2006年、『真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 殉愛の章』なる新作映画が公開されたようですね。
また最近では「ラオウの追悼式」が催されるなど、いまだに熱烈な支持を得ているようで、リアルタイム読者としては本当に嬉しい限りです。
しかしながら、私はそれに関する幾つかのブログを読んで、愕然とした事があるんです。
それは「北斗の拳を知らない」という若い人が結構多いという事でした。
それもそのはず、今の10代、1980年代以降に生まれた人はもちろん知らないし、連載中に産声を上げた20代の若い人も、リアルタイムの熱気を直に感じたことがないんですよね。幼すぎて。
私にとって『北斗の拳』は当たり前の存在で、「自分が知っているように、みんな知っているだろう」という感覚がありますから、「知らない人」の存在はけっこうショックでした。
自分がババアになったということを思い知らされる一方で、「こんないい漫画を知らないなんて、人生最大の損失ですよ、奥さん」みたいな気持ちになったからです。
「北斗の拳」というと、過激な暴力シーンばかりが強調されがちですが、物語の根底には原作者・武論尊の人生哲学に満ちあふれ、ラオウ死闘編までの前半はとにかくネーム(セリフ)が秀逸です。
男性ならずとも心痺れるような熱いセリフが目白押しです。
死闘編の後は、無理に連載を長引かせようとしているのが見え見えで、それまでの勢いが急速に失墜しますけど(ファルコやシャチといった新キャラは取って付けたような感じだし、ケンシロウとラオウの故国のエピソードも必要ないでしょう。『ラオウに実の兄がいた』という設定は、前半の『北斗の長兄としての意地』が説得力を無くしますからね)
にもかかわらず、この作品が今なお燦然たる輝きをもって読み継がれるのは、やはり男(人間)の魂に強く訴えかけるものがあるからかもしれません。
近年になって読み始めた若い人の中には、この作品が80年代の人気カルチャーをベースに描かれていることをご存知ない方も多いのではないかと思います。
これを機会に『北斗の拳』の元ネタを知り、作品への理解を深めて頂けたら嬉しいです。
『北斗の拳』と80年代カルチャー
『199X年、地球は核の炎に包まれた。だが、人類はまだ死滅していなかった』――
この有名なイントロ、そして作品の舞台設定のベースとなっているのは、80年代、世界中でヒットしたメル・ギブソン主演の『マッドマックス』です。
「世紀末の破滅」というテーマがまだ身近であった時代、『マッドマックス』は、暗い過去を背負ったヒーロー像とスピード感あふれるカーアクションで一世を風靡しました。
それまでほとんど無名だったメル・ギブソンの出世作でもあります。
世紀末の焼けつくような荒野とパンクで凶悪なライダーたち。
『北斗の拳』の舞台設定をインスパイアしたのは、この作品に間違いないです。
ケンシロウのコスチュームも、マックスのものと酷似しているでしょう。
『北斗の拳』のリアルタイム読者が自然とその世界に入っていけたのも、この『マッドマックス』が若い人の間で非常に人気があったからなんですね。
『北斗の拳』が連載された80年代というのは、バブル全盛期で、怖いもの知らずだった反面、いつかこんな繁栄は脆く崩れ去ってしまうのではないか、それはきっと世紀末だろう……という、暗い予感に脅かされた時代でもありました。
「199X年、地球は核の炎に包まれた」というイントロは、そうした繁栄と滅亡の予感を見事に言い表したものであり、暴力が吹き荒れる荒野で、正義の為に闘うケンシロウの姿は、豊かさと軽薄文化の中でヘナチョコになりつつある若い世代にとって、一つの理想像だったのではないでしょうか。
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この「ケンシロウ」のモデルは言うまでもなく、1970年代の伝説のスーパースター、ブルース・リーですね。
