公開日:2011.12.16

乱世を生き抜いた武家に学ぶ企業の永続発展術

 「森羅万象」という熟語がある。「森羅」とは、世の中の事象が限りなく連綿と永続し、絶えることがない状態を意味し、万象とは、世の中に存在する一切の有形物のことである。
 とはいえ、これらの万物は、現在の状態のままで永遠の生存が保証されているということではなく、「万物は流転」しながらも、周囲の環境の変化に適応し得るように新陳代謝を繰り返し、1)模索の時期、2)成長へのエネルギーの蓄積と離陸への助走期、3)攻勢的成長拡大期、4)成熟・老成期、5)逡巡・審訊期、6)収縮整理・反省期という6場面(課題)の一定の周期的な螺旋状の変遷を経ながら進化し続け、変容・変質を成しえてこそ、種族それぞれなりの永続と繁栄が可能となるということを意味し、自体が内包する状況や課題の変化、周囲の環境の変化に積極的に対処し得なかったものは、自然淘汰され衰退・消滅することを示唆するものである。
 このことは自然界の森林や樹木、動植物など、あらゆるものの栄枯盛衰の摂理や、第2次世界大戦終結後の世界の動きや、わが国経済社会の変化などからもご理解いただけるであろうが、これを過去の歴史的事実から、経済や企業の栄枯盛衰に当てはめて考察すると、各課題の期間は約10年で、これらが一巡する周期は都合で約60年(還暦)ということができ、経済学でいう景気循環波動説の長期波動(コンドラチェフの波)とも一致し、宇宙大自然の摂理ともいうべきものであろうか。
 我々人間は日常の生活に追われて、その時々の小波や大波、つまり刹那的な問題を乗り超えることだけに捉われがちで、もっと大きな時代の底流の変化を見逃し勝ちになるものだが、波の高さ、平穏な時期と波乱の時期との差はあれ、時流や周囲の状況は時々刻々と常に変化し続けているのであり、事後になってから、「あの時が大きな時代の変節時点であったのか」と気づくことが多いものである。
 中国の格言に「離見の見」という明言がある。即ち目先の利欲に拘ったり、渦中にあるものは、近くのものは良く見えるが、逆に遠くのものや、周囲や先が見えず、少し現場から離れて冷静に客観的に見た方が、かえって真実の状況を正しく見ることが出来るとか、「愚者は失敗に懲りず、同じような過ちを繰り返し、凡人は体験に学び、賢者は歴史に学び、危機を未然に察知して回避する」ということであろうか、強気のブル・ダッシュ(猛牛の突進)や、モア・アンド・モアの我欲追求ばかりでなく、時には立ち止まって過去を振り返って反省したり、先を遠望し、針路を見究め直したり、他者のことを慮る心のゆとりや、一旦は屈んで次なる飛躍へのエネルギーを蓄える呪医企図する「屈を以って伸と成す」ことも大切であり、今の全世界・全人類の激動と試練期こそが、その絶好の機会とすべきではなかろうか。
 そういった意味から、当時と現代とでは、変革のスピードが格段に速くなり、全てのもののライフサイクルが短縮化の傾向にあるとはいえ、温故知新、戦乱と激動が長期間にわたった時代を巧みに乗り切り、生き抜いて家名を保持してきた戦国時代の名門武家の生き様を、国内の武力闘争が国際的な経済戦争に変わった動乱期ではあるが、この苦境を立派に生き抜く今後の企業永続発展策の参考とすることも有意義であろう。
 学問的な通説にとらわれず、一応、源頼朝が平家を滅ぼし日本で最初の武家政権を樹立した時から、実力主義による下克上の嵐が吹き荒れる戦乱が続き、やがて織田、豊臣、徳川の3代にわたって、その動乱の終結と天下統一が図られ、その後江戸幕府の崩壊、大政奉還で明治維新を迎えて廃藩置県が実施され、以降、日本が西欧風の近代国家に生まれ変わることとなったまでのほぼ600年に及ぶ期間の時代を、新興勢力である武家が活躍して世の中をリードして政権を支配し、日本が激動と大きな社会変革を体験し、勢力地図が塗り替えられた時代として見ると、その間には約500家の武家が群雄割拠し、栄枯盛衰の歴史を経て、廃藩置県の最終段階を迎えた時には約150家ほどに整理され、激動と変革の世を何とか無事に生き抜き、現代に至るまで家名を護持し通したこととなる。
