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2009年11月15日
法隆寺にある夢殿の救世観音像は、私が仏像のなかで一番に好きなものです。
いえ、一位か二位を争うものでした。
そう、興福寺の阿修羅像も好きですから。
救世観音像は、単純に、小さい頃に亡くなった兄の顔に似ているからなんですが。
漫画で、山岸涼子さんの『日出処の天子』ってありますが、これは、1972年に梅原猛さんが発表した論考『隠された十字架』という本にインスピレーションを得て、書かれたらしいです。
救世観音像関連の本だったので、『日出処の天子』も『隠された十字架』も読みました。
印象に残っているのは、
数百年の時を経て、夢殿に安置されていた救世観音像は、白布でぐるぐる巻きにされていた。
岡倉天心とアーネスト・フェノロサが、法隆寺の宝物調査を行う目的で、法隆寺側の意見を押し切り、像を開かせた。
1884年に、この秘仏が開陳されたときには、法隆寺の僧たちは恐れをなして逃げ出した。
そもそも何の目的でここに安置されたのかわからない。
救世観音像の頭の後ろの部分と心臓の後ろの部分は、釘で押さえられている。
そう、頭と胸に釘がうたれて、光背が支えられているのだ。
有名なもうひとつの百済観音には、釘などは打たれていない。
光背があるのもかかわらず。
こんな印象が頭の中に残っている。
何とも、不気味な感じで、私は単純に「ああ、亡くなった兄の面影に似ているなあ。きっと大人になっていたら、こんな感じの人になっていたんだろうなあ」ぐらいの感じしか持っていなかった。
もちろん、その美しさとか魅力に惹かれた部分が一番大きいのだけれども、やはり本を読んだ後は「不気味」とか、「不思議」っていう感覚も出てきた。
仏像の縁起などは不明らしいので、何のために誰が設置したのかもわからない。
ここで、Wikiで調べていたら、なんと、「唯識」が出てきた。
1903年
(明治36年)佐伯定胤が管主となり、廃仏毀釈で衰微していた唯識の教えを復興する。
、とある。
先日、ブログで皿屋敷ならぬ、阿頼耶識(あらやしき)というものを書いたが、この唯識というものは、最近まで封じられていたことだったのだ。
何と・・・・、驚いた。
阿頼耶識(あらやしき)についてのブログ記事はこれです。
唯識(ゆいしき、skt: vijJapti=maatrataa)とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである。ここで、八種類の識とは、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体として、ある個人の広範な、表象、認識、思考の諸行為を内含し、それらと相互に影響を与えあうその個人の無意識の領域をも内含する。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載
私は、「何かを超えたい」という思いがあるっていうのは、ブログにも書いていますが、こんなことがいろいろな相を起す原因かもしれない。
例えば、キーワードとして上がってくる。
それが、「法隆寺夢殿救世観音像」であったり、「阿頼耶識(あらやしき)」であったり。
マーケティングでも、「進化」ってことがキーワードになっている。
だから、Mr.Xのことが頻繁に出て来るし、この人の行動が気になる。
マーケティングで商売の方法を知りたいのではなく、キーワードは「進化」なのだ。
その方法として繋がっている。
「進化」って、今までの自分を超えていくってことだし、未知の世界に踏み込んでいくことになる。
だから、その方法は何でもいい。
マーケティングでもいい、商売でもいい、本でもいい、恋愛でもいい、仕事でもいいし、何でもいいのだ。
話しを戻しますが、法隆寺は、「日本仏教興隆の祖である聖徳太子が創建した寺院である」とするのが、一般的・常識的理解ですが、しかし、聖徳太子という人物が謎に包まれていて、実在する人物かどうかという論争もあるようだ。
え?聖徳太子って実在する人物ではないの?と驚いたりする。
でも、厩戸王という人は実在する人物なので、その厩戸王が斑鳩宮を建てたことは史実に残されているらしいです。
しかし、歴史ってあいまい。
史実っていっても、誰かが書いたものだから。
権力ってものがからんでいるので、その力関係なんかもあるだろうし。
書いた人の見方とか、その当時の情報の集め方とか、いろいろあるから、どこまで本当なのかわからないですね。
法隆寺も、『日本書紀』の天智天皇9年(670年)法隆寺焼失の記述があるので、いろいろな文献とかは失われているだろうし、また記述があったとしても、それが真相だとは限らない。
事実として残っているのは、その物だけだ。
そう、救世観音像が法隆寺夢殿に安置されているってことだけ。
ここまで書いてきて、私はまだその救世観音像を実際に見たことがない。
春4月11日~5月18日と、秋10月22日~11月22日に、夢殿本尊特別開扉ということで公開されるので、その期間に見に行かないとお目にかかれません。
実際に自分の目で見て、その像から何を感じ取るだろうか?
