ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 神様とゆびきり62014年2月23日 16:33いつもありがとうございます。久しぶりの神様櫂くん更新でございます。の続きです。今回はほぼきゅん様の過去編でナオ闇アイパートになります。櫂くんは最後にちょこっと。次はまた櫂アイパートに戻る予定です。※大人向けの描写はありませんが、直前まではあります。※和物パラレルです。※メインCPが櫂アイなので今回もタグに櫂アイ入ってます。※若干死んだ死なないの話になってますので苦手な方はご注意ください。神様は、約束を破れない、はずだ。僕が初めて契約した神様は、キョウくんじゃ無かった。今では誰にも内緒の話だ。事情を知っている大人たちは、みんな揃って口を閉ざす。だから、僕より後にこの都に来た連中は、皆僕の初めての契約神はキョウくんだと思っている。酔狂だと、皆言う。まだ都に取り立てられたばかりの頃、僕はまだ小さな子どもだった。気は強くて、人よりは少し大人びていたと思うけれど、それでも両親やアイチや、エミが恋しかった。毎晩寮から抜けだして村へ帰ろうとしては、先生に見つかってこっぴどく怒られたり、高すぎて越えられない寮の塀に、涙を呑んでとぼとぼと引き返したりしていた。ある日の夜だ。その日もまた我慢できずに、僕はこっそりと寝床を抜け出して白く塗られた塀を見上げていた。するとどこからか、変な音が聞こえた。ぐうぅ、と情けない音。「……誰かいるの?」そっと囁いてみるが、返事は無い。ということは先生ではない。もしかして僕のように部屋を抜け出している誰かがいるのか……、と思い、それから先程の妙な音を思い出して懐を探った。「お菓子なら余ってるんだけど」寮のおばさんからおやつにもらった干菓子を取り出す。僕はどうも気に入られているのか、しょっちゅうそのおばさんから菓子をもらっていた。勿論こっそりと。菓子を取り出した途端、傍の植え込みがごそごそと音を立てる。何て単純な潜伏者なのだろう。ひょっこりと植え込みから顔を出した相手は、僕より少し年上に見えた。寮の中では見たことのない顔だ。橙の色に近い明るい茶色の髪の毛が、植え込みに身を潜めるにはどうにも目立っている。「それ、くれるのか?」見た目に似つかわしくないほど目をキラキラさせた少年が、僕を見ていた。少々特徴的な目つきをしており、そうやって見開いていなければかなり威圧的かもしれない。「……別に良いよ?」やった、と相好を崩して植え込みからようやく出て来た彼の姿を見て、僕は少々驚いていた。人間にはあるはずのない部品がくっついていた。(ふ、ふわふわ尻尾……)よもや僕は狸や狐の部類に化かされているのではないか……と思ったのだけれども、ふとこの学校の趣旨を思い出した。それを踏まえて目の前で嬉しそうに菓子を頬張る相手をまじまじと見る。「もしかして君、神様?」その途端彼は菓子を喉に詰まらせたらしい。目を白黒させて胸を叩いた。落ち着きがない。「んな、何で分かるんだよ!」「……尻尾」僕が指差した方向に彼が視線をやり、そうして吃驚したように飛び上がった。実際に5寸くらいは地面から離れたと思う。それからわたわたと両手で尻尾を何とかしようと掴んだようだったけれど、結局どうにもならなかった。僕が思わず笑ってしまったので、相手はバツが悪そうに唇を尖らせた。「何だよ」「何でも無い。君って面白いね」悪かったな、と余計に臍を曲げて何処かへ行こうとする彼を、僕は慌てて追いかけた。「ちょっと待ってよ、何処行くの?」「別に何処だって良いだろ」「ね、ねえ!明日も来てくれる!?」お菓子用意しておくから!そう言うと、彼は立ち止って振り返って、考えとく、と言った。****[newpage]その神様は、ナオキと名乗った。「へえ、お前巫女修行してんの?」昼間お使いに出たついでに僕がこっそり買っておいた薄皮まんじゅうをぱくぱく頬張りながら、彼は妙なことやってんなあ、と首を傾げる。