ピアノ独奏曲 [pf] / 曲集・小品集
作品概要
| 楽章・曲名 | 演奏時間 | ||
|---|---|---|---|
| 1 | 「夕べの鐘、守護天使への祈り」 / "Angelus! Prière aux anges gardiens" | 7分 00秒 | -- |
| 2 | 「エステ荘の糸杉に寄せて-葬送歌(第1)」 / "Aux cypres de la Villa d'Este - Threnodie I" | 6分 30秒 | -- |
| 3 | 「エステ荘の糸杉に寄せて-葬送歌(第2)」 / "Aux cypres de la Villa d'Este - Threnodie II" | 9分 30秒 | -- |
| 4 | 「エステ荘の噴水」 / "Les jeux d'eaux a la Villa d'Este" | 7分 30秒 | -- |
| 5 | 「哀れならずや-ハンガリー風に」(人の世に注ぐ涙あり) / "Sunt lacrymae rerum" | 7分 30秒 | -- |
| 6 | 「葬送行進曲」 / "Marche funèbre" | 5分 30秒 | -- |
| 7 | 「心を高めよ」(スルスム・コルダ) / "Sursum corda!" | 3分 00秒 | -- |
| 46分 30秒 |
楽曲解説
総説 2009年10月 執筆者: 伊藤 萌子
《巡礼の年 第3年》は、同じ題名を持つ先の3つの曲集とは性格の異なる曲集である。創作年代にも間があり、リストの生涯における、いわゆるローマ時代(1861-69)に作曲が開始されている。リストはこの期間に充実した作曲活動を展開しており、その中でも宗教音楽への傾倒を見せている。1862年に完成し、1865年に初演されたリスト初のオラトリオ《聖エリザベトの伝説》や、リスト生涯の傑作であり、「私の音楽による遺書である」と語られた同じくオラトリオの《キリスト》などがある(救世主イエスの降誕から復活までを描くこの作品には、グレゴリオ聖歌の借用及び教会旋法の導入が確認される)。
本作品集の多くは1877年に作曲されている。それまでの経緯を簡単に述べると、1870年頃より、59歳のリストは季節ごとにヴァイマル、ブタペスト、ローマの3都市を住み分ける生活を送るようになる。1886年にリストが亡くなるまで続くこの生活は多忙を極め、しばらく創作活動が滞っている。ブタペストではハンガリー王立学院(今日のリスト音楽院)の学長を務め、自らも指導にあたっていた。だが、自らの作品が「芸術の否定である」と手ひどい批判を受けるなど、周囲からの理解を得られないことに対する諦めもあり、決して成功ばかりではなかった。1877年、66歳になるリストは精神的に深刻な状況に陥っている。この頃、知人のオルガ・フォン・マイエンドルフ男爵夫人(1838-1926)に宛てた手紙には、「絶望的な悲しみに襲われる」など、生きることへの苦しみが綴られている。
この曲集においては、レチタティーヴォを思わせる単音の長いパッセージや不協和音の使用が目立ち、作品の冒頭において調性が曖昧であることが目立つが、これは晩年のリストの様式を示している。
宗教曲が3曲(第1番、4番、7番)あり、その他の作品も哀歌と題されるものがあり、華麗さは影を潜め、強い諦念すら感じられるものとなっている。
前作の《巡礼の年報 第2年イタリア》が出版されたのは1858年だったが、それより大分経った1883年に出版されている。
第1番「夕べの鐘、守護天使への祈り」 / No.1 "Angelus! Priere aux anges gardiens"
タイトルにある夕べの鐘(Angelus!)とは、朝、昼、晩の三度行なわれるお告げの祈り、またその時に鳴らされるお告げの鐘を意味している。このお告げとは受胎告知のこと。本作品は1877年より作曲が始められ、四回の改訂を経て、現在の形になった。関連する作品として、1882年に弦楽四重奏によるもの、及びハルモニウム(オルガン)によるもの(ともに1883年初版出版)がある。
本作品は、冒頭より調性が曖昧で、中々主調が確立されないまま進んでおり、清澄さの中に、どこか不思議さを感じさせる曲調となっている。冒頭部分のトレモロの動機は、重厚な中間部を経て、楽曲の最終部にも現れる。
リストを熱烈に支持し、ピアノ演奏の腕も確かだったオルガ・フォン・マイエンドルフ男爵夫人(1838-1926)宛ての書簡には、「天使の小さい歌を、コージマの長女に書いた」とある。コージマとはリストの次女であり、ヴァーグナーとの結婚を巡って、問題が起こっていた(この時期には不和は解消されていた)コージマ・ヴァーグナー(1837-1930)のことである。その長女のダニエラ・フォン・ビューロー(1860-1940)へ、作品は献呈されている。
