ひとりシンポジウム “LIVE2016とは何だったのか”

 2016年のツアーが終わる。至福の時間だった。ああ、まだ余韻の吹き荒れる抜け殻状態だぜ。ライブの前は、「つま恋から10年、還暦から10年」とかあれこれ勝手な感慨に耽っていたが、もはや何かから何年とかじゃなく、このツアーそれ自体が輝くエポックとしてこの先の何かの目印・マイルストーンになるような素晴らしいものだった。個人的にも忘れられないライブとなった・・どのライブも忘れてないけど。
 そして何より御大は、これからもツアーを続けることを暗示してくれたし、来年は名古屋、「5年後に全国ツアーに戻す」とまで口走ってくれた。5年後。いわずと知れたボブ・ディランの今と同じ歳だ。これ以上嬉しいことはあろうか。

 しかし、しかしだ。例えば、試合は勝ちさえすれば、そのプレー内容は全部OKでイイのか、三ツ星をもらったレストランの料理は全部美味しいのか。そんなことはあるまい。明日につなげる反省会とストーミングがぜひ必要なはずだ。
 ライブの成功を祝い酔いしれつつも、決してこれで「終わり」や「アガリ」ではない。明日に向かって進む御大と私たちだからこそ、めでたし、めでたしで終わらせられない。「真実のライブ」だからこそ、涙ぐみながら(笑)にあれこれ言っておきたい。

 それでもLIVE2016が残念な三つの理由
 それでもLIVE2016が最高な三つの理由

 ときたもんだ。

それでもLIVE2016が残念な三つの理由

残念な理由1.選曲が凡庸だから

 出た。昔からファンと御大を悩ませ続けたであろうセットリスト問題。人に好き嫌いがある限り万人を満足させる料理のレシピはない。セットリストも同じだ。しかし、しかしだ。
 「春だったね」「落陽」「流星」「人生を語らず」、今回は無かったが「外は白い雪の夜」を筆頭にする定番曲、また今回の演奏曲の多くはここ数年で何度もリフレインされているものが多い。もう十分ではないかと思う。率直に言うと・・すまん、飽きた(爆)。ライブのDVDも擦り切れる程観ちゃったしさ。もちろんこれらはいずれも超絶な名曲だし、そもそも今回のオープニングの怒涛の4曲にも、ああして歌われると打ちのめされ何度も涙ぐんだものだ(爆)。

 しかし、400曲以上とも言われる御大の名曲のレパートリーからなぜ同じ曲ばかりくり返すのか。もったいない。
 かつて「『落陽』は要らないというライブが見えてきた」と御大は自分でも言っていたではないか。もっともっと眠っている他の名曲を聴きたい。例えば、こんだけ「ジャスト・ア・RONIN」を歌うのであれば、一度くらいA面とB面をうっかり間違えて「RONIN」を歌ってみるとか。なんだそりゃ。

 もちろん読んじゃいないだろうが、おそらく御大は「何を歌おうと俺の勝手だろう」と怒るはずだ。しかし、こんなサイトを続けているのは、御大の素晴らしい作品群が大量に溢れかえり、その溢れた作品が地中に埋もれかかっている気がしてならないからだ。だから膨大な名曲の宝庫に埋もれた素晴らしい名曲たちのひとつひとつをちゃんと素人なりにマーキングして愛でておきたかったからだ。

 今回の「WooBaby」と「やせっぽちのブルース」の再入魂は嬉しかったし素晴らしかった。もっともっとそういうのが欲しい。御大は「自分の作品は、みんな自分の子供たちで、いつか自分に返ってくる」と言っていたとおり、もっともっと眠っている子供たちをみつけて出して愛でていってほしい。

 とはいえ美空ひばりが「リンゴ追分」を、ストーンズが「サティスファクション」を、マイク真木が「バラが咲いた」を、藤正樹が「あの娘が作った塩結び」を(爆)定番として歌い続けるように、やはり定番曲が不可欠なものであれば、せめて同時並行で、未演、疎演な作品たちをもっともっともっとたくさん再発掘して、愛でながらステージで歌心を再注入してほしいと思うのだ。