都で割と人気の店の菓子を、ナオキは気に入ったようだった。「神様と渡り合うためには、まず自分を鍛えないといけないんだって」「はー、ご苦労なこった。鍛えたところで、あんまり使えそうなやつがいるようには見えなかったけどな」まあ、それは僕も同意せざるを得ない。国中から集められた優秀な子供たちなのだろうが、子供は子供だ。はっきり言って彼らの中では浮いた存在になっている僕としては、正直なところ皆纏めて落第してほしい。自尊心ばかり高くって、他人を蹴落とすことばかり考えている。きっとあの中にいたら、僕も今にそうなるのだろう。いや、僕自身元々その傾向が無いわけではないのだが、それでも口だけの人間にならないよう努力はしている。ところがナオキは全く違う観点で彼らを見ているようだった。「あいつら不味そうだもん」流石の僕も噴き出さざるを得ない。後から考えて神様の言う“不味そう”は、そもそもその身に持った力がない、つまり神様と契約するだけの価値に乏しい人間だという意味だって気付いたのだけれども、この時の僕はそこまでの知識も知恵も持っていなかったので何とも思わなかった。ただ、ナオキは正しかった。僕の同級生は、一人としてまともな神様とは契約できなかった。今は皆田舎に帰ってさもない神社の神主でもやってるはずだ。年老いて枯れた神様の存在に気付くことすら稀だろう。そうでなければ普通の試験を受けて地方の役人になっているとか。あの年学校を卒業してその上に進んだのは僕だけだったはずだ。「ねえ、ナオキ。僕は?僕は美味しそう?」「お前は…………」ナオキはじいっと僕を見て、黙りこんでしまった。口の端にあんこが付いてるのに気付いていない。けれどもその時のナオキの目に何か得体の知れないものが過った気がして、僕はそれ以上追及できなかった。そうして、これは僕とは違う生き物なのだと気付く。ナオキはただ、きっと、お腹がすくから毎晩僕のところに来ているだけだ。他に食事を得る術を見つけたら、ここに来る必要が無くなったら、きっと、きっともう、僕のところには来てくれない。ナオキはいつまで来てくれるんだろう。ナオキがいなくなったら、僕はまた独りになるんだろうか。****[newpage]さて、僕が自分の言葉の意味に気付いたのは、それから半年ほど経ってからだった。相変わらず夜の寮の片隅にナオキは毎晩やってきて、僕の用意しておいた菓子を食べ、それから他愛もないような話をして帰る。人間の僕なんかと話していて楽しいのかと思ったけれど、彼は良く笑った。その日も同じだった。違うのは僕の方だ。今日、授業で神様との契約について習った。人間が代償として提供する主な資源、とかいうお堅い名前が付いていたので油断していた。(神様って大人だ……)いや、当り前の話なのだけれども。物的代償は、所謂お供え物で、それはいいのだ。人的代償は生贄、労働、それから……。(こ、ここここ、交接……ってことは、美味しそうっていうのはつまり……!)いや、普通に人肉が美味いって話かもしれない。可能性はある。それはそれで怖いけど。そもそも僕は別に、ナオキをそういう目で見たことは無いはずだ。ただ親元から離れて、碌に友達もできなくて、こうやって話すのが純粋に楽しかっただけだ。だというのに、僕は一体何を意識しているんだろう。「……何か腹減った」「えっ!?……あ、ああ、足りなかった?」今日のおやつはみたらし団子だった。いつもより少し量が少なかったかもしれない。何か他に無かったか、と思っても懐に入っているのは飴玉くらいのものだ。困ったな、とナオキに視線をやったところで、相手がこちらをじいっと見ていることに気付いた。「……ナオキ?」妙な視線だった。いつもと違う。いつものナオキの馬鹿に素直で、分かりやすい雰囲気は一時忘れ去られたみたいだった。「最近さあ、……何食っても腹いっぱいにならないんだ」ちらりと彼の口から犬歯が覗いた気がして、そちらに気を取られた瞬間視界が反転する。むっと土の匂いがして、後頭部と背中が冷たい地面に当っている。「ちょっと……!」