(U2が初めて表紙を飾ったホットプレス)
実際に仕事については、完全に僕の能力を超えていた。コンピューターとデスクトップが登場する以前、雑誌のレイアウトは手作業で行われており、ホットプレスのリソース不足によって、それはより複雑なものになっていた。編集者を通じてジャーナリストから生のコピーを貰うのだが、それはバンパーパッドにボールペンで書きつけたほとんど判読できないパンフレットのようなもので、植字工にコピーしてもらうために、僕たちは正しい文字サイズを指示しなければならなかった。コピーができると、定規と外科用メスで切り刻み、無色の接着剤でA3の透写紙(格子状)に貼りつけた。ヘッドラインは苦労してレトラセットで削除した。グラフィックタッチも手書き。写真のサイズを計算して、余白を残す傍ら、オリジナルの写真はページごとに印刷所に送って、臭化銀という印刷用の少量の凝固物に変換した。カラーオーバーレイと特別の指示は予備の透写紙に(黒色で)付け足した。アイルランドで一番安いという理由で選ばれた印刷所は、何百マイルも離れたケリーにあり、そのため雑誌が刷り上がる前にページや誤植を調べる機会がなかったが、それでもどうしようもなかった。
これらのことはすべて未知のことだったが、僕ははったりをかますことにした。最初の数ヶ月は綱渡りをしている感覚で、少し風が吹いてもバランスを崩しそうになった。僕の進歩は痛々しいほど遅かったが、沢山お喋りをして、自分の至らなさを(特にマイリンから)誤魔化した。夜まで働き、皆がいなくなった後も自主的に居残って仕事を仕上げた。空っぽのオフィスで一人で仕事に取り組み、自分のページを合格レベルにまで引き上げた。時には深夜にまで及ぶこともあり、そういうとき、僕はオフィスの廊下で寝て、快適には程遠い数時間の睡眠を取った後、起き出してアート・カレッジへ行って一日を始めた。そして学校が終わると、ホットプレスに取って返して、また仕事に励むのだ。二度目にこういうことをした時、長丁場に備えて、パック入りの朝食を持っていった。シリアルとミルクでなんとか一晩持たせたが、朝になって、いざタッパーウェアを開けて、不味そうな食事をみると食欲が失せてしまい、全部窓の外へ捨ててしまった。その夜、ホットプレスの下にオフィスを構える事務弁護士が、その三階の窓がコーンフレークでべたべたに濡れていると文句を垂れていたという話を皆がしていた。僕は言葉もなかった。「山羊が彼の書類を食べてしまってから、彼は人が変わってしまったわね」とマイリンは溜息を吐いた。
そして徐々に僕は仕事の要領を飲みこみ始め、ホットプレスを一緒に作っているウイットに富んだ情熱的なチームの一員であることを楽しむようになった。オフィスライフは果てしなくスリリングで、ニールの冷静に人材を育てようとする庇護を受けながら、クリエイティビティとユーモアを駆使して仕事をこなしていった。彼は温かさと賢さと善意を以て、この弱小企業を全般に渡り舵取りをしていた。しばらくするとマイリン(ニールの仕事とともに人生のパートナー)も僕に温かく接するようになった。アイルランドのロックカルチャーの坩堝にいる感覚だった。僕は無料でギグに行け、最新のレコードの見本を持ち帰れた。時には電話でアイルランドロックのレジェンドと話すこともあった。
「ロリー・ギャラガーが電話をかけ直すってニールに伝えてくれ」
僕は受話器をしげしげと見つめた。「ロリー・ギャラガー?」と僕は言った。
「そうだ」
「ギタリストのロリー・ギャラガーですか?」
「ニールにそう伝えておけ、糞ったれ!」
今すぐホウスに帰って、ロリー・ギャラガーと話したんだ、と友達に自慢したかった。会話の内容など問題ではなかった。彼はスターだった。そしてこの僕と話したんだ!
*
ある日、ボノとエッジが、最新のギグを売りこむために、オフィスにやって来た。彼らはクラスメートがこの神聖な地にいるのを見て、目をぱちくりさせた。
「ここで何をやっているんだ?」
ボノが明らかに困惑気味に尋ねた。
「働いているのさ」と言って僕はにやりと笑った。「僕が君に質問しないとね」
「バンドはここに来ては駄目なのよ」とマイリンが嗜めた。
「いいんだ」と僕は言った。「彼らは僕と一緒だ」
会話はすぐに音楽の話になった。The Modulatorsは大抵金曜日の夜にコミュニティ・センターで前座としてギグをしていた。ドラマーの問題はまだ解決していなかった。一度、ホープレス・エリックという地元の人間をドラマーに迎えてギグを行ったが、悲しいまでのそのあだ名どおりの男だった。彼はリハーサル中ずっと麻薬をやっていて、ステージではびくびくして、緊張で震えっぱなしで、すぐに逃げ出してしまって、二度と姿を見せなかった。その後、ポール・バーン(
後にIn Tua Nua)がドラマーの座についた。近所の友達でホウス一の若いドラマーだったが、ステージでは、自分はバンドのメンバーではないと説明してくれ、と主張した。
「そこにいる女の子たちに僕のことをパンクスだと思ってほしくないんだ」というのがその理由だった。
僕は地元のセレブの地位を楽しんでいたが、すぐにその名声は打ち砕かれた。ある日、ホウスヒルを歩いていると、同じ年齢くらいの二人組の少年に喧嘩を吹っかけられ、柔道の技で地面に叩きつけられた。そして僕が立ち上がろうとする度に、僕の脚を蹴り上げられたのだ。
「ギターは弾けても喧嘩はできないんだな!」と少年の一人が叫んだ。
「ギターさえ弾けないよ!」と僕は反論した。明らかに人違いだった。彼らが憎んでいたのはイヴァンだった。
僕はこの話をボノとエッジに面白可笑しく話した。が、U2も若いバンドが直面するトラブルと無縁なわけではなかった。エッジはクロフトン空港ホテルでのギグの話を僕にした。なんでもそのギグは観客が六人しかおらず、しかもそのうち三人は他のバンドのギグだと思ってやって来たのだという。
「これまでで最低のギグだった」とエッジが言った。
「けれどいい面も見ろよ」とボノが言った。「たった六人しかあのギグを観ていないんだぜ」
けれども一番の災難だったのは、
The Greedy Bastardsの前座として出演したスターダスト・ボールルームでの十二月のギグだ。The Greedy BastardsはThin LizzyとSex Pstolsのメンバーが結成した単発のプロジェクトで、街一番のホットなライブであり、アイルランドで音楽業界関係者やダブリンのヒップな音楽ファンが一同に集まったのだが、The Greedy Bastards側の段取りが悪く、U2はサウンドチェックなしに本番に臨むことになった。最初の曲の「Out Of Control」延長ヴァージョンでは、サウンドマンの力を借りて一人ずつ楽器を弾いて、なんとか事に対処しようとしたが、観客はボノが歌い始める前から騒いでいた。イヴァンと僕は、僕たちが知っているダイナミックで刺激的なグループが、アマチュアバンドのような醜態を晒していることが理解できず、信じられない気持ちで観ていた。皆の希望の星なのに! 「誰でも面子を潰されることはあるよ」とボノは言った。「重要なのはそれでも自分を奮い立たせることだ」
*
それは分かる。ジョンが「僕にはロックンロールのライフスタイルは合わないよ」と不届きなことを言って、The Modulatorsを脱退すると言ってきた。僕は信じられない気持ちで彼を見た。一体どんな障害があるというのだ? 僕たちはグルーピーと騒いだりもしないし、麻薬もやらない。ただコミュニティ・センターでたまにギグをやるだけではないか。が、すぐにジョンは、僕たちがフランクにしたことをしただけということが分かった。彼はポール・バーン
とSounds Unreelというプログレバンドを結成したのだ。ジョンのアフロヘアとポールのドライヤーでブローしたふわふわした髪型は、そのバンドではさほど場違いではなかった。
僕は新しいベーシストとしてデヴィッド・パーカーズを雇った。彼は楽器を弾けるという点において、以前その地位を占めていた他の誰よりも明らかに秀でていた。が、ベースではなかった。念のために言っておくが、事前に何度もたしかめたのだ。けれども彼は腕のいいクラシックのギタリストだったので、イヴァンはその才能を六本の弦から四本の弦に移さなければならないと彼に伝えた。ホットプレスに出した広告で、僕たちは、保護観察処分も受けておらず、麻薬の誘惑を受けているという被害妄想にも陥っておらず、公演の前に責任放棄したりしないドラマーを雇った。ジョニー・マコーマック(ありがたいことに血縁関係にはない)というダブリンの生意気な若者で、僕たちよりも少し年上で(彼は二十二~二十三歳で、古代人のようだった)、僕たちとの間にはほとんど共通点はなかったが、僕たちのバンドでドラマーをやりたがっていたので、それだけで十分、契約を結ぶに値した。
1979年の夏、僕たちはロックへの準備を整えた。あるいはポップに対する準備というべきかもしれない。やりたい音楽についての僕たちの考えは一致し始めていて、イヴァンと僕はロックというジャンルには本質的に限界があると考えるようになっていた。自分たちのことを恐ろしいほど真面目に考え、その効果において、サウンドの衝撃に頼りきっているバンドは腐るほどいた。僕たちは歌が好きだった。ヴァース、コーラス、ブリッジのすべてが。僕たちのヒーローはThe Beatlesで、異なるスタイルの音楽を合わせる余地がふんだんにある音楽のプラットフォームを作りたいと思っていた。僕たちの野心は有名になることだった。僕たちのヴィジョンの核となるキーワードはポップミュージックだった。
「ポップミュージックだよ」とあるギグの後、僕はボノにそう言って、芸術的エリートイズムに対する拒否感と結びついた僕の考えを説明した。「ポップミュージックこそが人気があって、みんなが聴きたがって、たとえバンドがそこにいなくても聴いたり歌ったりしているものだ。ポップミュージックを作るべきだ」
「でっかいベースドラムをその尻に突っこめ!」とボノはこの考えに真っ向から反論した。「U2はロックバンドだ」
「僕が話しているのは、The Jam、The Boomtown Rats、Ramonesのことだよ……」と僕はバンドの名前をすらすら口にした(恐らくニューウエーブ期にもっとも人気があったピンナップガール・デボラ・ハリー《Blondie》の名前を出そうかどうか迷って、数秒間、止まってしまったに違いない)。
「派手派手しいディスコミュージックやユーロヴィジョンのことを言っているんじゃない。ニューウエーブのポップだ。騒々しいやつさ!」
「朝食のシリアルみたいな音楽をやろうっていうのかい?」とボノは疑わしそうに笑った。「それがポップミュージックの問題だよ! まるで音楽の缶詰だ。ロックはスーパーマーケットの棚には似合わないよ」
「もちろんだ。でも人気が出たロックは間違いなくポップミュージックだ」
「僕たちのことをポップと呼ぶのは侮辱だ」とボノは反論した。「ポップには実体がないよ。泡のように現れて……そして消えるだけだ。けれどもロックは何があろうとも残る。嵐が吹こうが、波が立とうが、壊すことなんかできないんだ」
僕たちはこんなことを長時間(そして頻繁に)話しあった。が、僕たちが意見の一致を見たか否かに関わらず、ボノはU2のマクグナグルでのギグを新生The Modulatorsの前座デビューの場として提供してくれた。彼らは「ジングルベル」という一ヶ月に渡る企画を計画していて、関心を惹くために「七月のクリスマス!」という戦略的広告を打って宣伝していた。ステージ中にクリスマスの飾りつけをして、その背後にサンタクロースのマスクを一列に飾り、様々な意匠を凝らして、毎週スペシャルゲストやサプライズゲストを用意するというのだ。集まった人たちにとって、The Modulatorsがどれほどのサプライズなのか分からないが、とにかく僕たちのダブリンデビューは大成功に終わった。僕たちはオリジナル曲とカバー曲を織り交ぜたセットをやって、アンコールの大歓声を受けて、Ramonesの「Kill That Girl」のリフを延々と演奏し、ロッキー・デ・ヴァレラの影響を大いに受けた、偽宣教師スタイルロックンロールのコール・アンド・レスポンスで締めくくり、僕の殺人的意図を証明したのだった。思い返すと、いまだに気になる異性に拒否された夏の思い出も関係しているだろう。
僕たちはホットプレスから初めてインタビューを受けた。「The Modulators(最初のギグで見せた醜態が嘘のように熱狂的だった)は、素晴らしいヴォーカリストを擁している。彼は疑いようもなく地元の有力ミュージシャンだ」これを書いたのは上司のカールだが、僕が彼の趣味を尋ねたり、判断を仰いだりしたことがあっただろうか?
*
U2は別格だった。当時既に、彼らが将来どうなるのか、僕は気づいてた。ダンデン・マーケットの隣にある使われていない駐車場で土曜日の午後に六週間連続で行われたギグや一ヶ月以上に渡るマクゴナグルズでのギグで、僕の目と耳の前で約束された未来が突然花開くのを目撃した。彼らは白熱したモダンなロックバンドで、パフォーマンスという灼熱の溶鉱炉の中で自分たちのアイデンティティを築いていた。エッジには心を揺さぶられた。足でエフェクト・セットを駆使してリバーブやリピートやディレイといった効果を生み出し、さらにパワーコードを重ねてハーモニーを奏で、明るいエリクトリック・サウンドの回転や閃光や爆発を生み出すことによって、ギターを六弦のオーケストラに変貌させていた。アダムとラリーは彼の後ろで轟音を鳴り響かせ、ロックの壁を花開かせていた。そしてボノはストリングベストと黒と白のピエロ風のズボンという格好をして(彼は決っしてファッションアイコンではなかった)、髪を汗まみれの額に張りつかせながら、観客に呼びかけ、宥めすかし、音楽と観客に身を委ねていた。
ステージの両側には白いスクリーンが設けられ、後ろから照明が当てられていた。男の幻想の手本を元気いっぱいに歌った「Stories For Boys」を演奏している最中、ボノはアリソンをステージに上げて、二人してスクリーンの後ろに消え、お互いの身体をまさぐったり、抱きあったりするシルエットを映し出した。この影絵とハイテクを駆使したZoo TVのディスプレイとの間には大きな隔たりがあるが、U2のマルチメディアに対する野心はこの頃から健在だったのだ。
八月のホウス・コミュニティ・センターのギグで再び僕たちは前座を務めた。ここは僕たちの縄張りで、ホールは満員、The Modulatorsは素晴らしい演奏を披露した。それからU2が登場して、建物の屋根を吹っ飛ばした。彼
らは「Cartoon World」という強烈なニューウエーブ・ロックを披露した(僕が聞いた話では、曲を書いたのはエッジで、だから「オー、エー、オー」という雄叫びを多用することなく、歌詞は完成されていた)。ぶっとい断続的なギターに向かって、ボノは段々性格が機能障害的になっていく普通の人々の面白可笑しく描写し、最後、「ジャックのジルが丘を登っていく/花を摘んで、ピルを飲んで」という印象深い対句で締めくくった。ボノは最大限のショウマンシップを以てオチを叫び、エッジのギターコーラスに突入すると手を高々と掲げた。観客は熱狂した。僕にとってはキャヴァン(キャヴァン州の州都)のThe Beatlesとも言うべき体験だった。アイルランドにやって来た有名人のコンサートにはすべて足を運んでいたが、U2のギグはいつも特別だった。
ライブが終わった後、アリソン(もしくはアリ。この頃にはみんなアリと呼ぶようになっていたので、これからアリで行こう)が、僕のところにやって来た。その時、僕は地元のファンと喋っていたのだが、偶然にもそこにいたのはみんな女の子だった(率直に言って、僕は女の子のファン以外には興味なかった)。
「あなたからは目を離せないわね、マコーミック」と彼女は言った。「いつも女の子に囲まれているじゃないの」
「見張ってなけりゃいけないのは君のボーイフレンドだよ」と僕は言った。「ボノは大スターになるぜ」
「あら、彼のことは気にしないで」とアリは言った。「彼はいつでも自分のことをスターだと思っているのよ。彼を地上に降ろすのが私の役目なの」