご愁傷様である。でも、孫の顔をみせてあげられて良かったかと思う。夕方18時過ぎに出て、大楽氏と夜勤に入る。クーラーの部屋に入ると調子が悪くなる気がする。
夕食は、Airpot Plazaまで歩いて、食欲の出そうな焼肉Daimonへ。味噌汁とご飯とキムチで少し落ち着く。お酒はもちろん飲まない。戻って夜勤。エコーは特になし。radiateもあまり落ちず。芳村君が置いていったポケモンで、ロケット団解散まで。大楽さんが先に4時間余り寝て、3時過ぎに切替え。7時過ぎに起床。
Jump to:
08月16日(水)
朝8時の観測を終えて、宿へ戻り、15分でシャワーを浴びて着替えてRFDの車で出発。この間、大楽氏は着替えの代わりに朝食を取っていたそうだ。運転してくれるのはイサラさん。電気技士で、いろいろサポートしてくれているそうだ。英語が喋れるのがヨンさん。メサ地点のRFDステーションの責任者だそうだ。これに、イサラさんの奥さん(?)を乗せてMaeChaemへ向かう。
10:10頃、MaeYa Water Fallへ到着。芳村氏が水のサンプリング開始。
Doi Inthanon National Parkを過ぎて、MaeChaemのサイトへ。ここは元々米軍宿舎だったところを、ベトナム戦争後タイへ払い下げが行われたのだそうで、立派な建物である。
観測機器の状態も良く、データの吸い上げも順調に終了。
待っている間、お水やコーヒー、生のインゲンで作ったソムタムを出してもらった。ソムタムにはさっきまでたらいの中に入っていた沢蟹が潰されて入っていた。その風味のせいか、おいしいが、翌日芳村氏がお腹を壊して苦しんだのは、これが原因であったかもしれない。
昼食はMaeChaemの街まで下りて、食堂で。揚げ魚のスープ煮、豚ひき肉と蟹蒲と椎茸と揚げ豆腐のどろどろスープ、アスパラ椎茸炒め、卵焼き、トートマンプラーのバジルまみれ、とご飯。RFDで払ってくれようとするが、僕が持つ。普段は払ってもらっているそうだが、下手をすると、向こうから請求される交通費やデータ取得費等の研究協力費に込みにされているおそれがあるので、それはまずいと思う。我々はちゃんと出張旅費をもらってきているのだから。こちらがきちんとすると、その分相手側がもうかるだけかもしれないが、自分の身がきれいで相手も喜ぶのなら問題はあるまい。
食後今度はDoiInthanonの管理所へ。まさに、Museumがある地点に置いてあった。以前見た気がする。ここもうまく行っている様に見えたのだが、電源関係(変圧器)がおかしく、6月16日の停電以来欠測していた様だ。
僕と芳村氏は何もできないので、道路を隔てたすぐ目の前の階段を下り、Aang-ka Trailへ。ここは一周800m程度で、うっそうとした熱帯林の中を桟橋伝いに歩いて眺められる様になっていた。もちろん芳村氏はサンプリング。気温はやや低いものの、タイ北部の中でここだけが降水量も2,000mmを越え、湿度も高く、独特の植生環境となっているのであろう。なかなか見ごたえがあった。
一旦はあきらめて下山。大楽氏は、今日チェンマイへ戻って予備で持って来たパーツを取り、また戻って来てインストールしたい、という無茶を言っていたが、ヨンさんに「ダイラク、それは無理」とたしなめられていた。大楽氏には明日の昼間にはどこかへでかけたい、という気があった様だ。DoiInthanon国立公園入口の売店で、アイスクリームを食べながら、イサラさんが奥さんを連れて来るのを待つ。彼は、家で少し問題の変圧器をいじり、おそらく欠線を修理して、動作するようにしたらしい。これで大丈夫だ、というので、大楽氏とともにまた山へ戻って行った。芳村氏とマグマランやムシアケン、ヒラバヤンやグルグルを育てつつのんびり待つ。彼はポテトチップとコーラというジャンクの王道でリラックスしていた。山の早いひぐれが近付いてきた頃、大楽氏等が戻って来た。無事動作し始めたそうだ。2ヵ月の欠測ですんで良かった、と大楽氏も嬉しそうであった。明日また来なくても良くなったし。
帰りはVachiratlarrの滝でもサンプリング。ものすごい迫力で、しぶきがすごい。晴れていると虹が見えることから、虹の滝と呼ばれているのだそうだ。
戻るとPerapolが来ていた。夜勤の里村先生と芳村氏を見送る。奥村さんも含めて大楽氏、Perapol氏と4人で夕食へ。元気がなかったので日本食で鍋焼きうどんでも食べたい気分であったが、久々の故国でわざわざ日本食を食べさせるのはPerapolが可哀想だと思い、Aron Rai(?)まで歩いた。酒も飲まず軽く済ませる。僕はKaaoSoi(チキンカレー麺)にした。
戻って本を読んだ。『オーケンののほほんと熱い国へ行く』(新潮文庫6179、平成10年10月1日発行、平成12年5月30日5刷)である。元は平成3年に出た本の文庫版で、インドへTVの取材で行った話と、タイへぶらぶらしに行った話がくっつけてある。彼が有名人でなければけっして5刷もいかないだろう、と思われるどうということも無い本で、200ページで438円とは、時間潰しとしても安くはない。p.20に引用されている、三島由紀夫の言葉だという、
インドには行ける人と行けない人がいる。 それはカルマによって決定づけられる。という言葉が巻末の解説にも取り上げられている。2001年1月に初めてインドへ行く予定だが、やっぱりカルマなのか。しかし、きっと、アメリカに行ける人と行けない人だって、destinyによって決定づけられているに違いない、という気もする。マジックマッシュルームに関する聞き取り描写(p.195)の
そこにあるもの全てがキラキラ輝いて見えるというのは、以前インド帰りの別の人から聞いた話と全く同じである。そういうものなのか、と思う。薬物に頼らずとも、そういう状態に陥ることがままあるからいいや、というのは「酸っぱい葡萄」かもしれないが、ファインマン氏の言うように、現時点では脳が生活手段なので、それが壊れては困る。本当はアルコールだって控えた方がいい位だろう。そんなことを考えつつ、今日も飲まずに22:30に就寝。
Jump to:
08月17日(木)