第2番「エステ荘の糸杉に寄せて-葬送歌(第1)」 / No.2 "Aux cypres de la Villa d'Este - Threnodie I"
第3番「エステ荘の糸杉に寄せて-葬送歌(第2)」 / No.3 "Aux cypres de la Villa d'Este - Threnodie II"
タイトルにある「エステ荘」とは、エステ家出身の枢機卿イッポリト2世によって1550年に着工されたベネディクト派の修道院であった。その後、豪華な別荘と美しい庭園に改築された。豊富な水資源を生かし、「水オルガンの噴水」や「ドラゴンの噴水」など大小500の噴水が存在し、現在もティヴォリ随一の観光地として人気がある。
リストはそのエステ荘に1868年よりグスターフ・フォン・ホーエンローエ枢機卿の客人として滞在していた。(なお、1869年から85年まで、冬の間はここで過ごしている。)
またタイトルにある「糸杉」は西洋において死や喪を象徴するものとして音楽に限らず、フィンセント・ファン・ゴッホのように絵画等でも多く扱われている。
本作品を作曲するにあたって、リストがヴィルトーソとして活躍する頃より親交があり、リストの作曲活動を支援し続けたカロリーヌ・ザイン=ヴィトゲンシュタイン公爵夫人(1819-87)に宛てて、1877年9月23日付の書簡において次のように書いている。「糸杉の下で過ごしているが、他のことが何も考えられないほどに、この古い糸杉の幹のことで頭がいっぱいになって離れない。私は不変の葉の重さに耐えながら、枝が歌って泣くのを聞いた。最終的にそれらを五線紙に書き留めた…」という内容である。
また本記事の冒頭に引用したマイエンドルフ男爵夫人に宛てた書簡(「絶望的な悲しみに襲われる」)もこの作品の成立と関与していると考えられている。
第2番「エステ荘の糸杉に寄せて-葬送歌(第1)」は、重々しい四度の連続から始まり、陰鬱な雰囲気に満ちた作品。
第3番「エステ荘の糸杉に寄せて-葬送歌(第2)」も同様に力強いが陰鬱さを持った動機から始まり、途中ハンガリー風の旋律を経て、流麗な旋律へと姿を変える。
第4番「エステ荘の噴水」 / No.4 "Les jeux d'eaux a la Villa d'Este"
前に二曲に続いて、エステ荘に関する作品(エステ荘に関しては、前曲の解説を参照のこと)。リスト晩年の作品の中でも最も有名で演奏機会も極めて多い。水をあらわす繊細な動きと朗々とした旋律の明るい作品。しばしば後の印象主義の音楽、例えばモーリス・ラヴェル(1875-1937)の《水の戯れ Jeux d'eau》(1901)やクロード・ドビュッシー(1862-1918)の《水に映る影 Reflets dans l'eau》(1904~05)を先取りしたと言及されている。
曲の半ばには、ヨハネ福音書より引用された「わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」(新共同訳より)との標題がある。
第5番「哀れならずや-ハンガリー風に」 / No.5 "Sunt lacrymae rerum"
原文のタイトルSunt lacrymae rerumはラテン語で、忠実に訳すと「人の世に注ぐ涙あり」となる。
娘コージマとの結婚を巡って問題の生じていたリヒャルト・ヴァーグナー(1813-1883)との和解が成立した1872年に作曲された。もともとは1848-49年に起きたハンガリーの革命の犠牲者へ捧げた《ハンガリー哀歌》という作品。現在の曲名は、古代ローマの詩人ヴェルギリウスの未完の大叙事詩『アエネーイス』の第一歌四六二行より採られている。
前曲とは打って変わって、本作品は重さと暗さに満ちており、一部にハンガリー旋法が用いられている。
第6番「葬送行進曲」 / No.6 "Marche funebre"
1867年6月19 日に処刑されたメキシコ皇帝マクシミリアン1世の為に作曲された。ローマ時代にあたり、《ハンガリー戴冠式ミサ》の初演やリヒャルト・ヴァーグナーと絶縁のあった1867年に作曲。本作品集の中では最も早く作曲された曲である。
マクシミリアン1世(1832-1867)は、ハプスブルグ家の出であり、当時のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916)の弟でもあった。ナポレオン三世によりメキシコの皇帝に据えられたマクシミリアンは当初より地位が不安定だったが、フランス軍の撤退とともに急速に力を失い、捕縛されて銃殺刑に処された。このことはヨーロッパ中に衝撃を与えたとされている。
第7番「心を高めよ」(スルスム・コルダ) / No.7 "Sursum corda!"