彼のハリウッド進出第一弾である『燃えよドラゴン』は世界中で大ヒットし、当時の男の子の部屋にはブルース・リーの等身大ポスターが貼ってあったり、おもちゃのヌンチャクがあったり、学校では跳び蹴りやチョップが流行って問題になるなど、若い世代に一大ブームを巻き起こしました。
残念なことに、当のブルース・リーは新作映画の撮影途中に謎の死を遂げ、この映画が世界的にヒットした事実を知ることなく、この世を去ったのです。
しかし、彼のアクションは世界中のクリエーターに大きな影響を与え、今もなお、その面影をあらゆる作品に見ることができます。
「マトリックス」「チャーリーズ・エンジェル」「M:I-2(ミッション:インポッシブル2)」など、ブルース・リーの動きを模したアクション映画は数知れません。
ちなみに、ケンシロウの「アタタタター」の叫び声もブルース・リーにインスパイアされたものです。(有名な話ですよね^_^;)
そして今ひとつ、カンフー大好きなファン層に絶大な支持を得たのが、リー・リン・チェイ(ジェット・リー)主演の『少林寺』です。
ブルース・リーの『燃えよドラゴン』がアクション&サスペンスな演出であるのに対し、『少林寺』は、本物の少林拳の使い手が総出演したこともあって、よりリアリティにあふれ、ファンの心を鷲掴みにしました。
(実際には、ワイヤーアクションばりばりなんだそうですが)
この映画のヒットを受けて、少林寺拳法を習いに行く男の子も増えたし、「ハッ、ハッ、ハハッ」のかけ声も流行しました。
一躍有名になった少林寺拳法に、コミカルな味付けをしたジャッキー・チェンの映画が登場したのは、この後です。
圧巻なのは、基礎練習(?)を行う部屋の石畳が、拳士達の足の動きによって、お椀のように窪んでいる場面ですね。
この窪みは演出用ではなく、少林寺に実在するもので、今でも拳士たちはこの石畳の上で研鑽を積んでいるそうです。
以前、ショー・コスギが、筋肉系の番組で取材した時にそう紹介していました。
『北斗の拳』では、「人里離れた山奥に秘かに技を伝授する寺院がある」とか、「北斗神拳の師リュウケンのが少林寺の官長さまに似ている(数珠とか袈裟とか)」とか、インスパイアされた部分は多いと思います。
サブキャラのモチーフ
さて、『北斗の拳』のキャラクターと言えば、ラオウ、トキ、マミヤ、レイなどが有名ですが、脇役も非常に味のあるキャラが多く、それがこの作品の魅力の一つとなっています。
たとえば、下記にもピックアップしている南斗六聖拳の一人、『妖星のユダ』は、80年代ポップスを代表するビジュアル系の元祖、ボーイ・ジョージがモデルだと思います。
今でこそおかまメイクをほどこした男のビジュアル系なんて珍しくも何ともないですが、80年代においては結構センセーショナルな出来事でした。
その先陣を切ったのがボーイ・ジョージであり、世に出てきた時には、「この人、男? 女?」と首を傾げるぐらい綺麗で華やかだったのです。今はすっかり中年太りして、NYかどこかで隠遁しているというもっぱらの噂ですが。
日本では、IZAM(吉川ひなのと結婚して、すぐ離婚した)がボーイ・ジョージを真似て、日本語訳で歌っていました。
しかし、ボーイ・ジョージ(カルチャー・クラブ)の曲は、今でもラジオで時々流れるほど、クオリティが高かったように思います。
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お次が、「無抵抗の村の村長」。
これは紛れもなく、「インドの父」と呼ばれ、「無抵抗主義」を唱えたマハトマ・ガンジーをモデルにしています。
北斗の拳ではラオウに頭を割られていましたけど(汗)、インドに自由をもたらした、立派な方なんですよ。
「無抵抗の村」のエピソードは、私が最も気に入っているものです。
下記に詳しく書いていますので、ぜひご覧下さいね。
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お次が、元斗皇拳の使い手、「金色のファルコ」。
ファルコのモデルは、『ロッキー4』に登場するソ連のボクサー「ドラコ」(ドルフ・ラングレン)に間違いありません。