早起きして日本関係へ連絡したりしようと思っていたのに、いつのまにか目覚しが止まっていてぐっすり寝過ごした。おかげで、少し体力を回復した気がするが、まだ眠れる。シャワーの調子が悪い。蛇口からシャワーにうまく切り替わらない。フロントに言って、チェックしておいてもらう様に依頼する。溜っていた洗濯をして、干す。ホテルに出したラウンダリーは、言わないと部屋に戻してくれない様で、月曜日に出したのが、昨日の夜フロントで文句を言うと、その場ですぐ奥から出してきてくれた。時間がなくなったので、朝食はまたトーストとコーヒー。コーヒーが、タイにしては悪くないのが救いである。
夜勤明けの里村先生、芳村君と交替。里村先生とは高層データを吸い上げるためのフロッピーディスク購入の件、昼、Kannika台長が招待してくれている件について確認。芳村氏はポケモンチャンピオンになって一旦終了し、現在はカントウ地方で、発電所を目指しているそうだ。車でレーダサイトへ。Perapolがついてきた。ソンテウのソンは、数字の2で、テウの方がコラム、とかいう意味。つまり、ソンテウはいわば「2列」というタイ語であることを教えてもらった。
レーダサイトは特に問題なし。Perapol氏は最初に勤務したバンナで、Ransan氏と同じ職場だったそうで、ずっと話をしていた。Thada氏から電話があり、まず話をしよう、ということになった。
- C2地点の週周期に関して、どうやって作成したのか、 なぜそういうことを思い立ったのか、等について聞かれた。 ああいう見方は初めてで、RIDみんなでびっくりしていたそうだ。 乾季と雨季等に分けて作成するともっと良いと思われる。 また、年代別、もしくは、平年、洪水年、 渇水年といった分離も有効であろう。
- 週周期の解釈については、どうやって作ったかわかったので、 また帰って調べる、とのことであった。 最近では揚水発電もやっている、ということだが、 それは日周期には効いても、 週周期には果たしてどのくらい関係があるだろうか。
- C2地点をはじめとする主要5観測地点の、 1980年以前の日流量データを利用したい、 とお願いした。 流量年表の当該ページをコピーして明日までに準備してくれるという。
- 雨量計について、1つは、Wang川のW16流量観測点に置きたいそうだ。 その下流に小さなKiulonダムというのがあり、 この貯留量が112百万立方メートルしかなく、 年流量約300百万立方メートルよりも小さいので、 洪水調節が大変なのだという。 日本ではそういう条件のダムばかりだが、 タイは他が余裕がありすぎるのだろう。 とにかく、下流のLampang(都市部)では、河道の流下能力が 350~400m3/s確保されているが、 さらにその下流の農村部では250m3/sしかなく、 既往洪水流量が700m3/sもあり、 農村部に合わせたexcess分を洪水調節したいのだそうだ。 実時間監視用には、今回持って来たシステムは適さないので、 とりあえず今年は研究調査用ということにしたい。
- もうひとつは、Ping川の支流、MaeTangではない方に Mae Ngat貯水池があり、そこに置きたいということである。 Mae Tangから700、MaePingから500、MaeNgatから 300m3/sの洪水流量が来て、1973年には ChiangMai地点で1,600m3/sにもなったところ、 河道の流下能力は350m3/sしかないのだそうだ。 1994/1995年には、250+(0)+250位で、525m3/s 流れたそうだ。
- 水のサンプリングに関して、 同位体比観測のおもしろさや意義について説明。 その後、 チェンマイのRID観測地点でサンプリングしてもらえることに 同意してもらえた。 明日、転倒マス雨量計の設置と共に、サンプラーと、 サンプル手順書を持ってRIDへ行くことになった。 サンプル手順書は、芳村君に作成を依頼した。 彼らの日雨量マスから測った後、 一部をサンプル瓶に入れてもらえば良いのだ。 より詳細な雨量データ取得のため、 ここにも今回の雨量計を置くことにした。
- GEWEX-HELPに関しては、手続きが進んでいるそうだ。 Thada氏の資料も加えて、Utai氏のところでまとめているところだという。 HELPの資料関連のドキュメントをフロッピーにコピーして渡しておいた。
観測は順調。その後、資料整理。昼食はみんなで招かれていたので、11時30分過ぎに他のメンバーが来る。カニカさん、サンタニーさんと卓を囲む。42人のメンバーが今いて、月一回こうして一緒に食事をしているのだそうだ。Adisonさんから、GMS画像がインターネットで見られるところはないか、と言われて、我々のホームページを紹介しておいたら、「ありがとう、非常に良かった」と言ってくれた。きちんと整備しておくのは大事である。
雨量計の設置場所に関しても話し合い、里村先生の、
山の風上側の雨の日周期を測りたいというしごくまっとうな科学的興味に基づき、 Mae Hong Sonと、 Mae Surinの2ヶ所のTMD観測地点に置かせてもらうことになった。 Mae Hong Sonだけなら飛行機でも行けるが、 コンクリート基礎を持って行くことも必要だし、 Mae Hong Son~Mae Surin間の車の移動も遠いので、 チェンマイから車を出してもらうことにする。 運転手さんには悪いが、日程上土曜日に行くことにする。 直線距離では300km程度だそうだが、 山道で1,860曲がりもあるくねくね道で、 片道6時間~8時間はかかるのではないか、ということである。 Mae Hong Sonに一泊せざるを得ないだろう。 雨量計設置で大楽氏、発案者で里村先生、それに、 休暇で来ているPerapolの4人で行くことにした。 これにともない、次の様にシフトが変更された。
| 担当\日付 | 14(月) | 15(火) | 16(水) | 17(木) | 18(金) | 19(土) | 20(日) | 21(月) | 22(火) | 23(水) | 24(木) | 25(金) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 昼間 | 大楽 | 芳村 | 奥村 | 沖 | 里村 | 奥村 | 芳村 | 大楽 | 芳村 | 里村 | 大楽 | 奥村 |
| 夜 | 奥村 | 大楽 | 里村 | 大楽 | 芳村 | 芳村 | 奥村 | 里村 | 大楽 | 奥村 | 里村 | - |
