ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 ハイヒールで駆け抜けろ2016年7月10日 17:04 煌びやかに輝くシャンデリアの明かりの下で開催される怪しい怪しい夜会。黄金色の光の下で様々な老若男女が贅沢の限りをつくした色鮮やかなドレスを身に纏う。シフォンがふんだんに使われたシャンパンゴールドのシフォンドレス、繊細に編み込まれたレースを幾分にも重ねたミルキーピンクのショートラインドレス。 それぞれが華やかなで豪華な夜会服を身に纏う中で、スカーレットレッドの煌びやかなタイトドレスは一際目を放つ存在だった。「あの子はいったい」「あんな娘みたことがないぞ」 招待客の視線を集めながらパーティーの主催者と親しげに言葉を交わす緋色のドレスは存在だけではなく、造りまでもが大胆であった。肌触りの良いシルクでつくられたドレスにはキラキラと煌めくスワロフスキーがふんだんに散りばめられ、その細い首元までを鮮やかな緋色で染め上げる。それとは反対に背中の部分は大きく開かれ、しかし下品にならない程度に褐色の肌は薄いオフホワイトのショールでぼんやりと隠されていた。「やぁアーニャ来てくれたんだね、そのドレスもとても似合っているよ」「ヴァルス様、こちらこそ招待いただきありがとうございます。それにこんなに素敵なドレスのプレゼントまでしていただいてしまって」「そのドレスは君にこそ相応しい」「そんなこといったら奥さんに嫌われてしまいますよ」 想像よりも低くそれでいて心地よいハスキーボイス。アーニャと呼ばれた女性は口元を押さえくすりと幼さを含んだ笑みを浮かべる。 飴細工のように繊細で柔らかく揺れるミルクティーゴールドの長い髪は後ろでゆるく纏められ、輪郭に沿うように垂れ下がった横髪はふわふわとした螺旋を描く。くるりと上を向いた色素の薄い長いまつげとこぼれ落ちてしまいそうなアイスブルーの大きな瞳。薄い化粧と背伸びをしたような真っ赤なルージュは彼女の妖艶さとアジア人特有を幼さを引き立たせ独特的な雰囲気をつくりだす。 ひとつ彼女が微笑めばあっという間に年齢不詳のその容姿に会場中の誰もが夢中になり興味を惹かれていった。10代なのか20代なのかそれすらもわからない妖艶さと幼さ。ヴィーナスの絵画のような薄いショールに隠された褐色の肌。控えめな胸元と美しくくびれたウエスト。スラリとした身長とその緋色の下に隠されているだろう細い足。主催者と会話を終えた彼女を誰もが狙っていたのだ。 背筋をピンと伸ばし会場の中央から隅へと移動する彼女を誰もが目で追っていた。一人の男が声をかけようと動き出した時だった。招待客の娘であろう小さい子供が急に走り出し彼女へとぶつかる。わずかな衝撃と、あっとこぼれた小さな悲鳴と共に細いハイヒールで不安定な彼女の身体はふらりと体制を崩す。驚いたように目を開いた後くるべき衝撃に恐れてぎゅっと瞑られた彼女の瞳。しかし彼女の身体が床に落ちることはなかった。「大丈夫ですか」 彼女と同じアジア人だろうか、長い黒髪を後ろで纏めた爽やかな好青年が自然にそして絶妙なタイミングで彼女を支えたのだ。数秒の沈黙の後、胸元に埋まった彼女に彼は優しく何かをひとことだけ問いかける。だんだんと血色の良くなっていく頬の色。「あ、ありがとうございます」「いえいえお怪我がなくてなによりです」 青年に肩を支えられ、頬を真っ赤に染め恥ずかしげに元の体勢に戻る彼女。全ての少女が憧れるまるでおとぎ話のようなワンシーンに誰もが目を奪われていた。「1時間後にD-8に、今夜実行します」「了解」 秘密を囁くように紡がれたその言葉。夢のようなワンシーンの中でその秘密に気がつくものは誰もいなかった。 ◇ シャンデリアの煌めく光の下で僕を取り巻くのは身なりの良い夜会服を身にまとった数人の男達。ターゲットを見失わないように神経を研ぎ澄ましながら、完璧すぎる笑顔でたわいない会話に相槌をうつ。