「BORN TO RUN 走るために生まれた」

 

なぜ、我々よりも筋肉はたくましく、脳の容積も我々より大きく、明らかに我々より優れていたネアンデルタール人が滅び、

 

 

より弱く、鈍く、痩せた生物である我々に与えられた、生死を分かつ優位性。

 

それは走る能力であった。

 

氷河期が終わり、地上全土が草原になった。

 

矢じりを手にする何万年も前から、我々は肉を食べていた。

 

一体どうやって、獲物を捕まえていたのか?

 

ヒトは、はやくは走れない。

 

しかし、地上で最も、長く走り続けることができる生き物でる。

 

持久狩猟。

 

鹿は、ちょうどフルマラソンの距離を追い続けたら、疲れて動けなくなる。

 

我々はチームを組んで、一頭の獲物に狙いを定め、群れに逃げ込ませず、延々と追い続けると、鹿に勝てるのだ。

 

走ることが体に悪い、なんてとんでもない。

 

人間は、走るために生まれてきたのだ。

 

この驚くべき結論で、ランニング界に衝撃を与えた

 

「BORN TO RUN 走るために生まれた」

 

 

 

 

 

「ナチュラル・ボーン・ヒーローズ」

 

の中で、マフェトン理論について言及している。

 

  • 発売日: 2015/08/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 フィル(・マフェトン)には、心拍数を脂肪燃焼ゾーンに保つための簡単な公式があった。180から自分の年齢を引くだけだ…(中略)

狩猟採集民は自分たちが仕留めようとしている動物と同じようには行動しない。むしろ、静かで優雅に、軽やかに動き、視覚は鋭く、呼吸はコントロールされ、体脂肪という無限のエネルギーはいつでも使える状態にある。まさにいまスチュー(・ミトルマン。マフェトン理論により体質を改善し、さまざまなウルトラディスタンス競技で全米記録を塗り替えた)はそうやって動き、スタートで彼を置き去りにしたランナーたちをひたひたと追いかけていた。

 

「ナチュラル・ボーン・ヒーローズ」については後日、書評を書きたいと思っているが、マフェトン理論においては、ランニング時の最大心拍数は、

 

180から年齢を引く

 

となっている。

 

通常は

 

220から年齢を引く

 

というのが一般的に言われていることだ。つまりマフェトン理論では、一般論より40bpmも少ない心拍数で走らねばならない。

 

引用したスチュー・ミトルマンも、初めは全ランナーに置いていかれるのだが、後半、ぐんぐんと挽回する、という展開となる。

 

この心拍数で走ることで、人間の体は、糖ではなく脂肪をエネルギーに変えることができ、脂肪こそ人体に無尽蔵にあるエネルギー源なので、これを使って走れるランナーは、長距離を苦もなく走ることができる、というのだ。

 

ステップ2:180の公式

 

(a)けがや病気でしばらく運動から遠ざかっていた場合、さらに5を引く

(b)長期間(心臓発作からの回復などで)運動から遠ざかっていた場合、10引く。

(c)最低週4回のトレーニングを2年間続けている場合、何も足さない。

(d)2年間ハードなトレーニングを続け、協議で結果を出し続けている場合、5を足す。

 

(中略)マフェトンは、我々の体は酸素負債に陥らない限り、脂肪を燃やすことになんの不満も感じないと信じている。もっと空気が必要になると、心臓は早鐘を打つ。心臓が早く激しく鼓動すると、早く燃やせる燃料が必要になる。だから砂糖離れするには、需要と供給のどちらも変えなければならない。食事から砂糖を断ち、脈拍を脂肪燃焼ゾーンにとどめるのだ。

 

 

 

さて、心臓カテーテルアブレーションを終えた僕は、何とか、心臓に負担のない範囲でいいので、ランニングを再開したいと思っていた。

 

僕のランニングの師匠で、日本屈指の研究所で働くドクから、ランニングを再開するにあたって指示が来た。(ちなみに、ドクってこんなヒト)

 

 

「マフェトン理論からさらに10を引くように。それが心臓手術をしたあなたのための数値です」

 

ドクはこの本を多分読んではいない。

 

マフェトン理論をなぜ知っているんですか?

 

と聞いてみたら…

 

「ずっと前から知っていたが?」

 

との返事だった。

 

さすが、運さえ味方すれば、世界最高賞も夢ではないような研究者だ。

 

この本が出版される何年も前から、マフェトン理論くらい知っていて、

 

僕が(b)に当たる人間であることも理解していたのだ。

 

180-52-10=118。

 

ランニング時における僕の最大心拍数は118bpmなのだ。

 

心拍数を把握しているランナーは思うかもしれない。

 

「118で何ができる?早歩きでもするつもりか?」

 

と。

 

しかし僕はこれで行こうと決めた。

 

一度は、ランニングから足を洗おうか、とも思ったのだ。

 

でも…

 

どうしようもない理由で、走ることを諦めざるを得ない人もいる。

 

118bpmでも走ることができるなら。

 

 

 

早歩きに毛が生えた程度の走りかもしれないけれど。

 

でも、また、走ることができるかもしれないのだ。

 

もういちど、

 

 

あの、真夏の北海道の、新川通を、

 

東京の銀座の、とてつもない応援と紙吹雪の中を、

 

寒い寒い奈良の、苦しい苦しい坂と純朴な応援風景の中を、

 

そして、

 

みんなに応援してもらった、お方さま初フル完走の、

 

あの佐賀の桜並木の中を、

 

また走れるかもしれないんだ。

 

素晴らしいことじゃないだろうか。

 

従姉妹は、股関節に異常が見つかり、二度と走ることを諦めた。

 

 

 

僕は…

 

ゆっくりなら、まだ走れるだろう。

 

木々を眺め、

 

季節の花々を愛でながら、

 

シリアスランナーにとっては、ウォーミングアップ程度の心拍数でも、

 

走る楽しみは見出せる。

 

118bpm。

 

それが、神様が僕にくれた、

 

「もう一度」の数字。

 

焦らず、怠けず、丁寧に、

 

この数字を守っていこう。

 

それが、もう走れなくなった従姉妹への

 

せめてもの慰めの言葉だ。