| 間 | 里村 | 沖 | 芳村 | 奥村 | 奥村 | - | - | 沖 | 奥村 | 芳村 | 芳村 | - |
体を壊さぬように用心しなければ。
- 18日(金): RIDへ雨量計のインストール、打合せ。 流水のサンプリングも依頼? 夜勤。両替も。
- 19日(土): 明け。TMDへ雨量計のインストールツアー出発。 手土産用ウイスキー持参。
- 20日(日): 雨量計インストールツアーから帰って来る。
- 21日(月): ゆっくり休む。夜勤。
- 22日(火): 各種交渉、支払いなどを終らせる。 15時ホテル発、コグマ試験地視察。RFDと会食予定。
芳村君は、水サンプリングのマニュアル作成、大楽氏は雨量計のパッキング。穴掘りはスタッフに頼めるだろう、とPerapol。手土産のウイスキーは渡辺先生の置き土産を流用することに。奥村さんが、博士課程に行きたい気もするけれど、とか悩んでいる様だったので、少しまじめに話もしたりしたが、ポケモンの様な育てゲー(育成ゲーム)と同じようなことを、研究でもやっているじゃないか、という様な与太話もした。つまり、Macの様に手のかかる計算機を手塩にかけて育て上げること、あるいはフラックス観測システムをいかに完璧で安定なシステムにするか、もしくは数値モデルをいかに高性能で他人に誇れる様にしていくか、いずれもポケモンを育てるのと同じ様な楽しみを感じながらみんな苦労を重ねているのではないか、といった類いの話である。そうこうしているうちに、芳村君作成の水サンプリングマニュアルも完成。日本へ送付してもらう間隔や、費用、可能ならばP1地点での河川水サンプリングなども含めて明日討議する必要がある。日勤の僕と、事務所で郵便物を送付したりしているPerapolを除いて、他のメンバーは14時過ぎに宿へ戻った。
夕方にかけてエコーがちらほら画面一杯に広がり、チェンマイのすぐ南で組織化されて東西に伸びるライン状となった。1時間2回の強化観測にして様子を見る。
Perapolが戻って来て、中国とタイの共同研究のproposalを見せてくれた。中国側はCASなどがかんでいて、タイ側はチュラロンコンと、KMITLとTMD。書いてあることは、衛星によるリモートセンシングとモデル、4次元データ同化、エコロジカルモデリング、と包括的である。雲物理モデリングまでやって、モンスーン領域に適したパラメタリゼーションによるモデリングを、と書いてある。しかし、実際のところは、中国のFY(風雲)衛星の受信設備をタイに寄付してオペレーションしてもらい、その代わり、タイの気象データを中国へ提供する、ということをやるだけに終るのではないかと思われた。得られた衛星画像をより美しく表示する、ということもやりそうである。珠江、チャオプラヤ川、そして長江で、モンスーンの気象予測から洪水予測までをやる、と書いてあり、本当にやるのかなぁ、と、GAMEの状況を思い返しながら考えた。一応、関連する野外観測データとして、HUBEXやGAME-Tがプロポーザルにも書かれていた。TMDでこのプロジェクトの対応はDr. Sombat氏だそうである。法律が変わって、貢献度が高い役人は、60歳の定年を延長できることになりそうで、彼はこの9月に引退しないかも知れない、とのことであった。
17時50分の特別観測の終了後宿へ戻り、夜勤の大楽氏、奥村氏と交替。Perapolが、Warawut氏がRiver Side Restaurantで待っている、というので、荷物を置いたらすぐに歩いて出かける。OmKoiのチーフと2人ですでに飲んでいた。ツナサラダ、ヤムヌア、鮠のサラダ、白菜炒めのココナッツ詰め、ナムプリックヌンなどチェンマイオードブルセット、鶏とカシューナッツ炒めのタロ芋バスケット詰め、など。お腹の調子が悪い芳村氏は水を飲み、他はPerapolのウイスキーをソーダで飲む。生演奏のバンドがややうるさいが、ピアノやボーカル、ギターなどが上手で時々聞き入ってしまった。アメリカンスタンダードやジャズのinstrumentもいいが、セッションのボーカルもなかなかであった。
宿に歩いて戻ろうとしたら、Warawutが乗って行け、というので、乗せてもらう。しかし、PerapolとWarawutの陰謀で途中下車。騒がしいバーまで連れて行かれる。久しぶりにちょっと飲みすぎたし、このところのハードなスケジュールで、休みたかったのに、とだだをこねたが、Warawut氏が、場所を確認したら、ホテルまで送ってあげるから、と言うので店に入り、結局居座ってしまった。予報部部長の前の奥さんがやっている店だから、101%安全だ、とPerapolは主張し、確かに、メンバーonlyと書いてあるが、入場料もとられず、ビール代B50/人ですんだ様だ。芳村氏は結局楽しんだ様であった。夜遅く、1時頃になってようやく宿に帰れる。疲れてすぐに休む。
Jump to:
08月18日(金)
朝、ちょっと睡眠不足ながら起きて、日中勤務の里村先生と共に、芳村氏とでかける。夜勤明けの大楽氏も一緒である。空港で絵はがき、切手を購入。これらを書く準備をする余裕も今日までなかった。各種支払いのため、両替。昔のTCを使い切った。
Kannika台長がサンタニーさんと話し合った結果、MaeHongSonとMaeSurinとは雨量が似ていてつまらないので、もっと南のMaeSotに置いてはどうか、と提案してくれた。里村先生とも話し合った結果、助言に従うことにする。Takからさらに西に山を越えたところで、スコタイやEGATからアプローチした方が近いところである。データがとれたら、Kannikaさんもご自分で操作してみたい、ということである。データがとれたら、速やかに使いやすい形でTMDやRIDに還元する必要がある。今後、できれば、彼女の管轄するタイ北部一帯を転倒マス雨量計でカバーしていきたい、という様な雰囲気であった。