そして視界の隅でターゲットが会場から出ていくのを確認すると、申し訳そうに眉を潜めながら周りにいた男性客をあしらう。「私も少々失礼致しますね」「えっもういなくなってしまうんですか」「少し人に酔ってしまって…すみません」 笑顔でいて、それでも辛そうな笑顔。作り出す表情は一寸のズレもなく完璧な演技。ターゲットのいなくなったパーティ会場にはもう用がない。いくつかの視線を集めながらも足早に会場を立ち去る。歩く度にゆらゆらと揺れるゴールドのイヤリング。それに静かに触れながら次に目指すのは奴との待ち合わせ場所である。 今回の任務は麻薬密売をしているターゲットへの威嚇と密売ルート情報の強奪。銀髪のあの男曰く「最近やつは調子に乗っていて行動が目にあまる。度が過ぎているから少しばかり灸をすえてこい、抵抗するなら殺してもいい」だそうだ。 ターゲットは大の女性好き。しかしベルモットのような完成した妖艶な魔女ではなく非凡で庶民的な女を女性へとつくりあげることが趣味なターゲットのためにつくりあげられた僕の新しい顔は売れない舞台女優アーニャ・ロエン。ベルモットおすすめのエステサロンや骨盤矯正そして食事制限。こんな男の悪趣味のために僕が1ヵ月近くをかけてつくりあげたのがアーニャ・ロエンだった。 僕のアーニャはターゲットのお眼鏡に適ったようで今回の任務は順調に進みつつあった。下町のバーで偶然を装ったようにターゲットと出会い、何度も逢引を重ねた。ターゲットから贈られる装飾品でアーニャはだんだんと彼好みの女性へと変化していく。極めつけは贅沢の限りを尽くしたドレスのプレゼント。密売ルートの情報が彼の屋敷に保管されていることは事前の情報収集で確認していた。そんな中ドレスと一緒に同封された夜会の招待状は、ターゲットの屋敷への潜入を目標としていた僕に任務の終了を告げていた。 残るはターゲットと接触し密売ルートの情報を回収することのみ。腰まで伸びる長い髪やがたがたと不安定なハイヒールでの女装生活とも今日でおさらばとなるだろう。「外が荒れてきたな」 ぽつぽつと窓ガラスにあたる水滴の数々。ふいに目をやった外の様子は薄暗く不気味であった。脳裏に走るのは嫌な予感。ターゲットの屋敷、いや城と言った方がいいだろうか。そこはひっそりと山奥に建てられておりアクセスはただ一本の道のみ。しかもそこは嵐になれば通ることが困難な細い道であり、もし嵐にでもなればあっという間にこの城は下界から隔離された陸の古城となるだろう。もしもの為にと想定していた逃走ルートが使えなくなるのは避けたいところである。組織を捕まえる前にこちらが地元のヤードに捕まるなんてごめんだ。「先程はありがとうございました」「こちらこそお怪我がなくてよかったです」 待ち合わせ場所にいたのは漆黒の長い髪をひとつにまとめ造りの良いスーツに身を包んだ好青年。細身のスーツから微かに感じられる程よい筋肉とニコリと頬を緩める東洋系の整った顔。あらゆる女性を魅了するミステリアスなオリーブ色の瞳。その雰囲気はいつもの暗くじめっとしたものとは全く異なり爽やかで好印象すらもたせた。馬子にも衣装。コイツの性格はともかく顔だけはいいからな。 頭に思い浮かべるのは胡散臭い笑顔と無精髭を生やしたスコッチの顔。次に現れるのは銀髪のあの男。あの男たちは演技なんてものできないだろうから消去法でライがこの任務に当てられるのは順当な結果なのだろう。さっきの演技も中々悪くはなかった。それでも釈然としないアンビバレントな心情。あぁどうして毎回毎回コイツと組まなきゃいけないんだ。コイツといると僕はいつもおかしくなってしまう。 微かな不満と不安を心の奥底に押し込めながら繰り返すたわいない会話。その背後で依然として感じる不快な誰かからの視線。そして何かを確信したように交差する互いの瞳。 刹那、舞い降りた甘美な静寂は瞬く間にふたりの距離を縮まさせた。鼻をかすめる甘い体臭と背中に伝わる少しの衝撃。無機質な壁の感触が大きく切り開かれた背中に直に伝わり、その冷たさが全身へと広がる。「んぁ」 静寂を打ち消すような熱のこもった一瞬の吐息。