院長紹介

院長紹介

子供時代

 福岡県みやま市(旧山門郡瀬高町)という純農村地帯のお寺に生まれました
 かなり信者さんを集めた祖父が1代で建立した寺でした
 その祖父も父が子供のころに亡くなり、私が生まれた当時は叔父が住職をしていました
 
 両親は教職で共稼ぎでしたから田舎では当時はまだ少ない鍵っ子でした
 父は幼いときに両親を亡くしていたためか家族愛というものを上手に表現できず、また身の回りのことは何一つできないものでしたから母親は常に忙しく立ち働いていました
 2歳上の姉がいつも面倒見てくれていたのでしっかりした女性には頭が上がりません
 
 生家である寺は小高い丘というより山の上にありましたので、遊びに来てくれる友達もいなく元々病弱で本を読むことが好きな内気な子供でした

 また教職である両親や、僧職である親戚などの中で育ったものですから、みな説教が上手でしたけれど、子供心に『先生』という呼称に反発を持った少しひねた子供時代でした
 大学受験時もあまり人と関わりのない技術職を選択したくて第一志望は海洋土木学部で海底油田の開発などをしたいと思っていました
 当時は唯一東海大学にしかなかったのですが、私が受験するちょうどその年に国立系では初めて鹿児島大学に開設されました
 当然鹿児島大学が第一志望だったのですが当時の受験は1期2期の2期制でした
鹿児島大学は後期日程でしたので受験練習にと前期日程と同日試験だった九州歯科大学を腕試し受験をしたのです
 結果合格したのですが、当時姉が福岡の大学に通学中でアパートを借りていたものですから居候すれば下宿代もかからないし、生活も乱れないだろうと親には歯科大学入学を勧められそれならと転向してしまいました

学生時代

大学に入学したものの最初のオリエンテーションで口腔癌の手術ビデオを見せられ青くなってしまいました
 私は自分の指を怪我しても出血を見ると青ざめる方でしたからビデオの間は下を向き吐き気を我慢していました

 未だに出血を見ると気持ちが悪くなることがあります
 そのため抜歯の時でも出来るだけ小さい傷で処置を終えるようにしています

学生時代はもっぱら部活動に明け暮れていました
九州歯科大学山岳部歯学科に入学したようなものでした
 入学式に学生服で言ったものですから部活の先輩に田舎者と簡単に見抜かれたのです
田舎者ならきつい部活でも音を上げないだろうと誘われたのです

 私自身他人と話すのが下手でしたし実家が丘の上でしたから山に登るくらいなら大丈夫だろうと高を括っていたのです

 部活では毎年4~5回は北アルプスの遠征す
るために普段はバイトに明け暮れていました
 
 4年時には北アルプス全山縦走を
 5年時には南アルプス全山縦走を敢行したのですが南アルプスでは後輩についていけず先行した後輩に「リーダーを置いていくとはなんてやつだ」と八つ当たりしながら落ち目の自分を認識したものです

勤務医時代

何とか卒業したもの地道な研究は肌に合わないと就職することにしました
福岡にはすでに歯学部が3校ありましたので過剰人員と言われていました
新卒者の給与も他学部の卒業生とほとんど変わらなかったので一度くらいと都下の先輩の診療所に勤めました
 
 この先輩は昼間より夜の方が活動レベルが高い方でいろいろと経験させていただきました
 勤めて1ヵ月もしないうちに分院長となり学生時代の実習を思い出しながら冷や汗の毎日でした

 幸い新宿駅そばで患者さんは若い方が多く歯医者にとっては基礎的な処置が多かったのも幸いでした

 間もなく結婚し子供が出来ましたら小児歯科に興味が出て来ました
 別の先輩が主宰していた若手の歯科医師向けの小児歯科勉強会に顔を出す内に春日部に分院が出来小児担当として手伝うようになりました

 間もなく春日部の分院長として赴任し小児歯科だけでなく一般治療、義歯や歯周病も対応を迫られるうち予防歯科の重要性に気付くようになりました
 
 どんなにお金をかけて被せ物を作っても、その後の手入れが出来なければ再び被せ物の付け根から虫歯になったり、土台そのものが歯周病でダメになるのを身にしみて痛感するようになったのです

 勤めて16年が経過したとき院長に許可をいただき八木崎の地で開業することになりました

開業してから

平成8年にユニット2台
歯科衛生士 1名
歯科助手  2名でスタートしました
当初からいつかは予防歯科と考えていました
幸い最初から歯科衛生士にも恵まれ、徐々に予防歯科に対応出来るよう体制を整えて来ました
 開業して6年目に予防室として2台を追加し予防歯科としての体制を作ることが出来ました

ありがたいことに徐々に定期的に来院してくださる方が増えてきたのですが今度はなかなかご予約がとれなくなり心苦しくなってまいりました

普通ならばリタイヤを視野に入れる年代ですが、当院に来てくれた若手スタッフのためにも、後10年は地域に貢献できるよう改装を思い立ちました