法然の生涯(八)凡夫救済
こんにちは。左大臣光永です。週の半ば、いかがお過ごしでしょうか?関東には台風が迫っていますね。関東の方、戸締りは万全ですか?
私は昨日、秋葉原の書泉ブックセンター前のビル地下にあるトマトラーメンの店で食べてきました。トマトラーメン。どんなもんだと思いましたが、すごく美味しくてスープも最後の一滴まで飲みほしてしまいました。
ラーメンを食べる時に、「美味しいが不健康なものを食べている」という罪悪感はつきものですが、トマトラーメンの場合、なにしろトマトですから、その罪悪感が少し薄まる、その心理的効果が高いと思いました。
さて、
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43歳で比叡山を下りるまで法然は
比叡山黒谷でひたすら学問研究に打ち込みました。
しだいに法然は『観無量寿経』そして、
その注釈書である『観経疏』にひきつけられていきました。
経典『観無量寿経』は「王舎城の悲劇」を中心に、
仏教でいう最大の罪…五逆罪を犯した者が、
どうやって罪許され極楽浄土に到るのかを説いています。
2600年前の古代インドのマガダ国。
王子アジャセは悪友ダイバダッタにそそのかされ、
父である国王ビンビサーラを殺害し、
母である王妃イダイケを牢屋に閉じ込めました。
『観無量寿経』には王妃イダイケが釈迦のもとで救いを得るまでが描かれています。
アジャセの後悔
そして物語の後半・アジャセ王子が救われるまでの話は『観無量寿経』には描かれず、『涅槃経』へと引き継がれていきます。
王妃イダイケが食べ物の差し入れをできなくなったので、ビンビサーラ王は真っ暗な牢獄の中で衰弱しきって、死んでしまいます。知らせを受けたアジャセは牢獄に駆けつけ、父ビンビサーラの死体を目の前にします。
「…私は、何ということをしてしまったのだ」
この時から、アジャセの後悔が始まりました。父を殺すといっても、実際には部下に命じて捕えさせただけで、実感が無かったのです。しかし今、目の前に無惨に転がる父の死体を前に、アジャセは自分のやったことの恐ろしさに気づきました。直面したのです。自分は、父殺しという大逆を犯した。取返しのつかないことになったと!
「ううう…痒い痛い、苦しい…」
その日から、アジャセの全身を吹き出物が覆いました。アジャセの体は悪臭を放ち、お供の者たちも「う…」眉をひそめて、遠ざかるほどのものでした。
アジャセは吹き出物の治療のために六人の博士(六師外道)を呼びましたが、いずれも治すことはできませんでした。
そこで大臣の耆婆(ギバ)が申しあげます。
「王よ、世尊のもとへ参りましょう」
「なに、世尊のもとへ…!いやいやいやいや、それはならん。この病は、父を殺した報いだ。どのような治療をしようと、治らないだろう。破戒の者が、その報いを受けているのだ。私は地獄に落ちるのだ。ああ痛い痒い苦しい」
「よいのです。それでよいのです」
「何がよいものか!余は地獄行きであるぞ!」
「王は確かに罪を犯されました。しかし、今、ひどく懺悔しておられます。それは当然のことです。それだけのことをなさったのですから。もしこれで懺悔しないなら、それは人ではなく、畜生です」
「王はまさに知るべきです。カピラ城の浄飯王(じょうぼんおう)の子であるシッダールタは、師がいなくとも自然に阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)に到りました。この方こそ仏。すなわち世尊です」
「世尊にはダイバーダッタという弟子がありました。しかし、ダイバーダッタは教団の和を破壊し、世尊のお体を傷つけ、蓮華比丘尼という尼僧を殺害し三逆罪を犯しました。では世尊は悪いダイバーダッタを罰したでしょうか?」
「いいえ。むしろ世尊はダイバーダッタのためにさまざまの法を説かれ、罪を軽くされたのです。王よ、今こそ世尊にお会いしましょう。王の罪業は、世尊による他、免れることはできません」
「うう…だが…しかし…」
アジャセがそれでもぐずぐずしていると、天空から声が響きました。
「王よ…」
「はっ…この声は!」
「私はお前の父、ビンビサーラである。王よ、大臣の言うことに従がい、世尊のもとに行くがよい」
ばったり。
アジャセは父の声を聴くなり悶絶して気を失い倒れました。以後、吹き出物と異臭はさらにひどくなりました。
アジャセと法然
気が付くと、母とギバ大臣が枕元で看病してくれていました。
「母上…うう…私は…」
「大丈夫ですか、アジャセ」
「私は、何ということを…」
アジャセは大いに苦悩しました。虐待した母が、こんなにも自分を気遣って、愛してくれていたことを見出します。そして殺した父は、あの世で自分のことを気遣い、世尊のもとへ行けと言ってくれました。
自分が犯した罪の重さと、受けてきた愛情の大きさに、押しつぶされそうになります。
しかし…世尊のもとに行くのは恐ろしいことでした。父殺しという大罪を犯した自分は、地獄に落ちる。世尊にお会いしたら、その場で罪の宣告を受けるに決まっている。地獄は嫌だ。地獄は怖い。
(なんという救われない魂だろう…)
法然は思うのでした。父を殺した明石定明への憎しみをどうしても捨てきれない自分の苦悩が、アジャセ王子の苦悩と重なります。
(父はおっしゃった。敵を憎むな。復讐をするな。そして仏門に入り、自他共に、救われる道を目指せと。世尊のもとに行けと、父は言ってくださっていたのだ。私はそれをずっと拒み続けていたのだ)