この写真では分かりにくいですが、髪型も風貌もそっくりでした。
ドラコは、ソ連で機械的なトレーニングを受けた殺人的ボクサーで、ロッキーは、ドラコに命を奪われた親友の敵を討つためにリングに上がります。
「ロッキー4」は、米ソ冷戦下に作られた映画だけあって、「冷徹無比なソ連人」というタイピカルな設定と、「敵とも解り合える」という、いかにもなオチが世間の失笑を買い、ラジー賞に選ばれた大コケの作品でもあります。
こちらもシルベスター・スタローンのパロディ。
人質に取られたリンを救うために修羅の国を訪れたケンシロウが、下記のような格好で小舟に揺られていました。
そのまんまです。
金色のファルコ編で、台車に乗って登場する敵キャラ、「はあ、はあ、はあ、息をするのも面倒くせ~」の人。
臭い息を吐いて、ケンシロウに頭を割られたのは、『スター・ウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還 』に登場する、ジャバ・ザ・ハットのパロディですね。
お次は、サヴァ国の王女サラ。
これは当時つっぱりアイドルとして人気のあった三原順子さんがモデルだと思います。
私は見た瞬間、「おお、順子だ」と確信しました。(今、国会議員)
あと、五車星の一人、「雲のジュウザ」は、若かりし日のクリント・イーストウッドがモデルでしょうね、多分。
顔はともかく、髪型は昔のダーティーハリーにそっくりです。やさぐれたた雰囲気なんかも。
最後に、リュウとの放浪編で、「コウケツ」という狡賢い地主が登場します。
「オオカミも肥えさせればブタになる」と、かつての拳士たちを金の力で飼い慣らし、貧しい民を「働いて土地を耕せば、働きに応じてそれを分け与えよう」と騙して死ぬまで強制労働させ、私利私欲を貪るとんでもない悪人です。
「死んだ者たちは、どうしましょうか」と部下が聞くと、
「切り刻んで、畑に撒きなさぁい。いい肥やしになる」なんて答えていたのが印象的でした。
この小柄な男が、ロボットみたいな大男と合体してケンシロウと闘う場面があるのですが、これは『マッドマックス3 サンダードーム』に登場するマスター・ブラスターのパロディですね。
監獄の看守マスターと、知能は低いが力持ちのブラスターが合体すると、不敵の殺人鬼になるという設定です。
下のファイティング・シーンには覆面をした大男だけが登場しますが、通常、この男の肩にはマスターが乗っています。
大男が危機に瀕した時、心配そうに戦いを見守るマスターの顔が一瞬だけ登場します。
マックスが拾って吹く笛は、マスターが大男をコントロールする為に使っているもので、『北斗の拳』でも、コウケツが大男をコントロールする時、ピロピロ~と吹いていたような記憶があります。
マッドマックスでは、「マスターがブラスターを息子のように可愛がっている」という設定になっており、大男がマックスに倒されると、マスターが号泣するシーンがあったように記憶しています。
ちなみに、メル・ギブソンの人気を決定づけたマッドマックス三部作ですが、当のメル・ギブソンは、Part3に関しては出演するのがイヤでイヤで、撮影中はビールばかり飲んでいて、最悪のコンディションだった……という談話が残っています。
この三部作の後、ヒューマン・ドラマへの出演が増えたのも、ただの筋肉バカではない、「演技派」であることをアピールしたかったのかもしれません。
このように、『北斗の拳』が80年代に大ヒットしたのも、当時流行していた映画やアイドルを上手に取り入れたからではないかと思います。
100%オリジナルにこだわることなく、ちょっと遊び心のあった点が若い読者層にアピールしたのではないでしょうか。
他にもいろいろあったはずなんですけど、今は本が手元にないので、覚えている分だけピックアップしました♪
作品への理解を深めていただけたら嬉しいです(はあと)
北斗の拳 名言集
ラ・ラ・ラオウ~は名セリフの宝庫
信念に命を捨てるのもよいだろう
だがそれが一体なんになる!