「だってお前、美味そうなんだもん」鋭い犬歯が肌に食い込む痛みを想像して、僕は思わず強く目を閉じていた。けれど、いつまで経ってもそんなものはやって来なかった。恐る恐る目を開いてナオキを見ると、彼はどこか切羽詰まったような顔をしてこちらを見ている。「お前が望むこと、何でも叶えてやる。だから……」契約の事を言っているのだ。流石に今日勉強したばかりの事だ、すぐに合点がいった。「冗談じゃ……っ!」上に乗っているナオキの肩を押し返しかけ、僕はふと考える。このまま拒絶したら、ナオキはもう来ないだろうか。きっと来ないだろう。僕はまた独りになるのだ。この休まらない都で、また独りぼっちで暮らしていかなければならない。分かっている。打算だ、こんなものは。「先導……っ」とどめに名前を呼ばれて、分かっていても我慢ができなかった。「っ……、いっしょに、一緒にいて……!どこにも行かないで!」襦袢の襟を強引に開かれ、首元に噛みつかれる。今度こそ牙の食いこむ痛みに息を呑み、そこから生まれる奇妙な感覚に呼吸を乱した。今でこそそれが快感だと知っているけれど、あの時は僕だって只の子供だったのだ。怖かった。わけが分からなくて。***[newpage]結論から言えば、ナオキは僕との約束を守った。守ったけど、破った。僕はまだ、子供だった。力の制御も儘ならない、経験もなければやり方も知らない、ただのひよこだった。そのくせ持っているものばかり立派で、頭でっかちの考えなし。ナオキはそれを知っていたけれど、それがどういうことか分かっていなかったのだと思う。分かっていたのなら、彼はそもそも僕に契約を持ちかけたりしなかっただろう。馬鹿がつく程のお人好しだった。もう人ではなかったけれど。ナオキは他の人から隠れて、ずっと僕の傍にいた。お腹がすいたら戯れにじゃれあって、気が向いた時は僕が受けている授業をこっそり覗きに来たりした。僕は気が気ではなかったけれど、この妙な存在に、学校の誰も気付きはしない。それで僕は、先生にすら本当の力は備わっていないのだと気付いた。あの時の僕は、完全に高を括っていた。それは僕の傲慢が招いた結果だっただろうか。それとも、単なる必然だったのだろうか。ナオキが来てから暫くして、僕は高熱を出して倒れた。一週間しても熱が引かなくて、原因も分からなかった。ナオキはただずっと、僕の傍にいた。きっとお腹が空いてひもじかっただろうに、彼は心配そうな顔をして、ずっと僕から離れなかった。僕が初めて出会った「本物の」人間は、水色の髪を短く切った、歳の分からない女性だった。美人だったけれど、得体の知れない雰囲気で怖かった。僕がいつまで経っても治らないものだから、先生が神社から巫女を呼んで来たのだった。それが彼女だ。「……憑かれているわね。それとも自分で憑けたのかしら」彼女は、僕を見るなりそう言った。その瞬間、僕にだけ分かる気配が揺れた。多分、ナオキはその時に気付いたのだ。それが、僕らの招いた結果なのだと。彼女は、その日何をすることもなく帰って行った。また来ると言い残して。その夜のことだ。僕が気付いた時、ナオキはどこか思いつめた顔で、横になったままの僕を見下ろしていた。ナオキ、と掠れた声で呼びかけたら、ナオキはその特徴的な形の目を泣きそうに歪めた。「ごめん。ごめんな……」ナオキはその手に、小さな匕首を持っていた。「すぐ楽になるからさ。明日目が覚めたら、きっと何にもなかったようになってるから」授業で習ったことだ。神様との契約は、人間の体に刻まれた印を割ることで反故にすることができる。ただし人間の願いは潰え、神は糧を失う。これも後で考えて分かったことなのだけれど、ナオキは相当の大喰らいだった。この時の僕の不調の原因は、急激に力を持って行かれたせいで、僕はまだその辺上手く調節することなんてできやしなかった。僕がもっと賢かったなら、彼は初めから僕の傍には居なかったか、そうでなければ今でも僕と一緒にいただろう。僕は、ただのばかだ。馬鹿だったから、そこで諦めるなんてことができなかった。