コンクリートで作った基礎をどうやって運ぶか、とか、席が空いているか、とか、いろいろ混乱もあったが、結論として、MaeSurinに行かなくなったので、MaeHongSonへは飛行機で行くことにした。コンクリート基礎は、直行バスの運転手に輸送を頼む手配をしてもらった。また、MaeSotにも週4便ながら、直行便があることがわかり、席もとれたので、飛行機で行くことにした。車なら片道8~10時間かかる。どちらも、便の都合で1泊せざるを得ないが、車をハイヤーして運転手さんを雇って宿泊まで面倒を見るよりも安く、かつ、レーダ観測への影響も少なく、消耗も最小限に抑えられる。僕はMaeSotへは行かず、里村先生、大楽氏、Perapolの3人で行ってもらうことにした。これらの手配には、KannikaさんとThadaさんが、いろいろ助言してくれてありがたかった。Kannikaさんとは、現業レーダ観測データ収録テープ送付、コンクリート送付などに関する費用に関しても話し合っておいた。
一旦戻って、Thadaさんの車でRID Hydrological Center 1へ。途中、P1地点へ。TMDからの地上気圧図(00Z)を毎日掲示し、ハザードマップや、上流のP67地点とこのP1地点の水位を表示していた。今日はP67が1.27mで、P1が1.5m。これが4mを越えたら、毎時水位を観測するのだそうだ。洪水時にはここに人がたくさん集まるという。ここから上流を見ると、ビルの上に電光掲示板が見えるが、洪水時にはその電光掲示板に警報を流すのだそうだ。
肉饅をつまんでコーヒーをもらった後、RIDのスタッフ20名位の前で大楽氏が、RFDの雨量計網による結果などについて発表。ちょっとでしゃばって申し訳ない、とは思ったが、僕も念押しをさせてもらい、雨量計観測の重要性、おもしろさ、を伝える。
Thada氏と話合い。
- 雨量計の設置については、H1は今日設置。他の2地点については、 設置、取り扱いを今日伝授し、RIDの方で独自に設置する。 たぶん、来週行く。もしかすると、 山岳地帯に置くかも知れない。
- 水のサンプリングについては、すでに、 日付をいれれば良いようになったシールが、 月ごとに準備されていた。年ももちろん入っている。
- 雨は、日雨量計を測定した後、 雨があれば毎回サンプル瓶に入れる。これは午前7時。
- P1地点の河川水は、毎週月曜日にサンプルを取る。 これは午前6時。
- 月1回、両者まとめて日本に郵送してもらう。 労働謝金200B/月と郵送料として、1,000B/月支払う。
昼食は、市内のカオマンガイの店。豚の様な食感のサテーも。 これは黄色くされている。鶏の炊き込みご飯が非常においしかった。 上手に炊かれているだけではなく、粒がそろって大きかった。 きっと、良い米を使っているにちがいない、と思った。
戻って、大楽氏等が雨量計のセッティングをしている間、Boonchob氏に、長期流量データについて質問しに行く。C1地点(ChaiNat)は、1905年~1955年まで。1956年以降がC2地点(Nakhon Sawan; Khai Chira Prawat)。P1地点は、1921年以降がある。C2, P1, N1, W1C, Y1Cの日流量について、Hydrological Year Bookの1979年以前のコピーを、きちんと年ごとにやってくださったのをもらった。さらに、C2以外の地点については、デジタルデータもFDでもらった。C2地点の乾季の週周期は、発電放水の変動だ、と、Boonchob氏は言っていた。
雨量計の設置のしかたの講習。バッテリーは単3型のリチウム電池(3.6V)2個で、1年もつ。RIDの技術者が、あけたりつないだりおしたりして、大丈夫の様であった。ソフトウエアも技術移転できたと思う。
横の掲示を見ると、2000年7月14日にNan川で、洪水があり、それをどうやって予測するか、Thada氏が話をしていた。過去の洪水時の写真をみても、日本と同じく、タイヤがほぼ水に浸かる状態でも、人々が車で移動している様子が写真に残っていた。
最後に、Hydrologicl Center 1の圃場を見学。我々の雨量計システムの設置は、普通雨量計の隣、ということになる。WMO標準に合わせて、雨量計の開口部の高さが1mになる様に、と、せっかくのコンクリート基礎をここでは使ってもらえなさそうだった。自分達で作る、とのことである。自前の転倒升雨量計が日巻きの自記紙記録計につながっていて、しばらく我々の雨量計と比較観測して、まあまあ同じだったらそれは別のところに移す、とThada氏は言っていた。ちょっとデータ取得の責任が重大である。その後僕は宿へ送ってもらい、久しぶりにゆっくり夕方から休む。タイが初めての若者達はドイステップからチェンマイの街を眺めに出かけた様だ。
のんびり湯舟に浸かって本を読んでいたら、TRMM軌道要素のfax.が届いた。一昨日の日本からのfax.に返答したり、書類を整理したりしているうちに、あっという間に18時になる。今日から奥村氏、芳村氏が怒涛の24時間勤務である。僕のシフトがあまりないのを見て、芳村君はちょっと不服そうであった。
夕食はThada氏に誘われて、Ping川をちょっと遡ったResortという名のレストランへ。キャンドルのカバーが昨日のRiversideと同じである。しかし、昨日とはうって変わってこの店はタイ人ばかりである。週末のためか混んでいた。シーフード鉄板焼き、干し小魚の素揚げ、ナムプリックカピ、鶏カシューナッツ炒め、ヤングコーン炒め、チェンマイ式チリソーセージ春巻き揚げ、パックブーンのてんぷらの下にはイカ等シーフードサラダや、茹で卵が敷いてあった。トムカーガイとフルーツ。大楽氏には、ナムプリックカピの炒飯も来て、味見させてもらったら、これはあまり辛くもなくおいしかった。生演奏が何種類か続く。最初のピアノはあまりうまくない。次が、ミュージカルナンバーで、ブロードウエイ風の唱い方をしていた。3つめのバンドはしょぼかった。
今日8月18日は「科学の日」だそうで、TMDには学生さんを乗せたバスが来て、予報官の解説を聞いていた様だ。タイ人は生まれた曜日を気にするが、僕もThada氏も火曜日生まれであることがわかった。ちなみに、曜日ごとに、仏陀の姿のシンボルがあり、
ということで、例えば、 火曜日生まれの我々はのんびりしていて誰にも邪魔されない運命だとか、 土曜日は他人に世話を焼いてもらって得をするとか、 そういう運命の様なものを象徴しているそうだ。
- 日曜日生まれ: 掌を前に差し出しているポーズ(ハンヤー)。 争いを仲裁する。
- 月曜日生まれ: 瞑想中。
- 火曜日生まれ: 寝仏。
- 水曜日生まれ: 托鉢中。
- 木曜日生まれ: (不明)
- 金曜日生まれ: (不明)