作品のタイトルSursum cordaとは、ミサにおける叙唱の前に為される司教と会衆の応答の言葉。属音の静かな連打で始まる本作品は、全音音階(1オクターヴを全音で6等分する)が用いられている。曲名から想起されるように崇高な印象を与える作品である。
本作品集の多くは1877年に作曲されている。それまでの経緯を簡単に述べると、1870年頃より、59歳のリストは季節ごとにヴァイマル、ブタペスト、ローマの3都市を住み分ける生活を送るようになる。1886年にリストが亡くなるまで続くこの生活は多忙を極め、しばらく創作活動が滞っている。ブタペストではハンガリー王立学院(今日のリスト音楽院)の学長を務め、自らも指導にあたっていた。だが、自らの作品が「芸術の否定である」と手ひどい批判を受けるなど、周囲からの理解を得られないことに対する諦めもあり、決して成功ばかりではなかった。1877年、66歳になるリストは精神的に深刻な状況に陥っている。この頃、知人のオルガ・フォン・マイエンドルフ男爵夫人(1838-1926)に宛てた手紙には、「絶望的な悲しみに襲われる」など、生きることへの苦しみが綴られている。
この曲集においては、レチタティーヴォを思わせる単音の長いパッセージや不協和音の使用が目立ち、作品の冒頭において調性が曖昧であることが目立つが、これは晩年のリストの様式を示している。
宗教曲が3曲(第1番、4番、7番)あり、その他の作品も哀歌と題されるものがあり、華麗さは影を潜め、強い諦念すら感じられるものとなっている。
前作の《巡礼の年報 第2年イタリア》が出版されたのは1858年だったが、それより大分経った1883年に出版されている。
第1番「夕べの鐘、守護天使への祈り」 / No.1 "Angelus! Priere aux anges gardiens"
タイトルにある夕べの鐘(Angelus!)とは、朝、昼、晩の三度行なわれるお告げの祈り、またその時に鳴らされるお告げの鐘を意味している。このお告げとは受胎告知のこと。本作品は1877年より作曲が始められ、四回の改訂を経て、現在の形になった。関連する作品として、1882年に弦楽四重奏によるもの、及びハルモニウム(オルガン)によるもの(ともに1883年初版出版)がある。
本作品は、冒頭より調性が曖昧で、中々主調が確立されないまま進んでおり、清澄さの中に、どこか不思議さを感じさせる曲調となっている。冒頭部分のトレモロの動機は、重厚な中間部を経て、楽曲の最終部にも現れる。
リストを熱烈に支持し、ピアノ演奏の腕も確かだったオルガ・フォン・マイエンドルフ男爵夫人(1838-1926)宛ての書簡には、「天使の小さい歌を、コージマの長女に書いた」とある。コージマとはリストの次女であり、ヴァーグナーとの結婚を巡って、問題が起こっていた(この時期には不和は解消されていた)コージマ・ヴァーグナー(1837-1930)のことである。その長女のダニエラ・フォン・ビューロー(1860-1940)へ、作品は献呈されている。
第2番「エステ荘の糸杉に寄せて-葬送歌(第1)」 / No.2 "Aux cypres de la Villa d'Este - Threnodie I"
第3番「エステ荘の糸杉に寄せて-葬送歌(第2)」 / No.3 "Aux cypres de la Villa d'Este - Threnodie II"
タイトルにある「エステ荘」とは、エステ家出身の枢機卿イッポリト2世によって1550年に着工されたベネディクト派の修道院であった。その後、豪華な別荘と美しい庭園に改築された。豊富な水資源を生かし、「水オルガンの噴水」や「ドラゴンの噴水」など大小500の噴水が存在し、現在もティヴォリ随一の観光地として人気がある。
リストはそのエステ荘に1868年よりグスターフ・フォン・ホーエンローエ枢機卿の客人として滞在していた。(なお、1869年から85年まで、冬の間はここで過ごしている。)
