2007年11月 3日 (土)

[朝食]
抜き。おなかいっぱい
(ジツハキノウノヨル、シンオオサカデカッタ『551蓬来屋』ノシュウマイ4コモタベマシタ)

さて!
今日は以前から行って見たかった倉敷に行くのである。一日倉敷をぶらぶらしたら、夜は岡山で食べる予定。昨日のバーで、偶然常連さんのフードジャーナリストの方がいて、倉敷・岡山のうまい店を教えてもらっていたのだ。

準備万端。新幹線に乗っていざ、倉敷!

昼飯に向かいがてら、恒例のスーパーチェック!
おお~、野菜がぴちぴちでうまそうじゃない?

魚はあまりたくさんなかったんだけど。。。

れんこ鯛がぴちぴちぴんぴん。昼網かな。

岡山と言えばさわら。いろんな切り方の種類で売っている。

でもお刺身は食べたことないかも。

旅だということを忘れてがんがん買い進む。更に自然薯やらなんやら買って、もう重い重い。

親切なお店のおばさんが、箱に入れて持ちやすくしてくれました。

お昼は教えていただいたおすし屋さんに行く。が、昼はやっていない。
がーん。

どうしようかーとうろうろ。
ふと路地をのぞくとこーんな看板が。。

ガイドブックにも載っていないが、なかなかよさげである。

よし、入ってみよう!
[昼食]
倉敷の鉄板焼きふるいちにて。
・豚玉    死ぬほど迷って、ビールは断念。

地元の方々でにぎわう店内は満席。
お好み焼きは、ふわっと柔らかくて、とっても美味しい。
惜しむらくは、関東女りきまるにとってはちょっとソースが甘いってことくらい。
相席で食べていたおばあさんのモダン焼きもものすごくうまそうだった。

野菜をコインロッカーにしまって町に戻り、一日ぶらぶら。
岡山で晩ご飯と思ったけど、野菜が重いのでここで食べて帰ることにした。

昼の入れなかったおすし屋さんに行ってみた。

[夕食]
倉敷の東田にて。
・お通しのたこ    ・ままかり酢漬け   ・とろろ蒸   ・ビール


たこが素晴らしく美味しい。味付けも素敵で、おつゆを飲んで味を確かめたりした。

とろろ蒸は言ってみれば、茶碗蒸の卵が山芋のすりおろしになったもの。
上品なおだしとゆずの香り。うんまい。

こうくれば、やはり日本酒をのまねばなるまい!
・熱燗

最近熱燗が好きだ。年取ったのかなあー。。
・おまかせにぎり

お鮨はまあまあだった。
一品料理はどれもうまい。もっと色々食べたかったなあー。
次回行くときは、お鮨は最後に数カンだけたのみたい気がする。

ああー、楽しかった!
岡山から新幹線で帰るとしよう。

[おまけ]
隣のおじさんのワンカップがとてもうらやましかったなあー。(おまえんだろ!!!)

酔って寝て、目が覚めたら東京だった。
長ーい一週間。明日はゆっくり休みたいな。

やってきました倉敷。やってきました大原美術館の街。


 
以前池波正太郎のエッセイで、「金持ちというのはこういう金の使い方をしなくてはいけない。」と語られていた大原美術館。ずっと行ってみたかったのだ。

大原美術館エントランス。とても素敵です。


入り口には狛犬ではなく、二体のロダンの像。
聖ヨハネと

カレーの市民

ブロンズって興味がなかったのだけど、これはびしびしとパワーが伝わってくる感じ。

ロダンって、『考える人』を作っていたときの助手と、不倫して同棲して捨てて妻んとこに戻ったんだよね。中にある『ロダン夫人の像』をワイドショー的興味で眺めるりきまる。
「おくさーん、たいへんでしたなあー。。」(コラコラ)

留学がかなわない日本の画学生に、一級の西洋絵画を見せてあげたい。
ただその一身で資財を投じて集められたコレクションの数々。バラエティ豊かでとても楽しめる。

有名な作家のものよりも、日本では知名度の低い画家の絵が特に気に入ったりした。
絵葉書の撮影なので、全然イマイチなのですが。。。
シャルル・コッテの『セコビアの夕景』。
 
街を染め上げる夕暮れの赤い陽。大きな大きな夕暮れの絵の前でなんどもたたずんだ。
1905年に、画家が、この街の人が美しいと感じた夕景を、りきまるも今共有している。
こんな感動も絵を見る楽しみの一つだ。

セガンティーニのアルプスの真昼。

セガンティーニの鮮烈な青空は、パレットで色を混ぜず、直接カンバスにいろんなブルーの絵の具を置いて表現するのだそうだ。
人間の幸せって、がつがつ働いて、人よりえらくなることより、こんなぽかぽかと晴れた気持ちのいい昼に、こんな場所でのんびりすることにあったりしてと思う。

7枚、横11メートルのベルギー象徴派の画家フレデリックの、『万有は死に帰す。されど神の愛は万有をして再び蘇らしめん』。今まで宗教画にあまり興味がなかったが、見た瞬間、心をぎゅっとつかまれるような感覚を覚えた。
左は死屍累々の地獄絵。真ん中には刃に倒れる少女。右は神による復活、ばらに包まれ復活した人々の楽園。

フレデリックは娘を惨殺されたあと、25年の歳月をかけてこの絵を描いた。真ん中の少女は彼の娘である。お嬢さんの鎮魂のため、彼自身のため、それだけの月日がかかったのだろう。

彼はこの絵を当初売りたがらなかったが、熱心にくどかれ手放すことを決意した。
後の調査で、後からバラの花3輪を書き足していたことがわかった。日本に旅立つ絵と娘へのはなむけと惜別の思いからだったのかもしれない。

美術館が建てられたのは、昭和5年。昭和恐慌の嵐吹き荒れる只中だった。

オーナーである大原孫三郎氏が、絵画の収集活動後早世した画家小島虎次郎の悲願を実現するために建設した美術館だ。

その後大原美術館は、戦中戦後を通じて沢山の人々に感動を与え、倉敷の古い町並みにしっとりとなじんてそこにあった。大原がなければ、倉敷はごく普通の地方都市として、普通に開発されていたのであろう。

まだ日本に西洋絵画などなかった時代、おそらく今のお金で何百億円もかけ、スポンサーと画家の二人が絵をひたすら収集。そして美術館建設。
二人の男の男気だけではない、狂気に近い熱狂がこの街を造り、この街を守ったのである。
池波正太郎の言葉を再び思い出す。

この街にはそのほかにも素敵なエピソードが一杯なんだよね。それはまた今度。
 


超駆け足の倉敷散歩。またゆっくり訪れたいな。日本って素敵だねえー。。。

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