言葉の本来持つ意味・・・というのは時の流れと共に、そして文化、社会、風俗の変化に沿って変化していく事が多い。
程度やトーンが少し変わっていくという場合もあれば、それまで存在していなかった意味が慣用的意味として追加される事もあるし、その言葉自体が消滅することもある。そして新語が生まれる・・・という事もよくある事だ。
日本語でも昭和中期〜末期頃まで、「ダサい」「せこい」「うざい」という言葉は存在していなかったし、「やばい」という言葉は本来「危険だ」「危ない」といった意味が主流だったものが、今日では「際どい」「素晴らしい」「絶妙」といったポジティブ且つ本来とは全く逆の意味を持って使用される様になった。
言葉の本来の意味が失われ、新たな使われ方がするのもある意味では言語の健全な成長の一つであり、その事自体は否定されるべきではないだろう。
しかし、だからと言って本来の意味を知らなくてもいい・・・という事にはならない。
程度やトーンが少し変わっていくという場合もあれば、それまで存在していなかった意味が慣用的意味として追加される事もあるし、その言葉自体が消滅することもある。そして新語が生まれる・・・という事もよくある事だ。
日本語でも昭和中期〜末期頃まで、「ダサい」「せこい」「うざい」という言葉は存在していなかったし、「やばい」という言葉は本来「危険だ」「危ない」といった意味が主流だったものが、今日では「際どい」「素晴らしい」「絶妙」といったポジティブ且つ本来とは全く逆の意味を持って使用される様になった。
言葉の本来の意味が失われ、新たな使われ方がするのもある意味では言語の健全な成長の一つであり、その事自体は否定されるべきではないだろう。
しかし、だからと言って本来の意味を知らなくてもいい・・・という事にはならない。
日本語における誤用の例はググれば(これも21世紀の新語!?)たくさん出てくる。
ビジネスの場面でちょくちょく出てくる誤用の典型例が
「役不足」という言葉だ。
本来の意味は「与えらえた役割が自分の能力と比較して容易・低レベルの役割でバランスが取れていない事」である。
しかし実際には多くの場合で「与えらえた役割に対して自分の能力が不足していてバランスが取れていない」すなわち、「過大なるお役目」という意味で使われている。
つまり、正反対なのだ。
60代役員「今度のプロジェクトは君に任せた」
20代社員「はい。役不足ですが頑張ります」
こんな会話ありがち。
20代社員は謙遜して「私ごとこ若輩者にこんなプロジェクトを任せてくれて光栄。頑張ります」
と意図した発言だろうが、60代役員にしてみればこう聞こえる。
「こんなプロジェクト、俺の実力からすれば朝飯前」
しかし今日では役不足の意味は多くの場合で「実行者<役割」となっており、本来の「実行者>役割」では使われなくなりつつある。
力不足という言葉があるのに、こちらが使われるケースはあまり多くない様だ。
穿った見方をすれば・・・
これも徐々に本来の意味が失われている言葉だ。
メディアの世界でもコメンテーターあたりが「穿った見方かもしれませんが、この件は・・・・」という発言をしている。
穿った見方というのは本来の意味は「本質をうまく突いた見方」という賞賛するトーンが含まれる言葉だが、今日では「少々ひねくれた見方をすれば」という様に誤用されている。
この言葉は年配者でも誤用が多くみられるので、昭和時代から長期に渡って誤用されている例だろう。
ダイエットは本来太ってもいい話
今日、ダイエットする・・・と言えば、体重を減らして細身、痩身になる事を目指す事をさす。
しかし、ダイエットとは本来「食事制限や運動を通じて適正体重に近づける事」をさすのだ。
痩せすぎな人を適正体重に戻す為に太らせることも本来の意味からすればダイエットだ。
しかし今日本来の意味でダイエットを使う人は皆無だろう。
ブービーも元々の意味は「最下位」
ゴルフコンペなどでお馴染みのブービー賞。
これは順位が下から2番目の人に与えらえる賞だ。
代わりに最下位の人は「ブービーメーカー賞」が与えられることもある。
しかし、元々ブービーという言葉の意味は「最下位」という意味だ。
この言葉は元は英語のboobyが起源だが、booby makerというのは和製英語で日本以外では通用しない。