僕はナオキの着物の袖を引っ張って、声を荒げた。「いやだ……そんなの駄目。約束守って。守ってよ……嘘つき!」ああ、僕は嘘つきより罪深い。どうしてナオキにあんな顔させたんだろう。自分が寂しいばっかりに、自分が可愛いばっかりに、僕はあの子を苦しめた。その夜の内に、僕はナオキと一緒に宿舎から逃げ出した。ふらふらで走るなんてできなかったから、ナオキが背中に乗せてくれた。大きな赤犬の姿をした犬神は、影を縫うように都を抜け、山奥へと続く道を駆けて行った。なんて似合わないんだろう。あの子には暗闇より太陽が似つかわしかったのに。やがて森は深くなり、大きな崖に差しかかった時の事。丁度その時、僕らはその崖の向こう側へと渡る道を探して、崖の縁をひた走っていた。急にナオキが足を止め、不審げに辺りを見回した時のことだ。次の瞬間には、僕は地面に投げ出されて頬を泥に擦りつける羽目になった。きゃいんと仔犬じみた悲鳴が聞こえて、手足の逞しい赤犬の姿が見えなくなる。「ナオキ……何処?ナオキ!」何度名前を呼んでも応えない。聞こえてきたのは別の声だった。「だめねえ、悪戯わんこちゃん。流石にちょっと可哀想だけれど、小さな子に手を出したらお仕置きよ」聞き覚えのある声だ。月明りを背にして立っていたのは、あの水色の髪の女だった。僕と目が合うと静かに微笑んだ。それから視線を片手でぶら下げていたそれに向ける。そこにいたのは、僕を背に乗せて駆けていた大柄な赤犬に良く似た、仔犬と呼んでも良い様な大きさの犬だった。ナオキだ。他でも無い、僕の神さまだ。「なに、するの……?止めて、お願い、止めてよ……」その人は、微笑んだままだった。そのまま何も言わずに、僕の神さまを崖下へと放り棄てた。****[newpage]後にも先にも、これほど僕が他人を恨んだことはない。翌日、嘘のように調子が良くなった僕に待っていたのは、一週間の部屋での謹慎という罰かどうかも良く分からないようなものだった。待っても待っても、ナオキは帰って来なかった。僕はもうからっぽだった。からっぽの僕の底で、憎しみだけが薄く波打っていた。満たされるには足りず、暗過ぎて無視はできない。からっぽの隙間を誤魔化すように、僕はそこに知識を詰め込んだ。全ては僕の憎しみを叶えるために。もともと優秀だった僕が教科書に首っ引きで勉強を始めたので、僕の同級生は焦ったようだった。先生は安直に喜んでいた。馬鹿ばっかりだ。その中でも僕は極めつけに馬鹿だった。馬鹿で愚かな子供だ。どんなに沢山、何を詰め込んでも僕の中身は満たされなかった。あたりまえだ。僕を満たしてくれるものはきっと、もうこの世のどこにもない。今更、誰でも良いわけじゃ無かった。物事に意味の無いことは無いと云うけれど、僕がナオキとのことで心に刻んだのはたったひとつだ。僕はもう二度と、……けっして幸せにはなれない。***[newpage]もうじき学校を卒業するというときになって、僕はまだ身の振り方を決めていなかった。決める気もなかったし、どこへも行く気は無かった。ただ、考えていることをやり遂げたら田舎へ帰ろうと思っていた。帰ることができたなら、だけれど。どうにもならなくなったなら、あの崖から飛び降りてしまえばいい。そうしたらまたナオキに会えるかもしれない。ふらふらと山を彷徨ってあの場所へ向かってしまうのは、もう病気みたいなものだった。その日も気付けばその道を辿っていたのだけれど、今日は道中変なものを見つけた。普段は静かな木々のざわめきと獣の声しか聞こえない森の中に、やかましい人間の声がする。いや、人間では無かった。その人物には白い耳と尻尾が生えていた。「畜生!畜生こいつもレンの仕業か!絶対そうにちがいねえ!」……猪用の罠に掛るなんて、なんて間抜けな神様なんだろう。「何、やってるの?」「うおぁっ!?な、なんで人間がこんなとこに!……あ!さてはお前レンの手先だな!」レン?誰だそれは……そう考えたところで、僕は僕の知っている人物に1人だけその名前がいることを思い出した。