死ねばなにごとも無
どんな死も汚れたヤセ犬の死とかわらぬ!
女戦士マミヤの村に現れた拳王ラオウ。
末弟のケンシロウは闘いを挑みますが、次兄のトキは彼を秘孔縛で制し、同じ剛の拳をもつ二人が相打ちになる前に、身をもって闘い方を示そうとします。
が、トキは死の病におかされた身、ラオウと闘えば死は免れません。
それを知りながら、ラオウに正面から挑み、北斗神拳の精神を教えようとするトキに対して、ラオウが吐くセリフです。
あくまで信念を貫こうとするトキの行動も、現実路線の兄貴にすれば、愚か者といったところでしょうか。
「美しき敗北」などありはしない。
「負け犬は負け犬。敗北はどこまでいっても敗北でしかない」――これもまた真実かもしれません。
小僧! 怖くば俺の腕を食いちぎってでも抗え!
戦わねば その震えは止まらぬ!
ラオウの軍勢が無抵抗の村を襲った時、村人達はいっさい抵抗せず、逆に水や食糧を差し出して、笑顔で応えます。
「なぜ抵抗せぬ?」ラオウが問いかけると、
「抵抗は相手の力を生みます。無抵抗は我々弱者の自分を守るべき唯一の武器なのです」と、村長は答えます。
するとラオウは子供を捕らえ、「ならば、その武器でこの小僧の命を守ってみよ!」。
捕らえられた子供は恐怖に震えながらも、必死に笑おうとします。
ラオウが「なぜ笑うのか」と問うと、「『何があっても笑っていろ、心を捨てろ』と」。
するとラオウは上記のように、子供に戦う事を教えるのです。
意志を放棄した人間は人間にあらず
ただ笑いと媚びに生きて何が人間だ!
この言葉、一番好きですね。
心魅かれた女の情けは 男にとって最大の屈辱!
上記のセリフは、ケンシロウとの闘いで傷を負ったラオウに対し、ユリアが、
「まだ闘おうというのですか? もう勝負はついたはずです」
と言った言葉に対して、ラオウが返すものです。
ケンシロウとラオウが再会して拳を交えている時、海の将リハクの計略により、建物の天井が崩れ、ラオウは重傷を負いますが、余力でユリアを奪い取り、自分の城へと連れ去ります。
しかし、傷を負ったラオウはそのまま意識を失い、気が付いた時には、傷口に包帯を巻かれて、ベッドに横たわっていました。
傷を手当てしたのは、ユリアでした。
本来なら、意識を失ったラオウを殺してしまってもよかったのに、ユリアは情けをかけて、ラオウを救ったのです。
その『情け』が屈辱である、とラオウは言っているわけですね。
この気持ち、すごくよく分かります。
今 ユリアとケンシロウ
二つを望むことはできぬ
このラオウの生き方はひとつ!
「哀しみを知らぬ男に 本物の勝利はないのだ」というケンシロウの言葉に、このままでは決してケンシロウに勝つことは出来ないと悟ったラオウは、哀しみを知る為に、ユリアを手に掛けようとします。
そうなって初めて「愛」を自覚したラオウは、一瞬、戦いを捨てて、愛を取ろうとしますが、やはり最後には「天を目指す」自分の生き様を選び、戦いへと赴くのでした。
我が生涯に一片の悔いなし!
かくしてケンシロウとの死闘に敗れたラオウは、自らの意志で天に帰ることを決します。
そして、最後の一言がこれ。かくありたいですね。
世紀末のボーイ・ジョージ : ユダ
おまえたち、おれは美しいか?