唇から全身へと痺れるような感覚が走った。口の端からはしたなく零れ落ちるのはフォーギブンの雫。甘い唾液を身にまとったその熱い舌は悪戯のように口内を犯し続ける。これ以上そちらへ落ちてはいけないとライの背中に手をまわし、ぎゅっとその質のいいスーツにしわをつくる。 離れた互いの唇を銀の糸が離さないようにと結びつける。視界に映るのは唾液によって厭らしく艶をもった背徳的なライの唇。きっと彼にも僕が同じように見えているのだろうか。 もう一度を求める唇に人差し指を添えてにっこりと冷たい笑みをプレゼントする。「やめてください、グロスがとれる」「もうとれているだろう」「これ以上は任務外だ」 唾液とグロスの混じった濡れた唇を手荒く拭い辺りへと神経を研ぎ澄ます。すっかりと消えた誰かの気配。ずっとつけられていたあの視線も先程の熱いキスで消えてくれたようだ。「君は口紅が落ちると随分と幼くなるな」「はぁ、喧嘩売っています?」 子供のような純粋な瞳で零された素っ頓狂な言葉に思わず目が丸くなる。ちょっと待て、背伸びする少女の魔法のコンパクトをその唇で奪ったのはお前だぞ、お前。「違う褒めているんだ、化粧というものは恐ろしい」「ベルモット直伝ですからね、あなたもこの毒牙にかけてあげましょうか」「それはご遠慮願いたいな」 目を閉じて首を横に振るという古典的な拒絶反応。そんなコメディのような動作ですら似合ってしまう彼にほんの少しだけ尊敬の念すら抱いてしまう。いや、別に羨ましいだなんて思ってはいないけれど。「あの男使えそうか?」「ずっとつけていたあの男ですか?ターゲットの息子です、次男の方ですけど」「あの彼か…随分と君にご執心だったようだが、いけそうか?」「えぇ余裕ですよ、僕を誰だと思っているんですか」 逢引を続けるように、誰にもいえない秘密を共有するかのように、一度は遠ざかった唇が再度こちらへ迫ってくる。目を閉じればキスをされてしまいそうな互いの距離。囁かれるのはふたりだけにしか拾われることのない秘密の悪戯。視界中をいっぱいに染めるこの色は僕の世界を脅かす麻薬でしかない。「あぁ、でもやっぱりそのドレス似合っていないな」 あぁこの男はいつだってそうなのだ。外面を変えても内面は変わらない。好青年を装った外面と皮肉を含めた低い声音。気に食わないオリーブ色の細い瞳が微かにこちらを捉えほんのひとときの間交差する。「ターゲットからの贈り物ですよ、あなた嫉妬でもしているんですか?」「あぁ君にはそのドレスは下品すぎる」 なんとなく冗談で発した問への予想外の言葉にトクンと小さく心臓が揺れた。なっと小さくこぼれた感情は、薔薇色のチークで彩られた頬の色をほんのりと強くした。 こいつが嫉妬なんてする訳がない。 焦っていく心とは裏腹に頬に触れるライの指。先程まで下界から頬の薔薇色を隠すように壁に押し付けられ、頭の近くを覆っていたライの両の腕が頬つたって、するするとドレスをなぞる。「や、やめろ」「そんなドレスを着ている君が悪い」「つぁ…んん」 ごつごつとした硬い指が身体のラインをひとつひとつを舐めまわしながら確認するかのようにゆっくりと下へ進んでいく。頬から首へ。首から背中へ。背中に残った天使の名残をショールごしに触れれば、その指は下半身へと流れていく。女のものとは似つかない硬いヒップのラインを越え、指は適度な筋肉のついた太股へと到達する。ほぉと耳元でつぶやかれた小さな言葉。「こんなところにナイフを隠しているか、物騒だな」「っライ…なにを!」 囁かれた言葉と一緒に耳元に捧げられた吐息。そして有無を言わさず持ち上げられる片足。バランスの崩れた身体によって背中にかかる全身の体重はじわりとした痛みと共に衝撃を伝える。 丈の長いスカーレットレッドのドレスは持ち上げられた片足によって豪快に捲り上がる。そして露わになるのはドレスによって隠されていた白のガーターベルト。太股を白く彩るガーターベルトには3本のナイフがひっそりとその息を潜めていた。