- 土曜日生まれ: 蛇が頭の上でとぐろを巻いて守ってくれている。
のんびり食べて喋って、22時30分ごろに出て戻る。今日はさっさと帰れて、真夜中前には就寝。
Jump to:
08月19日(土)
ようやく少しずつ仕事が片付いて先がみえてきたせいか、気分ものんびりして、朝、自然に目が醒める。11時まで宿でのんびりしていようかと思ったが、里村先生が高層観測地点へ行ってゾンデデータのコピーをしよう、とおっしゃっていたので、それに同行するか、と思い、結局8時にはロビーに下りて、芳村君、奥村君と交替。5人のシフトからMaeHongSonへ3人抜けるので、奥村君が今日の日勤。彼はさっと食事をすませ、レーダサイトへとって返すと言っていたが、考えてみれば我々が11時過ぎまではうろちょろしているので、その頃までに来てくれればいいよ、ということにした。
レーダサイトに到着し、すぐに高層観測地点へ。GPSは無事動いていて、ファイルも1日1回ちゃんとダウンロードされていた。今日は北緯18度46分15.88秒、東経98度58分21.13秒、284.9mと表示されていた。Memory Left 919HRとも出ていた。ゾンデ観測用PCは、容量が16MBしか残っていなくて、各月4~5MBに(pkzipで)圧縮されているデータを(pkunzipで)一旦展開してFDに落とせる位にまとめなおす作業をする余裕もなさそうであった。テンポラリーファイルを消したら30MBになり、なんとかなった。しかし、来年以降はかなり逼迫することが予想される。ハードディスクの購入、提供を考えた方が良いかもしれない。1ヵ月分がFD3枚になり、10枚1箱では3ヵ月分しか落とせない。これは里村先生が作業をしてくださった。
大楽君の雨量計パッキングも終了し、空港へ。チェンマイ←→メーホンソーン間は1日3往復。往復で空港使用料込み840Bなので、朝の便でチェンマイから行って、夕方の便で帰って来る日帰り観光が多そうであり、それらの便はいつも満席。我々が乗った昼の便でも、9割程度座席は埋まっていた。それでも、国内線はバンコック←→チェンマイ便など一部の路線を除いて赤字らしい。機体はB737-400で3+3の座席。35分の飛行途中、プラスチック入りの飲物だけサーブされる。Roselle Jiceがおいしかった。メーホンソーンの空港の滑走路は1.9kmしかない。片側は山。風向きに関わらず、常に西から着陸し、西へ向かって離陸せざるを得ない。無事到着。
Dr.Okiと書かれた紙を持ってMaeHongSon測候所のスタッフが迎えてくれた。チーフはPisitさん。すぐ隣の露場に、コンクリートの台は届いていた。深さ30cm程度の穴をさっさと掘ってくれて、普通雨量計と、サイホン式雨量計の中間にコンクリート基礎を立てた。大楽さんが水準を取って、雨量計を置き、ロガーを接続し、外側を被せて終了。一応受水口の水準もとって水平になるようにした。普通雨量計用のメスシリンダーで水をたらして動作も一応確認。本当はこの場で検定をした方が良い。来年度以降データダウンロードする際には、例の点滴式検証装置一式を持っていってやった方が良いかも知れない。この地点は、豪雨時には表面流が生じて、靴が隠れるくらいは湛水するそうだ。基礎を準備して正解だった。この露場の位置は、大楽氏のGPSによると、北緯19度17分59.3秒、東経97度58分22.1秒、286mである。
スタッフのみなさんの協力と大楽さんの手際の良さで、さっさと設置終了。まだチェンマイへ戻る便があるので、手配してもらう。変更はなんとかなりそうだ、ということで、ようやく昼食に出かける。メーホンソーン測候所は3人のスタッフ+運転手さん1人で、24時間体制で地表気象観測と、日中は毎時のレーダ観測をしている。ただし、衛星通信回線などの調子が悪く、チェンマイの北部管区気象台に電話で通報したりしているそうだ。レーダはX-bandで、以前コンケンで見たのと似た方式であった。主に空港に情報を伝えているそうだ。スタッフの3人はみんなNokiaの携帯を持っている様だった。
海苔と豚ミンチボールの透明スープ、香辛料を効かせて焼いた地鶏、 タイ北部風オードブル、豚ミンチボールカレー風、揚げあんかけ魚オレンジジュースが、みかんジュース、という感じでおいしかった。8人位で1,200B。ここは高い、とPisitさんが言っていた。カレーのメニューに書いてあるaubergineはクミンのことだとわかった。
飛行機の出発まで1時間半位あるので、少しだけ市内を回る。Wat Phra That Doi Kong Muは、街が見渡せる山の上。滑走路が一直線に伸びて、こじんまりした市街地には不釣合に大きく、郊外の水田にまではみだしていた。バゴダが2つにビルマ風の寺が建っていた。山を下る途中、石のところは土壌侵食が進まず、結果として小石を戴いて柱状に残っている状態になっているのを路肩で見た。池のほとりのWatchong Klangへ。ビルマ風の寺。中に、いろんな人形が飾られていた。できれば、半日くらいずっと座ってぼおっとしていたいものだ、と思った。無事変更してcheck inできて、手土産のウイスキーを渡した。非常に喜ばれた。
またあっという間にチェンマイへ戻った。奥村氏が頑張っていた。MaeHongSonが日帰りできたので、シフト予定をまた変更。大楽氏がそのまま夜勤に残ることになった。宿へ戻ると、芳村君も1人で夜勤せずにすむとわかり、嬉しそうであった。
残りの里村先生、奥村君、Perapolさんで、月曜日に大楽・芳村と言ったシーフードレストランへ。水槽の中にはもう手長海老がのこりわずかしかない、とちょっと心配していたら、食事をしている最中に、どーんと運んで来た。蟹カレー炒め、イカのヤム、焼き海老、酢っぱいスープ焼き魚を頼み、持参のウイスキーを飲んだ。月曜日と非常に似たメニューだが、おいしいからこれでいいのだ。客も多く周囲に比べても賑わっている。ナイトバザールの少し南を東西に走る通りのLena Restaurant(電話274588)である。3人で1,500Bだった前回に比べると、ビールでなくウイスキーにしたり、品数を減らした影響か、今日は4人で1,200Bですんだ。
