BBCrix編集部
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松井秀喜がメジャーリーグに残した「人間性」という大きな評価

メジャーリーグで最も偉大な成績を残した日本人選手がイチローであれば、松井秀喜はその成績もさる事ながら、最もメジャーリーグで尊敬された日本人選手ではないでしょうか。常にチームの勝利を1番に考える献身的なプレースタイル、グラウンド内外での立ち振る舞い、記者やファンへの対応など。松井秀喜がメジャーリーグで示した礼節は、チームメイトやチーム関係者に留まらず、全てのベースボールファンに尊敬の念を抱かせたのです。

決して悪口を言わない松井秀喜

松井秀喜は決して人の悪口を言わないそうです。それは松井秀喜の父親の教えであり、松井秀喜が子供の頃、学校の友達の話をした時にその子の事を悪く言いました。すると父親は松井秀喜を「二度と人の悪口いうな」と叱りつけ、父親との約束だからと松井秀喜はそれ以降、人の悪口を言わなくなったと言います。

その教えを守り、甲子園で5打席連続敬遠をされた時も、松井秀喜は対戦相手を悪くいう事はありませんでした。松井秀喜がどんな場面でホームランを打ってもガッツポーズをしないのは、対戦相手に失礼だからだといいますが、根本にはこの父親の教えがあったからではないでしょうか。

親に叱られたことなどみんなあること。それを松井秀喜は約束として、ずっと守り続けているのは偉大な事であります。

読売ジャイアンツで孤立した松井秀喜

しかし、そんな松井秀喜の真摯な姿勢は時に反感を買うこともあったそうです。それは、松井秀喜が読売ジャイアンツに所属していた時の事でした。松井秀喜はチームメイトと行動を共にする事はほとんどなく、広報や貴社の人達と行動する事が多かったといいます。

特に清原和博が読売ジャイアンツに入団してから、それは顕著であったといいます。寡黙な松井秀喜とは対照的に、豪快でヤンチャな清原和博は次第にチームの中心となり、松井秀喜はより孤立していったといいます。性格や価値観が正反対だった松井秀喜と清原和博。この事が、松井秀喜にメジャーリーグ移籍を決断させた要因のひとつであったのかもしれません。

松井秀喜がメジャーリーグ移籍を悩んでいたとき、チームメイトで引きとめようとする人間はいなかったという話もあるほどです。

熱望したニューヨーク・ヤンキースでの松井秀喜

しかし、松井秀喜は自分を応援してくれているファンの事を思い、メジャーリーグ移籍は大きく悩んだといいます。移籍記者会見で松井秀喜は「何を言っても裏切り者と言われるかもしれない」「決断した以上は命を懸ける」と話しました。松井秀喜が悩みに悩んだ末の決断であった事が、読み取れる会見であり、それを悟った多くのファンは松井秀喜のメジャーリーグ挑戦を後押ししました。

そして、松井秀喜は念願だったニューヨーク・ヤンキースへ移籍を果たします。日本球界での10年間で、首位打者1回、本塁打王3回、打点王3回、そして7年連続30本塁打以上を記録し、移籍前年には50本塁打を放った松井秀喜。その成績から監督だったジョー・トーリは、松井秀喜を「バットをブンブン振り回すホームランバッター」という認識だったといいます。

ですが、ジョー・トーリが実際に目にした松井秀喜は、チームの勝利を一番に考えたチームバッティングをする選手でありました。日本球界でスーパースターだった実績のある松井秀喜が、どんな役割も文句ひとつ言わずにしっかりとこなしていく姿に、ジョー・トーリは深い感銘を受けたと言います。

それはチームメイト、球団関係者にも同じであり、長くニューヨーク・ヤンキースでキャプテンを務めたデレク・ジーターも「松井秀喜に代わる選手はいない」と、松井秀喜に対する大きなリスペクトを常に表現していました。ジョー・トーリは松井秀喜の契約更改時に「世界中の金を集めてでもヤンキースは松井秀喜と契約するべきだ」とコメントし、デレク・ジーターは「松井秀喜と一緒に黄金時代を築きたい」とまで言っているのです。

松井秀喜の成績はもちろん素晴らしいものでありましたが、それ以上に松井秀喜という人物への評価は何ものにも変えがたいものであったのです。

ワールドシリーズMVPを獲得した松井秀喜

本塁打の数こそ少なかったものの、松井秀喜はメジャーリーグで3年連続の100打点を達成。名実ともにニューヨーク・ヤンキースの看板選手となった松井秀喜。しかし、松井秀喜は古傷のある膝の状態が悪化。次第に守備につけない状態となり、指名打者での出場が増えていきます。ヤンキースでの最終年となった2009年には、松井秀喜は全ての試合で指名打者、もしくは代打での出場となります。

それは、この年のワールドシリーズへチームが進出しても変わりませんでした。しかし、松井秀喜はこの限られたチャンスで結果を残します。ワールドシリーズでの松井秀喜の成績は13打数8安打、3本塁打8打点。チーム9年振りのワールドチャンピオンに松井秀喜は大きく貢献しました。

そして会場からの「MVP!」コールに後押しされ、日本人選手として初のワールドシリーズMVPに松井秀喜は輝いたのです。

松井秀喜は信念を貫く

その後、松井秀喜はロサンゼルス・エンゼルス、オークランド・アスレチックス、タンパベイ・レイズを渡り歩き、2012年に引退を表明します。日本球界で10年、メジャーリーグで10年に渡って活躍を続けた松井秀喜は、多くの関係者、ファンに惜しまれながらも球界を去りました。

日本球界には復帰せず、松井秀喜がメジャーリーガーとして引退したのは、移籍記者会見で話した「決断した以上は命を懸ける」という言葉を裏切らない為だったかもしれません。

引退に際して「松井秀喜はヤンキースで最も人間的に優れた人物の1人」と称され、ニューヨーク・タイムズ紙で2ページに渡って特集が組ました。それほど、松井秀喜はアメリカのベースボールファンに愛された選手であったのです。

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