またタイトルにある「糸杉」は西洋において死や喪を象徴するものとして音楽に限らず、フィンセント・ファン・ゴッホのように絵画等でも多く扱われている。
本作品を作曲するにあたって、リストがヴィルトーソとして活躍する頃より親交があり、リストの作曲活動を支援し続けたカロリーヌ・ザイン=ヴィトゲンシュタイン公爵夫人(1819-87)に宛てて、1877年9月23日付の書簡において次のように書いている。「糸杉の下で過ごしているが、他のことが何も考えられないほどに、この古い糸杉の幹のことで頭がいっぱいになって離れない。私は不変の葉の重さに耐えながら、枝が歌って泣くのを聞いた。最終的にそれらを五線紙に書き留めた…」という内容である。
また本記事の冒頭に引用したマイエンドルフ男爵夫人に宛てた書簡(「絶望的な悲しみに襲われる」)もこの作品の成立と関与していると考えられている。
第2番「エステ荘の糸杉に寄せて-葬送歌(第1)」は、重々しい四度の連続から始まり、陰鬱な雰囲気に満ちた作品。
第3番「エステ荘の糸杉に寄せて-葬送歌(第2)」も同様に力強いが陰鬱さを持った動機から始まり、途中ハンガリー風の旋律を経て、流麗な旋律へと姿を変える。
第4番「エステ荘の噴水」 / No.4 "Les jeux d'eaux a la Villa d'Este"
前に二曲に続いて、エステ荘に関する作品(エステ荘に関しては、前曲の解説を参照のこと)。リスト晩年の作品の中でも最も有名で演奏機会も極めて多い。水をあらわす繊細な動きと朗々とした旋律の明るい作品。しばしば後の印象主義の音楽、例えばモーリス・ラヴェル(1875-1937)の《水の戯れ Jeux d'eau》(1901)やクロード・ドビュッシー(1862-1918)の《水に映る影 Reflets dans l'eau》(1904~05)を先取りしたと言及されている。
曲の半ばには、ヨハネ福音書より引用された「わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」(新共同訳より)との標題がある。
第5番「哀れならずや-ハンガリー風に」 / No.5 "Sunt lacrymae rerum"
原文のタイトルSunt lacrymae rerumはラテン語で、忠実に訳すと「人の世に注ぐ涙あり」となる。
娘コージマとの結婚を巡って問題の生じていたリヒャルト・ヴァーグナー(1813-1883)との和解が成立した1872年に作曲された。もともとは1848-49年に起きたハンガリーの革命の犠牲者へ捧げた《ハンガリー哀歌》という作品。現在の曲名は、古代ローマの詩人ヴェルギリウスの未完の大叙事詩『アエネーイス』の第一歌四六二行より採られている。
前曲とは打って変わって、本作品は重さと暗さに満ちており、一部にハンガリー旋法が用いられている。
第6番「葬送行進曲」 / No.6 "Marche funebre"
1867年6月19 日に処刑されたメキシコ皇帝マクシミリアン1世の為に作曲された。ローマ時代にあたり、《ハンガリー戴冠式ミサ》の初演やリヒャルト・ヴァーグナーと絶縁のあった1867年に作曲。本作品集の中では最も早く作曲された曲である。
マクシミリアン1世(1832-1867)は、ハプスブルグ家の出であり、当時のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916)の弟でもあった。ナポレオン三世によりメキシコの皇帝に据えられたマクシミリアンは当初より地位が不安定だったが、フランス軍の撤退とともに急速に力を失い、捕縛されて銃殺刑に処された。このことはヨーロッパ中に衝撃を与えたとされている。
第7番「心を高めよ」(スルスム・コルダ) / No.7 "Sursum corda!"