謎に包まれた救世観音像に会う日が楽しみだ。
人が信じているものって恐ろしい、凄い力を持つなって思ったのは、法隆寺の僧たちが、その秘仏を開けさせることを拒んでいたということだ。
「大地震が起こる」とか、「天変地異が起こる」とかっていう信念だ。
簡単に言えば、「仏像を公開したら、たたりがあるぞーーー」ってことですね。
実際に白い布でぐるぐる巻きにされていた、救世観音像の布がほどかれたとき、法隆寺の僧たちが逃げ出したというエピソードで、人の信じていることの強さっていうのが伺える。
実際には何があったのかは知りませんが、何もなかったのだろうと思う。
だって、あったのだとしたら、大変な話題になっているはずだから。
こんなにキレイで優しそうな観音様なのにね。
でも、ただ、夢殿に鍵がかけられていて、開扉できないだけだったら、「不気味」ってことにはならないかもしれない。
白い布でぐるぐる巻きってことが、何とも不気味さをかもし出している原因かも。
それと、頭と胸に釘が・・・・ってことも。
いえ、一位か二位を争うものでした。
そう、興福寺の阿修羅像も好きですから。
救世観音像は、単純に、小さい頃に亡くなった兄の顔に似ているからなんですが。
漫画で、山岸涼子さんの『日出処の天子』ってありますが、これは、1972年に梅原猛さんが発表した論考『隠された十字架』という本にインスピレーションを得て、書かれたらしいです。
救世観音像関連の本だったので、『日出処の天子』も『隠された十字架』も読みました。
印象に残っているのは、
数百年の時を経て、夢殿に安置されていた救世観音像は、白布でぐるぐる巻きにされていた。
岡倉天心とアーネスト・フェノロサが、法隆寺の宝物調査を行う目的で、法隆寺側の意見を押し切り、像を開かせた。
1884年に、この秘仏が開陳されたときには、法隆寺の僧たちは恐れをなして逃げ出した。
そもそも何の目的でここに安置されたのかわからない。
救世観音像の頭の後ろの部分と心臓の後ろの部分は、釘で押さえられている。
そう、頭と胸に釘がうたれて、光背が支えられているのだ。
有名なもうひとつの百済観音には、釘などは打たれていない。
光背があるのもかかわらず。
こんな印象が頭の中に残っている。
何とも、不気味な感じで、私は単純に「ああ、亡くなった兄の面影に似ているなあ。きっと大人になっていたら、こんな感じの人になっていたんだろうなあ」ぐらいの感じしか持っていなかった。
もちろん、その美しさとか魅力に惹かれた部分が一番大きいのだけれども、やはり本を読んだ後は「不気味」とか、「不思議」っていう感覚も出てきた。
仏像の縁起などは不明らしいので、何のために誰が設置したのかもわからない。
ここで、Wikiで調べていたら、なんと、「唯識」が出てきた。
1903年
(明治36年)佐伯定胤が管主となり、廃仏毀釈で衰微していた唯識の教えを復興する。
、とある。
先日、ブログで皿屋敷ならぬ、阿頼耶識(あらやしき)というものを書いたが、この唯識というものは、最近まで封じられていたことだったのだ。
何と・・・・、驚いた。
阿頼耶識(あらやしき)についてのブログ記事はこれです。
唯識(ゆいしき、skt: vijJapti=maatrataa)とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである。ここで、八種類の識とは、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体として、ある個人の広範な、表象、認識、思考の諸行為を内含し、それらと相互に影響を与えあうその個人の無意識の領域をも内含する。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載