今でこそ「キレイな男」も市民権を得ているけど、一昔前は奇異な存在でした。
今は至る所に、「キレイ」を目指すナルシスト君がいっぱい。
ナルシストは、自己満足だけで生きて行けるという意味ではとっても幸せだけど、いちいち、こうやって人に確認しないと安心できないカワイソウな人種でもあります。
う……生まれて初めて、他人を美しいと!!
同じ門下で拳を学んだ南斗水鳥拳のレイと、紅鶴拳のユダ。
レイの美しい動きに一瞬心を奪われたナルシストのユダは、「一生の不覚」に感じ、自尊心を傷付けられた報復として、レイに復讐を誓います。
自分より優れたものや強いものに対し、妙な憎しみを感じてしまうところが、いかにもナルシスト君。
でも、こういう心理は、誰の中にもあるかもしれません。
君は弟子たちに一体どういう教育をしてきたのか? : リュウケン
恐ろしい男よ!!
わたしは恐ろしい男をつくりあげてしまった!!
一子相伝が掟の北斗神拳。
その伝承者に末弟のケンシロウが選ばれた時、長兄ラオウは「拳を捨てよ」と命じる師リュウケンに対し、
「俺は誰の命令も受けぬ。たとえ神の命令でもな」と答えます。
(その前に、リュウケンに『その拳で何を目指すか』と聞かれ、『目指すは、天』と答える場面もありました)
「そんなことは神が許さぬぞ」
「ならば神とも闘うまで!」
断言するラオウに、
「恐ろしい男よ……わしは恐ろしい男を作り上げてしまった……」と、リュウケンは自らラオウの拳を封じ込めるべく戦いを挑みます。
この一言に、世の親の嘆きみたいなものを感じますね。
自分では理想通りの強い男に育てていたつもりが、どこがどう狂ったか、とんでもない独裁者を作り出してしまった。
しかし、その萌芽は成長過程で見えておったろうに。
リュウケンは自らを省みる間さえ与えられず、ラオウに倒されてしまいました。ナンマイダ。
この世で最強のものは無……その無より転じて生を拾う。
それが無想転生。
北斗神拳の究極奥義「無想転生」。
それは哀しみを背負った人間のみがなしうる、最強の技。
武論尊は敬虔な仏教徒なのか? と思わずにいないこのアイデア。
「無より転じて生を拾う」という思想はいいですね。
最後に正統派ヒーローの一言 : ケンシロウ
おまえの心はひとり
だが 俺の中には長兄ラオウへの想い ユリアへの想いが生きている。
天地が砕く剛拳も この一握りの心を砕くことはできぬ!!
ラオウとの死闘の果て、二人は意を決して最後の一撃を交わします。
しかし、地に倒れたのはラオウの方でした。
「ば……ばかな。このラオウの全身全霊の拳が……」
と自問するラオウにケンシロウが答えるのが上記のセリフ。
作者のメッセージの中核が、この一言に凝縮されているなあと思いました。
と同時に、最初は単なる格闘漫画から始まったものが、作者の思い入れによって、どんどん高みに上っていった過程が伺える一場面でもあります。
私がこの作品に惹かれたのも(ラオウの死闘編までですが)、こうした深い精神性に支えられているからなんですね。
それだけに、下手に人気が出て、取って付けたような続編が作られたことがまことに惜しい!
ユリアを抱いて荒野を去っていったケンシロウがその後、どうなったか、もちろん興味がないわけではないけれど、ラオウに勝る適役が現れなかった事と、その後の闘いに深い精神性や意義が見えなかったことが、続編を急速に萎ませてしまった要因ではないかと思います。
まあ、それでも、通して読む価値はありますね。
最後の方で、暴君だったはずのラオウがまるで神様のように格上げされていたのが少々気になりますが。
ちゅうか、いったい、どこの女に子供(リュウ)を産ませたのだ???
