【キレイだ、って言わせたい vol.15】

携帯電話を握る手が、じっとりと濡れている。
たかだか電話を1本かけただけのことで、こんなにも緊張するなんて。

ついに、ついに予約を入れてしまった。藤森先生からチケットを贈られて早くもひと月以上がすぎている。悩みに悩み、強い力に背中を押され、ようやく予約の電話を入れることが出来た。明後日の午前11時から14時までの3時間、わたしは特別顧客として極上のマッサージを受けに行く。

『エステティックサロンに行くだけで、どうしてそこまで緊張するの?』

と、多くの人は笑うだろう。そういう人は1度、“ドラえもん体型”と呼ばれるくらいまで太ってみればいい。そうすればわたしの気持ちが少しは分かるだろう。

「太っているからエステに来たのね……フフフ」だとか、「この“ドラちゃん”が痩せるには1年以上はかかるわね……プフフ」「こんなにも太っているから旦那さんに愛想をつかされたのね……クスクス」などと影で笑われてしまうんじゃないかと思うと、怖くて悔しくて、今にも泣いてしまいそう。

それに、エステティックサロンに勤務している人は全員が全員、痩せているだろうし『美』に携わるお仕事だけあって皆が皆、美人で若いに違いない。それにひきかえこちらは鏡を覗くたび、姿見に全身を映すたびに『時』と『現実』の残酷さに打ちのめされているのだ。これ以上、ミジメな思いはしたくない。キレイにはなりたい。プロの手もネコの手も借りたいほど、出来れば1日でも早くキレイになりたい。だけど、だけど——。

「エステ行きました?」と藤森先生からメールが届いたのは、つい2時間ほど前。いつの間にか、クリニックの診療が始まるまでの30分が、わたしたちの朝のコミュニケーションタイムになっていた。

「太ってるからエステに来たんだ、って思われるのが恥ずかしくて行く勇気がない」と返事を送ると、「その通りなんだからいいじゃない♪」と血も涙も同情も、女心への配慮のひとつもないメールがすぐさま届いた。あまりにあっけらかんとした文面が、わたしの心をわずかに動かした。

「少ししか話せないけど、電話しようか?」

勇気不足なアラフォー女の背中を押してやろうとでも思ったのか、彼は開口一番「グダグダ言ってると、また太るよ〜♪ お腹の肉をチュニックで隠すのはもう卒業した方がいいよ〜♪」と、奇妙な抑揚をつけてわたしを煽った。

「でも……勧誘とかされたらどうする? 本気で痩せたいなら通うべきですよ! って、脅されたりしないかなぁ……」
「大丈夫だよ。僕、そのエステの社長さん家の犬を看てるけど、社長さんも奥さんもすごく品のいい方たちだよ。テレビに出てくるギラギラしたエステの女社長たちとはまったく違うから、安心していいよ」
「ほんとー?」
「ほんと。それにさ、もしそのエステに通いたくなったら……まぁ……なんていうか……」

ズケズケとものを言うのが売り(?)の悪魔が、珍しくためらっている。しかも、気のせいか恥ずかしがっているような——。

「本気で痩せようと思っていて、きちんとエステに通うなら、ぼ……ぼぼぼぼぼ……」
「ぼぼぼ?」

どうしたっていうんだろう。
なんだかヘンだ、今朝の悪魔。かなりヘンだ。

「ぼ……僕が半分くらい出してあげてもいいですよ」
「半分? なんのこと?」
「エステの費用のことに決まってるでしょ! とにかく早くエステに電話してよ! 診療が始まるから切りますよ! デブっ!」

酷い言葉を投げつけられて一方的に電話を切られたのに、わたしの心は躍っていた。実際に声に出して「ふふふ」と笑ってもいたらしい。わたしの笑い声に反応を見せるビリーが「どうしたの? なにかいいことあった?」と、2本の前肢でわたしのヒザをグイグイと押している。

「なんかさー。この間、“好きだ”って言ってくれたじゃん、あの悪魔。あの日からちょっと可愛いんだよね、アイツ」

彼の言う、『モテない発言』はあながちウソではなかったようで、17歳の頃に半年間ガールフレンドがいた以外は、女性とは縁のない(彼曰く、女性を徹底して避けた)生活を送ってきたらしい。

“アイツ、ぜんぜん手を出してこないの。つまんない男。金持ちだしイケメンだから、早くキメて若いセレブ妻になりたいのに”と、ガールフレンドが友だちに話しているのを偶然聞いてしまい、それはそれは痛く傷ついたらしい。

以降、藤森少年は『オンナなんて最低だ!』『オンナは全員、敵だ!』『あいつらに関わるとロクなことがない!』と自身に言い聞かせ、かといって男性に走るわけでもなく、心を鬼にして“純情可憐”に生きてきたらしい。

「僕は超がつくほど“綺麗”なオトコです! 悪いですか!」

12回目のお食事デートのあとに行ったBARでの、突然の“生娘宣言”に、店内は沸きに沸いた。興奮のあまり叫ぶように声を張り上げている彼に、客たちは拍手と声援を送ったのだった――。

あの夜の彼の勇姿と、デブ発言に背中を押されて、まずは特別顧客としてエステティックサロンの招待を受ける覚悟を決めた。可愛い生娘(?)のために、いっちょキレイを取り戻しますか。

ん? あれ? そういえば……藤森先生、おかしなことを言ってたわね。わたしがエステに通うなら、その費用を半分持つとかなんとか。なんで? どうして? どういうこと?

つづく