農村歌舞伎を今に伝える人々
浜名湖から北東へ約8㎞の横尾・白岩地区(浜松市北区引佐町)に残る「横尾歌舞伎」もその1つである。いつ頃から始まったのか起源は定かではないが、もともとは横尾地区の八柱神社や、白岩地区の六所神社の祭礼に奉納芸能として行われていたとされており、文献によると200年前にはすでに常設の舞台が設けられていたという。戦中戦後の混乱期には、人手不足や物資が足りないなどの理由で中断したことがあった。しかし、今も明治期以前の台本や、古い衣装など貴重な資料が数多く保存されていて、文化が大切に伝承されてきたことがうかがえる。
1965年に引佐町芸能保存協会が発足。これが現在の「横尾歌舞伎保存会」の前身となる。また1973年には静岡県無形文化財にも指定されている。
横尾歌舞伎の大きな特徴は、役者、義太夫(浄瑠璃の語り手)、三味線弾きをはじめ、舞台、大道具や小道具等に至るまで、すべて地域の人々の手でまかなわれていることである。
質の高い技を若者に引き継ぐため、小学生が参加する横尾歌舞伎少年団や、小中学生によって構成される少年少女三味線教室でプロの師匠を招いたり、地域の年長者が指導したりしている。この活動が評価され、2011年11月に内閣府の「平成23年度子ども若者育成・子育て支援功労者表彰」を受けた。
毎年10月の舞台では、先人たちから受け継いだ衣装をまとい、晴れの日を迎える。現在
1. 保存会の役割
今ほど華やかでなかった時代
役者をやるのが暗黙の了解だった
毎年10月の第2土曜日、日曜日で2回公演を行っています。現在、この集落には約210戸が暮らしていて、歌舞伎になると、1公演に150人ぐらいが手伝いにやってきてくれます。観客もずいぶん増えましたよ。舞台がまるで雪が積もったように真っ白になるほど「おひねり」が飛んでくるんです。
私が子供の頃にも歌舞伎を見た記憶はあります。ただ、今のように華やかでも、村を上げて盛り上げようという感じでもなく、歌舞伎好きな人が何人か寄り合ってやっていた、という印象でした。ただ、私がサラリーマンとして勤めた後、1973年にUターンして帰郷したころには横尾歌舞伎保存会が中心になって、守ろうという明確な目的を持って上演していました。私もすぐに初舞台を踏みましたが、それは特に歌舞伎が好きだったというわけではなく、「若者は、一度は役者をやっておかなければ」という暗黙の了解があったためです。
3. 伝統芸能を絶やさないために
若い世代にも受け継がれる歌舞伎の魅力
舞台を通じて、地域が1つにまとまる
今は誰に強制されなくても、舞台を設営するといったら、声を掛け合ってすぐに30人ぐらいが集まります。歌舞伎に携わることによって、若い人たち同士で新しい交流が生まれてきているのです。最初は人に誘われてしぶしぶ始めたという人もいるかもしれませんが、ここでみんなの輪に加わるうちに友達もできます。同じ職場でも家族でもない人たちとコミュニケーションする楽しさ、やりがいを感じてくれているのではないでしょうか。歌舞伎は年に1度、地域が1つにまとまる中心的役割を果たしているのです。
私たちは「静岡県の文化」というほど、大げさにはとらえていませんし、正直、そんなに有名にならなくていいと思っているんです。200年、私たちの先祖が守り伝えてきた地域の伝統芸能を絶やさないよう長く続けていきたい。そのために、みんなでできるかぎりのことをしていますし、これからの世代にも続けてほしいと思っています。