この謎だけは、解いて欲しかったッス。
ラオウと寝た世界一勇敢な女性に、乾杯。
Slump / ラオウが教えてくれたこと ~メルマガ『Clair de Lune』より
迷った時、落ち込んだ時、行き詰まった時……etc
日常の処理能力を超える問題が生じた時は、
とにかく具体的に行動するに限る。
布団の中でウンウン唸っていても駄目だ。
職探しで困ってるなら、求人誌を買いあさる。
とにかくハロー・ワークに行ってみる。
行政の窓口に電話してみる。
図書館で、仕事関連の本を借りまくって読む。
「駄目だ、駄目だ」と嘆いている間にも、いろんなactionを起こせるものだ。
もちろん、すぐに結果は出ない。
すべてが良い方向に転ぶとも限らない。
大半が無駄足に終わることもあるだろう。
それでも、日々の小さな行動の積み重ねが、自身への信頼につながり、明日また行動する力につながる。
少なくとも、自己嫌悪に陥らずに済む。
私は一度、敷金の返還をめぐって不動産屋と徹底抗戦したことがあるけど、そりゃもう壮絶な闘いでしたよ。
向こうは、私が「女一人」だと思って、言いたい放題やりたい放題。
身に覚えのないトイレの修理費の請求書を突きつけられて、
怒髪天をつく思いをしたものです。
私は身に覚えのない修理費など、びた一文払う気はなかったし、不動産屋がいくら「とりあえず敷金の一部を振り込ませてもらいます」と言っても、絶対に受け取らなかった。
だって、修理費を差し引いた敷金を受け取るということは、
私が修理費を出すことに同意したも同じこと。
それに一端受け取ってしまうと、残りのお金(修理費の分)を請求しにくくなり、そのまま押し切られる可能性大だからだです。
不動産屋は引越し先まで押しかけてくるわ、一時間おきに電話してくるわで、失礼千万。
正直、恐ろしかったですね。身のキケンを感じましたもん。
だけど私もびた一文払う気なかったから、消費者センターに電話かけたり、行政の窓口に相談に行ったり、不動産屋の本社に訴えたり、いろいろやりましたよ(笑)
そのうち、最初に契約した時の担当者の居所が分かり、仲介に入ってもらって、やっと全額返還にこぎつけたのです。
向こうも、「女一人」がここまでやるとは思ってなかったんでしょ(笑)。
私が泣き寝入りして、折れるのを期待してたみたいでね。
仲介が入った時には、手の平かえしたように謝りたおしてましたよ。
徹底抗戦すること八ヶ月。
時には途方に暮れて、床に突っ伏して泣いたこともあったけど、「私の方が正しい」という絶対的な自信があったから、一歩も譲りませんでした。
で、勝因は何かと言うと、やっぱり具体的に行動した事なんですよね。
女学生みたいにワアワア泣いてるだけなら、身に覚えのない6万8千円の修理費を払って、今だに屈辱に震えてたような気がします。
もちろん不動産屋相手に女一人で闘うのはとても恐かったけど、恐怖って闘ううちに克服されるものなんですよ。
私の大好きな漫画『北斗の拳』では、拳王のラオウが「無抵抗」を教え込まれた子供に向かって、こう言います。
「小僧!怖くば、俺の腕を引きちぎってでも抗え!
戦わねば、その震えは止まらぬ!」
どんな人間も、トラブルや未知の物事には恐怖を感じるものですが、逃げて逃げて逃げまくり、泣いて泣いて泣き暮らすより、腹くくって立ち向かっていった方が、必ず良い結果に結びつくんですよ。
人間って、行き詰まった時にはどうしても閉鎖的になりがちだけど、これをやると何もかも流れが止まってしまうんだよね。
何でもいいから、とにかく動くこと。具体的に行動すること。
それが必ず突破口になる。
突破口にならないまでも、心と身体の生産活動を維持してくれる。
Actionだけが、心のモヤを取り払ってくれるんですよ。
私もさあ、今日という今日は疲れ果てて、(くっそー、今日はテレビでも見て、ぼ~っとするか)と思ってたのだけど、
金曜ロードショーの『陪審員』が面白くもなんともねえの!
