■ぶどう膜炎とは?
ぶどう膜とは、脈絡膜と毛様体、虹彩の三つをまとめて呼ぶ総称で、これらは眼球全体を包み込むよう広がっています。
なにかしらの原因でこれらの組織に炎症が起こることを「ぶどう膜炎」といいます。
ぶどう膜の特徴の第一は、眼球のほかの部分に比べて血管が多いということで、このことがぶどう膜炎の特徴にも関係してきます。
炎症の原因がぶどう膜そのものにある場合だけでなく、血液の流れと関係して全身のほかの臓器に起こった炎症に伴って、ぶどう膜炎が起こるということです。
もう一つの特徴は、ぶどう膜は網膜とほぼ全面で接しているので、そこに炎症が起こると網膜に影響を与えやすいということです。
網膜は、瞳孔〈どうこう〉から入った光を感知する、カメラのフィルムに該当する組織ですから、その感度が悪くなると、視力が低下して、ときには失明に至ることがあります。
(参考) 特集:ぶどう膜炎 http://www.skk-health.net/me/19/index.html より
以下、自然療法の大家 東城百合子先生の著書「自然療法が体を変える」(p178~) ”失明しかけた視力も、衰弱した体も見事に回復”よりご紹介します。
洋裁で夜遅くまで目を使い、寝不足と不規則な食事をしていたら、急に目に太い筋が出てきました。
だんだん炎症がひどくなり、病院に行ったら、ブドウ膜炎ということでした。
辞典によると、この病気は怖い病気だということで驚きました。
そのうち目がかすむようになり、ほとんど見えなくなりました。
すぐ入院になりましたが、快方に向かうこともなく目の前は真っ暗でした。
その時、一日一食、マラソン十キロによって引き出した自然治癒力で、すべての病気を治すA先生のことを思い出し、大学病院を出て、そこに入院し直しました。
玄米食に味噌汁、大豆製品と野草と海草など、ごく単純な食事を一日一回よく噛んで食べ、十キロ走りました。
二ヶ月くらいして少しずつ見えるようになってきました。
退院の時は、視力は0.9まで回復していました。
(参考) 特集:ぶどう膜炎 http://www.skk-health.net/me/19/index.html より
退院はしたものの、完全に治したいと思い、再入院しました。
ところが、今度は脱力感から力が入りません。
走るどころか、階段を上がるのもしんどくてだるいのです。
それで、二回目は一週間で退院しました。
その頃は気力も無く、起き上がることもなかなか出来ない状態でした。
タクシーに乗ってちょっとしたショックで頭が後ろにそると、それを戻すことが出来ないほど、体力が落ちていました。
A先生に伺うと、食べたい、食べたいと思うから気力が出ないのだと言われました。
この時は、胃とお腹の皮がくっついているのではないかと思うくらいひどく痩せ、歩くのもやっとという状態だったのです。
空気も充分に入らず息苦しい状態で、声もか細くしか出てくれませんでした。
そんな時、二回目の入院で同室だった方から『あなたと健康』誌を教えられ、健康料理教室に入れて頂き、学ぶことになりました。
A先生は油がいけないといって使わない食事だっただけに、この料理教室で油を使うことが、まず気になりました。
ところが講師の先生は
「大丈夫。少しずつ食べてみたらいい」
とサラリとおっしゃいます。
つい、つられて食べてしまったら、意外に食べられます。
他にも、食べられないと思っていたものが食べられて、元気になっていきました。
砂療法にも参加させて頂き、その年は二十回ほど砂に入りました。
それでとても楽になり、気分的にもずいぶんとらわれていたなあと気がつきました。
一日一食にして目が見えるようになったので、お腹がすいてもずっと一食を続けていたのです。
これも、体質を考えてしなくてはいけないことでした。
それでいい人もいます。
でも、私のように持久力や体力のない者は、治るまでは一日一食、十キロマラソンで良かったのですが、治ってからは逆にマイナスになっていました。
それを体が教えてくれていたのに、目のことばかりが心配で、凝り固まっていたのです。
このため、回復するまで二年近くかかりました。
食べ方も二食から、時には軽い一食を入れた三食にしたりしました。
玄米菜食の幅をだんだん広げていくとともに、体力も増し、心も明るくなりました。
手当てや食養生の意義を知り、とらわれていたものを手放して、しっかり学びました。
半年ほどした頃、先生に
「あなた、かわいらしくなって、変わられましたね」
と言われました。
病気をしたことで沢山の良き友を得、色々な治療法を学んで元気になることができました。
●東城先生コメント
病気を治したいとの思いが先に立って、病院、漢方、治療院、一時的に流行する健康法等など、あちこちと歩き回り、そしてグルグル探しているうちに縁あって、私どもの相談室を訪ねる人が殆どです。
でも、どれもこれも必要な道だった。
病気は治すものではなく、学ぶもので、治りにくい生活習慣病は自分が過去歩いてきたことが根にあって、それが枝葉という病気の現象として現れてきている。
そう気づくまでの時間が必要だった。
でも無駄ではなく、これも通ってこそ見つけ出した自分の姿だった。
病気でなければ通れない道を通らせていただけで、自然に生きることの大切さを知った。
病気を治さなくていい、病気に学ぶこととはこれですね。
【出典】自然療法が「体」を変える 東城 百合子著
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