食事中いろいろ話をしたが、GAME-T観測に関連した超過勤務手当が十分でない、と、Perapolに愚痴をこぼすスタッフもいるそうだ。こちらとしては一応カニカさんを通じて支払っているつもりなのだが、滞っている点などがあるかもしれない。月曜日に打ち合せて積算を確認し、関連スタッフに、そっと耳打ちしておくのが良いかも知れない。もちろん、リストアップされていなかったら、その場で超勤の至急を提案する必要があるだろう。しかし、里村先生がおっしゃるとおり、
研究者以外はみんなお金のために働いているんだから、 ちゃんと払わなきゃみんな働かないよというのが、ある意味で至極当然なのだが、ちょっと悲しい。
戻る途中、例によってオレンジジュースを買う。コットンの着物も縫っただけ、という雰囲気ではあるが、それなりに安く買える。今日も疲れた。結局、毎朝ホテル往復の車に乗ることになりそうである。書類整理をしているうちに睡魔に襲われた。
Jump to:
08月20日(日)
今日も普通に出勤。休みなしに毎日8時の出勤を続けている。いつもなら、日勤は本来1人とはいえ、誰かいるのに、今日は僕一人である。観測も後半となり、各種セッティングもでき、収まったということか。昨晩かなり強いシステムが通過した様だ。南西から北東に伸びるきれいなライン状のエコーである。雷を伴う強い雨だった様で、里村先生は宿でも気づかれた様だが、僕は全く気づかなかった。日曜日なので運転手さんに気を使って、昼は構ってくれなくて良いから夕方6時によろしく、とお願いした。嬉しそうだった。
昨日のMaeHongSon行きが日帰りとなったため、さらに担当スケジュールが変更となった。今年も、
作成者がきつくなるの法則が成り立っていて、shift(watch)案を考えた人が、一番きついスケジュールとなっている。この法則に似たものとして、良心的な集団だと、
割勘の配分を考えた人が一番払うということにもなるが、これはあまり成り立たないかも知れない。
| 担当\日付 | 14(月) | 15(火) | 16(水) | 17(木) | 18(金) | 19(土) | 20(日) | 21(月) | 22(火) | 23(水) | 24(木) | 25(金) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 昼間 | 大楽 | 芳村 | 奥村 | 沖 | 里村 | 奥村 | 沖 | 大楽 | 奥村 | 里村 | 芳村 | 芳村 |
| 夜 | 奥村 | 大楽 | 里村 | 大楽 | 芳村 | 芳村 | 里村 | 沖 | 大楽 | 奥村 | 里村 | - |
| 間 | 里村 | 沖 | 芳村 | 奥村 | 奥村 | 大楽 | 奥村 | 芳村 | 芳村 | 大楽 | 奥村 | - |
朝のうちは曇っていてもエコーもなく暇。東京大学出版会のUP5月号に、
生物多様性の研究は、「生きているとはどういうことか」を解明するために、 多様性に潜む生命の原理を追求するものである。という岩槻邦男氏の文章が載っていた。そうであるからこそ、生物多様性の研究が人々の知的好奇心をかきたてるのだとすれば、水文学研究の一環として、
水文学の研究には、「生きているとはどういうことか」を解明するために、 地球上の水・物質循環と生物圏との相互作用の実態を明かにするという側面がある。という点を強調した方が良い気がするし、また、実際にそういう研究活動に力を入れていくことが大事であると思う。
デジタルカメラの画像をWeb上に載せるスクリプトを書いていた。昼過ぎから、積乱雲がむくむくと湧き起こり、エコーもぽつぽつ見え始めた。ところどころではかなり発達している。僕のカメラのフラッシュが壊れた様だ。修理せねば。屋上に登って周囲を見渡すと、あっちこっちで積雲が立っているのが見える。下に降りてふと見ると、彩雲が見られた。太陽がほぼ真上なので、上側(太陽に向かって内側)に暖色系、下側に青~紫系が見られた。なにか良い印だといいのだけれど。
その後は、レーダも時々調子良かったり悪かったり。radiateを消すようにしなければならないし、外は暑くて歩く気にもならないし、で、レーダ室のおやつとコーラで昼食代わりとする。午後2時前後から、エコーが発達したので、観測を強化してオペレーショナル以外に我々のjobを2回/時にしたら、radiateしている様なのに、反射強度がとれない、という状況に。あれやこれや悩んだが、結局毎時1回に戻したら取り合えず正常に動作するようになった。不思議である。機械の機嫌を伺いながら観測せねばならない。
夕方はまた晴れ上がり、レーダの動作も安定した頃に18時となり、僕の日勤は終了。宿へ送ってもらい、里村先生、奥村君と交替。芳村君はやんごとないことづけのため、別行動。Perapol氏も友達と会うとかで別行動。大楽君と2人でDiamond River Side Hotelを出て道をわたってすぐ右の麺屋へ。案外localっぽい人々がいて、麺を食べている。TOFU STEW with Dried SQUID & Vegetablesはトマト味だった。その他、普通のバーミー、センヤイ、センレックがありどれも一杯30Bである。魚の練り物が売り物らしく、ボールやかまぼこ状の、麺状にしたものなどが乗っていた。トマト味のだけ、青菜が入っていて、健康的。もっとも、イカが、半生っぽくて、ちょっと心配であった。大楽君の3杯目は、バーミーヘーンで、汁なし麺にしてあげた。案外おいしいですね、というのが彼の感想であった。2人で5杯150Bに水7B。
その後大楽氏は2時間ゆっくりとマッサージにでかけていった。僕は、肉体的に疲れてきっているという感じでもなく、早く寝た方がいいと思ったのでマッサージには行かず、床屋へ。ラウンドリーも兼ねているその店では、アラブ系の客3人(初老男性)が、何やら着替えをしていて、ちょっと異様な雰囲気であった。彼らがクリーニング代をけちるため値切ろうとし、それに対抗して店の女の子達がタイ語で情報交換をして、結果として両者10Bや5Bの攻防をしているのが騒がしかった。これを、僕の髪にバリカンをあてながらやるので、ちょっと気が気ではなかったが、幸い、彼らも折り合いをつけてさっさと出て行き、僕の頭も仕上った。耳の周囲を特にうすくするのがタイ風である。シャンプーとか、髪を染めるのとかを奨められたが断った。もし僕が茶髪にしたら、どっかで問題にされるだろうか??