せっかくビデオまで回して期待してたのに、
「なんなの、このくだらなさは……」の世界 (-。-)y-゚゚゚
で、結局、ビデオを止めて、パソコン開いて、ごちゃごちゃいじってるうちに、「メルマガでも書くか」という気になった。……そうやって書き始めると一気なんだよね、これが。
書いてるうちに、涙も止まってしまった。
神様、アタシに「書く」という趣味を与えて下さってありがとう。
初稿:99/05/30
『北斗の拳』に関するアイテム
「199X年、地球は核の炎に包まれた。だが人類はまだ死滅してはいなかった・・」 (有名なイントロ)
戦後、荒野と化した世界を、暴力が支配する時代、一子相伝の暗殺拳、『北斗神拳』を受け継ぐ男ケンシロウが、弱き者を救うため、悲劇の村に現れる。
『世紀末覇者』をめぐる、北斗の三兄弟の壮絶な闘いなど、時代を超えて読み継がれる、格闘マンガの金字塔。
文句の付けようのない作品だけども、惜しむらくは後半。
取って付けたようなケンシロウの兄弟キャラが登場したり、新しい拳士が登場したりと、前半とトーンの違う部分も多く、ラオウが死んだ時点で終了すれば良かったのでは……と思うことしきり。
全巻買い揃えるのは非常に勇気が要ったけども(レジに持って行くのが恥ずかしかった)、買っただけの価値はあった。
今でも、空で言えるセリフがたくさんある。
私が、この作品を読んで一番考えさせられたのは、「人生、やっぱり勝たなきゃダメ」ってことだ。
「勝つ」=「相手より優れる」ではなく、自分自身に勝つということ。
自ら溺れ、あきらめ、引き下がるような負け犬にはなりたくない。
そういう心意気(北斗風に言えば、覇気)を教えてくれた、青春の一冊である。
【Amazon レビューより】
昔一世風靡した漫画ですが、最初は内容をよく知らず、単に暴力描写のきつい漫画くらいにしか理解していませんでした。しかし、読み進める毎にその誤解は払拭されました。
人間の尊厳や誇りを持って生きるという事を、うまく伝えてる作品であると思います。
連載時、ラオウ編の最終話では、涙しながら読んだ記憶があります。
完全版として帰ってきた今、改めて読み直した作品です。 お薦めです。
香港の裏社会に君臨する実力者ハン(シー・キエン)が主催する武術トーナメントに、世界中の武術家が招待された。アメリカのウィリアムズ(ジム・ケリー)、ローパー(ジョン・サクソン)はその招待状を受け取り、香港へ向かう。一方、少林寺で武術を修行中のリー(ブルース・リー)という若者は、秘密情報局から、トーナメントに出場し、ハンの麻薬製造密売の内情を探り出す要請を受ける。一度は断ったリーだったが、修道僧長から、ハンもかつては少林寺の修行僧であったが、修めた武術の知識を悪用していること、また父から数年前に姉がハンの手下オハラの犠牲になった事を聞かされ、秘密情報局からの要請を承諾し、トーナメントに出場する事を決意する。そしてリーは秘密の任務と復讐心を胸に秘め、トーナメント会場の島へと向かうのだった…。
『北斗の拳』のケンシロウが、ブルース・リーをイメージして創られたことは言うまでもない。
また、ブルースのアクションは、世界中のクリエイターに多大な影響を与え、今なお、多くの映画の中に、その源流を見ることができる。(マトリックス、ミッション・インポッシブル2、チャーリーズ・エンジェル等々)。
この映画が流行した頃、若い男の子の部屋には、必ずといっていいほどブルースのポスターが貼られていたし、イミテーションのヌンチャクをぶんぶん振り回して遊んでいる子も多かった。