性善説と性悪説
こちらは中国から来た言葉で元々は儒教の孟子のに由来する。
この性善説、性悪説も孟子の教えから変貌して、生きていたら孟子もびっくりだろう。
今日ではおよそ次の様な意味合いで使われている。
性善説=人間は「生まれ持って善人である」という前提で人を信じるべきとする考え方
性悪説=人間は「生まれて持って悪人である」という前提で人を信じるべきではないとする考え方
実は本来の意味は少し違う。
性善説では「人は生まれ持って善人であるが、経験を重ねる事で悪行を覚える」とし、性悪説では「人は生まれ持って悪人であるが、経験を重ねて善行を覚える」としたのが本来の意味だ。
いずれの場合でも「人間は善行も悪行も行う」という点では変わらないのだ。
他山の石・・・・
これは若い世代で誤用される事が目立って来た言葉だ。
元々は「参考にすべき他人の失敗、経験」という意味だが、「手本にするべき他人の成功」という意味で使う人が出て来た。
「先輩の事例を他山の石として頑張ります」なんて言ったら大変。
「あんたの行ったくだらん失敗をしないように頑張ります」と言っているのだから。
確信犯・・・の使い方
確信犯という言葉は今日本来の意味がほぼ消えてしまった言葉の一つだろう。
本来の意味は「自らの信条に基づいてそれが正しいと思って行う人」のことだ。
しかし実際には「自らの行為によって発生する結果をわかった上で行動する人」という意味になっている。
もはや誤用とは言えないほどポピュラーになった。
むしろ本来の意味で使った場合、話がかみ合わなくなる可能性がある。
放射能は漏れない
福島原発の事故の時、女子アナの誰かが「放射能漏れ・・・」という言葉を使っていた。
しかし放射能というものは漏れようがないのだ。
放射能とは放射線を出す「能力」のことだ。
女子アナが言いたかった点を正しく言えば「放射線(あるいは放射性物質)の漏れ」ということになる。
鳴かず飛ばず・・・のプロスポーツ選手
これと言った活躍ができない事を指して一般に「鳴かず飛ばず」と言われることが多いが、これも誤用の一例なのだ。
鳴かず飛ばずとは本来の意味は「実力を発揮して活躍する時に備えて、行いを控えてじっとその機会を待っている状態」の事を言う。
今日では一様に「活躍できない状態」を指すが、この言葉も本来の意味で使われる事はほぼなくなってしまった様だ。
最後の例はこれ 「流れに棹さす」
この「流れに棹をさす」と言う言葉は多くの人が正反対の意味と勘違いして誤用している様だ。
本来の意味は「好都合な事が重なって物事がうまくいい方向に進む」と言う意味。
船頭が川の流れに乗って棹を川底に刺してさらに加速する・・・・と言うところが起源らしい。
ところが、実際には「水を差す」と混同されているのか、せっかくの流れ、傾向、風向きに逆らってある事象の勢いを失わせる事・・・・と言う意味に誤解している人が多数いる。
この言葉もいずれは「水を差す」と言った意味に置き換わってしまうのかもしれない。
ビジネスの場面でちょくちょく出てくる誤用の典型例が
「役不足」という言葉だ。
本来の意味は「与えらえた役割が自分の能力と比較して容易・低レベルの役割でバランスが取れていない事」である。
しかし実際には多くの場合で「与えらえた役割に対して自分の能力が不足していてバランスが取れていない」すなわち、「過大なるお役目」という意味で使われている。
つまり、正反対なのだ。
60代役員「今度のプロジェクトは君に任せた」
20代社員「はい。役不足ですが頑張ります」
こんな会話ありがち。
20代社員は謙遜して「私ごとこ若輩者にこんなプロジェクトを任せてくれて光栄。頑張ります」
と意図した発言だろうが、60代役員にしてみればこう聞こえる。
「こんなプロジェクト、俺の実力からすれば朝飯前」
しかし今日では役不足の意味は多くの場合で「実行者<役割」となっており、本来の「実行者>役割」では使われなくなりつつある。
力不足という言葉があるのに、こちらが使われるケースはあまり多くない様だ。
穿った見方をすれば・・・
これも徐々に本来の意味が失われている言葉だ。
