ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 【文アル腐】指先【だざはる】2017年2月8日 22:29 極彩色の宇宙の中を、流されるまま漂っていた。赤、青、緑、紫、それから呼び名もわからない色が何色も、視界いっぱいぐにゃぐにゃと混ざり合っている。おもむろに、関節が疼いた。それは左肩で、どこかへ浮いて離れるような奇妙な感覚がする。それから肘、膝、手首、足首、指関節、全部からそのむずむずが湧き上がり、俺は思わず叫んだが、喉が潰されたのか掠れた空気しか出なかった。おかしくなりそうな頭を抱えたかったが、両腕はもはや俺の指示には従わなかった。ああ。外れる。手足が外れる。身体がばらばらになる。ばらばらになってこの宇宙の塵となって消える。俺は俺じゃない欠片になる。俺の言葉も気持ちも砕けて石ころになる。俺はそれがとにかく怖くて、怖くて、怖くて。突然、景色が変わった。太宰はしばしそれを呆然と見る。部屋だ。何の変哲もない部屋。天井があって壁があって床がある部屋。関節の疼きが突然終わっていた。背中も浮いておらず床についていた。正確には敷布団に。俺はどこに辿り着いたんだろう。自然とそう考えていたが、脳が段々と正常な判断に戻っていく。移動したんじゃない。瞼を開けただけ。そう、夢から醒めたんだ。しかしそれにしてもおかしい、ここは自分の部屋じゃない。一体どこだろう……ゆっくり頭を巡らしてみると、傍にいた人と目が合った。「おう。起きたか。」佐藤だった。ゆるりと座って文庫本を読んでいる。あんまり自然だったので普通に挨拶しそうになったが、そこに佐藤がいるという異常事態に太宰は覚醒した。「えっさっ佐藤せんせッ……、!?」がばっと身を起こすと、ずくっと奥まで突き刺さるような頭痛が太宰を襲った。さっきまでなんともなかったのに、急に脈打つように痛み始め頭が重い。「あー動くな動くな、急に動くとまた吐くぞ。さっきも魘されてたしな。」「う、すみませ、ていうかここ、先生の部屋じゃ……俺、なんで……。」「なんでってお前、自分でゆうべ俺の部屋来たんじゃないか。覚えてないのか?」文庫本を閉じると、佐藤は太宰へおもむろに寄る。急に近くなって太宰はびくりとしたが、額を軽く押されただけだった。寝てろ、という事らしい。頭がぐわんぐわん揺れている太宰は抗う気力もなく布団へ崩れた。「お前ってやつは本当……少しは懲りて、飲み方を改めるんだな。」まるで期待してないのが声音からわかった。そのくせ崩れ落ちる頭を手で優しく受け止め、そっと枕へ降ろす。過保護なぐらいの柔らかさ。自分の部屋の布団とそう変わらないはずなのに、綿雲にふわふわ包まれる心地がした。「すみません、先生……。」「全くだ、少しは反省しとけ。」「はぁい……。」「返事だけは良いな……ったく。」なんでそんな腑抜けたツラしてるんだよ、と佐藤が太宰の頬をつつく。無意識ににやけていたらしい。くすぐったくてうひゃうひゃ言ってると余計につつかれる。このやろこのやろとか聞こえた気がした。やがてふざけていた佐藤の指も、そっと離れる。「……あんま心配かけるなよ?」小言なのに、優しい声音だった。太宰に注がれる緑の瞳は、安心した、というのがありありわかる色で。「……、」太宰が言葉に詰まったのを知ってか知らずか、おもむろに佐藤は立ち上がった。部屋を出てどこかへ向かうらしい。察知した太宰はさっと青ざめた。「待っ……。」声が裏返る。佐藤へ手を伸ばす。怠くてひどく重い右手を必死に必死に佐藤へ伸ばす。掴めなくても、せめて指先だけでも触れるよう。命でもかかっているような必死さだった。どうしてそうしたのかは太宰にもわからない。ただ唐突にさっきまでの夢が蘇り、恐ろしくて堪らなくなったのだ。ばらばらになる。貴方が行ったら、俺はきっとばらばらになって塵になる。「置いて、かないで、せんせい……!!」佐藤は驚いて振り向いた。伸ばされた太宰の手を呆然と見つめる。やがてその手にそっと自分の手を触れさせると、ふわりと笑んだ。「大袈裟だな。ちょっと水を取ってくるだけだ、すぐ戻るよ。」ぱたん。それだけ告げると、佐藤は戸を閉めて部屋を後にした。残された太宰の手はじわじわと落ち、力なく布団に転がった。無理に伸ばしたせいかさっきより全身が怠い。そのまま全身が腐り落ちそうで怖かったが、触れてくれた佐藤の温度がそれを和らげた。(……水面、みたい。)眩暈に揺れる天井を見上げ、太宰は思う。最期に見た景色。最期に包まれた世界。俺はそこから手を伸ばしたりしなかった。今度こそ逝ける安楽が冷たくも柔らかかった。どうして今になって。太宰は自分の手を見る。どうして今になってこんなにも。怯えるのか。誰もいない厨房で、蛇口を捻る。冷たい水が泡を立てながら透明なコップを満たしていった。(……置いていかないで、か。)佐藤は物思いに耽る。まさかそんな言葉が聞けるとは思わなかった。何もかもを捨て置いて、冷たい水の向こうへ行ってしまった彼を思い出す。あの彼がまさか。そんな事を口にする日が。くるなんて。思い出すのは先程の指先。溺れる子が必死に伸ばすような指先。その矛先は。宛先は。ああ。自分 だ。(………。)栓を締め、そのまま左手で自分の口元を覆う。(……自惚れが過ぎるぞ、流石に。)そう自分を窘めた。薬と酒にやられて不安定で寂しくて、誰でもいいから傍にいてほしかったんだろう。ただそれだけ。それだけだ。それだけだ。繰り返す言い聞かせ。脳裏に焼き付く指先。覆った手の中で、口端が抑えきれず吊り上がっていた。ほの甘く、ほの暗く。