1) まつ毛エクステ、エステサロンに転職した看護師
西圭子は、3年勤めた病院を1週間前に退職した。
看護師になって10年、職業柄か職業を見つめなおすという発想が今までまったく浮かばなかった。資格もあるし、看護師として働いてることが何をするよりも給料はいい。そして何より看護師は引手あまたで就職に困ることがまずない。
そんなわけでこの10年の転職回数3回。知人の紹介なんかで条件の良い病院を転々とした。
しかし、圭子はある日疑問に思った。10年間に3回の転職。看護師ならありがちだけど、一般企業ならどうだろう。おそらく、転職回数は多い方に部類されるに違いない。
看護師という仕事は決して嫌いじゃない。でも、どうしても馴染めないものがある。それは職場の雰囲気だ。あの女だけの独特の世界に馴染めない。もちろん、中にはうまく渡っていける人もいれば、むしろ得意な人だっているだろう。でも、圭子は馴染めなかった。慣れ親しんでいくとちょっと(いやかなり)めんどうな事件が起きたりやっかいな人につきまとわれたりすることがあった。だからあまりどっぷり浸かってしまわないよう3年おきに職場を変えてきたのだ。
今さらだがあらためて考えてみると、他に向いてる職業があるのではないかと思った。
じゃあ、何がしたいのか?と聞かれたってわからない。が、今何か行動を起こさないといけないような気がしてきた。もう31歳なのだ。もっと勉強をしてさらに上を目指すにしろ、まったく違う分野に転職するにしろ、あまりのんびりはしていられない年齢になってしまった。
考え始めると居てもたってもいられなくなった。そこで最初に頭をよぎったことは「まずは看護師から離れてみよう」だった。別に今の病院を辞めなくたって転職活動はできただろうし、いくらだってやりたいことを考えることはできた。でも、忙しい毎日に翻弄され、「自分を見つめなおそう」という情熱もいつの間にかすっかり冷めて、そのままずるずると働き続けてしまうことを避けたかった。
圭子は念願だった無職生活に入った。最初の数日は良かった。ずっと忙しく働いてきたので暇な時間は贅沢にも思えた。しかしそれも1週間を超えたあたりから飽きてくる。あまりに暇で、このまま腐ってしまうのではないかと頭の中がくらくらしてきた。どうにかして、外に出る理由はないものかと考えた。考えてひねり出た案がこれだった。
「そうだ!一枝のサロンへ行ってまつ毛のエクステをやってもらう。」
友人の一枝はサロンの経営をしていた。そこではまつ毛のエクステのほかにネイルやフェイシャルエステなんかをやってくれる。圭子は職業柄、ネイルもまつ毛も装飾したことがなかったので、そのサロンへはほとんど行ったことがなかった。どうせ無職なのだし、思いっきり盛ってもらおう!!と意気揚々、早速予約を取りつけた。
サロンは田町のタワーマンションにある。
一枝のほかにもう一人、スタッフがいた。新しく人を雇ったというのだ。一枝が「今日は新しく入ったスタッフにやってもらうと思うの。その変わりまだ見習いだからお代はいらないわ。どう?」というのだ。無職の圭子は無料に弱い。ぜひお願いしますと新人スタッフにやってもらうことになった。
まずはまつ毛のエクステをつけてもらう。その途中で一枝が「圭子も看護師なのよ」とそのスタッフに話した。スタッフは「わたしも元看護師なんですよ」と圭子に話始めた。圭子はすごく驚いて、なぜこの仕事を始めたのかを聞いた。
「前から美容に関することが好きだったんです。あと細かい作業も好きなんですね。趣味としてスクールに通いながらお友達にやってあげてるうちに本格的にやってみたくなって、勤めていた病院を辞めてサロンでアルバイトを始めたんです。」
そこへ一枝が「元看護師さんだから、手先が器用で要領がとてもいいのよ」と、褒めた。確かに「看護師は手先が器用じゃないとやれない商売なのよ」と、よく先輩看護師に言われたものだ。
「それに、最近ニュースになったじゃない。まつ毛エクステの糊で、角膜に傷がつく人が急増していて、今後は美容師の資格を持っている人じゃないと施術をしてはいけないことになったの。だから、看護師さんの資格があるって強みよね。」
もし、サロンを経営することになっても看護師の資格があるなら、お客さんも安心して施術を受けられるし、きっとそのことがクチコミで広がってお客も増えていくに違いない。
「看護師から比べるとお給料は下がってしまったし安定はしてないんですけど、すごく楽しいです。もともと人と接するのが好きですし、こんなふうにピンセットを使って細かい作業をするのは慣れていますしね。今後自宅なんかでサロンをオープンさせたいと思ってるんです。そしたら収入はもっと増えますしね。自分の好きなようにサロンを飾ってって考えてると、あんなふうにしたい、こんな風にしたいっていろいろ想像しちゃって。それがすごく楽しいです。自分のお店が持てるんだって。ふふ」
看護師の資格はこんなふうにまったく違うと思ってた美容の分野でも生かせることができるんだと、圭子は新しい発見をした。このスタッフの生き生きした姿を見て、なんだかとてもうらやましくなった。そして自分には何が向いているのだろうと無限に広がる可能性を考えると、なんだかわくわくしてきた。