流美農園について

少し、私のことをお話いたします。

春から冬の入り口まで鼻をズーズー、目はカユカユ。そう、花粉症。
もう20年のお付き合いです。

30歳から、健康ブームにのり私もいろんな健康法を試しました。
花粉症以外は特に不健康というわけではなかったけれど、
新しい健康法にのっかているのがトレンディみたいな風潮もありますからね、
そんなミーハーなノリだったのかもしれません。

マクロビオティックも勉強して、玄米菜食の食事法も厳密にやりました。
花粉症を何とかしたいと思う一方、マクロビやってるよ、という時代の一番先を行ってる感が気に入っていたのかもしれません。
そんなの自己満足ですけどね。
その他にも、健康法やダイエット法を、次から次へと手当たり次第に。
結局、花粉症は治ることのないままでしたが、私の生活に玄米菜食・有機野菜の食事はしっかり根付きました。

そんなとき、父が有機農の会社を立ち上げるから、私に関わってほしいと言うのです。
もちろん二つ返事でOK。
私自身、有機野菜を売っているお店を探すのに苦労していましたし、
有機野菜がもっと便利にもっとお手ごろに買える日本になれば、
日本人はもっと健康になるのではないかとウキウキしたものです。
父の農業生産法人では、最初はホームページを担当、だんだん営業や販売をするようになりました。
「野菜を売っているのではない、健康な社会づくりをしている」
自分の仕事をそうとらえ、誇りをもってとても熱心に仕事に打ち込みました。

「病のない社会をつくりたい」
いつしか、私の生きる目的になっていきました。

健康に関わる仕事をしているのに、私の花粉症は治ることはなく、
春から秋まではズーズー・カユカユ。
説得力ないなぁどうにかしたいなぁ、とずっと思っていました。

営業や販売という、人生で初めての仕事はとても楽しくて、健康な社会をつくっているという充実感もあり、
とてもハードだったけど寝ても覚めても仕事に打ち込む毎日でした。
ところが、2014年の末に急に会社を辞めることになりました。

朝から晩まで、夢でも仕事をしていた毎日だったのに、ぽっかり時間があいてしまった。
私は24歳で起業しましたが、それ以降こんなに時間があるのははじめてのことです。
正直、たっぷりある時間を前に、ちょっと不安でした。

そんなとき、森羅万象から見つめた食の本質を説くの記事をまとめた本の第二冊目「野人えっせいすⅡ」が発売されていると知り、早速購入。
数年に「野人エッセイす」というブログに出会ったときの衝撃がよみがえってきます。

このブログに出会ったのは確か、自然農に興味を持って調べていたときだったと思います。
ブログ画面の左側にズラリと並ぶ「テーマ」には、
「オーガニックの矛盾」や「マクロビの盲点」「健康食品の矛盾」など、刺激的な文字列が並びます。
マクロビを実践し、オーガニック野菜を販売する私は驚いてしまい、見開いた目がさらにまぁるくなりました。

でも、海のこと、大地のこと、植物のこと、つまり自然界の仕組みを熟知した著者のムーさんが書く文章は説得力があり、
マクロビを実践しオーガニック野菜を販売している身としては抵抗がありながらも、時間を見つけて少しずつブログを読み進めました。
ブログ記事をまとめた本「野人エッセイす」を読んだとき、まだまだ抵抗はあるけれど「真理」がそこにあるに違いないと思い、
三重県の伊勢までお会いしに行きました。

海を臨むムーさんの施設「ゴーリキマリンビレッジ」で、ムーさんに言われたことは
「花粉症?重症なん?別にたいして難しいことせんでいい。」
ということ。
20年も格闘しているのに「たいしてせんでいい」とはどういうことでしょう?
花粉症から話しはスタートし、食や健康、農についていろいろ話しをお聞きしました。
よく理解できていないこともありましたが、キーワードだけあげるとこんな感じです。
・生命エネルギー
・本来の食
・食品成分の愚
・有機農業も慣行農法もかわらない(ある意味で)
・重要なのは皮脂と微生物
・自然から学ぶ
・野菜とは何か

分かったのか、分からなかったのか、確かにそうだとは思うけど受け入れる勇気がなかったり……
いろんな思いがうずまく伊勢へのムーさん訪問となりました。

それから仕事に没頭する毎日でしばらくはブログも読んでいなかったけれど、
「野人エッセイすⅡ」を読んだとき「一から勉強しなおそう」と決めました。
ぞっこんだった、マクロビや有機農業は「健康のため」「環境のため」という目的は達成できないと理解したからです。
人間は自然界の一部。健康な社会を目指すなら、自然のことを知る必要がある、学びなおそう。

それからはブログ「野人エッセイす」で学ぶ毎日。
自然界の仕組みはどうなっているのか、野菜とは何なのか、
自然界という視点で見たときマクロビは?オーガニックは?どうなのか……。
そして、人はなぜ病気になるのか。