 こうした名門家の、激動の時代を巧みに生き抜き寿命を保ち得た英知と努力の共通要件を考察すると、
1)カリスマ的な資質と魅力を持ち、時流の先を読む動物的直観力と卓越した先見性、強力な独裁的リーダーシップを発揮し得る有能・奇才の創業者の存在。
戦国時代の幕引きの先鞭をつけた織田信長などがその典型であり、生まれてくるのが遅過ぎたと惜しまれる奥州の覇者、独眼竜の伊達政宗も、もう少し早く生まれて戦国時代の最終レースに参戦しておれば、この部類に入る面白い存在となり得て、日本の歴史が少し違ったものになっていたかも知れない。
しかし豪勇なだけでなく賢明でもあった政宗は、そのあたりの自分の分を弁え、途中から豊臣や徳川と対峙するのを控えて服従し、地方の雄に徹したことで、領地安堵が保証され、明治維新を経て今日までも、その名門としての家名を維持することが出来た。近代の経営者では、スーパー・チェーンの雄となったダイエーの創立者中内功氏もこの類の動乱期の攻撃的創業者としては適任者であったろうが、高転びをして晩節を汚した点でも、織田信長や豊臣秀吉と似ており、平時の守成型トップではなかったといえる。
2)これに基づく哲学的理念と揺るがぬ信念を保有し、それを具現化する執念のような決断力と、しぶとく手堅い段階に応じた持続的な実践行動の努力。
3)奇才創業者の、灰汁が強い独特な個性の弊害をうまくカバーして、その真意と理念を周知せしめ浸透させて、組織を巧みに纏め上げても、決して自己を主張・誇示せず、あくまでもトップを立てる陰の存在に徹しきる優秀な補佐・参謀役の存在に恵まれていること。またトップにも、こういった才人をうまく生かして使いこなす能力を具備していることが要求される。
 織田信長に仕えた明智光秀や秀吉、豊臣秀吉が抱えた黒田如水や竹中半兵衛、徳川家康を支えた本田、酒井、大久保など三河以来の陪臣などの名参謀役がこれにあたるが、石田三成や二代目の豊臣秀頼には、こういった逸材の存在がなかったので悲劇の末路を辿った。
 また名門の長所と短所とは紙一重といった面もあり、有能な家臣が多く、それらが競い合い過ぎることがあっては、かえって組織の和を乱すこととなるので、それら有能な家臣の処遇の仕方がトップの大きな課題となる。
4)時流や周囲の環境の変化を敏感に察知し、それに機敏に適応する柔軟性の保持。風林火山を幟印とした武田信玄は、この点でも優れていたが、信玄の急死の跡目を継いだ二代目の勝頼は、この辺りの身のこなし方を誤り武田家は滅亡した。
5)自己の能力を冷静に、客観的に正しく理解し、身の程に応じた出処進退の時機の見極めや戦略・戦術の切り替えの適切さ、無謀な野心による拡大を急がずに慎み、自信の持てない本業関連分野以外には決して手を出さない堅実さを保有していること。
ぎらぎらとした天下制覇の野望や、敵意をもろにむき出しにし過ぎ、焦りすぎると、周囲から妬まれたり、警戒されてたりで、妨害や集中攻撃を浴び、袋叩きに合いかねないので要注意であり、燃える大望を内に秘め、飛躍のチャンスに備えて待つ、一抹の謙虚さと慎重さも忘れてはいないことと、特異なカリスマ性に頼り、独裁的強権をほしいままにし、一気呵成に短期間で頂点に上り詰めると、物事は満つれば欠けるがごとく、反転して転げ落ちるのも早いということも忘れてはならない。
 一夜で築かれた城は脆く、長年月をかけて築かれた万里の長城は堅固で破り難いし、またローマは一日では成らずだが、一日、ただ一人の判断ミスで、脆くも崩壊することも無きにしもあらずで、企業の信用の蓄積と崩壊もまた同じであると心得るべきであろう。