私は、「何かを超えたい」という思いがあるっていうのは、ブログにも書いていますが、こんなことがいろいろな相を起す原因かもしれない。
例えば、キーワードとして上がってくる。
それが、「法隆寺夢殿救世観音像」であったり、「阿頼耶識(あらやしき)」であったり。
マーケティングでも、「進化」ってことがキーワードになっている。
だから、Mr.Xのことが頻繁に出て来るし、この人の行動が気になる。
マーケティングで商売の方法を知りたいのではなく、キーワードは「進化」なのだ。
その方法として繋がっている。
「進化」って、今までの自分を超えていくってことだし、未知の世界に踏み込んでいくことになる。
だから、その方法は何でもいい。
マーケティングでもいい、商売でもいい、本でもいい、恋愛でもいい、仕事でもいいし、何でもいいのだ。
話しを戻しますが、法隆寺は、「日本仏教興隆の祖である聖徳太子が創建した寺院である」とするのが、一般的・常識的理解ですが、しかし、聖徳太子という人物が謎に包まれていて、実在する人物かどうかという論争もあるようだ。
え?聖徳太子って実在する人物ではないの?と驚いたりする。
でも、厩戸王という人は実在する人物なので、その厩戸王が斑鳩宮を建てたことは史実に残されているらしいです。
しかし、歴史ってあいまい。
史実っていっても、誰かが書いたものだから。
権力ってものがからんでいるので、その力関係なんかもあるだろうし。
書いた人の見方とか、その当時の情報の集め方とか、いろいろあるから、どこまで本当なのかわからないですね。
法隆寺も、『日本書紀』の天智天皇9年(670年)法隆寺焼失の記述があるので、いろいろな文献とかは失われているだろうし、また記述があったとしても、それが真相だとは限らない。
事実として残っているのは、その物だけだ。
そう、救世観音像が法隆寺夢殿に安置されているってことだけ。
ここまで書いてきて、私はまだその救世観音像を実際に見たことがない。
春4月11日~5月18日と、秋10月22日~11月22日に、夢殿本尊特別開扉ということで公開されるので、その期間に見に行かないとお目にかかれません。
実際に自分の目で見て、その像から何を感じ取るだろうか?
謎に包まれた救世観音像に会う日が楽しみだ。
人が信じているものって恐ろしい、凄い力を持つなって思ったのは、法隆寺の僧たちが、その秘仏を開けさせることを拒んでいたということだ。
「大地震が起こる」とか、「天変地異が起こる」とかっていう信念だ。
簡単に言えば、「仏像を公開したら、たたりがあるぞーーー」ってことですね。
実際に白い布でぐるぐる巻きにされていた、救世観音像の布がほどかれたとき、法隆寺の僧たちが逃げ出したというエピソードで、人の信じていることの強さっていうのが伺える。
実際には何があったのかは知りませんが、何もなかったのだろうと思う。
だって、あったのだとしたら、大変な話題になっているはずだから。
こんなにキレイで優しそうな観音様なのにね。
でも、ただ、夢殿に鍵がかけられていて、開扉できないだけだったら、「不気味」ってことにはならないかもしれない。
白い布でぐるぐる巻きってことが、何とも不気味さをかもし出している原因かも。
それと、頭と胸に釘が・・・・ってことも。
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