まだまだ学びきるには遠く、そんなことはできないかもしれないけど、
病や不調には「食べ物」が深く関わっていることを知りました。

「そんなこと誰だってわかってるでしょう」と思われるかもしれませんね。
そう、みんな知ってることです。
でも「食べ物の何が」ということをきちんと説明できる人はいません。
ムーさんは、何十年にも渡り、海や山という自然界を研究した結果、
自然界の野生動物は病気もなくピンピンしているのに、人と人が育てるペット・飼育した牛豚鶏、
つまり「人とが関わった動物」には病気がはびこっていることの原因を
「森羅万象から見た食の本質から離れている」ことと指摘されています。

自然界の動物は、例外なく「自然界が生んだ動植物」を食べています。
「命」つまり生命力をいただく、それが食の本質。

人はと言うと……加工品だけでなく、牛・豚・鶏などの肉、魚、そして野菜までほとんどが「人が作ったもの」です。
自然界の食の本質とは、かけ離れていますね。

とはいえ、山に入り野生動物を仕留めたり、休日に沢で採った魚を毎日食べる……って生活を誰もが送るわけにはいきません。
私だってそうです。
でも「野菜」ならできる。
幸いなことに、家庭菜園をしていたのでムーさんのブログで自然界の仕組みを学び、
自然界の仕組みを活かしつつ収量アップも見込める「協生農法」を畑で実践することにしました。

私が収穫するために作っているので、厳密に言うと「栽培」ですが、私がやることは豊かな自然環境ができ、
なおかつ収量を上げるために環境整備をしているだけです。
薬や化学、有機肥料はもちろん使いません。まわりの動植物と協力しながら自分の力で生き抜く野菜ができる環境を作っています。
その野菜をたとえるなら、山や野に自生する山菜と同じようなもの、ということができます。
春に芽吹く山菜はデトックス効果があるとか言われますが、それは自然界が生んだものが持っている生命力があるからです。
同じ山菜でも畑で栽培した山菜にはその効果は期待できません。

そして、自分の畑の野菜を食べるようになってから2ヶ月、もう腐れ縁と割り切っていた花粉症はピタリと止みました。
20年間のお付き合いだった花粉症。
何をやってもびくともしなかった花粉症。
それが、こんなにあっけなく……。

そのことによって、「食の本質」を確信することができました。

私の畑は家庭菜園なので箱庭サイズ。
まだ環境も十分ではないので、できる野菜の量も多くはありません。
でも、私と同じように食の本質を勉強し、
生命力を持った食べ物をとりたいと思っている方に提供できるようになりたいと思い、
いま、少しずつ規模を広げていってるところです。

近代医療は「病気になってから」かかるもの。
不調になったときお医者さんや薬に助けられることは私もありますが、
病気になったら病院に行って治してもらったらいい、
とみんなが思っていればいつまでたっても健康な社会にはなりません。

「病のない社会」を作りたい。
自然が生んだ生命力ある野菜ができる環境を、自分のためと社会のために作っています。

ブログ「野人エッセイす」に出会い、自然界の法則を勉強しながら実践し花粉症が消滅したことや、
自然界の法則から学んだことをまとめた体験記を電子書籍で出版しました。

協生農法と自然農(自然農法)の違い

「自然の仕組みの中で野菜が育つ」
「肥料や水をあげない」
と言うと、自然農(自然農法)と思われますが、
協生農法と自然農(自然農法)は別のものです。

自然農(自然農法)には、明確な定義がありません。
放任・草ぼうぼう・肥料や水をあげない……というイメージがあるだけで、
”何がどうであれば自然農(自然農法)”というのが定義づけられていないのです。
だから手法は人によってまちまちで、水や肥料をあげる人もいれば、
マルチを使う人も、草をかたっぱしから抜く人もいます。
定義がなく意味があいまいたなめ、
私は自然農(自然農法)という言葉はなるべく使わないようにしています。

一方の協生農法は、自然界の仕組みを壊さず自然界にいる動植物の協生関係を大きくする環境づくりをすることで
人間にとっての利、つまり収穫を得つつ、自然界にいる動植物にも利があり、
環境の破壊をしないどころか環境の修復につながる農法です。

「自然界の仕組み」に基づいているかどうかということが大きな違いです。
そして「自然界の仕組み」に基づきつつ、時間軸、空間軸を活用することで、
従来の農法(慣行農法、有機農法、自然農)に比べて
何倍、何十倍もの生産を可能にすることができます。

私がはじめて自分の畑を持ったとき、自然界の仕組みを知らず、
イメージで「自然農」をやっていました。
草原の一部を草刈りしそこに野菜を植え、種をまく。
あとは放任。
という感じです。
今でも自然界の仕組みをすべて知ることなく、もちろんこれから何年かかってもそれは難しいことですが、
大切なところについて知った今、振り返ってみると
当時は「たまたま、自然の仕組みに沿っていた」と言えます。
ところが、自然の仕組みを理解していたわけではないので、
そのときはたまたま沿っていたけれど、
次に何かやるときはたまたま自然の仕組みから反してしまう……なんてこともあるのです。
また「仕組み」を理解していなかったため、
草の中にポツポツとある野菜はあっという間に草にもみ消され、
苦労はしても野菜はとれず……なんてことがありました。