6)適時・適材の後継者や社員を育成することに努め、しかもその養成手法としては、単なる理論の活字座学より、現場の体験を通じた実学の習得に重点を置くこと、自家内だけの教育だけでなく、可愛い子には旅をさせ、他人の飯を食わせろで、他流試合の修練を通じ、他からも学ばせることを心がけ、苦難やあえて失敗を承知で体験させ、その反省からの実際的知恵や技能の習得と自己革新を促すことに留意していること。
7)三代~五代目ごとに中興の祖となるような後継逸材を輩出させるように意を用い、その間には有能な補佐役を配置して、これをカバーさせたり、外部から逸材の招聘などで刺激を与え、同族世襲の甘えや弊害の防止に配意していること。
俗に「親苦労、子楽、孫貧乏」とか、企業には「3年、10年、30年、60年、100年の節目がある」などといわれるが、苦労知らずに暖衣飽食で大事に育てられ、高学歴を得て、親が創業した企業にいきなり次期社長が約束された役員として世襲入社し、現場叩き上げの汗もかかず、理屈だけの近代経営学理論に酔った2代目が、親父以上に格好の良い派手な事業拡大で功績をあげようと焦り、それを抑制しようとする親父時代からのうるさいお目付け役の重臣を放逐し、自分の取り巻きイエスマンだけを重用しようとすることは危険である。この点は、100年以上もの社歴を誇る老舗企業でも家訓に明示し、強く戒めてきたことである。
企業の節目とされる3年説の根拠は、創業後3年以内に順調な軌道乗せに成功した企業は永続の可能性が高くなり、10年目の節目説の根拠は、創業時のエネルギーがそろそろ燃え尽き、後継者問題を巡り内紛が起き易くなりがちなこと、30年の節目は、花形産業や製品の寿命が尽きて主役交代期を迎えること、60年の節目は、大きな技術革新期、100年の節目は、エネルギー革新や世紀の社会環境激変期を迎えるという周期変動の波であり、これらの波をそれぞれ巧みに無難に乗り越えられてこそ、企業の永続的繁栄が図れるというものである。
8)目先の私利だけを追わず、他をも利する公徳性や大義名分を重視し、領民愛(顧客志向)の理念を尊重し貫き通していること。
 藩祖上杉謙信の、戦乱の世における道義の戦いの道を貫く精神を引き継ぎ、それに則って、困窮の極みに達していた米沢藩の財政再建を、藩主自らの勤倹節約、殖産振興の率先垂範と、官民一体となった努力で見事に予想以上に短期で成し遂げた上杉鷹山公の善政も、まさにこの領民愛と、目先の自利や小さな利より、先に徳を売って後でもっと大きな利を得る道徳経済一位の信念と実践努力の結果による。
 行き過ぎた弱肉強食の金融市場経済や拝金主義の企業収益本位の経営が蔓延し、世界経済の秩序混乱と精神文化の荒廃を招くに至った現代の政治・経済・産業界の指導者層も、実体経済の裏づけなき投資経済の「浮利」を追うことなく、二宮尊徳も唱えた、この「徳利商法」の基本原理に立ち帰るべきではなかろうか。
9)決して先天的な幸運に恵まれたり、順調な道ばかりでなく、必ず一度や二度は逆境の苦難や危機を体験しており、その都度、これをうまく回避・克服する苦労や努力を経て、脱皮しながら進化し、家という組織の体質改善強化を果たしてきたこと。
 苦境を進化への足がかりとし、逆境は人も企業も国家も逞しくするものと受けとめたいものである。京都に老舗を誇る中堅有料企業が多いのも、こういった試練を克服しての英知と、手堅さと、逞しさによる。
10)聖人のような高潔な奇麗事の行動や、先祖の積善の余慶に甘んじるだけでなく、どの国や企業にも、創世期や長い歴史のある時期には、競争に打ち勝ち、利益を上げ、生き残るための過程では、大なり小なり、かなり強引で不当な手立てを用いたことがあったとしても、いつまでも常にそういった利得を独占したり、栄華に驕るばかりであってはならず、いつかはその罪滅ぼしのための贖罪、社会還元・奉仕の徳積みをすることで、その信用の維持や好ましいイメージの確保を図らねばならないということ。