作品のタイトルSursum cordaとは、ミサにおける叙唱の前に為される司教と会衆の応答の言葉。属音の静かな連打で始まる本作品は、全音音階(1オクターヴを全音で6等分する)が用いられている。曲名から想起されるように崇高な印象を与える作品である。
演奏のヒント 2017年4月 執筆者: 大井 和郎
5. 哀れならずや-ハンガリー風に(人の世に注ぐ涙あり)
この曲は、巡礼の年第3年に収められている曲で、この「第3年」という曲集全体は他の2つの巡礼の年の曲集に比べ最も音楽的に理解しづらい曲集と言えると思います。この頃のリストの作品は、一昔前の作品のように多くの音を使い人間の限界に挑戦した時期に比べ、音の数は少なく、単純で、宗教的に変わってきたと言えます。この作品を演奏会で演奏したり演奏を聴いたりすることは希であると思います。相当なリストマニアのために、オールリストプログラムなどを組んだときには演奏される可能性もありますが、他の作曲家が入っている場合、この曲をわざわざ選ぶ演奏家の方は少ないと思います。それほどレアです。
筆者はリストの作品を多く弾いてきましたので、この作品もとても魅力を感じます。この作品を演奏するに当たっての演奏のヒントは、とにかく「解りやすく」演奏することに尽きると思います。
それは、音をハッキリと聴かせることであったり、形式をハッキリと把握できるような演奏であることが望ましいです。ただでさえ理解が難しい曲ですので、その辺の配慮がなおさら必要になります。
では冒頭から見ていきましょう。1-8小節間、カデンツの部分になります。威厳、決断、運命、苦しみ、悲しみ、恐れ、といったような心理的描写から入ります。1小節目、1つ目のカデンツはBで終わります。2つめのカデンツは2小節目Aで終わり、幾分Bよりもテンションは和らぎます。
BからA、Aから3小節目はGisに落ち着きます。ですから、B、A、Gis、と下行するに従い、気持ちも少しずつ和らぎますが、不安は残ったままです。何かを模索しているような描写が8小節目まで続きます。即興的な演奏が必要となり、決してメトロノームのようには弾かないようにします。
8小節目はppで、1小節目はFFですので、FFからppまで、8小節間を使って音量を下げていき、ritenutoも守り、4-8小節間は少しぼやけた音質で良いのでは無いかと思います。
9-19小節間、レチタティーボの部分になります。故に、即興的な独奏になり、書いてあるように、molto accentato e doloroso (一つ一つの音をしっかり弾き、悲しみを表現する)を守ります。
9-14小節間よりも、15-19小節間の方のテンションを高めにします。1度音量を落として、20小節目に入り、徐々にcrescendo をして、24小節目をゴールにします。後は書いてあるダイナミックマーキングに従います。
30-41小節間、かなり低いレジスターの音が出てきます。リストの作品を演奏するとき、このような低い音でのペダルは十分に注意しなければなりません。リストの時代のピアノは現代のピアノとは異なり、現代のピアノのように音が長く伸びることは無く、低音も音量は出ませんでした。その時代に書かれたペダリングを現代のピアノに鵜呑みに利用してしまうと何の音が鳴っているか解らなくなってしまったり、必要以上に濁ってしまいます。このような場合、ペダルはできる限り控えめにして、一つ一つの音がハッキリと聞こえるように演奏します。例えば、40-41小節間の左手をご覧下さい。半音階的に動いているのはかなり下の方のレジスターになります。
この時、親指はAsに乗っかっていると思いますが、Asはできる限り弱く弾き、動いている方の声部をハッキリと聞かせるようにします。
42-56小節間、即興的に、55小節目をゴールとして目指します。57小節目から72小節目まで、テンションを徐々に高めていきます。72小節目はゆっくりと衰退します。73小節目より夢の世界のようなイメージを持ちます。89小節目より今度は101小節目を目指して本格的にテンションを上げていきます。