20時には宿へ戻り、こちらでやっておこうと思っていた宿題のいくつかをこなし、早めに就寝。明日の朝も8時に出かけねばならない。
Jump to:
08月21日(月)
昨晩は、reviewを書いたり、地球環境学の学問的特徴に関する概念図を作ったり、一応働いた。今日も朝8時過ぎのバスで、夜勤の里村先生、奥村君を出迎え、日勤の大楽氏とレーダサイトへ。諸費用の支払い。カニカ台長と討議調整して、現地調査交通運搬関係諸費用、データを収録したテープの輸送費、雨量計のメインテナンス費用、レーダオペレータ諸氏への謝金などを支払った。観測地点は、普段の勤務地にあって見回り程度の場合、1地点1ヵ月200B、サイトが遠隔地の場合1,000B程度が妥当な線の様である。謝金は、平日の超過勤務が100B、週末と休日が200Bで、2交替だとその倍かかることになる。それでも、日本から来てずっと張り付くことを考えれば、やってもらえるだけありがたい話である。と思っていたら、レーダオペレータさん達はもっと請求していたそうで、TMD HQs→NRCT経由で昨年も一昨年も払っていたそうだ。でも、通常勤務中にtapeの動作を見るだけだから、そのくらいでどうか、とも思うのだけれど。この点は僕の帰国後まだチェンマイ在中の里村先生から電話があって相談し、説明をお願いした。
昨年はTMDのHQsを経由していたためか、超過勤務が運転手さんにまで行かなかった様で、今年は大丈夫だ、と言うと、喜んでホテルまで送ってくれた。そろそろ帰国後が気になるので、荷作りや持って来た宿題をやる。
昼食を里村先生と。 先日里村先生が目をつけておいてくださったというタイ人しかいない飯屋へ。 Diamond Riversideを出て目の前の一通に沿って北へ少し行き、 東西に走る小路の途中、右手。ナイトバザールからだと、 ピザハットの前を東へ来れば良い。 タイ語のメニューばかりで、英語はNo Smokingのみ。 しかし、なんとか、バーミーヘーンとサテを頼んだ。 周囲を調査すると、みんなカオソーイを食べていたので、 我々もそれを2杯目とする。ここの名物はカオソーイらしい。 麺類が20B/杯で、サテが50B、水が7B。サテは20本以上あったと思う。
その後、セントラルへソンテウで行ってぶらぶら。ドライフルーツを土産に購入。3階では日本祭をやっていて、大楽さんが言っていた通り、大学の学園祭みたいな感じであった。周囲には縁日の屋台風のしつらえがしてあったが、アイスクリームや寿司は作りものであった。TV画面からは日本のアニメが流れ、中央公論などが日本物産テーブルには置かれていた。カラオケで唱ったり、日本の歌に合わせて、仮面ライダーのお面を被った大学生の一群がふりをつけて踊ったり、と、学芸会的雰囲気で、見る方もステージに上る方もほぼ学生であった。一応、舞台袖には浴衣を着た学生達が出番を待っていた。またソンテウで戻り、バスキンロビンソンのアイスを買って食べつつ宿へ戻る。ちょうど里村先生はMaeSot行きで出発するころであった。
さらに片付けを続け、少しのんびりしたところで、夕方の出勤。MaeSot行きなどのため、レーダサイトから戻る便がないので、ホテルのバスで空港へ行く。すでに5時過ぎに奥村氏、芳村氏はレーダサイトに到着していた様であった。奥村氏は一人で食事をするのが寂しいので一緒に待っていた模様。旧空港ターミナルの近くの軍基地の入口付近にある食堂へ。最初は我々しかいなかったが、暗くなってから他の客もぽつぽつ入った。
これでもか、という大盛りの豚炒飯、ちょっと肉は固いが味のある牛肉ヤム、 かなり濃く強烈なトムヤムシーフード、その辺の雑草かと思う様な野菜炒め、 鶏ミンチのバジル炒め。芳村氏はカオパについてくる細葱にはまっていた。 青唐辛子入りナンプラをちょっとつけてかじるとおいしいのだ。これに食後のスイカを入れて、全部でB350程度。今日もお酒は飲まず。まあ、夜勤だから当り前と言えば当り前である。食後奥村氏は宿方向へ戻る。僕は電話をしに空港へ寄ってからレーダサイトへ。TRMM同期も、一応とれたが、エコーはあまり多くなかった様だ。
芳村君と夜勤。今日は晴れ渡っていて、エコーもほとんどなく暇。Ransan氏は今夜は3時間置きの観測と決めた様である。タイにいてやるはずだった宿題を帰る直前になってあわててやる。ポケモンは行きづまっていてレベルをあげる段階だそうなので手を出さず。先に寝ていた芳村氏と午前3時に交替、就寝。蚊取り線香で僕が具合が悪くなりそうな気もする。
Jump to:
08月22日(火)
7時位に飛行機のエンジン音と朝の光で自然に目が醒める。睡眠時間が短い割にはすっきりしている。これで、今回のレーダ観測もdutyは終了である。宿へ戻り、奥村氏を送り出してからゆっくり朝食を食べ、コーヒーを飲む。今回は夜勤が少なく、前回は直行で山へ行ったため、こうしたのんびりした「明け」は今日だけである。少し寝ようとしたが、あまりぐっすりとは行かず、どうせ明日帰国なので宿題をいろいろこなす。