 「定番曲」と「レア曲・新曲」とでしっかりと撚られてこそ「あざなえる最強の縄」ではないか。「トットてれび」の向田邦子の回より、向田理論と名付ける。いみふ。

残念な理由2.もっともっとバンドなバンドが観たかったから

 今年で三回目の武部・鳥山ラインと名うてのミュージシャンたち。今回のライブを鑑賞された某巨匠が、「あれだけ拓郎さんが気持ちよく歌っているのだから、それはバンドとしての素晴らしい仕事をしています」と語った。御意。しかし音楽を知らない一般Pは、黙ってろとも思うが、一般Pだからこそ恥知らずに言ってしまう。

 例えばキーボードが一台とはどうなんだ。かつて、松任谷/山田、永田/中西、松任谷/隅野、鎌田/竹田、小林/永田といったツインのキーボードの音楽世界で育った自分は、もう一台キーボードの音色がどうしても欲しい。
 てか、そもそも誰も弾いていないのに、音が出ているのがどうもなじめない。もちろん、どんなライブでもサンプリングは不可避なのだろうが、例えば「白夜」だって、2009年のビッグバンドで初演のイントロは、キーボード2台にストリングスが寄り添っていた。聴くたびに涙がでる。そんな生音のすばらしさを教えてくれたのは御大、あなたではないか。
 さらに、今回の「マークⅡ」は、そりゃもうすげー興奮したが、やはり本物の管の音が、臍下丹田を突き上げるように唸っていてほしい。
  
 というわけで音楽的構成としては合理的なのかもしれないが、演奏を満たすメロディーや楽器が「鳴る」という質感が、どこか足らなかった気がする。

 さて、コーラス陣の若者は、爽やかで勢いがあってステージを活気づけてくれた。おそらくは、御大のボーカルやキーボード等のメロディー部分を積極的にコーラスが補う組み立てなのだと思う。ただコーラス陣は、上手いものの、若さゆえに青竹のようで高いハモリは、残念ながら御大のボーカルとがあまりしっくりきていた気がしない。
 そしてそんな好青年たちにさらにすまん。満面の笑顔でブイブイ踊っている姿はほほえましいが、なんか元気過ぎるし、テンションが高すぎる。もっと言うと蒸し暑くうるさい。底意地悪い私に言わせれば、君らは「吉田拓郎」のバックコーラスなんだ「田中星児」のバックじゃないんだと言いたくなる。ごめんな、私がジジイなせいかもな。でも会えてよかったよ青年たち。

 バンドというと御大が演奏に身を委ね、演奏に見入り、アイコンタクトを繰り返す絵が浮かぶ。最後のハンドインハンド。例えば、王様バンドの時、彼らは手なんかつながなかったが、その演奏、立ち居振る舞いすべてから「バンド」という強烈な体臭が発散していた。
 昔のバンドが、素晴らしかった、よかった、もう一度というのではない。結束において、音楽的な質力において、ハートにおいて、王様バンド、LOVELOVEオールスターズ、そしてビッグバンド等、これまでのすべてを止揚した現代の最強のバンドを見たいのだ。
 そこでバンドという密な空気で仕上げられた音楽の海に楽しそうに身をゆだねている御大を見たいのだ。

残念な理由3.最高のボーカルに仕上がった途端に終わるから

 初日の市川では、御大の声が変わっていてびっくりした。あるいは音響のせいかもしれない。ただし、「君のスピードで」の声なんかは、今までとまったく違っていた。
 しかし、その声は、最初はややきつそうだったが、やがて伸びやかに、ゆとりをもったボーカルに変遷していき、美しく仕上がっていくのが素人でもわかった。そんな風にボーカルが絶好調に至ったところで、ぷっつり終わってしまうという因果な超短期のツアー。次があることは嬉しいが、また2年先なのだろうか。もっと歌ってくれよ、もっと演奏してくれよとは、誰もが言うことだし、誰より御大本人がそう思っているに違いない。わかる。ここまで大変だったこと。このうえさらに歌えというのがいかに無茶なことはわかる。「朝までやれ」くらい無神経な要求なのものわかる。
 しかし、ここまで美しく仕上がったボーカルが、行くあてもなく、ここで終わってしまうのも悶絶するほどもったいない。