この曲の最後の強弱記号は117小節目の、sempre FFですが、そこから最後まで、強弱記号は書いていません。察するに、最後までsempre FFで良いと思います。
この曲の主題は、9-10小節目の右手、F E H が基本になります。短2度、完全4度の音程ですね。
最もテンションの上がる101小節目の右手もこの主題で、Fis F C 、で、やはり短2度、完全4度の主題になります。
この曲は、巡礼の年第3年に収められている曲で、この「第3年」という曲集全体は他の2つの巡礼の年の曲集に比べ最も音楽的に理解しづらい曲集と言えると思います。この頃のリストの作品は、一昔前の作品のように多くの音を使い人間の限界に挑戦した時期に比べ、音の数は少なく、単純で、宗教的に変わってきたと言えます。この作品を演奏会で演奏したり演奏を聴いたりすることは希であると思います。相当なリストマニアのために、オールリストプログラムなどを組んだときには演奏される可能性もありますが、他の作曲家が入っている場合、この曲をわざわざ選ぶ演奏家の方は少ないと思います。それほどレアです。
筆者はリストの作品を多く弾いてきましたので、この作品もとても魅力を感じます。この作品を演奏するに当たっての演奏のヒントは、とにかく「解りやすく」演奏することに尽きると思います。
それは、音をハッキリと聴かせることであったり、形式をハッキリと把握できるような演奏であることが望ましいです。ただでさえ理解が難しい曲ですので、その辺の配慮がなおさら必要になります。
では冒頭から見ていきましょう。1-8小節間、カデンツの部分になります。威厳、決断、運命、苦しみ、悲しみ、恐れ、といったような心理的描写から入ります。1小節目、1つ目のカデンツはBで終わります。2つめのカデンツは2小節目Aで終わり、幾分Bよりもテンションは和らぎます。
BからA、Aから3小節目はGisに落ち着きます。ですから、B、A、Gis、と下行するに従い、気持ちも少しずつ和らぎますが、不安は残ったままです。何かを模索しているような描写が8小節目まで続きます。即興的な演奏が必要となり、決してメトロノームのようには弾かないようにします。
8小節目はppで、1小節目はFFですので、FFからppまで、8小節間を使って音量を下げていき、ritenutoも守り、4-8小節間は少しぼやけた音質で良いのでは無いかと思います。
9-19小節間、レチタティーボの部分になります。故に、即興的な独奏になり、書いてあるように、molto accentato e doloroso (一つ一つの音をしっかり弾き、悲しみを表現する)を守ります。
9-14小節間よりも、15-19小節間の方のテンションを高めにします。1度音量を落として、20小節目に入り、徐々にcrescendo をして、24小節目をゴールにします。後は書いてあるダイナミックマーキングに従います。
30-41小節間、かなり低いレジスターの音が出てきます。リストの作品を演奏するとき、このような低い音でのペダルは十分に注意しなければなりません。リストの時代のピアノは現代のピアノとは異なり、現代のピアノのように音が長く伸びることは無く、低音も音量は出ませんでした。その時代に書かれたペダリングを現代のピアノに鵜呑みに利用してしまうと何の音が鳴っているか解らなくなってしまったり、必要以上に濁ってしまいます。このような場合、ペダルはできる限り控えめにして、一つ一つの音がハッキリと聞こえるように演奏します。例えば、40-41小節間の左手をご覧下さい。半音階的に動いているのはかなり下の方のレジスターになります。
この時、親指はAsに乗っかっていると思いますが、Asはできる限り弱く弾き、動いている方の声部をハッキリと聞かせるようにします。
42-56小節間、即興的に、55小節目をゴールとして目指します。57小節目から72小節目まで、テンションを徐々に高めていきます。72小節目はゆっくりと衰退します。73小節目より夢の世界のようなイメージを持ちます。89小節目より今度は101小節目を目指して本格的にテンションを上げていきます。