などなどである。しかし、これらの中のどれか一つの要素を持つだけでなく、全てとはいわないまでも、少なくとも、これらの半数以上の要素は持ち合わせていなければならないということが重要な点である。
 このように見てくると、結局、こういった多様な資質や「文・武・財・心」のバランスが良い総合的能力を身につけ、情勢に応じて巧みに使い分けを成し得たのが、勇将・猛将である上に知将でもあった真の名将軍徳川家康であったといえ、それ故に彼は、戦乱の世を完全に終結させ、その後260年に及ぶ平和な世の中と、徳川幕府という万全の政権組織、徳川一族家の安泰の基礎を築き、当時既に100万の人口を有しながらも、「治世が安定し、秩序正しく、水路の整備や防災体制など、庶民生活のインフラ整備の面でも先端を行く世界一の大都市」と来日した外人が賞賛した、江戸の町を築き上げた統治者になり得たのである。
 また概して、その時代を支配した主役や、その主流派の中枢に属したものは、それが衰微し交代期を迎えると共に衰退する運命を辿るが、逆に、むしろその当時は主流から少し離れた地方の支流に身を置き敬遠されたり、軽視され、看過されてきたものの方が、逆に冷静に天下の趨勢を適確に読み取って対処し得、その渦に飲み込まれ、反動の被害を受けることも少なく勢力を温存し得て、巻き返しのチャンスを迎え、次代を担う新興勢力の中心的存在になり得ることにもなるのである。
 幕末期の一橋家(最後の将軍家徳川慶喜)や水戸藩、越前藩松平春岳、明治維新期の薩摩島津家、長州毛利家、土佐山内家、肥前佐賀藩鍋島家、仙台の伊達家などがこの好例といえよう。
 組織の保安維持策といえば、毛利元就の三本の矢の訓があまりにも有名で、今更申し上げるまでもなかろうが、ここで重要な点は、彼は勢力を強め領地が拡大するに連れ、それに奢ってさらに強気になるより、むしろ「智に優れ、天下に心配りをする者に、心から許しあえる友はいない」とか、「我に力なくば服従も止むなし」などとの遺言を残しており、一層用心深く慎重になり、武略より外交戦略に留意し、国内固めを重視した点である。ゆえに最後の東西決戦の折にも、一応は西軍側の総大将に担ぎ上げられたものの、毛利軍は自ら率先して積極的には動かなかったので、東軍徳川方が勝利した後も、領地は大幅に没収されたものの、何とかお家廃絶とならず、明治維新後も家門を保ち得たのである。
 この点は国際外交の難しさを語るときにしばしば引用される、元アメリカ国務長官キッシンジャーの、「国家に真の友人はいない」と称した名言と合い通じるものがある。
 戦国動乱をうまく生き抜いた雄藩といえば、薩摩の島津家も見逃せない。薩摩は辺境の地にありながらも、日本の中央の動向のみならず、世界の情勢にまで関心を怠らず、海外貿易を通じて最先端の知識や情報、技術の導入にも積極的であり、この力が明治維新や日本近代化の原動力となったのである。やはり「内平らにして(国内治世の安定)外成る(外交)」であり、それには「情報と外交を制するものが世界をリードする」ということになろう。
 

著者プロフィール

経済評論家・ビジネスドクター 芦屋 暁(あしや さとる)

 幼少期の貧苦体験から「十分な教養があれば民族も国家も企業も個人も安泰」との信念を抱き、一生涯を人間能力の開発と日本経済・産業の発展に捧げる1本の杭になろうと決意し、都市銀行勤務を中退してフリーの経済評論家・経営コンサルタントの道に転身、大学の教鞭やマスコミ出演を経つつ、過去通算で全国約3千市町村を講演歴訪した実績を持ち現在に至る。庶民派で皮膚感覚の簡明率直な解説がモットー。

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