 このステージが、時間と労力を結集し、精緻かつ丹念に作り上げられたものであることはSONGSで御大が語ってくれ、またスタジオの様子も垣間見せてくれたからよくわかる。
 言ってみれば、料理人が腕と経験と技術の粋をつくしたスペシャルディナーのコース料理みたいなものだ。
 しかし、そういうフォーマルなライブもいいが、その隙間を埋めるような、ビストロのような定食屋のようなステージもあっていいのではないかと思う。それはテレビでもいいし、小さなライブスポットでもいい、B面や提供曲あたりから10曲前後でいいから取り上げて、サラリと歌ってほしい。そんなのは無理か。なんなら気分次第で御大は来なくてもいい(笑)。「吉田拓郎が歌うかもしれないライブ(自己責任)」とかでいい。2年間とあけず、日々の暮らしに溶け込むように歌えるリラックスしたステージってないものだろうか。なんとかして、このボーカルを保存・改良すべく歌い続けてくれまいか。

それでもLIVE2016が最高である3つの理由

最高の理由1. 美しい舞台人としての御大がいるから

 70歳になった、声も変わった、目力もなくなり(本人談)、エーエーエーいうようになった。人間としてのあらゆる加齢の宿命を超えて、それでもなお美しく勇壮な吉田拓郎の姿があった。素晴らしい。
 何十回でも言うが、あの立ち姿のシルエットがあれば、たとえセットリストに文句があろうとも、あの姿を見るために、何度でもどこへでも足を運ぶ。
 また2時間以上も、重いギターを抱えて立っていることは、よく考えると、いや考えるまでもなくもの凄いことだ。私のじいちゃんは70歳の時は一日中座椅子に座って動かなかったし、普通の70歳の人はそんなに長時間立っていられまい。だからこそ電車には優先席がある。
 しかも、そのうえに「歌う」というとてつもない心身の重労働をやってのけるのだ。美しく、繊細にして、強靭な舞台人がそこにいるのだ。

 ・・・・あ、でも無理しないで、次の時は、時々座って、休憩もしてほしい。

最高の理由2. 音楽と結ばれた歌心が超絶素晴らしいから

 重苦しい初日のハードな市川から大宮にかけての蘇生、そのあとの進化ぶりには目を見張った。より身軽に、より美しく、より清々しく,御大はステージの上でのびやかに変わっていった。何度でも引用するがエルトンさんの「ライブの現場で蘇生し・進化する人」という言葉がまさに正鵠を得ている。

 今回つくづく思ったのは、それは、努力とか根性とか鍛錬というものではなくて、御大が心と身体で「音楽」を愛し、結縁しているからではないかと思う。御大は、SONGSで、「人生いろいろ道のりは長かった、今なら人生も語れる」と語った。そこで「でも」、と断って、「音楽を始めるとそんなことがみんな全部飛んでしまって、ああ幸せだなあという気持ちひたる」と語っていた。横浜でも、「若いころと違って、最近、音楽をしていると気持ちよくて仕方がない」と漏らしていた。
 以前の日記で西田幾多郎の「純粋経験」とか戯言を書いたが、まさに音楽とひとつになった「純粋経験」、それがゆえに真実と一体となった至福が、御大のすべてを動かしているような気がする。だから、そこには、エネルギッシュだけど、リキんでいない、無理に駆り立てているでもないナチュラルに素晴らしい姿がある。そして、私たちも会場でそんな御大と一体になる瞬間に無上の幸福を得ているのではないかと思う。
 こんなスピリチュアルがかった言い方はしたくないけど、これってさ、御大も観客も、時間をかけてたどり着いたひとつのライブの境地だと思うんだよね(笑)。