「お得意の拳銃ではないのはその細身のドレスのせいか」 太股のガーターベルトがぱちんと振動した。正面に見える男の子供のような悪戯と共に問いかけられる言葉。「いい加減怒りますよ」「心配するな、誰も来やしないだろう。他の奴らはまだパーティに夢中さ」「そういう事じゃなくて…」 確証のない自身によって開き直ったようなそんな答え。依然としてパチンパチンと引っ張られるガーターベルトに嫌気を指し、無理矢理持ち上げられた足を振り下ろせば、そこに見えるのは少しだけむっとした見たことのないライの顔。なんだなんだ、答えになっていなし、そんな顔をしても無駄…「もうなんですかその顔は…っんん」 本日何回目かわからないのいきなりの口づけ。んんんっと格好のない声が廊下中に響き渡る。ぎゅうっと閉ざした唇に注がれるのは優しい甘噛。意味のわからない行動と口内を弄る舌の快楽に頭の中がぐわんぐわんとミックスされる。もう意味がわからない。 もう知るものかと、我が物顔で口内を荒らすその物にかぶりとひと噛みすれば、あっという間に離れる唇と唇。痛いという嘆きと口に広がる鉄の味。「舌を噛むのは流石に酷いとは思わないか」「はぁ、そんなこと知りません」 銀の糸を無造作に断ち切りまっすぐと前を見据えればそこにいるのは眉をひそめ邪険そうな顔をするライ。その顔色に反省の色なんてものはない。「あなたがそういう態度ならこっちだってお望み通り情報をとってきてやります、尻洗って待ってろ!」 ◇ 不思議なリズムは二人だけの合言葉。コンココンコンと不規則的なノックが静かに響き渡る。数十秒の沈黙の後年季の入った古ぼけたギィっと音を立てゆっくりとその扉を開かせる。一歩その部屋に足を踏み入れれば、小さなトランクは重力に沿って床へ引き寄せられていく。瞬く間に交わされる熱い抱擁。そして第三者から見れば若い恋人同士の熱いハグにしか見えないその様子の裏で繰り広げられる秘密の語らい。「盗聴器やカメラは」「既に排除済みだ、君以外のはな」 ほかの誰にも拾われることのない耳元で囁かれた小さな安栄。あなたのその勝ち誇った様な顔は心底気に入りませんと捨てゼリフを吐き、深呼吸と共に首に回していた腕を離せば先程までのピリピリとした緊張からも解放される。 ごろんと床に鎮座する小さなトランクケースをしゃがんで持ち上げれば、たらりとひと房の髪が垂れ下がり視界を邪魔する。エクステによって長く伸ばされたミルクティーゴールドの髪。煩わしさを感じながら慣れたようにそれを耳へとかける。依然として邪魔なのは変わらないが長期に渡る任務によってだいぶこの髪にも慣れてきたのだ。「髪を下ろした姿も中々のものだな」「意味がわからない、喧嘩でも売っています?」 はぁ?っと無意識にこぼれ落ちた言葉。嫌味を込めた返答に対しての不思議そうな顔は呆れを通り越して困惑すら感じさせた。あぁ、こいつはいつだってそう、飄々として余裕ぶって大切なところはいつもはぐらかす。本当のことなんてひとつも言わないんだ。「冗談は程々にしてください…こっちはちゃんと情報をとってきたんですから」「純粋な感想だ、綺麗だと思うぞ」「っ…きちんとあなたにも女性としてみえたならそれはよかった。ベルモットおすすめの骨盤矯正とエステに通ったかいがありました」「君はそんなことまでしていたのか」「僕の女装テクニックを舐めないでいただきたい…なんてね」 知りえなかった情報に対して驚愕の表情を浮かべるライ。まるで鳩が豆鉄砲を食らったようなそんな古風な反応に思わず笑みが零れた。それにしてもこいつ僕の努力を侮っていたな。僕はどんな任務にもいつも全力だ。「はぁ、それでもあなたが憎まれていなくて本当によかった。僕はどうやらターゲットの妻に憎まれていたみたいなので…」「それはどうして?」「件の次男がすんなりと話してくれたんですけどね、ほらあまりにも僕の女装が完璧すぎて旦那を奪おうとする泥棒猫に見えたんですかね…」 ひらひらーっと手を売り上げながら自信げそう答えれば返されるのはむーっとしいまいち納得がいかないといった神妙な表情。