世界的な科学論文誌『サイエンス』は毎年末、その年の10大科学ニュースを発表する。2013年の科学ニュースとして、ガンの免疫治療、遺伝子工学の新技術CRISPR、脳内の可視化、再生医療、コンピューターによるワクチン設計など、さまざまな新機軸が並んでいた。

最近の科学のトレンドが、細胞操作や治療、創薬など、いわゆるテクノロジーへの志向性が一段と強まっている風潮がここにも如実に表れている。しかしサイエンスとは本来、生命のありかた──つまり生きているとはいかなる(how)ことかという問題──をこそ解明すべきものだと私は思う。だからサイエンスは医学のしもべでもなく、産業にシーズを提供することが義務でもない。

そんな中で、10大ニュースの中にあった、「あなたの微生物が、あなたの健康を支配する」という項目にことさら着目した。“あなたの微生物”とはいったいどういう意味だろう。それは、私たちの消化管内に棲息する腸内細菌のことである。

消化管は、身体の「内」にあるようでいて、実は「外」である。人間の身体はぐっと単純化すると、ちくわのようなもので(こういう概念化をトポロジー的思考というのだが)、消化管はちくわの穴。口と肛門で外界と通じていて、消化管の表面は皮膚が内側に入り込んだものにすぎない。だから消化管壁は、皮膚の延長線(実は面)であり外界との最前線(面)にある。消化管の表面は細かいヒダがリアス式海岸のように入り組んだ構造をしており、ここにびっしりと腸内細菌が棲みついている。

もちろん昔から腸内に細菌が存在していることはわかっていたが、ほとんどの研究者はそれほど気に留めていなかった。腸内細菌は無害な寄生者──人に重大な害を及ぼすことはなく、栄養の一部をかすめ取っている便乗者──と見なされていたからだ。一方、その実態もよくわからなかった。人間の消化管内は酸素が少なく、そんな環境でも成育可能な嫌気性細菌は、外に出して酸素がある状態、好気的環境におくとたちまち死滅してしまう。だから実験的に培養することができず、どんな細菌がどれくらい存在するのか研究がなかなか進まなかったのである。

ところが近年、ゲノム解析の技術とゲノム情報の集積が飛躍的に進展した。ヒトの消化管内のDNA情報──ありていにいうとウンチに含まれるDNA──を分析するとそれは一昔前まではカオス以外の何ものでもなかった。まずは雑多な食品に由来するDNA。私たちは牛、豚、鳥の肉を食べ、いろんな魚を食べ、米、パン、ソバを食べ、野菜から果物から海藻までをも食べ、納豆やら漬け物を食べ、醤油や油で調理する。だからウンチには軽く見積もっても数十種の食品成分に由来するDNAの断片が混在している。

そのうえ、私たちの消化管の細胞が日々、剥離して死に、新しい細胞と入れ替わる。消化管は人体組織のうち、もっとも細胞の新陳代謝速度が速い部位でもある。それほど消化管の表面は消耗が激しい。2、3日で細胞は交換される。だからウンチのDNAの大部分は、実は自分自身のゲノムの分解産物によってできていることになる。

そのうえで、腸内細菌のDNAが加わってくると、物質としてのDNAだけを見ていると、それがいったいどの生物のどんな細胞に由来しているものなのか、まったく判断がつかないのである。

ところが21世紀になって、全ヒトゲノム情報が解読され、それがデータベース化されることになった。だからウンチのDNAの中からヒトゲノムに由来する情報を差し引いて考えることができるようになった。

そして各種生物のゲノム情報もどんどん集積されるようになってきた。家畜や主要穀物、商品作物など人間にとって有用な生物のゲノムは次々と解析されデータベース化されている。ゆえにウンチのDNAから次に差し引くべきは、これら食品素材由来のDNA情報、ということになる。そうして残ったDNA情報。これが何を意味するかといえば、これこそが腸内細菌のDNAだということになる。こうしていろいろなことが分かってきた。ヒトの消化管内にはおよそ100兆匹の腸内細菌が棲みついている。この数はヒト自身の細胞数約60兆個をはるかに凌駕している。ヒトの細胞に比べ、細菌の細胞はずっと小さいので消化管のひだの中に隠れ棲むことができるのである。これまでに知られている腸内細菌の種類は、およそ1万種。しかしランダムに雑多な菌がいるわけではない。このうち限られた系統の菌だけが選抜されてそれぞれの人に定着しているのである。

胎児がお母さんのおなかの中にいるとき、胎児の消化管内はクリーンで、腸内細菌はまだそこにはいない。誕生する際、そして誕生してから徐々に外部世界から細菌が入ってきて、身体との平衡点が探られる。また腸内細菌同士のせめぎ合いも発生し、これもある時点でバランスが取られる。そして腸内細菌は環境と私たちの身体の境界=インターフェイスに位置する調整役としての役割を果たすことになる。したがってバランスの乱れは私たちの健康に大きな影響を及ぼすことになるのである。


福岡 伸一 ふくおか・しんいち
生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年4月よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)など。

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