2017年07月14日

 ●「主は、その愛する信仰者を喜ばせるために、彼が望むどんな姿でもおとりになる。幼子のように主を慕って礼拝する者は、主を聖なる母として見るだろう

●「幽界の住人は、どんなに上層の世界に住んでいる者でも、まだ精神的苦悩から完全に解放されているわけではない。ヒラニャローカのような高い段階の星に住む心の敏感な人たちは、真理の知覚や遂行に何か誤りがあったりすると、非常な苦痛を感じる。これらの進化した人たちは、自分の意志や行為が全て完全に霊的宇宙法則にかなうように努力している

●私はあらゆる知覚力を集中して、先生の驚嘆すべき説明を吸収していた。人間のたえず揺れ動く感覚による経験や印象は、一時的、相対的真実性しかもたず、時がたつにつれて記憶の中で薄れてしまうが、超意識状態で知覚した真理は、いつまでたっても生き生きとして変わることはない。

●「幽界人の寿命は、地上の人間の寿命よりもはるかに長い。地上の時間の標準でいえば500~1000年くらいだ。幽界人は、その光の幽体を脱ぎ捨てる際に、死と苦闘する必要はない。だがそれでも多くの者は、より霊妙な観念界へ行くために着なれた幽体の衣を捨てることに心残りを感じる。幽界では自分の意志に反して死んだり、病にかかったり、老衰することはない。これらは地上の人間にとっては不幸の源だが、それは地上の人間が、自分というものが絶えず空気や食物や睡眠を補給しなければ片時も生きていくことができない脆い肉体そのものであると、深く意識に刻み込んでいるためだ」

●「肉体の死は、呼吸の停止と肉体細胞の崩壊を伴うが、幽体の死とは、幽体の生命を構成しているエネルギーの顕現形態であるライフトロンが消散することだ。地上の人間が死ぬと、彼はその肉体意識を失い、生まれ変わった幽界の精妙な幽体を自分自身として意識するようになる。そして、やがて幽界の滞在期間が終わって幽体の死を迎えると、彼は幽体の生死を自分の生死と思う意識から、再び肉体の生死を自分の生死と思う意識に変わる。こうして肉体と幽体との間に生まれ変わりを繰り返す輪廻は、迷妄の中に生きる全ての人間にとって、避けることのできない運命なのだ

●「個々の魂としての人間は、本質的には〈観念体〉をもった存在だ。この観念体は、神の創造活動に必要な35の基本的観念の母体で、神は後にこれから、19の要素からなる精妙な幽体と、16の要素からなる鈍重な肉体をつくられた。幽体の19の要素とは、精神的・生命力的なもので、それらは①理性(叡智)、②自我意識、③直覚、④感覚意識の4つと、⑤~⑨の5感覚器官(肉体の視聴嗅味触に相応する幽体器官)と、⑩~⑭の5行動器官(生殖・排泄・会話・歩行・手仕事等を行う精神的器官)と、⑮~⑲の5生命力器官(身体の細胞形成・消化・廃棄・新陳代謝・循環等を遂行する器官)によって構成されている。これら19の要素で出来ている精妙な幽体は、16の鈍重な要素で出来ている肉体が死んだ後もなお存続する」

●「肉体は、創造主の夢が固形化され、客観化されて出来たものだ。地上の現象は全て、病気と健康、苦痛と快楽、損と得というように二元性を現している。この世界では、何をやってもすぐに限界と抵抗に突き当たる。もっと生き続けたいと思っても、病気等の致命的な原因が生ずると死ななければならない。そして重苦しい肉の衣をしばらくの間脱がされる。だが肉体は脱いでも、魂は依然として幽体と観念体には包まれている。人間の3つの体を結びつけている力は〈欲望〉だ。満たされぬ欲望こそ、自分自身を拘束する元凶なのだ

●「物質的・肉体的欲望は、利己心と感覚的快楽に根ざしている。感覚的経験がもたらす誘惑や強制は、幽界における楽しみや、観念界における知覚的欲望よりもはるかに強力だ。幽界人の欲望は、物事を波動として楽しもうとするものだ彼らは天界の霊妙な音楽を楽しみ、万物を絶えず変化して尽きることのない光の表現として眺め楽しんでいる。観念界における欲望は、知覚作用のみによって満たされる。観念体だけを身に付けている魂は、一切の執着や束縛から解放されている。彼らは全宇宙を、神が夢見られた観念の具象化したものであると観ており、どんな物でもまたどんな事でも想念の中で実現させ、客観的に知覚することができる。彼らの繊細な感受性は、もはや肉体の感覚的喜びや、幽界人の楽しみを、粗野で息苦しいものとしか感じない。彼らはどんな欲望も、即座に実現して果たしてしまう」

●「魂は本来、姿や形をもたないものであって、身にまとう衣、即ち体をもつことによってのみ識別される。しかし、一つでも身体をもっているということはまた、満たされる欲望があることを意味している

「死体のあるところにはまた、禿鷹も集まるものである」(ルカによる福音書1737節)。魂が肉体・幽体・観念体の一つにでも包まれている限り、人間の感覚的弱みや、幽体的・観念体的執着をえじきにする欲望の禿鷹が集まってきて、魂の解放を妨げるのだ。

 人間の魂は、1~3つの体という容器に入れられて、無知と欲望の栓で密封されている限り、宇宙霊の大海のな中溶けこむことはできない。肉体という一番外側の鈍重な容器が、死というハンマーによって破壊されても、幽体と観念体の2つの容器はまだ依然として残っていて、魂と遍在の生命の海との間を隔てている。しかし、叡智によって完全な無欲の境地に達すると、これら2つの容器をも打ち砕くことができるようになる。こうして、個々の小さな人間の魂は、ついに束縛の殻から抜けだして無限なるものと一つになり、完全な自由(解脱)を達成するのだ

●「観念界の人々は、物質界の構成要素が電子でもなければ、幽界の根本要素がライフトロンでもなく、両者とも実は神の想念の超微粒子からできていて、それがマーヤという相対性の法則によって分離され、そのために被造物が創造主とも、またお互い同士とも別個の存在として見える、ということを会得している。観念界の魂たちは、お互いを至福の宇宙霊が個別化した点として認識している。彼らにとっては、自分の周囲の事柄は全て自分が考えた事柄なのだ。彼らは、自分の体と想念との違いは単に観念の問題に過ぎないことを知っている。観念界では、死も生まれ変わりも〈想念の中〉にある。ここの住人たちは、尽きることのない永遠に新しい知識を聖なる唯一の楽しみにしている。彼らは平安の泉をのみ、何の執着も残さぬ知覚の大地を自由自在に歩きまわり、果てしない至福の大海を泳いでいる」

posted by samten at 06:13| 読書録| |