昼食。目の前の麺屋。バーミーが売り切れていて、センヤイヘーンを食べた。30B。またソンテウでCentralの方へ行くと、香港人か、と運転手に言われた。散髪へ行って、耳の回りが特に短くなった髪型のせいだろうか。戻ってシャワーを浴び、15時にロビー待ち合わせ。RFDとKasetsart大学と連絡がこんがらがっていて、大変。Nipon先生のところのChatchaiさんがまとめてくれて、とりあえずKogMa試験地へ向けて出発。しかし、普通の道から林道へ入り、ランドクルーザーはこういう道のためにあるんだよな、というでこぼこ道を走ってしばらくして、分岐があり、どちらへ行って良いかわからず立往生。えい、と行った先は街が見渡せる家で、間違い。戻って別の分かれ道へ行ったら幸いKogMa試験地に到着できた。
田中のぶあき氏らのグループがほぼ作業を終りかけていた。とりあえず仕事、ということで50mタワーの頂上まで登った。景色はいい。途中から、高所恐怖症を感じている余裕も感性もなくなった。一応落下対策もして体を確保していたが、タワーを握り締めて手が痛い位だったし、そもそも階段の登り降りで足が痛くなってしまった。林内雨や樹幹流の測定施設も見に行った。ヒルがいる様だった。芳村君はタワーにも登り、フラックス観測の大変さにも触れ、でも、流量観測堰のところではちゃんとサンプリングしていた。堰のところの流れは、乾季でも枯れることがないのだそうだ。
戻って、里村先生、奥村さんと夕食へ。Good Viewへ行くつもりが、Riversideの手前の店に入ってみたら、中はRiversideとつながっていて同じであった。いつものヤムヌア、ちょっと甘さがおいしい中華ソーセージのヤム、味付け抜群蟹の風味も生きているカオパップー、里村先生も病み付きになりつつあるナンプリックヌン、そして、鶏とバジルのチリ炒め、である。2リットルのドラフトのシンハビールはちょっと多めであった。これで全部で850B程度。ちょっと酔っ払ってしまったせいもあり、奥村さんに対しオヤジ的に語ってしまったかも知れない。宿へ歩いて戻り、タワーに登った疲れもあり、ぼおっとしつつ、でも、荷物を詰め、23時過ぎに就寝。
Jump to:
08月23日(水)
朝5時30分過ぎに起床。シャワーを浴びて食事、check out。里村先生と奥村君がわざわざロビーまで降りて来て送ってくれた。電話代が案外高く、KDDカードを使うたびに185Bもチャージされていた。ホテルバスで空港へ。今度は、夜勤明けの大楽君と芳村君が出迎えてくれた。荷物を成田までcheck inして、国際便としてバンコックへ飛ぶ。雲底が低い。バンコックは雨。空港は変化し続けていて、インターネット接続設備や、プリクラが僕には目新しかった。チェンマイでもそうだったが、空港の時計がかなり適当。空港の時計が30分もずれている、というのはやめて欲しい。花(蘭)だけ買って搭乗口へ。バングラディッシュから、空手の世界大会に行く、とかいう人々2人に話しかけられ、彼らの日本在住の知人の住所を日本語文字にする、とかを頼まれてやった。1時間に満たない接続で成田行きは出発。
5時間50分の飛行時間。食事のメニューが見慣れたものである点がつまらない。なんとなくウイスキーのソーダ割りを飲み、少し休む。芳村君がちょっと前に渡してくれたデジカメの画像をHTMLに取り込んだり、『人口から読む日本の歴史』(鬼頭宏著、講談社学術文庫、2000年5月10日第1刷、6月8日第2刷)を読んだりしていた。この本は非常におもしろく、ますます千年持続学的視野が広がった気がする。地球環境学の要素として人口学を忘れるわけにいかないはもちろんのこと、人口は増加しても減少しても、多くても少なくても、それが単純に良い悪いというのではなく、その変化自体が地球環境の総合的指標としての意味を持つ気がする。
成田着。夏休みなので家族連れも多いが、電車の時間を気にして、列を作るマナーの悪い家族もいたりする。どうせ荷物が出て来るのに時間がかかる、と思い黙認。蘭の検疫はなんだかのんびりした人で、じろじろと見ていたが特に何もなく大丈夫だった。荷物も無事出てきて、スーツケースに損傷なし。入手資料やOHPスライド、はちみつなどでちょっと重く27kg位になっていたので、ちょっと心配であった。税関では「無税の範囲内ですか」とかわざわざ聞かれた。タイで税金がかかるほど何を買うというのだろう?渋谷行きのバスが20分待ちくらいであったのでそれにする。当初は僕を含めて2人の乗客であったが、北口、Terminal1で順調に増やし、最終的には10人位になった。混むのはもちろん嫌だが、路線が廃止になるのも不便なので、このくらい乗っていてくれるとうれしい。1時間30分ほどで渋谷エクセルホテルまで比較的スムーズに到着。この旅も無事終了。
(おまけ)翌日24日は、午前中の仕事は覚えていたものの、午後の仕事はすっかり忘れていました。ごめんなさい。かつ、爆発したとあるmailing listからの900通を除いてもなお900通のmailがあり、総量が11MBを超えていてすっかり嫌になりました。会議の日程調整も7つ8つ来ていましたが、いない間に僕の都合の悪い日程に決まっていたのもあって、それは参加できないということでまあhappyです。
Back to: