| 『古今著聞集』「巻第十六」(興言利口)に「中間法師山伏鋳物師同宿し山伏偽りて遊女を侵し後朝争論の事」という話がある。
天王寺から京へ上ろうとしていた中間法師が、途中、山伏と鋳物師と道連れになり、今津あたりで遊女が主をしている宿に泊まった。みんなが寝静まったところで、山伏がむっくと起き上がり、髪の毛を束ね始め、やがて爆睡中の鋳物師のゑぼしを拝借し、遊女が寝ている部屋を叩いた。それを中間法師がタヌキ寝入りで見ている。
《「たそ」と問へば、「われはやどりうどにて侍り。これの御かまを見れば、かたかまばかりありて、わきがまなし。さだめてほしくおもはせ給らん。かく候物はいもじにて候ぞ。まいらせんはいかに」といひければ、君いとよき事とおもひて、すなわちうちへいれてねにけり。さて事どもよくして、そのきたりつるゑぼしをば、きみが枕にとどめおきて、あからさまなるやうにていでにけり。其後もとのごとくにかみみだして、かたのごとくおこなひする由して、のこりの輩にいふやう、「つれたてまつるべく侍れども、いそぎたる事あれば、さきだちて上り侍べるぞ」といへば、「いかに、いでたちの事したためてこそは」などととめけれども、きかでいでぬ。其後、此のいもじゑぼしをもとめけれども、なかりければ、おぼつかなかりけること限りなし。さる程に、夜あけにければ、君をきていもじにいふやう、「やくそくのかまはいづくにあるぞ。はやくたべ」とせむ。おほかたしらぬ事なれば、かたくあらがふ。其時君、「そらぼけなしたまひそ。ゑぼしはここにあるは。たれにぬりつけんとて、かくほどに人をいだしぬかんとするぞ。すみやかにやくそくのままに給ふべし」とせめかけければ、いもじあきれさはぎて、「いかにもいかにもさる事侍らず。いかにかかる無実をば、げにげにとのたまふぞ」とこたへゐたれども、あへてもちゐず。「なにとわぜうめいふぞ。としはよりたれども、ちうぼうは六寸ばかりにて、わか物よりはしたたかにしたりつるは」といふに、いもじききもあへず、「あな冥加、天道神仏はわしましけるは。これ見給へ。六寸の物はかかるか」とて、わづかなるこまらの、しかもきぬかづきしたるをかきいだしたりければ、君いふことなかりけり。隣のものまでも聞きて、此山ぶししてけりと、にくみわらひけり。さていもじが難はのがれて、上りにけるとなむ。》
それにしても、この山伏、鋳物師に成りすまし、釜をやるからと、でまかせを云い、《事どもよくし》た後、烏帽子を遊女の部屋に残して逐電とは相当な食わせ者であり、鋳物師にしてみれば、《難はのがれて、上りにけるとなむ。》と、一見めでたし、めでたしで話は締めくくられてはいるものの、なんとも、みもふたもない話としかいいようがない。
それと、話はそれるが、《事どもよくして》とは簡にして要を得た見事な言葉だと感心する。実にうまい言い方であるし、なかなか使い勝手がいい。
また、まんまと騙された遊女の追及が怖い。「そらぼけなしたまひそ」なんて、どこかの政党党首に使ってみたくなる。そして、鋳物師のことばに切れた遊女は「事ども」について暴露する。
「なにとわぜうめいふぞ。としはよりたれども、ちうぼうは六寸ばかりにて、わか物よりはしたたかにしたりつるは」。これを現代語に訳すとなると問題がありそうだから、やめておく。一つだけ、「ちうぼう」とは男根のこと。
この説話の面白さは、大きいことではなく、小さいことが幸いしたというところにあるのかもしれない。だいたい、男というものは馬鹿なもので、なにかと大きさを誇るものなのだ。たとえば、こんな話がある。
《マリウス君は南仏一の水泳の名手。パリで開かれるセーヌ川競泳全国大会に、マルセーユ選手としてはるばる出場した。 定めし第一着であろうと、郷土の人たちは口々に噂していたが、当日の夕方、マリウス君が途中棄権したという知らせがはいり、一同あっけにとられた。
翌日マリウス君がしょんぼり帰って来たので、どうしたと訊くと、
「泳ぐにも泳げんのだ。スタートでは300メートルも抜いていたが、泳ぐほどにマルセーユのことを思い出した。マルセーユのこと、きみたちのこと、それから女房のこと・・・・・丸ぽちゃの女房のこと・・・・・するとたちまち変なことになり、川底につかえて泳げなくなった」
「背泳ぎすればよかったのに」
「途方もない。上には橋がある!」》
ところが、鋳物師は自分の物の小ささに助けられ、思わず、《あぁ、ありがたや、神も仏も本当にいらっしゃるものなんだなぁ》と、証拠物件を開示するのだが、それが《わづかなるこまら》で、《しかもきぬかづき》していたというのだ。
おそらく、当時、すでに、天津麻羅に象徴されるような鍛冶に関する俗信があったのではなかろうか。むろん、現代においても、川崎金山神社の「かなまら祭り」に見られるように、その俗信はなお生きている。 http://www.tomuraya.co.jp/wakamiya-10.htm
『宇治拾遺物語』の「隋求陀羅尼額に籠むる法師の事」にしても、上の話にしても、山伏と鋳物師との関係がすこぶるよく似ている。
かつて、山伏や鍛冶、鋳物師らは、彼らが持っていた特殊技術から、神とも鬼ともみなされた時代があったのであろうが、鎌倉期になると、武士階級の台頭から、武器の需要が高まり、それに連れて、供給サイドとして金属の在り処を探し当てたり、金属精錬に従事する人たちも増加し、その結果、かれらの技術がかつて程の神秘性は持ち得なくなっていたということを、これらの説話は物語っているのではなかろうか。
参考文献 『古今著聞集』 (日本古典文学大系 岩波書店) 『ふらんす小咄大全』(河盛好蔵 編訳 ちくま文庫) |