学校の教室の片隅では、いつも誰かが技を掛け合っていた思い出もある。
それほどまでに熱く、鮮烈で、見る者を惹き付けずにいないブルース・リーだが、この映画が全世界の注目を集めた時、当のブルースは、それを知ることもなく、既にこの世を去っていた。享年32歳。その死因は今だ明らかでない。
王将軍に父を殺された小虎は、仲間と共に復讐を誓う。
リー・リンチェイ(ジェット・リー)の記念すべき映画デビュー作にして、全世界に少林寺ブームを巻き起こしたカンフーアクション。
ブルース・リー亡き後、ジャッキー・チェンと並んで、カンフー映画の新しい潮流を作った記念碑的な作品。
『少林寺拳法』というものを世界中に知らしめた。
ブルース・リーのそれが、「アクション」を意識して作られたものなら、これは、カンフーの歴史や本質に迫った本格派拳法映画で、「少林寺拳法とは何か」を知る、入門的な要素を含んでいる。
日本人好みの大層な話運びも、目の回るようなアクションも、大変に見応えがあり、いつまでも色褪せない秀作だ。
【Amazon レビューより】
リンチェイの武術は1秒間に5動作くらい動き、跳躍の軌道の頂点で開始し完成する技の美しさなど、大変速い。映画の中盤にある一人の演武は、見事な武術に加えて高い精神性を感じさせる表現力があり、その美しさに畏敬と驚嘆の念を覚えずにいられません。
出演している若い武道家達は全員が素晴らしい武術を披露しています。自身の足のみで、軽く大人の背の高さは跳躍して攻撃します。格闘家として恐ろしく強く、様々な武具を使った武術に長けており、一人一人に違った美しさがあります。まさに本物の凄さで感動させる、中国武術の映画の金字塔的作品です。
リュック・ベッソンが製作し、中国アクションスターのジェット・リーが主演したノワールアクション。中国からギャングを追ってパリ入りした捜査官が、事件に巻き込まれた娼婦を助けるため、命懸けでパリの町を疾走する姿を描く。
中国武術の達人リーが、ワイヤーに頼らない生身のアクションを披露、その華麗かつ機敏な動きに圧倒されること必至。針を使った中国らしい武器も登場するなど、小技をきかせたユニークなバトルシーンも見ものだ。
またブリジット・フォンダ扮する娼婦と心を通わせながらも、決して恋に落ちないシャイで紳士的なキャラもリーにピッタリで、ベストキャスティングといえよう。
共演はチェッキ・カリョ、極悪刑事に扮する彼の情け容赦ない悪漢ぶりも注目だ。(『ニキータ』では、心秘かにニキータを愛する、渋い上官役を演じていた。素敵な俳優)
バタ臭いイメージのあるジェット・リー(リー・リンチェイ)だが、この映画では非常にスタイリッシュに描かれており、「さすが、ベンソン」と唸らずにいない。
ドラマではブリジット・フォンダの方が背が高くて、どうなるかと心配したが、二人の絡みに全くSEXの匂いがしないところがかえって好印象だった。
ラストでは、『北斗の拳』の経絡秘孔を思わす禁断のツボが登場し、悪役が血ヘドをはいて倒れる場面は圧巻。
カンフーに興味がなくても楽しめる映画だ。
【Amazon レビューより】
キス・オブ・ザ・ドラゴンは禁断のツボ。主役のジェット・リーのカンフーの素晴らしさもさることながら、彼が自由自在に操る針が東洋的な魅力を更にアップさせている映画です。あまり笑わない真剣な演技の中にも、温かい人情を多分に感じさせるジェット・リーの男らしい優しさが光ります。最後に禁断のツボキス・オブ・ザ・ドラゴンに針を立てるシーンはぞっとするほど迫力があります。新しいカンフースターの誕生を全世界に宣言する映画と言えるでしょう。