失敗したスパイの歴史
2013.05.17
拘束された後、ロシア連邦保安庁(FSB)で尋問を受けるライアン・フォグル氏。
Photograph from FSB/AFP/Getty Images
Photograph from FSB/AFP/Getty Images
FSBが好都合にも撮影していたフォグル氏の拘束時の映像が、ロシア政府出資の衛星ニュース専門局RT(ロシア・トゥデイ)で流された。チェック柄シャツにジーンズ姿のフォグル氏が、FSBのエージェントに膝で押さえつけられている。ベースボールキャップの下からは、サイズの合わないブロンドのかつらがはみ出している。その姿は、厳しい訓練を経た有能なCIA工作員というより、仮装パーティー帰りの大学生のようだ。
このリアリティ番組のような趣は、FSBが撮影した2本目の動画にも漂っている。こちらはFSBの本部ルビャンカ内で撮影されたもので、フォグル氏が無表情な顔で、おそらくは軽くしかめ面さえ浮かべて椅子に座り、他の3人の米国大使館職員とともに、フォグル氏の行動が米露関係に与えた損害についてお小言を聞かされている。
フォグル氏の拘束をめぐるこのあまりに大っぴらな感じは奇妙だが、子ども向けの“スパイのなり方キット”で仕入れたかのようなフォグル氏のスパイ技術には不思議に似つかわしくも思える。拘束時の彼の所持品は、ポケットナイフ、サングラス4個(深夜の待ち合わせに便利だ)、懐中電灯、現金10万ユーロ、2001年ごろの携帯電話、モスクワの地図、コンパスだった。
さらには別の茶色い髪のかつらまで持っていた。接触相手がブロンド好きでなかったときの備えだろう。タイプ打ちの手紙には、子どものような文章でGmailアカウントの作成方法と、協力に対する見返りとして最高年100万ドルの報酬を約束することが書かれていた。
見るからに素人臭いフォグル氏の拘束劇に、今回のおとり捜査自体がFSBのやらせかCIA側の策略か、あるいは全く別の何かではないかと疑う専門家も多い。しかし、今回のケースは特別な事例のように思えるかもしれないが、諜報活動においてはこんなことは日常茶飯事だ。第2次世界大戦後の事例からいくつかご紹介しよう。
◆マングース作戦
CIAの介入主義が最高潮だった1960年代、CIAはキューバの最高指導者フィデル・カストロ(Fidel Castro)の暗殺計画を練っていた。マングース作戦と称する作戦においては少なくとも8つの計画が提案された。爆発するタバコ、毒薬、有毒な空気、毒入り注射、さらには爆発する貝殻を用いる方法まで検討された。
おそらくその中で最も奇妙なアイデアが、カストロの靴に脱毛作用のあるタリウム塩を仕込み、髭が抜け落ちるようにしようというものだ。怪力サムソンの髪の毛のように、カストロのパワーの源は髭にあると考えたCIAは、髭を失ったカストロが文字通り素顔を人々にさらすことで彼の面目をつぶし、イメージを失墜させようとしたのだ。
◆ゲオルギー・マルコフ暗殺
1978年、ブルガリアの秘密警察がソビエト連邦(現ロシア)の情報機関だったソ連国家保安委員会(KGB)の支援を受け、ブルガリアの作家で反体制派のゲオルギー・マルコフ(Georgi Markov)を殺害した。冷戦時代の最も有名な暗殺事件の1つだ。ロンドンのウォータールー・ブリッジでバスを待っていたマルコフ氏は、ふくらはぎに鋭い痛みを覚えた。
振り返ると、男が傘を拾い上げていた。その夜、マルコフは熱を出して倒れ、3日後にリシンの毒により死亡した。スコットランドヤードは殺人を疑った。解剖の結果、ふくらはぎにピンの頭ほどの金属の弾が埋め込まれ、その中にリシンが仕込まれていたことが分かった。傘を使って埋め込まれたとみられる。
◆イギリスの“スパイ岩”スキャンダル
2006年にはイギリス秘密情報部(SIS)の活動が露見した。ロシアのFSBが、モスクワ郊外の目立たない路地で岩に見せかけたデータ送信装置を発見したと、国営テレビでのスクープ報道という形で明らかにしたのだ。フットボール大の作り物の岩には電子機器や記録装置が詰め込まれ、現代版の“スパイの情報受け渡し場所”となっていた。イギリスの当局者はこれを使って現地の情報提供者と顔を合わせることなく連絡を取り合うことが可能だった。
暴露をきっかけに外交騒動が巻き起こったが、イギリス当局はこの主張を作り話だとして憤然と否定した。しかし6年後の2012年には、イギリスの元首相首席補佐官がこの件を「ばつの悪い」戦略ミスだったと認めている。
◆アレクサンドル・リトビネンコ暗殺
“スパイ岩”事件と同じ2006年の11月1日、ロンドン在住のライターで元FSB職員のアレクサンドル・リトビネンコ(Alexander Litvinenko)が倒れ、3週間後に死亡した。プーチン政権に批判的だったリトビネンコは、2000年にイギリスへ出国した後、ロシアで本人不在のまま有罪判決を受けていた。
ゲオルギー・マルコフの暗殺事件も経験したイギリスの捜査当局は、リトビネンコの死を放射性物質ポロニウム210によるものと断定し、問題の日にミレニアム・ホテルのバーでリトビネンコ氏と会っていた元KGB職員アンドレイ・ルゴボイ(Andrey Lugovoy)を殺害の実行犯として名指しした。FSBの命により、リトビネンコが飲んでいたティーポットにポロニウムを仕込んだ容疑だ。
◆2010年ロシア人潜伏スパイ一斉検挙事件
2010年6月、アメリカ連邦捜査局(FBI)は身元を偽ってアメリカに居住していた男女11名をロシアのスパイとして逮捕した。米露関係の歴史において、いずれかの国が相手国の諜報部員をこれほど大規模に一斉検挙するのは初めてだった。しかし、容疑が濃厚な割に収穫は少なく、逮捕されたロシア人たちはスパイ活動で起訴すらされなかった。長年不法滞在していたにもかかわらず、彼らのうち誰一人として機密情報の入手に成功していなかったからだ。
スパイたちはアメリカの権力の回廊に深く入り込むことよりも、平和なアメリカ暮らしを楽しむことのほうに興味があったようだ。誰よりその傾向が強かったのが、スパイ団の中でもひときわ目立つ“妖婦”アンナ・チャップマンだ。赤毛でグラマーな彼女はアメリカ中のタブロイド紙をにぎわせた。
ロシアから来たこの魅惑的なスパイは、ロシアの友人たちとの秘密の会合について大っぴらに話したり、パーティー会場で写真を撮られたり、携帯電話を登録するのに「99 Fake Street」という偽(fake)の住所を使ったりと、自分の身元を隠すのに“とても”気を使っていた。
Photograph from FSB/AFP/Getty Images