ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 ユラメク2014年3月3日 18:56「千歳」低い声が耳に馴染む。ああ心地が良いと思った。心配そうな声と共に手を引かれて、やたら温かい彼の手にほっと息を吐く。同時に鼻腔を擽った夕飯の匂いに思考が溶けたのが分かった。「おかえり。雨、酷かったろう」玄関の扉が閉まると共に彼の胸に抱きすくめられる。彼の服までも濡れてしまう、と思ったが、彼が気にしないようだったのでおとなしく抱かれていた。冷えた身体に触れる体温も、彼の声も、優しすぎてどうにかなってしまいそうだ。今日の夕飯は何だろうか。肩に顎を乗せたまま目を閉じる。桔平の匂いだ(すき)「きっぺえ」「どうした?」「ただいま・・」緩むように笑った自分を、目の前の恋人は困ったように笑って抱きしめてくれた。下着までずぶ濡れであることも、駅からの帰り傘を盗まれてしまっていたことも、きっと彼はお見通しなのだろう。「随分冷えたな。風呂、沸かしてあるから、おいで」「うん」手を引かれるがまま玄関を上がり、水を吸った重い衣服を脱がされる。自分だけが一糸纏わぬ姿になるというのは、今更気恥ずかしいと感じるわけではないにしろ、なかなか新鮮なことではあった。恋人は自分1人で風呂に入って来いとは言わなかったし、ごく自然な動作で服を着たままもう一度自分の手を引き風呂場に入って扉を閉めたから、特に違和感も抵抗もなかった。濡れて冷え切った身体を空気が撫でるとさらに寒気を感じて小さく震える。それを察した恋人はシャワーを捻り、自分をタイルに座らせて頭から温かい湯を掛けてくれた。「目、閉じとけよ」「うん」(ぬくか)湯が止まり、彼の指の感触と共にシャンプーの匂いがふわりと香る。恋人と自分が同じシャンプーの匂いというのは、とても幸福なことのように思えた。彼が着ているカーディガンの袖も、ズボンの裾も、見えないけれどきっと泡や湯で濡れていて、それらは総じて愛の証なのだ。「なあ、きっぺ」「ん?」泡立てたタオルで全身を洗われる。腕や脚を持ち上げられるのも全て彼任せにして、余りの心地良さに、本音が口から零れて、おちた。「おれ、死ぬなら、今が良かなあ」「・・はは」(怒るかと、思ったのに)予想に反して恋人は可笑しそうに肩を揺らした。どうやら真意はまたしても汲み取られてしまったようだった。頭や身体の泡をすっかりシャワーで流される。脇の下に差し入れられた逞しい腕は易々と自分を立ち上がらせ、そして湯舟に浸された。たっぷりのぬるま湯に、あたまもこころも蕩けていく気が、した。「馬鹿言うな」服をびしょ濡れにしたまま、タイルに座った恋人は、湯舟の縁に腕を置く。湯舟に身体を沈めたままそちらを向けば、驚くほど間近に意志の強い瞳が見えた(おれの、)「まだまだ、こんなもんじゃ済まさんぞ」(俺の、ひかり)それは確かに、弱い右目にも映る唯一のものだ。きっと幸せすぎて溺れてしまった。それなのに恋人は、まだ今よりももっと幸せにすると笑う。「男前ばいねえ、俺の旦那さんは」「嫁には尽くすタイプなんでな」「あは、惚れ直しそうたい」(お蔭で、桔平しか見えん)すぐ近くにあった頬に唇をすり寄せて、薄い唇を食む。予想外の行動に驚いたらしい恋人は目を見開いていた。湯気で濡れた茶色の虹彩が綺麗だ。「ン、」硬い頬も、意外と長い睫毛も、形の良い耳も、骨張った手指も、筋肉質な身体も。心配症なところも、料理をする後ろ姿も、太陽みたいに笑う顔も、もう全部(すきで、しょんなか)「きっぺえ」ちゃぷん、と、湯が揺れた。湯気に意識が霞む。理性が湯に溶ける。のぼせるには、まだ早い。強請ることはあったって自分からキスをするなんてことは初めてに等しかった。恋人の頭を抱き寄せて何度も口づけ、柔い舌を絡める。本当に、自分を風呂に入れてそれで終わるつもりだっただろう恋人には、急転直下の衝撃に違いなかった。それでも、(桔平、が)「欲しか」たったこれだけで真意を汲み取ってしまえる恋人が、誇らしいと同時に少し恥ずかしくもあった。きっと、今までも、たくさんの隠したいことは無駄だったに違いない。だけどそれでも、自分が隠したかったという事実だけ伝わればいいとも思う。彼と離れ離れだった期間に幾度も押し殺した気持ちや、流せなかった涙は、返しきれないほどの愛情を後から後から注がれて、いとも簡単にあふれ出してしまったから(すき)(桔平、)「あいしとう、よ」刹那、噛みつくようなキスが返ってきて息を呑む。余裕を無くした恋人はまるで獣のようだった。普段どれだけ優しく甘やかされていたのかを思い知った気がした。身体中を愛撫され牙を立てられ、湯を掻き分け入ってきた塊は酷く熱くてどうしようもなく泣けた。この男にひたすら愛されているという感覚に、頭の先から爪先まで浸ったまま、愛しい人にしがみついてただただ啼いた。溺れて死ぬならやはり今がいい、などと、蕩けた頭の片隅で考えた。泣きながら意識は途切れて、消えたユラメク(ゆらゆら、と)(バスタブに沈む愛).