この曲の最後の強弱記号は117小節目の、sempre FFですが、そこから最後まで、強弱記号は書いていません。察するに、最後までsempre FFで良いと思います。
この曲の主題は、9-10小節目の右手、F E H が基本になります。短2度、完全4度の音程ですね。
最もテンションの上がる101小節目の右手もこの主題で、Fis F C 、で、やはり短2度、完全4度の主題になります。
演奏のヒント 2015年11月 執筆者: 大井 和郎
4.「エステ荘の噴水」
この曲の技術は想像するよりも難しいです。これ程まで多くの音があり、その中でメロディーラインは単旋律です。リストの音楽にはよくあることですが、メロディーラインに対してこれほどまで多くの装飾的な音符があるのも珍しいのではないかと思います。ゆえに、バランスが命取りになります。これに関しては後述します。
まず、テンポの問題ですが、テンポマーキングはAllegerttoと書かれています。冒頭(1-13小節間)暴走してしまう演奏を耳にすることがありますが、14小節目以降のテンポと同じです。困難な箇所は遅くし、簡単な箇所は速く弾かないように注意します。そして、メトロノームのような演奏をしないことです。十分なルバートも必要になりますし、ブローディング(その部分のみゆっくり大きく聴かせる)も必要になります。この曲は、リスト本来の厳しさや威厳とは打って変わって、美しさを表現する曲であるので、箇所に応じて、テンポを柔軟にコントロールします。カデンツ的な部分ではテンポをゆっくりにしたりすることはありますが、指示がない限り基本的にaccelはしません。リストはそれでも出来る限りのテンポマーキングを色々な場所に書いています。書かれていることには少なくとも従うようにします。
次にバランスに関してです。主旋律が出てくるのは、40小節目からです。主旋律がどの部分であるかはお分かり頂けると思うのであえてここには書きませんが、この曲の魅力を引き出す1つの方法としては、トレモロやトリルを限りなく速く、弱く、弾くことにあります。それ以外の部分でもメロディーラインでない限りは、音量を出来る限り落としてください。
とは言え、これほどの多くの音符を速く、弱く、弾くためにはそれなりの練習が必要になってきます。例えば、40-53小節間の右手はどのように演奏すれば良いのでしょうか。これはまず、練習してからの話になりますが、最終的には、鍵盤の一番下まで打鍵することはありません。鍵盤の一番下まで打鍵してしまうと、その鍵盤が戻るのに時間を食うからです。しかし鍵盤の中間辺りまでの打鍵であれば鍵盤の戻りも速いですし、音も小さく弾けます。練習方法はいつくもありますが、ヒントとしては筋肉をつけることにあります。素早い手首の回転が必要になりますが、そうするためにはそれなりの筋肉が必要になってきます。ここに練習方法を書くとキリがないので、技術に長けた先生やピアニストに練習方法を訊いてみてください。
54-61小節間の右手はそれほど音数は多くないですが、それでも手首の重さのみを利用して、鍵盤に触れる程度の音量を保ってください。
106小節目はメロディーラインがピークを迎え、最も大きくなる部分です。ここを小さくしてします奏者を何人も聴いていますが、ここは大きく、ブローディングしてください。
108-113小節間と114-119小節間はカラーを変えます。それ以降の、左手6度は、左手の親指を利用して旋律をはっきりと出します。
136-143小節間、ペダルの問題があります。和音が変わるたびにペダルを変えるのですが、和音が変わった瞬間に、右手に3つの連打音があります。普通にペダルを変えるとこの連打音がドライになってしまいます。ペダルは連打音が終わった後で変えるようにします。
144小節目以降、右手の5の指のみを出すようにすると綺麗に仕上がります。当然、左手はpppです。
この曲の最も難所の部分が、182-197小節間になります。左手が問題になります。相当の練習量が必要な部分です。
