もの心がつくかつかないかの頃から、母に連れられてよく行く家がありました。
でもなぜかその家に行く時は、必ず母とふたり、
祖母や父が一緒だった記憶はありません。
東京の山手線のとある駅からおり、駅前のにぎやかな商店街から
小さな路地に入ったところ、
下町の匂いがしてくる家々が建てこんだ細い路地にその家はありました。
ガラガラと木の引き戸をくぐり
「こんにちは」と言いながら、母はもう履物をぬいでいます。
あがってすぐにたしか小さな茶の間があり、よくそこでお茶を飲んだり話をしたりする母の記憶があります。
何よりいちばん印象に残っているのが、その茶の間から続いて
広い板の間の部屋があったこと。
広さにして20畳ほどもあったでしょうか、それとも子供の頃だから広く見えたのかな。
とにかく広くて、よくそこをくるくると走ったりしたものですが、
明り取りの窓がなかったか、窓はあっても隣の家がすぐ近くで日があまりささなかったのか、
明かりを消してある昼間には、なんとなく薄暗い部屋だったと思います。
母はそこで遊ぶ私をみながら、
茶の間で、小さな頃から時々わが家を訪れるお婆さんと話していました。
私は、そのお婆さんのことを、
地名をあたまにつけて、「〇〇のおばあちゃん」と呼んでいました。
母と私は、このお婆さんと、そのお婆さんの家族とも
ごくたまに一緒に旅行に行く時もありました。
そこの家の女の子は、私よりひとつ年下。
とっても色白で、私とふたりならぶと、母がよく
ロゼット洗顔パスタの白子と黒子みたいと笑っていました。
旅行の時に、その子が祖母であるそのお婆さんに
「ねえ、おばあちゃん、私と〇〇ちゃん、どっちが可愛い?」
そんなことを訊いたことがありました。
するとそのお婆さんは、
「もちろん〇ちゃんだけど、歯の抜けたところは〇〇ちゃんのほうが可愛いなあ」
そう言いながら、私をみていました。
ちょうど乳歯が生え変わる頃だった私ですが
歯がぬけたところなんて、褒められてもちっともうれしくなくて、
うちのお祖母ちゃんがいれば、
私のほうが可愛いと言ってくれるのにと、内心むっとしたことをおぼえています。
何度も訪れる家でしたが、
そんな些細なエピソードもあってか、
私はあまりこの家が好きではありませんでした。
特に、なんとなくくつろいで、家では見せないような様子でそのお婆さんと話す母も
どこか遠いところにいるようで嫌だったし、
なぜか落ち着かなく、心もとないような気持ちになるのでした。
私が小学校にあがる頃から、だんだんその家に行く回数は減りましたが
きっと母はひとりで訪ねていたのだと思います。
お婆さんのほうは逆に、たびたびわが家を訪れるようになり、
そうすると決まって祖母の機嫌が悪くなるのが不思議でした。
中学にあがった頃に、母から打ち明けられたことで、その謎はとけました。
その話とは
お母さんは、お祖母ちゃんの実の娘ではないこと
生まれてすぐに当時北海道の静内ですぐ隣の家の
子供に恵まれなかったご夫婦に望んでもらわれたこと、そこで慈しみ育てられたこと。
そんな話でした。
ただ何の偶然か、私が生まれたのを機に札幌にいた祖母をこちらに引き取りに行った時
一緒の列車で、生みの母と出逢ってしまったというのです。
どんな運命のいたずらだったのでしょうか、母はその列車で実母と会うまでの30数年、
一度も実母とは会うことなくすごしていたとのこと、
祖母と、母の実母が顔を合わせてわかったのでしょうか。
ただほんとうの事の真相は母か祖母しか知らないことで、
てっきり父も知ってることかと思っていたら、父には詳しい経緯はわからず
その北海道からの帰りに乗りあわせた列車で会ったという
私と同じことしかわかりませんでした。
母も祖母も他界した今は誰もそのほんとうのところはわからずじまいです。
いずれにしても、それを機にたびたび会うようになった母と実母だったようで
あの大きな板の間は、
母の弟にあたる人が、歌舞伎のお三味線をひいていて、
どういう関係があるのか、そこは日舞の練習場にもなっていたというのです。
一種独特の雰囲気があって、
今もあの薄暗い板の間はおぼろに記憶によみがえります。
早くに父をなくし、その後は母親の女手ひとつで育てられた母でしたので
それは一番大切に想うのは、一緒にすごした母親のことだったでしょうが、
祖母の気性の激しさに翻弄されることもたびたびあったためか、
はたまたやはり血が呼ぶのか、
実母のところへも時おり顔を出しては、ほっとしていたのかもしれません。
そのくつろいだ姿の母をみて、幼心にも何か感じるものがあったのでしょう。
私はどうしても、その家に馴染みませんでした。
母がなくなってからも、〇〇のおばああちゃんからは時々私あてに電話がありました。
結局もらわれていった娘がいちばん頼りにするところになってしまったその人は
母がなくなってからも、私を代わりのように可愛く想っていたようなのですが
私としては残された祖母を守るのが先で、
そちらのお祖母ちゃんのことまで考える心のゆとりはもてないまま、
電話でさびしさをきくことしかできず、
また我が子を手放した詳しい事情もわからぬまま、つれない対応をしたこともあり
それ以来、疎遠になってしまいました。
その祖母も、もうとおに亡くなっていることでしょう。
あの細い路地を小さな私の手を引いて実母のもとへ通った母は、
いったい何を想っていたのでしょうか。
この歳になって、そんな母の気持ちを考えてみるようになり、
また母が健在で歳を重ねていたら、
あの〇〇のおばあちゃんのような面差しだったのだろうかとか、
そんなことも思うようになりました。
いずれにしても、今となっては、もうなにもわかりません。
でもきっと、わからないままでよかったということもあるのでしょう。
桜は一年前に撮った桜、記事は、非公開で書いてあった記事です。
桜のたよりをきき、公開してもいいかなと思いました。