デトックスでリセット

春はデトックスの季節、というのが、今年は顕著に感じられた年でした。
どういうことかというと・・・・、今年の春は、しんどかった~~~!!!

私がこういうことを書くと生徒さんに、
「え~、先生でもそんなことがあるの?」と驚かれるのですが、
これはちょっと久しぶりにひどい感じでした。

あ、一回全部クレンジングしないとマズイ、と・・・。

デトックス。
色々やり方あると思いますが。
アーユルヴェーダでは、とにかくアーマ(未消化物)をどうにかしよう、と考えます。
アーマ(未消化物)は「病の元」と考えられていて、粘液性のある便や、舌苔その他で、
アーマが溜まっているか、チェックすることができます。
溜まっていると体にも様々な症状が出てくる。春はそういうのが出る季節です。

アーマは肉体だけでなく、メンタルにも蓄積されると言われていて、
頭の中がゴチャゴチャ、ざわざわしている状態をメンタル的なアーマと言う先生もいます。
創造的なことをすることでそれを外に出すことを、「クリエーティブリリース」と言います。
日記を書く、絵を描くなどして、カチカチ頭にならないようにします。

なぜ、未消化物が体に溜まるか。
それは消化の機能がきちんと働いていないから。
なぜ、消化の機能が落ちるのか。
それはドーシャ(体質)のバランスが崩れているから。

ドーシャのバランスが崩れる → 消化機能が下がる → アーマが溜まる → さらにドーシャが崩れる
というような悪循環になっていきます。

ドーシャ(体質)のバランスが崩れると、とにかくそれをどうにかしよう、と思いがちです。
(もちろん、それも大事です!)

だけど、アーマ(未消化物)がすでに溜まってしまっているのであれば、
ドーシャ(体質)を整えようとするよりも先に、
まずアーマを外に出す、ということが大事と考えるようです。

ということで、3月はとにかくアーマを出す!作業をしていました。

久しぶりにコーヒーエネマを数回。
エネマは体を冷やすので、ヴァータ体質の私は普段はあまり行わないのですが、
「これはやらないとまずい・・・」、というような状態でした。

毎日、舌苔取り。

去年から食べていた、魚をすべてストップ。一旦菜食に全部戻して・・・。

食事の量を8分の1くらいに減らし、ほとんど何も食べずに過ごす数日。

朝一番の白湯。

ショウガ。

まさに、「全部やり直し!」という感じでした。

ホント、体も、メンタルも、未消化だったものが、どっと出たのですね。
好転反応か、最初はすごいことになり、体中に湿疹が出ました。

今年2月末から3月末まで、実はとても!! 忙しかった。
忙しい、とは、「心」を「亡くす」と書きます。
ヴァータがどんどん上がっていました。
それと同時に、冬に溜まった要らないものが出てくる(カファ)。
それに加え、忙しさ → イライラが増す(ピッタが上がる)。

バランスって崩れると、「さらに崩れるぞ~」とそれを助長させるような生活をしてしまいがち!!

で、一旦「ストップ!」し、デトックス作業。めちゃくちゃ反省したのです。
もっと余裕を持っていかないと!

今はかなりすっきりして、湿疹も全部なくなりました。
4月に入って5日間、毎日海津温泉に通い、トロトロになり。
朝5時~ヨガと瞑想。

体を調整って、なんとなく、これをしたら良い、というのがあって。
でもこれって、誰でも同じことをすれば良いわけではないと思うので、
私もこれまで、色々やってきて、「これは違う」と思ったものは、やるのをやめます。

しかし、湿疹が出ている最中に、通訳の仕事もしましたが、仕事にも正直、集中し切れなかった。
体って大事!改めて、教えられました。


アーマ(未消化物)の話に戻りますが、人生にも、沢山の未消化物があります。

おもしろいことに、今回はメンタルも、人生の未消化物も、どどーーーっと一緒に襲ってきたのです。

人生って、「うん、もうこれで大丈夫。私は穏やかな人生を送っている~」と思っていると、
びっくりするような、思いがけない苦しいことが起こったりするものです。
そういうとても苦しいような体験でも、それがたくさんのことを教えてくれている。

だから、人生の「デトックスの時」でもあったのです。

人生で起こってくるマイナスなことに、そのもっと深いところに、どんなメッセージがあるのか。

私たちは、マイナスなことが起こると、それに関わっていた人を恨んだり、自分に怒りを感じたりします。
だけど、人生のあらゆる出来事に「愛」をもって取り組みたい。人生を信じて取り組みたい。
それを再度、練習する、大切な大切な機会を、与えられたのでした。

毎日瞑想をする。
心が勝手な思い込みに走ろうとする時ほど、不確実な不安がある時ほど、瞑想をする。
一旦、天に任せてみる。
そしてすべてのアクションは「愛」「源」から起こしていく。それは思考とはかけ離れたことです。

「愛」。
「誰かを愛する」というと、愛が「行動」になります。
(文法的に言うと、動詞ってことです)。

でも、愛って、「行動」ではない。愛は、状態であり、行うことではない。

だから、「ちゃんと愛さなければ」とか、「愛のある人でいなければ」とか、
そういうことは、本当は、考えなくても良いことです。

愛を懇願しなくなった時、本当に自分や他と親密になれる。

doer (行う)から、being(そこにある)状態になった時、人生は自然に開けていきます。
そして限りのない祝福に満たされます。

でも、私たちって、よくそれを、忘れる!

だから、ヨガや瞑想をして、そこに戻ってくれば良い。

体も、メンタルも人生も、クレンジング三昧の春でした。
湿疹も治ったし、沢山のメッセージを受け取った。

それは、思考ではなく。
大いなるものの声!であり・・・。
コミュニケーションしている、コミュニオン(共にある)の状態にいる。
苦しい時は、それを教えてもらう、絶好のチャンスなのです。