自然界の仕組みを理解し、それをこわさず「収穫するための、環境整備」をすることで、
たくさんの収穫を得ることもできるようになってきました。

私は、この協生農法をブログ野人エッセイすで学んでいます。
著者のムーさんは、ブログだけでなく著書や勉強会で自然界の仕組み、
森羅万象から見た食の本質を説く機会を提供してくれています。
今も勉強会にはできるだけ参加して、自然の仕組み、食の本質を学んでいます。

協生農法についてより詳しくお知りになりたい方は、
ブログ野人エッセイすで学ばれるのが良いと思います。
ムーさんは、自然界の仕組みを「協生農法理論」としてわかりやすく説き、
その仕組みを農に活かした協生農法についてもブログで詳しく説明してくださっています。

⇒ ブログ「野人エッセイす」

清水流美プロフィール


1999年24歳でWEBデザイナーとして起業、翌年、ギネス記録申請コンサルタントへ

女性起業家という響きへの憧れか、24歳でWEBデザイナーとして起業。
すぐに「この業界はやばい、とうてい付いていけない」と判断し、何かないか…と模索するなかでふと目にした
「ギネスブック」に着目し「ギネス記録申請コンサルタント」をこっそりはじめたのが2000年。
こっそりであれば、失敗したとしてもこっそりやめることができる……そんな思いのスタートです。
それもそのはず、だれもやったことがない(私ももちろんやったことがない)
ギネス申請コンサルタントという仕事ですから、ニーズがあるかどうかもわからないわけです。

営業経験も皆無な中、暗中模索を続けても成果はあがらず、
「自分はどうなっていくのだろう」という不安な日々が数年続き、それはそれは精魂尽きる手前までいきました。もしかすると尽きてしまっていたかもしれません。
そんな私に対しても神様は見放すことをしなかった。仏様か神様か、あるいは両方か。
救われたのです。

良くなりたい
の一心で、さまざまな勉強。
自分を変える勉強、マーケティングの勉強、インターネットの勉強、広報の勉強。
お金も情報も無い中、持っているアンテナをぜんぶピーンとはり、勉強できるものは勉強しつくしました。
そして実践しつくしました。
成果は、びっくりするほどゆっくりとでしたが、少しずつ上を見ることができるようになり、厳しかった社会からの反応も「あの子遊びでギネスコンサルとか言ってやってる」から「女性起業家清水流美が、新たなビジネス分野を開拓した」のような評価をいただけるようになりました。


ギネス記録申請コンサルタントとして多くのギネス記録を生み出す

当時は景気もよかったからでしょうか、「ギネス申請をしたい」という依頼も多く、数々のギネス記録の誕生のお手伝いをしました。
そんな中、新聞・テレビ・雑誌・ラジオのようなマスコミにも多く取り上げられ、「女性起業家」らしい一瞬も経験しました。楽しかったですね。

ギネス記録申請コンサルティングという事業のマーケティングとして選んだのは、WEBマーケティングつまりWEBサイトでの情報発信で見込客を集客する方法と、広報つまりマスコミに取り上げてもらうことで信憑性を身につけること。
研究と実践を重ねていくうちに、WEBマーケティングと広報も当社のサービスにできるまでになり、困っている方や企業のお手伝いをさせていただくようになりました。

ところがリーマンショック東日本大震災を機に、あっという間に社会環境が変化し、ギネス記録申請コンサルティング部は突然閑古鳥。
全てが環境のせいではありません、環境に左右されるビジネスモデルであったというのが弱かったのです。


農業との出会い

社会環境の変化に対して、あれこれ言っても仕方ありません。
ちょうどその頃は、みわ・ダッシュ村に関わり始めていた頃でしたので、農業の勉強に明け暮れました。
農業は、農作業・農業政策・地域活性・食・健康・食育……など、様々な側面があり、勉強をしてもしても、しつくせません。いつも新しい課題を与えてくれる、楽しい相棒が見つかった感じです。


ギネス記録申請コンサルタントを終える

2013年春、13年間続けてきたギネス記録申請コンサルタントという仕事にピリオドを打ちました。
自分で開拓した事業だったため、とても寂しい気持ちはありましたが、私が提供していたサービスとまったく同じ(に、私には見える)サービスを、ギネス社が同じような価格帯ではじめたため、「お客様にとってわかりにくい構図」に感じ、私という存在は居ないほうが良いだろうと判断したのです。

「ギネスの清水さん」と呼ばれて長かったので、寂しい気持ちはありますが判断は間違っていないと思っています。


農業へ打ち込む

逆に言うと、100%の時間を農業に打ち込むことができるようになったともいえます。
「今」と「これから」を充実させるため、「農」の側面からよりよい社会を作るために、これまでの経験と時間を活用していきたいと考えています。