 だから、セットリストで不満を垂れた作品についても、御大の歌には異様な説得力があったし、いくつもの名場面があった。

 「アゲイン」は、今回も光を放つ不思議な作品だった。ひとつの作品というよりも、ライブのすべての楽曲のエッセンスを集めて、またすべての楽曲を照らしかえす灯のようであり、そのうえ私たちのこれまでをも照らし出すかのようだ。そんな御大の歌いこみもまた素晴らしかった。聴いていて陶然となった。

 本編中新曲に昇格した「海を泳ぐ男」。「年齢を重ね」、老いるべきところは老い、負けるべきところは負ける。しかし、それでも清々しい明日はある。思い出に足をとられずに毅然と泳いでゆく。そんな爽快さが胸にしみる。「ありのままでいればいい こだわるほどのことじゃない あれはみんな陽炎だったから 今は少し沁みるさ この胸に」・・ いろんなものを振り捨てながら明るく進むフレーズに勇気づけられる。

 「いくつになってもHappybirthday」については、もうこれは国歌にすべきだ。ついでに「夏休み」「吉田町の唄」は唱歌。さらについでに「a day」は、社歌にしてすべての働く女性を元気づけよう。

 本編ラストの「流星」は、このツアーでは特にたまらなかった。最後の最後に感極まってしまう御大の姿に涙し、最後を見事に歌い切ったら切ったで、御大の爽快な笑顔にまた感涙する。どうすりゃいいんだ(笑)とにかくどっちにしても泣くんだから、大切なのは歌いきるかどうかではなく、万感の思いでこの歌が歌われ、「老成」という曲のテーマに追いついた私たちが、みんなスタンディングして聴き入る時間の尊さである。

 「ある雨の日の情景」の至福の合唱参加。そのあとで御大のギターリフの中でバンドが動き出す。なんという名場面。何度もお詫びしたが、スキャンダラスで自堕落な軟弱曲と打ち捨てていた(おい、そこまで言ってなかったろ)「Woo Baby」をここまでポップでカッコイイ作品に蘇生させた御大。またステージのたびに軽やかで爽快な曲に仕上がっていった。思わずステップを踏みたくなるウキウキ感。たまらんぞ。

 「悲しいのは」。「人生を語らず」の前に「悲しいのは」を歌うというこの物量功勢からして凄い。飲み会の後の〆に「ラーメン二郎」へ行く前に「日の出屋カレー」に寄ってメチンカツカレー食べていくようなものだ。いみふ。
 もともとの歌詞は、悲しいのは →私がいるために、→私であるために、→私自身だから、で完結する。原題が「私」であるゆえんだ。だけどこのツアーでは「時が過ぎてしまうこと」でしめくくっている。特に他意はないかもしれないが、岡本おさみさんをも連れて行ってしまう「時間の非情な経過」、それこそが一番悲しいじゃないかという意味かもしれない。
 「人生を語らず」。飽きた、もうたくさんといいつつ、御大の熱唱の前には、自然と拳か上がり、身体を反り返らせるシャウトの姿には涙がこぼれてしまう。感動してんじゃん。ともかく超えて行けと叫ぶ御大の声こそがゆくてを照らすのだ。

最高な理由3. だって「吉田拓郎」がそこで歌うから

 とどのつまりは結局そういうことだ。御大が歌えばそこが最高のステージである。
浜田省吾がいかに大規模なアリーナツアーをしようと、小田和正がいかに自転車で走り回ろうが、藤正樹がいかに紫色の学生服を着ようが(なんなんだよ)、御大のステージこそ最高である。
 このシンポジウムで残念とか言っているのは、最高のステージがもっと良くなるための議論であり、シンポジウムであることは忘れてならないと言えましょう。

 なんか個人的には、盛り上がってきたが、今日はこのくらいで。

 御大、心の底からありがとうございました。また、絶対、またね。>友達かよ

2016.10/30