メディアの世界でもコメンテーターあたりが「穿った見方かもしれませんが、この件は・・・・」という発言をしている。
穿った見方というのは本来の意味は「本質をうまく突いた見方」という賞賛するトーンが含まれる言葉だが、今日では「少々ひねくれた見方をすれば」という様に誤用されている。
この言葉は年配者でも誤用が多くみられるので、昭和時代から長期に渡って誤用されている例だろう。
ダイエットは本来太ってもいい話
今日、ダイエットする・・・と言えば、体重を減らして細身、痩身になる事を目指す事をさす。
しかし、ダイエットとは本来「食事制限や運動を通じて適正体重に近づける事」をさすのだ。
痩せすぎな人を適正体重に戻す為に太らせることも本来の意味からすればダイエットだ。
しかし今日本来の意味でダイエットを使う人は皆無だろう。
ブービーも元々の意味は「最下位」
ゴルフコンペなどでお馴染みのブービー賞。
これは順位が下から2番目の人に与えらえる賞だ。
代わりに最下位の人は「ブービーメーカー賞」が与えられることもある。
しかし、元々ブービーという言葉の意味は「最下位」という意味だ。
この言葉は元は英語のboobyが起源だが、booby makerというのは和製英語で日本以外では通用しない。
性善説と性悪説
こちらは中国から来た言葉で元々は儒教の孟子のに由来する。
この性善説、性悪説も孟子の教えから変貌して、生きていたら孟子もびっくりだろう。
今日ではおよそ次の様な意味合いで使われている。
性善説=人間は「生まれ持って善人である」という前提で人を信じるべきとする考え方
性悪説=人間は「生まれて持って悪人である」という前提で人を信じるべきではないとする考え方
実は本来の意味は少し違う。
性善説では「人は生まれ持って善人であるが、経験を重ねる事で悪行を覚える」とし、性悪説では「人は生まれ持って悪人であるが、経験を重ねて善行を覚える」としたのが本来の意味だ。
いずれの場合でも「人間は善行も悪行も行う」という点では変わらないのだ。
他山の石・・・・
これは若い世代で誤用される事が目立って来た言葉だ。
元々は「参考にすべき他人の失敗、経験」という意味だが、「手本にするべき他人の成功」という意味で使う人が出て来た。
「先輩の事例を他山の石として頑張ります」なんて言ったら大変。
「あんたの行ったくだらん失敗をしないように頑張ります」と言っているのだから。
確信犯・・・の使い方
確信犯という言葉は今日本来の意味がほぼ消えてしまった言葉の一つだろう。
本来の意味は「自らの信条に基づいてそれが正しいと思って行う人」のことだ。
しかし実際には「自らの行為によって発生する結果をわかった上で行動する人」という意味になっている。
もはや誤用とは言えないほどポピュラーになった。
むしろ本来の意味で使った場合、話がかみ合わなくなる可能性がある。
放射能は漏れない
福島原発の事故の時、女子アナの誰かが「放射能漏れ・・・」という言葉を使っていた。
しかし放射能というものは漏れようがないのだ。
放射能とは放射線を出す「能力」のことだ。
女子アナが言いたかった点を正しく言えば「放射線(あるいは放射性物質)の漏れ」ということになる。
鳴かず飛ばず・・・のプロスポーツ選手
これと言った活躍ができない事を指して一般に「鳴かず飛ばず」と言われることが多いが、これも誤用の一例なのだ。
鳴かず飛ばずとは本来の意味は「実力を発揮して活躍する時に備えて、行いを控えてじっとその機会を待っている状態」の事を言う。
今日では一様に「活躍できない状態」を指すが、この言葉も本来の意味で使われる事はほぼなくなってしまった様だ。
最後の例はこれ 「流れに棹さす」
この「流れに棹をさす」と言う言葉は多くの人が正反対の意味と勘違いして誤用している様だ。
本来の意味は「好都合な事が重なって物事がうまくいい方向に進む」と言う意味。
船頭が川の流れに乗って棹を川底に刺してさらに加速する・・・・と言うところが起源らしい。
ところが、実際には「水を差す」と混同されているのか、せっかくの流れ、傾向、風向きに逆らってある事象の勢いを失わせる事・・・・と言う意味に誤解している人が多数いる。
この言葉もいずれは「水を差す」と言った意味に置き換わってしまうのかもしれない。
コメント