2013年01月18日
 
 偽刀談義
 
 
 偽物を買った話

 
 大名のびりにつくより旗本の筆頭でいたいというので、
一万石のお墨附きの中から十石返上して九千九百九十石を領したという
横田筑後守の末孫某が、
刀はよいから買ってくれ、いいものから売り尽くした最後のものだ。
といって備前物の古刀をもって来た。
光忠の銘が切ってあった。
今から十年ばかり前の事で、大した金額でもなかったから、
快く承諾して引き取った。
無論偽銘は承知の上の事で、本物だったら、磨り上げとはいい
条二尺二寸もあるのだから、二千金は動かぬところだ。
この刀をだんだん調べてみると、
光忠の光の字と忠の字が何となく異なって見える。
忠の字の中の錆がどうも新しいように思える上に、
光の上に字を消したらしい痕跡がある。
何だかわからぬけれども、幽〔かす〕かに残っているが、判読はできない。
それからおよそ一ヶ年も経た頃、ある書物に、
食塩水につけて一両日置くと、新しい錆が吹き出してくる。
その吹き出物を辿って読めば、判読のできる事は、
刀剣鑑定の大祖三河入道の口伝にあるという事が書いてあったので、
その通りにしてみると、果たせるかな七八個の点々が現れてきた。
子供の懸賞によくあるもののように、その点々を線でつないでみると、
それが勝と判読できた。
即ち勝光の勝の字を削って、光の字を生かし、
その下に忠を切った幼稚な偽銘とわかったが、
昔はこれで平気で光忠だと威張って歩いたものらしい。
 それから今日まで、銘を消したらしい疑いのある中心にぶつかる度に、
そうした方法で判読に努めて見ると、面白いように元の銘が出てくる。
中心というものは、いくら鑢〔やすり〕ですり減らしても点だけは残る。
この点までも取るとなると、中心がうんと薄くなってしまう。
それで大抵にして偽銘を切るが、偽銘は削った上には切らない。
 その後出来心からこの刀の中心を磨りへらして、
無銘の恰好にしておこうと思って、
自身に鑢をかけてみたが、どうしても減らない。
何としても薄い跡が残るので、持っているのもいやになり、
その頃目白にいた深谷という研ぎ師の乞うがままにやって、
代わりに無銘を受け取った。
そいつを今度は友人某がほしいというので、
二尺六寸五分の無銘太刀の身と交換して今に持っている。
 今年の春、初等教育界の重鎮野口援太郎先生が見えて、
出征中のご子息の要求によって家にある日本刀を送りたいが見てくれ、
といって持って来られたのは、
二尺三寸五分、反りのやや高い古刀であった。
肌は板目に杢目が交じり、刃紋はのたれ心の直刃ほつれで、
青江一派というような感じではあるが、無銘でわからない。
ところが、よく見ると、どうやら銘を磨り減らしてあるらしく思われたので、
暫時借りておいて、例の塩水を塗ったり、
拡大鏡で見たりして判読これつとめると、備中國水田住國重と読めた。
この銘と、刀の造りぶりと刃紋地紋がことごとく一致したので、
その趣きをつげ、やや名のある刀だから大切にした方がよいといってあげた。
その片面にもどうやら別の銘があったらしいが、
これはどうも判読できなかった。
ことによると、この方は偽銘であって、
それは徹底的に磨り落としたものらしく、中心も特にその方が薄かった。
 巧妙な偽物をつかませられた思い出がひとつある。
一尺二寸、平造りの小脇差しで、銘は備前長船倫光とあって、
中心の恰好銘振りにまず相違はないらしく、
刀身刃紋も倫光といってさしつかえないもの。
しかもそれが拵えつきで、鞘は凄い出来の笛巻〔ふえまき〕、
柄は深藍色の本糸巻き、目貫椽頭〔ふちかしら〕とも
厚い金ぎせ菊模様の四分一で、相当なものである上に、
目釘穴と柄の関係にも、刀身と鞘の具合にも、いささかの無理がない。
 誰の眼にも、この拵えから見てこの刀身だからというのでまず本物だという。
ただひとつ合点がゆかぬのは中心の錆色で、その他に、
倫光ならここがこうだといって説明したものがあったけれども、
惚れ込んだ者の耳には、けちをつけるとしか聞こえなかった。
 ところが、最近に至って、これは往昔、拵えを買い集め、
それに合わせてつくった偽物で、鍛冶の手口から見て、
水心子末派のしわざだろうという事がわかった。
 買った時は、拵えが拵えだからと、その点ばかり一図に信じてしまったので、
むしろ安すぎると思ったくらいであったが、
こうした事実と判明してみると、それが水心子の本物としても
せいぜい三十圓ぐらいというのだからたまらない。
 昨今またまたこの方法が復活して、
軍刀にした後の鞘を手当たり次第買い集め、
その鞘に合わせて洋鉄素延べの刀をつくり、
化学作用で中心の古色を出して「この鞘から見ても本物でさァ」などと
売りつける手が盛んに行なわれている事を耳にした。
生〔なま〕っかじりの半可通につかませるには、無類の方法である。
 そうした偽銘に限って、決して上作上々作に似せたものではなくて、
事変前だと一刀四、五十圓で買えた、
尾張関政常だとか、備後高田實行だとかいう、
特徴の常識化されていないものを選んで似せたり、
偽銘を切るなど、どこまでも手口が人心の機微を掴んでいる。







Last updated  2013年02月23日 03時23分24秒