おいやめろ、そんな顔をするな。流石に完璧すぎるは言いすぎた。「さっき確認してきたんですが、部屋中盗聴器とカメラだらけでしたよ。おまけに鍵のついていないトランクは全ての開けられていましたし、まぁどの盗聴器もお粗末な隠し方でしたけど、あなたのもの以外は」「やれやれ見つかっていたか」 数日間に渡るこの夜会の招待客にはひとりひとり自室が与えられていた。目をつけられてしまったターゲットの妻はたいへん嫉妬深い人物であったようで、先ほど着替えのために戻った部屋にはたくさんの盗聴器やカメラが配置されていた。監視用なのかはわからないがどれもお粗末な隠し方で思わず溜息がこぼれ落ちたくらいだ。 加えて持ってきていた荷物はすべてひっくり返されていたようで、鍵のつけていないトランクケースに入っていたドレスや装飾品は壊されてはいないが明らかに誰かが触った形跡があった。厳重に管理していたトランクケースは無事で本来の仕事には支障はなかったが、そんな部屋で着替えをする事を出来ず最低限の仕事道具を持ってこの部屋に逃げ込んできたという理由だ。 おもむろに持ってきたトランクケースから黒いガンベルトと愛用の拳銃を取り出し近くにあった椅子へと脚をかける。赤いドレスの裾を捲りあげれば顕になるのは褐色の長い足。ナイフが取り付けられた白のガーターベルトを外し、次に取り付けられるのは黒のガンベルト。慣れたような手つきで予備のカートリッジも装着すれば、共に足にかかる僅かな重み。「ほー、そんなところの毛の処理もしているのか」「どこみているんですかこのすけべ!」「見せつけてきたのは君だろう」「見てきたのはお前だ、この変態」 じろじろとこちらを見てくる男にギロりと鋭い目線を送れば返されるのは稚拙な言い訳。売り言葉と買い言葉。子供のような言い合いを何度か繰り返しているうちにもう片方の脚にも拳銃が取り付けらる。先程よりか僅かに盛り上がったドレスの裾。それでも余程カンの鋭いものしか気がつかない程度の変化である。セクハラまがいの足を直接触られるなんてことがなければバレることはないだろう。今から赴くのはダンスパーティではないのだから。「まぁいいですよ、こんな茶番さっさと終わらせましょう」「場所がもうわかったのか?」「ええ粗方は、それにあまり長居はしたくありませんし」 小さく付け足した僕の呟きに対して、「それはどういうことだ」とライが言及を求める。食い気味に求められたライの追求に対し驚きを感じながらも、「なに簡単な話ですよ」と笑いながら口を開く。「僕ターゲットの妻に遺産目当てかと思われていたみたいなんですよね…あんな男狙うわけないのに。でもあの女あなたのこと狙っていましたし、どっちもどっちか」「ほー、嫉妬か?」「呆れているんですよ、噂ではあの男を人をただの人形へと変えてしまう恐ろしい薬の密売をしているとも聞いたことがありますし、それなりの人間のそばにはそれなりの人間しか集まらないってことです」 そう、金持ちの周りには金持ちが、詐欺師の周りには詐欺師が集まり、人殺しの周りには人殺ししか集まることは無い。いつの時代であっても世界はそうやって廻っているのだ。「そうとわかったらばさっさとターゲットを迎えに行きますよ、いる場所はもう検討がついています」「ご自慢の盗聴か?」「バレていましたか」「探り屋バーボンのことだ、どうせ屋敷中に仕掛けてある」「そうだろう?」と問われた問に対し、耳元のイヤリングが小さく震えたような気がした。くすりとした笑いと思わず動いた頬の筋肉。「ええ、貴方以外にバレる気はしませんから」 ◇ 暗闇に隠される誰かの足音。真っ暗な中庭の暗闇を切り裂きながら身体中の神経を研ぎ澄まして目指す先はこの大きな屋敷の端、使われていない時計塔だ。「雨もだいぶ落ち着いてきましたね」「あぁこれなら予定通りのルートが使えそうだ」 微かに頬に当たる冷たい雨。だんだんとおさまってきた雨は嵐になる事はなく、予想していた最悪の事態は回避できそうだ。そんなあまりにも順調すぎる進行状況に感じた嫌な予感。 