最後に重要なことをひとつ、この曲をはじめ、巡礼の年には多くの標題が書かれています。しかしながらこれらの曲は人間の心理描写です。絵画的描写ではありません。エステ荘の噴水と言っても、噴水そのものの描写ではなく、噴水を見ている人の頭の中の描写です。
この曲の技術は想像するよりも難しいです。これ程まで多くの音があり、その中でメロディーラインは単旋律です。リストの音楽にはよくあることですが、メロディーラインに対してこれほどまで多くの装飾的な音符があるのも珍しいのではないかと思います。ゆえに、バランスが命取りになります。これに関しては後述します。
まず、テンポの問題ですが、テンポマーキングはAllegerttoと書かれています。冒頭(1-13小節間)暴走してしまう演奏を耳にすることがありますが、14小節目以降のテンポと同じです。困難な箇所は遅くし、簡単な箇所は速く弾かないように注意します。そして、メトロノームのような演奏をしないことです。十分なルバートも必要になりますし、ブローディング(その部分のみゆっくり大きく聴かせる)も必要になります。この曲は、リスト本来の厳しさや威厳とは打って変わって、美しさを表現する曲であるので、箇所に応じて、テンポを柔軟にコントロールします。カデンツ的な部分ではテンポをゆっくりにしたりすることはありますが、指示がない限り基本的にaccelはしません。リストはそれでも出来る限りのテンポマーキングを色々な場所に書いています。書かれていることには少なくとも従うようにします。
次にバランスに関してです。主旋律が出てくるのは、40小節目からです。主旋律がどの部分であるかはお分かり頂けると思うのであえてここには書きませんが、この曲の魅力を引き出す1つの方法としては、トレモロやトリルを限りなく速く、弱く、弾くことにあります。それ以外の部分でもメロディーラインでない限りは、音量を出来る限り落としてください。
とは言え、これほどの多くの音符を速く、弱く、弾くためにはそれなりの練習が必要になってきます。例えば、40-53小節間の右手はどのように演奏すれば良いのでしょうか。これはまず、練習してからの話になりますが、最終的には、鍵盤の一番下まで打鍵することはありません。鍵盤の一番下まで打鍵してしまうと、その鍵盤が戻るのに時間を食うからです。しかし鍵盤の中間辺りまでの打鍵であれば鍵盤の戻りも速いですし、音も小さく弾けます。練習方法はいつくもありますが、ヒントとしては筋肉をつけることにあります。素早い手首の回転が必要になりますが、そうするためにはそれなりの筋肉が必要になってきます。ここに練習方法を書くとキリがないので、技術に長けた先生やピアニストに練習方法を訊いてみてください。
54-61小節間の右手はそれほど音数は多くないですが、それでも手首の重さのみを利用して、鍵盤に触れる程度の音量を保ってください。
106小節目はメロディーラインがピークを迎え、最も大きくなる部分です。ここを小さくしてします奏者を何人も聴いていますが、ここは大きく、ブローディングしてください。
108-113小節間と114-119小節間はカラーを変えます。それ以降の、左手6度は、左手の親指を利用して旋律をはっきりと出します。
136-143小節間、ペダルの問題があります。和音が変わるたびにペダルを変えるのですが、和音が変わった瞬間に、右手に3つの連打音があります。普通にペダルを変えるとこの連打音がドライになってしまいます。ペダルは連打音が終わった後で変えるようにします。
144小節目以降、右手の5の指のみを出すようにすると綺麗に仕上がります。当然、左手はpppです。
この曲の最も難所の部分が、182-197小節間になります。左手が問題になります。相当の練習量が必要な部分です。
最後に重要なことをひとつ、この曲をはじめ、巡礼の年には多くの標題が書かれています。しかしながらこれらの曲は人間の心理描写です。絵画的描写ではありません。エステ荘の噴水と言っても、噴水そのものの描写ではなく、噴水を見ている人の頭の中の描写です。