Empty Chair


女性僧侶「山口依乗」が説く、「聞くということ」。


おおいなる誤解をとく


先日のことです。
お部屋に入ってこられてからずっとなんです。
ずっと手を交差するように胸を押さえて、時々窺うように私を見るんですね。
不登校のお子さんと一緒に来られたお母さん。
時々、ふーと上の空になって、目の前にいるこの子のことより心配なことがあるみたい。

今の私自身の気持ちを率直に伝えます。
わたし:「先ほどから、凄く気になるんですが…。」
彼女:「あぁ、私こわいんです。」
わたし:「怖わいんですか?」
彼女:「えぇ、こわいんです。」
わたし:「…?」
北海道弁で“疲れた”とか、“しんどい”というときも“あぁこわい”といいます。
わたし:「どこか苦しいんですか?」
彼女:「いえ、あのー」
わたし:「はぃ?」
彼女:「全部わかちゃうんですか?そのぉー…心の中?」
あぁ、一寸誤解があるみたいですねぇ
多いんです、こういうこと。
わたし:「私があなたの心の中、みんな解かってしまうのではないかとそう思うんですね?」
彼女:「えぇ。」
わたし:「で、それが心配?」
彼女:「……」

心の専門家やセラピストにとって“透き通るように相手を理解する”ことは必要な条件です。
しかし、読心術のようなことを言うのではありません。

心は一人の人間と一人の人間のあいだ(真中)に今このとき一瞬一瞬に生まれては消えるものなんだと思います。

こころとは、見たもの聞こえた音、因縁に触れて(条件によって)変化して止まない、常に現在進行形のエネルギーの流れであり、波動でしょう。
一刹那、いっせつな、生滅するおもいです。

セラピーの仕事とは、その心の流れの音、響きを聞いてゆくこと、自己の心の流れが滞っているヒトや、自分の心の響きが聞こえなくなっているヒトのこころをふたりの真中において観察しながら、心の音や響きを聞こえやすくするお手伝いをすること。
どんな学問かというと、ひとり対ひとりの二人称的人間関係論、コミュニケーション学なんですョ。
それにしても、私に読心術のような超能力があったら、いくら手で隠したって無駄ですよねぇ…。


『仏説無量寿経』というお経の中に、「和顔愛語」(わげんあいご)という言葉があります。
「和顔愛語」とは、和やかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接することです。
この言葉は、さらにこう続きます。
「先意承問」(せんいじょうもん)。
これは相手の気持ちを先に察して、その望みを受け取り、自分が満たしてあげるという意味です。
つまり、「和顔愛語にして 先意承問す」とは、和やかな顔と思いやりの言葉で人に接して相手の気持ちをいたわり、先に相手の気持ちを察して、相手のために何ができるか自分自身に問いただすという教えです。

修行中の法蔵菩薩(成道されて、阿弥陀仏になられた)が常に実践された、とあります。

辛いときや嫌なことがあったとき、愚痴をこぼしたくなるとき、そんなときこそ、まず自分から笑顔と優しい言葉で周りの人に接する姿勢、それが「和顔愛語」です。
しかし、自分自身が「和顔愛語」を実践するとなると、簡単ではありません。
心配事があったりするとなかなか笑顔になれないものです。
親愛を感じていない相手に、思いやりのあるやさしい言葉をかけるのも、抵抗があります。
そこで大切なのが「先意承問」、相手に笑顔になってほしいのならば、まずはこちらが先に笑顔で接することが大切ですと教えられています。

相手に不安を与えず、安らぎを感じてもらえるようにするということでしょうか。

仏道の布施行の中に、「無財の七施」というものがあります。
誰でもができる、財(たから)がなくてもできる七通りのお布施として知られるものです。「無財の七施」には、優しいまなざしを向ける「眼施(げんせ)」、和やかな表情で接する「和顔悦色施(わげんえつじきせ)」、柔らかな言葉を使う「言辞施(げんじせ)」、身体で何かをしてあげる「身施」、優しい心を振り向ける「心施」、自分の席を人に譲る「床座施(しょうざせ)」、宿を与える「房舎施(ぼうしゃせ)」の7つがあります。

「和顔悦色施」(わげんえつしきせ)と「言辞施」(ごんじせ)。和やかな表情で接すし、柔らかな言葉を使う。
これと同じように、「和顔愛語」も布施行なんですね。

その布施の心を仏教では「慈悲」(じひ)「ほとけごころ」といいます。
不安を取り除き、安心を与えるという心ですから…。

しかしながら、心を込めて、丁寧に実践することは難しいと感じます。
私にはとてもそんな力もなく、出来そうにありません。
けれどここに、「南無阿弥陀仏」というお働き、仏の心が加わると、どうなるのでしょうか?

先ほど私は、「心は一人の人間と一人の人間のあいだ(真中)に今このとき一瞬一瞬に生まれては消えるもの」とお話しさせていただきました。
つまり、今、今、今の連続が心であるならば、そしてまた、心があなたと私の間(真中)に生まれるものならば、そこに阿弥陀如来が加わって、三人の真ん中に、新たな心が生まれる。その心の響きを聞き合っていくことが起きてくる。
それは、「不安が取り除かれ、安心を与えられた心の声を聞いていく」ということです。
私どもの、DPA-(ダルマベースド・パーソンセンタード・アプローチ)における、ダルマベースドの部分、基礎の試金石の部分がここにあります。

ところで、人の心は今、今、今の心の生起の繰り返しですが、今の心と書きますと、「念」(おもい)となります。そこに仏の心が寄り添って、「念仏」になるのですね、ご存知でしたか?


山口依乗プロフィール
北海道帯広市出身。
胎教からお念仏に育まれ、熱心な門徒であった両親の影響で念仏者となる。
27歳から心理カウンセラー・音楽療法士として奉仕活動を続けている。
浄土真宗本願寺派布教使。