それは咄嗟の出来事だった。一言も言葉を発することなく隣にいる男へ抱きつき、有無を言わさず落とされた濃厚な口付け。主導権を握った舌が歯の裏側をなぞればもう一方の舌が甘い唾液と共にねっとりと絡みつく。夜闇に消えているふたつの吐息。誰もが見とれてしまうような官能的で扇情的なキス。離された唇と唇とを結ぶ銀の繋がりは月の光によって艶やかに照らしだされる。混じり合うふたつの瞳。妖艶な笑みと共に人差し指の当てられた薄い唇はリップ音を交えながらしぃーっと小さく震える。「随分と積極的だな」「さっきのお返しですよ、なんです。僕のテクニックであなたの貧相な腰は抜けちゃいましたか?」「そんな馬鹿な」「別に強がらなくてもいいんですよ」 挑戦的な言葉と相変わらず気に入らない余裕ぶったその態度。雨音と静寂が支配する世界でふたりだけの少ない会話は闇の中に消えていく。首元をぐいっと乱暴に引き寄せれば一度離れた互いの身体が再び引き寄せられ、夜闇に拾われない小さな言葉が鼓膜を微かに震わせる。「この先にターゲットの部下がいます」「ほー、本当か」「探り屋としての僕の技術舐めないでいただけますか?」「じゃあさっき逃がしたのは招待客か?」「そうですよ。計画の邪魔をされるのも嫌でしたし、変に詮索されるのも避けたかったので」「わざわざこんなキスをしてまでも、か」 核心をついた言葉はまるで心の中をすべて見透かされているようだった。この先にターゲットの部下がいることはキスをする前からわかってはいた。だからといってわざわざそのことを伝えるためにキスなんて大それたことはしない。 あのキスは招待客をこの場から遠ざける為のキスだったのだ。「無闇にこの世界に踏み入れる必要もないでしょう、世の中知らない方がいいことも沢山あるんですよ、表舞台に住む人たちにとっては尚更ね」 乾いたような笑いと一緒に吐き捨てた言葉。願わくば、これ以上この女に狂わされる人がいないようにと。あの時視界に入ったのは何の変哲もないただのパーティの招待客。アーニャ・ロエンを取り巻いていた男のひとりだったのだ。「っ誰だ」 暗闇の中かざりと響いた何者かの気配。研ぎ澄ました神経で後ろを振り向けば、男の目に入り込んだのは見目の良い若いカップル。「道に迷ってしまって…」「なんだ、そうだったのか。屋敷ならあっ」 ぷちんと切れた緊張の糸。ふぅーと安堵の息を漏らし屋敷の方に指をさそうとしたその瞬間後頭部へと強い衝撃が走った。消えていく意識の中で微かに拾うことのできた「sorry…」は黒い闇と共に男の意識を奪い去った。静寂の中で、男が地面に倒れ込む音がバタンと響き渡る。「おい、どうした」「てめぇ、なにもんだ」 音と共に集まるのは先程の男と同じ黒服を身につけた大柄な男達。マナーなんてあったもんじゃないと、襲いかかってくる男たちを、ドレスを翻しハイヒールで踊りながら優雅に躱す。「この人数当たりでしたね、さすが僕」だなんて呟きながらご自慢の拳をくれてやれば、たちまち男達は地面にキスをすることとなる。 殴っても蹴っても減っていかない敵の数。頬に当たる髪と戦いにくい格好がじりじりとストレス係数を上昇させる。「っああ、もう戦いにくい」 吐いた台詞とともに鳴り響く勢いの良い布切れ音。思いっきり引きちぎられた赤には綺麗な縦線が入り、ちらちらと褐色の足を下界へと晒す。「そのドレス、ブランドものだろう?」「ええ、どうせターゲットから送られたものですし、こんな下品なデザイン好みではありませんから。それにあなたが本当に似合うものを見繕ってくれるんでしょ」「散々似合わないって言ったんだからね」と冗談交じりな言葉ともに繰り出された蹴りは寸分の狂いもなく敵の懐へと命中する。際どいラインまで入ったスリットは下肢を拘束することなく身軽な蹴りをつくりだした。「それは恐ろしいな…」 隣にいる男はそんな僕の蹴りを見ながら微かに苦笑を交え、お得意の截拳道を披露する。そして相手を制しながらも数瞬何かを思案するような仕草をみせ自信ありげに口を開く。