人ではないけれど。「レンって、雀ヶ森神社の黒狐のこと?」「やっぱり知ってんじゃねえか!」ぎゃあぎゃあ煩い奴だ。けれども誤解されたままなのも癪なので罠は外してやった。きょとんとした顔でこっちを見るそいつに、大きな溜息が出る。「とっととどっか行って」「……なんだ、お前レンの手下じゃないのか」ありがとな!と妙に無邪気な様子でお礼を言われてしまった。なんだろうこの神様、何かを思い出しそうで本当に面白くない。「別に。あんなのの仲間だと思われるのは面白くないと思っただけ」「なんだ、お前もレンの野郎にひと泡吹かせてやりたいと思ってるクチか?」こいつは一体あの狐に何をされたというのだろう。気にならないわけではないけれど、知っても別に得にはならないだろうと思って聞くのは止めておいた。それに僕は、別に雀ヶ森レンに恨みがあるわけではない。用があるのはそいつの巫女の方だ。あの水色の髪の女、立凪スイコ。都一の巫女だか何だか知らないが、あの女だけは許せない。僕が溜息ついて立ち去ろうとした時、そいつは不躾にも僕の袴の裾を思いきり掴んだ。「……何」「お前、俺と組まないか」はあ?と物凄く顔を顰めてやると、相手は一瞬怯んだ。が、引き下がる様子は見せなかった。「俺、レンをぎゃふんと言わせてやりたいんだ。お前、結構強いだろ。俺と組んでくれたらお前の願いも叶えてやる」「……ふうん、ギブ・アンド・テイクってわけ。この僕と契約しようって?」地べたに座り込んだままのそいつを見下ろすと、真っ直ぐな視線が返ってくる。どうしてまあ、神様ってものはこんなに無垢な目ができるんだろう。彼を思い出してしまって何だか嫌な気分だ。でも、これはもしかしたら、僕の目的には都合が良いかもしれない。僕は襦袢の合わせを引っ張ると、首元を相手に晒した。白猫はぎょっとしたような顔をして、一瞬目を逸らしたけれど、すぐにおずおずと戻ってくる。何この子、初心なの?「これ、残ってるけど良い?」僕の肌には、ナオキの印がうっすらと残っている。通常、神様が消えた時は印もきれいさっぱり消えるはずだった。薄れて微かに残っているこれは一体何なのか、調べてみても良く分からない。僕にとっては一番大切なものだ。もういない彼が、最後に残していってくれたものだ。「……なんだよ、契約済みか?それじゃ……いや、なんだその薄っぺらいの」契約を切ったのか?と聞かれて首を振る。印を割った時、その割れた印は傷痕と共に一生残るものだ。約束を破った咎として。どうやら神様の方も、印が薄れるという現象を見たことは無いようだった。「僕にもよく分からないんだ。でもこの印をつけたやつはもう何年も前にいなくなっちゃった」「……良く分かんねえけど……、まあ、俺たちのは契約を果たすまでの一時的なもんだ。問題はねえだろ」問題あるのか無いのか僕は良く分からなかったけれど、必要だというのならば辞する気はない。(……ナオキ、待っててね。僕が最後に花を手向けてあげる)特大の綺麗なのをふたつ。ねえ、素敵でしょ?***[newpage]意外とあっけなかったな、と思う。キョウくんのレベルを考えれば、もう少し苦戦するはずだったんだけれど。あの人。ナオキとおんなじ目に合わせてやった。(終わったんだ……。もう、なんにもない)心の底に波打っていた憎しみは心の底を喰い破って、ただの虚無になった。もっと嬉しいかと思ったのに、どうしてか涙が出そうだった。取り返しのつかないことをした。それは分かっているけれど、それとはまた別の虚しさが心の外側を焼きつくしてもう殆ど残っていない中身をぶちまけたみたいだった。指先が冷たくて、もうすぐ何も感じなくなりそうだ。そうだったら良いのに。もう、なんにも残っていない。未練も、やりたいことも、気になることも、幸福も絶望も、もうなんにもない。そう、あとはもうひとつ、ナオキに手向けてあげるだけ。そう思って一歩踏み出した。もう一歩、あと一歩。そこで手を引っ張られた。「おい、どこ行くんだよ」ああ、忘れていた。そういえばまだ白猫がいたんだっけ。