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江戸の女子も夢中!洗練された「藍」一色で描く浮世絵の世界
2016.05.27
ブロマイドであり、コスメ情報誌やポスターであった浮世絵
もともとは、庶民に売るために浮世絵は作られました。絵師は勝手に自分の描きたい絵を描くわけではありませんでした。版元が、庶民相手に売れる絵を企画し、絵師に依頼するのです。庶民が喜ぶものといえば、人気俳優のブロマイドや最先端のおしゃれやメイク法を教えてくれる女性誌が定番。それは、今も昔も変わらないようです。
浮世絵の中で「役者絵」と言われるジャンルは、当時の歌舞伎俳優たちの姿を描いたもの。今でいえば、人気スターやヒーローのブロマイドやファンクラブの情報誌でしょうか。
「美人画」と言われるジャンルは、流行の先端を知らせる今の女性誌やポスターの類。流行りの髪型、髪飾り、アクセサリー、インテリア、着物の柄、そしてメイクのしかたが非常に丹念に描かれているのはそのためです。
さまざまな色が織りなす浮世絵は、錦絵とも言われました。青を表す色に使われていたのは「藍」です。その後、浮世絵において藍の魅力が一気にブレイクしたのは、藍一色で描く手法「藍摺絵」によってでした。
一大ムーブメントを起こした「藍摺絵」
この手法が可能になったのは、文政末期にドイツから輸入されたプルシャン・ブルー(ベロ藍)によるものです。ベロ藍は、ぼかし摺りをたくみに用いることで、藍色の濃淡、つまりグラデーションが容易に描けるようになり、藍色のみで描く「藍摺」が可能になったのです。
葛飾北斎の「冨嶽三十六景」がベロ藍を使った絵として特に有名ですが、藍色のみで描く「藍摺絵」は、それまでの色鮮やかな浮世絵とは全く違い、とてもクールでスタイリッシュでした。江戸の人たちは、この新しい絵を新鮮な驚きと感動を持って迎え入れました。
美人画に「藍摺絵」登場。唇だけに紅をさして
右から 歌川国貞 「中万字や内 八ツ橋 わかば やよひ」「松葉屋内 粧ひ わかな とめき」「姿海老屋内 七人 つるじ かめじ」、「扇屋内 花扇 よしの たつた」「弥玉内 顔町 まつの こなつ」文政後期(1825-30)頃 Nellie Parney Carter Collection―Bequest of Nellie Parney Carter,34.415a-e Photograph(C)Museum of Fine Arts, Boston
吉原を代表する有名な遊女が2人ずつお付きの禿(かむろ)を従えて、闇の中を白く浮き上がる夜桜の下を歩いています。5人の遊女は、今で言えばスーパーモデルのようなものですね。
筆者は、この絵を間近に見たときに、多色ではないのに「地味」といった印象は全くなく、その洗練された美しさに圧倒された思いでした。5枚の絵は一見似たような感じがするけれども、よく見ると、豪華な着物の柄も髪飾りは、すべて異なります。禿の足がどの絵からもちょろりと覗いているのですが、草履や鼻緒の色と色の組み合わせがすべて違います。もちろんそれも藍の濃淡のみで描かれていて、そこに国貞の遊び心すら感じました。新たに始まった藍摺という手法に、国貞は芸術的好奇心を刺激され、興奮し、夢中になって描いたのではないでしょうか。豪華絢爛な浮世絵に勝るとも劣らない、とてもすばらしい絵でした。
さらにこの絵を見ると、全くの藍一色ではないことに気がつきます。わずか唇のみに、紅が使われており、藍の濃淡だけで描かれた絵の中で、唇の紅がひときわ鮮やかに絵を引き締めています。
スーパーモデルからカジュアル女子まで
天保13年(1842年)、役者絵や美人画が「華美であること」を理由に禁止されると、町家の娘たちの日常が生き生きと描かれることが多くなりました。それはそれで江戸の女子たちは、身の丈にあったカジュアルなおしゃれ情報を、浮世絵から得るようにもなったのです。お上から禁じられても次から次へとアイデアを繰り出してくるのは、版元、絵師だけの力ではなく、それらを求める江戸庶民のパワーそのものだったのかもしれませんね。
際立つ「藍」の美しさ
取材協力:東京国立博物館 松嶋雅人
Text:Yoko Munakata
Text:Yoko Munakata