「ではヴェラ・ウォンのドレスはどうだろか?」「あなた馬鹿なんですか、ヴェラ・ウォンといったらウェディングドレスだ… 」 呆れ顔でそう答える僕に対し、してやったりとライはほくそ笑む。その顔相変わらず気に食わん。「だったらアントニオ・リーヴァほうが僕は好みです」「ほー、それはまた」「 ヴィヴィアンウエストウッドの攻撃的なデザインも捨てがたいですけどねっと」 繰り出された鋭い右ストレート。終了を告げるパンパンっと手を叩く音とともに残った最後のひとりを地面へと崩れ落ちる。「簡潔にいいます、あなたのボスはどこにいますか」 まだ意識の残る男の背に腰掛け耳元で囁くのは呪いの言葉。死神のように恐ろしく、それでいて女神のように優しい声音に、生理的な震えが男の全身に走った。「そんなこと言うわけねぇだろ」「だから手荒なことはしたくないんです」「ひぃ」 震えながら答える男に対して困ったように眉をひそめると、隠していた大腿から拳銃を取り出しそれを静かにこめかみへと当てる。沈黙という名の死の宣告。「わかってくれますよね」「さささ、最上階だ、大抵いつもそこにボスはいる」 死にたくないと、勢いよく発した言葉。ぐりぐりと押し付けられていた拳銃がこめかみから外れゆっくりと髪を撫ではじめる。滴り落ちる冷たい脂汗。「ありがとうございます」と囁かれたやわらかくやさしい声とともに男の意識は黒へと染まった。「それじゃあ君は先に行ってくれ、俺は残党を片付けてから合流しよう」「わかりました、何かあった時はすぐにしらせてくださいね」 ぴくぴくと再び立ち上がろうとする残党を踏みつけながら、片耳のイヤリングをライへと渡す。華奢で趣味のいいデザインのそれは盗聴器兼無線機の優れものだ。「了解した」 年季の入った時計塔の石造りの螺旋階段をドレスの裾をたなびかせながら駆け上がり、目的地である最上階を目指す。長い階段によって僅かに乱れた息を軽く整え、右手に触れる拳銃を握り直す。 勢いよく開けた扉の先にいたのは白髪まじりの初老の男。「やっぱり君が組織の手のものだったのか」 仕立ての良い椅子に腰掛けたターゲットは「あぁ折角のドレスが台無しだ」なんて小さく楽しそうに呟くと僕の顔をじっくりと見つめ、皺混じりの頬をふんわりと緩ませる。「何だ、気がついていたんですね」「あぁ、薄々はね、組織が気に食わないのは大方最近の密売についてだろう。あれはやりすぎたと思っている。とても恐ろしい薬だ、一度使うと決して元に戻れなくなる」 今回の組織からの任務はあくまでも密売ルートの情報強奪とターゲットへの威嚇。決して新薬の事についてではなかった。数多の部下を従い様々な麻薬の密売に手を染めていた彼がこんなにも恐れる薬とはいったいどんなものだったのだろうか。「そこまでわかっていたのに、なんで逃げなかったんですか」「君になら殺されてもよかったと思ったんだ」「馬鹿なことを言わないでもらえますか」「本当さ、こんな年になって恥ずかしいものだが、あれはきっと初恋だった。初めてバーであった時、私はひと目で恋に落ちたよ、君の動作のひとつひとつは完璧すぎて私の理想の女性だった。それでも君は完璧すぎたんだ。ほんの数パーセントだけ私は君が偽りの人間なんじゃないかって思っていたよ。丁度組織に目をつけられていた時だったしね。でも君になら殺されてもよかったんだ」 思い出話をつらつらと語るターゲットの声はとても明るく、こちらを離さず見つめるその目は酷く純粋で愚かな程にまっすぐなものであった。「男にモテるなんてまったく嬉しくありませんね 男に愛されるだなんてひとりで充分だ」 低く冷たい声で言い捨てる言葉と共に、熱く純粋な視線を跳ね返すように、鋭く凍るような眼差しで彼を捉える。あぁなんて人間は愚かなものなのだろう。「それが君の本当なのかい?」 取り払われた初恋の少女の偶像。アーニャ・ロエンは今粉々に破り捨てられた。「ええ、はじめまして僕はバーボン Mr.ヴァルス、僕と取引でもしましょうか」 にっこりとその身体を捉えるのは妖艶な笑み。