君も一緒に来る?と微笑みかけてやると、キョウくんは得体の知れないものを見る目で、頬を引き攣らせた。「何言ってるんだ、お前。そっちに行ったら死ぬだろ」「うん、そう。死んだんだ。あの子も、あの巫女も。だから僕、もういいんだ。君もすっとしたでしょう?巫女がいなくなったってあの黒狐が知ったら、どんな顔するかな」僕はもうからっぽの奥底に虚しく響く音でけらけら笑ってみたのだけれど、キョウくんは納得いかないみたいだった。酷く焦った様子で、僕の腕をぐいぐい引いた。「何言ってんだよ、あ、あんなんじゃレンをぎゃふんと言わせるには全然足らないだろ。だから、だから……やっ、約束はちゃんと守れよな!」不思議なことに、彼は僕を心配しているようなのだった。「約束、やくそくかあ。……ああ、なんて虚しい言葉なんだろうね。肉と骨と皮でできてる生き物に。変わるしか能の無い生き物に」この、とキョウくんが苛立った声を上げた時だった。突然能天気な、随分と間延びした声が割り込んだ。キョウくんの尻尾が二倍に膨れた。「おやおや、これは困りましたねえ。……スイコさん、まだ生きてると良いんですけど」落ちただけなら大丈夫ですかね、と首を傾げるそいつが、あの黒狐だと気付くのに少し時間が掛る。本物を見たのは初めてだった。そいつは赤い目でひたりと僕を見て、のんびりした様子で笑った。「なかなか見どころの有る子じゃあ無いですか。あのスイコさん相手に善戦するとはね。でもこれはまた極めつけのからっぽくんだ。それはそれは育てがいがありそうな」何か煩いものが来た。その時僕が思った事といえばそれくらいだった。緩んだキョウくんの手を振り払って、僕は最後の一歩を踏み出した。けれども耳元で「おっと」と軽い声がして、気が付いたら僕は、その人の腕の中にいた。赤い髪に狩衣姿のその人は、地面の続かない宙に、普通の顔をして佇んでいた。「ちょっと待ってくださいな。君みたいな面白いもの、僕が見逃すと思ってるんですか」僕は、僕は。その時信じられないくらい泣いたんだ。だって、ナオキのいない世界に、その先に、道が出来てしまったんだから。癪だけれど、レンさんは僕に新しい心の器をくれた。キョウくんは、そこにほんの少し、楽しいことを注いでくれた。残念ながらって言うべきか、幸運なことにというべきか、それとも当り前なのか、スイコさんは生きていた。その後すぐにアサカさんに立場を譲って一線から退いてしまったけれど(こんなひよっこに遅れを取るようじゃやってられないわ、とか言っていた)、今でも都にいる。最後に一度僕の前に現れた時、僕の頭に思いきり拳骨をくれてから、仕方のない子ね、と言って、それきりだ。物凄く痛かったけれど、なんだか少し、どこかがくすぐったかった。そう感じた自分が、恥ずかしかった。だって、やっぱり僕はただの人間なんだ。本当の意味で幸せにはなれないと思っていても、日頃のちいさな出来事にいちいち喜びやら意味を見いだしてしまう。だって、なんだかあの子を裏切っているみたいなんだ。僕はもう二度と、幸せにはなれない。違う。幸せになってはいけない。あの子がいないのに。ホントは、時々アイチが羨ましくなる。だってあの子は離れてもまた会えるって、そう信じているんだ。僕にはもうそんな希望すら残っていないのに。それと同時に、いつか僕と同じになるんじゃないかって、アイチが泣くんじゃないかって、いやきっと泣くことになるんだって、不安だった。僕らと神様は、今では存在が違い過ぎる。僕は嫉妬や酔狂からアイチに結界なんか持たせたわけじゃない。大きなお世話かもしれないけど、あの子が僕とおんなじような思いをするのは絶対に嫌だった。でも、結局は僕のエゴなんだろう。暫く時間が経って、そう思うようになった。結界も、本当は解いてあげた方が良いのかもしれない。もしかしたら、アイチは僕とは違って、あのいけ好かない神様と一緒にいる方が幸せになれるのかもしれない。はじめっから間違えてた、僕とはちがって。今ではもう分かっている。