仏典に記された「王舎城の悲劇」を読めば読むほど、自分自身の心をさらけ出される感じがありました。
待っていた釈迦
しかし、釈迦はアジャセを待っておられました。釈迦はすでに70歳過ぎ。当時の寿命からすると、いつ死んでもおかしくない年齢です。世尊よ、お体は大丈夫ですか。おうおう、すまないねなどと、弟子に肩を支えられる場面もあったでしょう。しかし、釈迦はこうおっしゃいました。
「阿闍世のために涅槃に入らず」
つまり、アジャセに会うまでは死ねないということです。釈迦はアジャセが悔い改め、訪ねてくるのをずっと待っておられました。そして釈迦は、月愛三昧(がつあいさんまい)という境地にお入りになります。
月の光が闇夜を照らし出すように、アジャセの苦悩が取り除かれるよう、釈迦はひたすら心をすまし、精神を統一されました。すると、
「あ…ああ…!吹き出物が!治っている!」
あれほど全身を覆っていた吹き出物が、すーーっと消えていきました。釈迦が月愛三昧に入ってすぐのことでした。
大臣のギバが、アジャセ王に申し上げます。
「王よ、世尊が王のために祈ってくださっているのです」
「ああ…ああありがたいことだ」
「今こそ参りましょう。世尊のもとへ」
「だが…、だが私は父殺しの罪を犯した人間だ。世尊の前に立てば、隠すことはできない。私は地獄へ落とされる。地獄は、怖い」
「王よ、重ねて申し上げます。世尊のもとへ参りましょう」
「だが…」
「世尊のもとに、参りましょう」
「わかった…だが、お前も一緒に来てくれ」
こうしてアジャセは大臣ギバとともに象に乗って、釈迦のもとに向かいました。ギバは出家しているので、出家した者と共に行けば地獄には落ちないという考えでした。
アジャセの救い
「世尊よ、私は父殺しの罪を犯しました。私は地獄行きでしょうか」
恐る恐る尋ねるアジャセに釈迦はおっしゃいます。
「なぜ地獄へ行くと言うのです。父を殺したあなたに罪があるというのなら、その罪は私にも、あらゆる仏にもあります」
「はっ…」
釈迦は、アジャセが抱えている問題は、アジャセ個人の問題ではない。単にアジャセ個人が罪を受けて地獄に行けばいいというわけではないと示されたのでした。アジャセが父殺しという大罪を犯したきっかけは、父ビンビサーラにもあり、母イダイケにもあり、悪友ダイバーダッタにもあり、そして側にいた釈迦自身にもあると。
単に自分一人が罪を得て地獄に落ちればいいというわけではないと示されたのでした。そんなことをしても、父の命は戻らない。
ここに至り、アジャセは自分の姿を鏡のように示されたのでした。
過去に殺されかけた恨みから父を殺し、父を殺すと今度は後悔にさいなまれ、地獄に落ちることに怯えている自分。それでいて、自分さえ地獄に落ちればすべておさまると思っている身勝手さ。
「世尊よ!世尊よ!」
アジャセは身を投げ出し、ただ懺悔する他ありませんでした。
回心
法然は、アジャセ王子の物語を読み進めるほどに、自分の問題を鏡のように映し出されるのを感じていました。
(なんという救われない魂だ。たしかにこれは、懺悔するしかない)
明石定明への憎しみをどうしても捨てられない自分。智慧第一とたたえられ、慢心していた自分。師をあなどり、侮辱していた自分。アジャセ王子の物語は、心の中の問題を抉り出し、さらけ出してきました。
釈迦の前にただただ身を投げ出し、懺悔するほか無いアジャセ王子。それは法然自身の姿でもありました。この迷える魂が、往生する道はどこにあるのか。
その時、法然の目に『観経疏』の中の34文字の言葉が飛び込んできました。
一心専念称弥陀名号、行住坐臥不問時節久近、念々不捨者是名定之業、順彼仏願故
一心に専ら弥陀の名号を念じて、行住坐臥、時節を問わず久近(くごん)を問わず、念々に捨てざるもの、これを正定(しょうじょう)の業(ごう)と名づく。かの仏の願に準ずるが故に。
一心にひたすら阿弥陀仏のお名前を唱えることを、どんな時も時間の長い短いを問わず、心に留めてやめないことを、往生のための正しい行いと言うのだ。それこそが弥陀の本願にかなうことなのだから。
「これだ…ついに、見つけたぞ!」
声を上げる法然。何事かと弟子が灯をともして来てみると、法然は目をらんらんと輝かせ、書物に読み入っていました。
「法然さま、いかがなさいました…?」
「ついに見つけたんだよ。ああ、どうして今まで気づかなかったんだろう。
『観経疏』は何度も読んでいたのに…!」
20代の、知恵第一とたたえられ、前途洋洋だった若い法然は、この一文を気に留めることはありませんでした。以後、20年以上の長きにわたり、迷い、悩みぬき、己の愚かさを身に染みて思い知った果てのことだからこそ、法然の心にすーーっと『観経疏』の言葉が入ってきたのでしょう。
口をついて言葉があふれます。
「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏…!」
法然はただ一心に、弥陀の名号を唱えていました。承安5年(1175年)春。法然43歳。日本仏教界にとって革新というべき、浄土宗の誕生です。
この年、法然は13歳の時から30年間を過ごした比叡山を下ります。
次回「吉水」に続きます。お楽しみに。
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