この笑みから逃げることなんて決してできないのだ。 ◇「終わったのか?」「はい」「殺さないなんて随分と君は甘いな」 全てが終わったあと時計塔の入口で待ち構えていたのはお気に入りの甘い香りをぷかぷかと漂わしたライ。纏めていた長い漆黒の髪を解き、いつものようにタバコをふかすその姿は相変わらず様になっていて憎らしい。「甘くなんてないですよ、奴にとっては一番辛いんじゃないでしょうか」 愛した人に殺されることすら許されず、もう二度と合うことも許されず、生きていたすべての証を奪われる。懇願していた死すら与える事もせず、ただ要求されていた情報を奪いさる。こんな割に合わない仕事だ。個人的に奪い去ったSDカードの中身は麻薬密売顧客データと新薬の情報。女装をしてまでの任務だ、これくらい色をつけてもらわなきゃ割に合わないだろう。それに新薬の情報なんてものは、組織に決して渡ってはいけない類の情報なのだから。「愛なんてずいぶん愚かなものですよ、人すらも惑わせてしまう、むしろどんな麻薬より恐ろしいものなんじゃないですか?」「やっぱり君は優しいな」 タバコの火を消しながら静かに笑うライを横目で制しながら、大腿のガンベルトの隠しポケットにに奪い去ったSDカードをしまい込む。この先にこのデータが陽の目を見ることはないだろう。 ひゅーっと頬に当たる風に雨粒はもう消え去っていた。世界を覆う暗闇は段々と薄まり新しい朝を告げる。「さぁほかの奴らが来る前に立ち去りましょう、この天気なら予定したルートが使えそうですし」 任務が完了したことはもう組織には報告済みだ。予定通りであればもう麓にはきっとベルモットが用意しただろう逃走用の車が準備されているはずだ。 あともう少しで任務が終わるそんな時、がくんという衝撃と一緒にふらりと全身が崩れ落ちる。キャパシティをオーバーさせ無惨に折れた細いハイヒールの踵。散々無理をさせた結果だろう。想定以上の動きにも付き合ってくれた赤いハイヒールに感謝を抱きながら崩れた体制を戻そうとするも、無意識に隠していた足下の小さな痛みが先程の衝撃で抑えきれず崩壊する。「痛」 小さくこぼれた呟き。慣れないハイヒールによって擦りむけた真っ赤な爪先。靴ズレによって見た目も派手に真っ赤に染まった爪先だが、この程度の痛み我慢出来ない訳ではない。再び立ち上がろうと足に力を込めようとした時、ふわりと全身が中に持ち上がる。「これでは帰れないな、プリンセス」 降り落ちた低い声とギザな台詞。背中と膝を抱えられた 所謂お姫様だっこ状態に、処理落ちした脳内が熱をもってパンクを知らせる。おいおい、これは一体どういうことだ。「ラ、ライ?なにするんですか」「おい、あまり暴れるとドレスが捲れるぞ」 降ろせとばたばた暴れる足によって顕になった褐色の足。大胆に入れてしまったスリットによってそれはかなり際どいところまで捲りあがっている。あわあわと慌ててそれを直し、ぎろりとその男を睨みつける。「どこ見ているんですか、このエッチっ」「スケッチ」「ワンタッチ…じゃない!」 どうしたらそのワードに繋がるんだ問い詰めたいくらいの懐かしいライのその言葉に、どんどんと胸元を叩いて抵抗する。この状況でどうしてその言葉が出てくるんだ。「痛いぞ、バーボン。君こそノリノリだったじゃかいか…」 その立ちの悪い抵抗にライは困ったように眉を下げ、そして静かに頬へと口づけを落とす。今までの熱のこもった大人のキスではなく、まるで子供をあやすようなただそっと触れるだけのキス。「カボチャの馬車ではなくて申し訳ないがさっさと城へと戻ろう、静かにしてくれよプリンセス」「っライ」 唇の触れた部分から、かぁあああと頬が熱くなるのが嫌にでも感じられた。乗り心地の悪いカボチャの馬車は偽もののプリンセスを乗せて朝の霧の中をかけていく。朝の冷たい風が頬にあたるも熱を持ったその頬は中々冷めてはくれない。林檎のように真っ赤に染まった赤い頬。あぁやめろ恥ずかしい、こっちをみるな!この、あんぽんたん! [chapter:ハイヒールで駆け抜けろ!]