あの時スイコさんが来なくたって、僕らはあのまま一緒にはいられなかった。ナオキが僕を喰い尽くすか、もしかしたらナオキが飢え死にしたかもしれない。もしも、なんて都合の良い未来はあり得なかった。頭ではちゃんと理解しているんだ。認めたくないだけで。僕の体には、今もふたつの印がある。ひとつは腕にあるキョウくんとの約束。もうひとつは、僕の心にまだうっすらと誓いを残したままの、あの子の印。そんなことは無いと思うのだけれど。ねえ、君はもしかして、まだ何処かにいるのかな。***[newpage]飢えが、酷い。アイチ。アイチは何処へ行ったのだろう。まだ帰って来ない。何故帰って来ないのだろう。時々頭の中の何もかもがうやむやになって、自分が知っていたはずの事も分からなくなるようなことがあった。飢餓のあまり、どうにかなりそうになる。そういう時は決まって、何でもいいから口に入れたくなる。噛み千切って血を啜って、そうしてほんの一瞬の温か味に安心したくなる。しかしその安心はすぐに何処かへ行ってしまい、次はもっと欲しくなる。このまま続いたら、アイチのことすら分からなくなりそうで不安だった。今だって、そういえばあいつの血は甘いだろうかとふと考える。そうして緩く首を振る。何を考えているんだ、俺は。愛する者の血肉は美味い。それは知っていた。大昔に体験したことがあった。それは、今俺がアイチに抱いているようなものではないが、愛には違いなかった。だがもうどこにも存在しない、過去のものだ。アイチを過去にするのは絶対に嫌だった。だが結局放してやることもできない。傷つけると分かっていても、どうしても手元に置いておきたい。アイチもそれで良いと言う。あいつが自分自身に必死に言い聞かせているのを知っていた。アイチ。ああ、迎えに行きたい。今は村にいるだろうか。何をしているだろうか。毎日境内に来ているらしいが、今も来ているだろうか。他の人間の気配なんてごめんだった。それなのになんであいつの気配だけ上手く感じられないのだろう。考え込んで頭がぐるぐるし始めたころ、わん、と獣の鳴き声が遮るように響いた。「……犬、か?」庭を覗けば、そこには千切れんばかりに尻尾を振る赤毛の犬の姿があった。手足がでかい。成犬になればかなり大柄になるだろう。手招きしてみると、警戒心の欠片もない様子で近づいてくる。身軽に縁側に飛び乗って、俺の手の上にぽんと自分の前足を乗せた。お手のポーズ。良く見るとくりくりとした目は黄緑色をしている。それから、微かに。「お前、同類か」赤犬は首を傾げた。正確には恐らく……、元同類、だろう。神としての力を使い果たしたか、何があったのかは知らないがそいつは最早只の犬だった。「俺の言っていることが、分かるか?」わん、と大きな声で吠える。流石にその位は出来るらしい。そう考えると只の犬と言ってしまうのは少し語弊があるのかもしれない。「そうかそうか、ならば喰うのは止めておいてやろう」その途端、そいつはぼふっと妙な声を上げてじりじり後ずさった。思わず笑いが漏れた。ああ、なんだろう。久しぶりの感覚だ。これはもしかして、楽しいというものだったろうか。「おまえ、この辺りの奴か?青い髪の子供を知っているか」今度は早かった。そいつは急にさっきの倍の速さで尻尾を振り立て、何度も吠えた。何だかわからないが、喜んでいるらしい。「そうか、……ならそいつに、アイチに会ったら伝えてくれ。待っている。きっと迎えに行くと」別に期待はしていなかった。相手はいくら言葉が分かるとはいえ只の犬で、しかもこいつ自身は喋れないと来ている。伝わる道理が無い。これは自分自身への慰めのようなものだ。ところがそいつは、頼まれたとでも言うように一声吠えると、踵を返して縁側から飛び降り、草をかき分けて出て行ってしまう。「……妙な奴もいたものだ」そういえばあの赤犬、少しばかり懐かしい気配がした気がする。あいつ自身のものではない。誰かの残り香を纏っているようだった。アイチとは違うが、どこか良く似た……。いや、……考え過ぎだろう。きっとそうだ。