ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 「もうっ!どうしてそうノボリは極端なの!!」 休憩室では現在、世にも珍しい光景が広がっていた。 「ホームでサイコキネシスなんてむちゃくちゃだよ!」「申し訳ございません…」 助けてくれてありがとう。駆けつけてくれた兄や職員にお礼を告げてからというもの、「でもね?」という一言を皮切りに、クダリは絶賛お説教モードに入っていた。 鉄道員に借りたシャツに身を包んだ彼女は、胸の前で腕を組み。 対するノボリといえば、多少やりすぎた自覚があったのだろう。反論少なく、妹の言葉をしょんぼりしながら受け入れる姿勢だ。その姿はつい三十分ほど前までの様子が見る影もない。 正論で詰め寄るクダリに、猛省するノボリ。もしこの場にカミツレがいたら録画でも始めそうな光景に、見かねたひとりの鉄道員が助け舟を出す。「で、でもほら!それは一、二日もすれば元通りに修復できますから」「そうですよ、ちょっとホームが焦げちゃったただけで…」「それが問題なのっ…ていうかそのホームも、一部破損してるから!」 なんでシャンデラも最大火力出しちゃうかなぁ、ボヤくクダリに鉄道員はこっそりと苦笑いだ。 クダリの言い分もわからない事はない。焦げたホームとひび割れたアスファルトを修復するまで、バトルは違う路線で運行せざるを得ないだろう。 しかし彼女の兄と、兄の手持ちの中でいっとうクダリと仲の良いポケモンとの気持ちも汲んでやって欲しいとも、彼らは思うのだ。襲われる妹を見た時のノボリといったら、それはもう真っ青な顔でモニタールームを飛び出して行ったのだから。 まぁ、でも、アレやな。頭をガリガリと掻きながら、クラウドが報告書を前に唸る。「怪我らしい怪我が無かったっちゅーのは、まだ幸いやったわ」 これで骨折でもさせていたら上にどう報告すべきか。もっとややこしい事態になっていた事は想像に難くない。彼らしい湾曲したフォローに、ノボリがそっと目を伏せる。 そう。あれだけド派手に爆炎を巻き上げておきながら、クダリに不逞をはたらいた男は掠り傷で済んでいのだ。それはひとえに、絶妙な力加減とコントロールの為せる技。ゆえに黒のボスは理性的な方だったのだろうと、付き合いの長いクラウドは踏んでいる。(まぁ、奴さんの精神的な所が無事かどうかまではわからへんけどな…) 恐らく、この…色んな意味で黒いボスの狙いはそちらなのだろう。なんにせよあの乗客がこの地下鉄に来る事は二度と無いことだけは、確かだった。「大体みんなもみんなだよ。ノボリ止めないで、ぼくばっかり構って」「いや、それは…」「もうっ!こんな事ならおっぱい掴まれた時に、殴って止めとけばよかった」「「「おっ、…!?」」」 何のために我慢したのかわからないじゃない、とぶつくさ不貞腐れるクダリの衝撃発言に、絶句する男共。そんな中、無言を決め込んでいたノボリがすっくと立ち上がる。「…………わたくし、少々用事を思い立ちましたのでしばらく失礼致しまs」「ちょ、ノボリ!!」 ストップストップ! 思い立ちました、ってなに!?と、鬼のような形相で扉に向かおうとする兄の腕に、クダリは必死にしがみついた。今の兄と対面すればバンギラスも素足で逃げるだろう、そんな顔で一体どこへ行こうというのか。「離して下さいクダリ。やはり私、あの方にもう少しお話が」「いやいやいやいや。その顔、冷静にお話する顔じゃない」「何を仰います私は至極冷静にございますちょっとおいでなさいシャンデr」「呼ばないのっ!!ボールも仕舞う!そもそも行くったって、どこに…もうっ」「クダリ、」 縋るというよりいっそ抱きつく勢いのクダリを外させようと、ノボリの手が肩にかかる。そのままグッと力強く掴まれたその時、ふとクダリの思考の隅に何かが掠めた。(……あ、れ?ぼく…) 大きな手の、強い力だ。自分の肩なんて容易に包み込んでしまうような。 この感触には覚えがある。たとえば、確かこんな事がついさっきも(デジャヴ だ。) 耳元で囁かれた、低い声と。 熱が籠もった熱い呼気。太股に擦り寄せられる男の下肢。つい数時間前の光景が、脳裏にフラッシュバックする。 そういえば、丁度ふとももに当たっていたあの感触は、膝にしては少しおかしい位置だったような。 そう、あれは「………っ…」「…クダリ?」 ――――緩く反応を示した、男の では、なかったか。 「…ぁ……?」 ゾッと背筋を冷たい何かが通り過ぎた。ガクンッと視界がブレて、気が付けば膝が地面についていた。 ノボリの訝しんだ声が聞こえるけれど、思い出した記憶が鮮明すぎて、答える余裕をクダリに与えない。(なんで今、なんで…ぼく、) 考えないように、していたのに。 背筋に嫌な寒気が走る。頭の中がぐるぐる回って気持ちが悪い。無意識のうちに後ずさって、背がカシャン、と椅子のキャスターを鳴らした。 突然座り込んだクダリに驚いたノボリは、戸惑いつつ妹へともう片方の手を伸ばす。しかし、「……っ…!!」 ビクッ!と。喉の奥で上がった悲鳴と共に、身を竦めるクダリに触れることはできなかった。 クダリの反応に驚き目を見開いたのは、兄と夜勤の鉄道員達だけではなかった。それは、クダリ本人もだ。 クダリはノボリを見ていなかった。 瞳は戸惑うように宙をうろうろと彷徨い、何かから守るように自分の身体を抱きしめて。クダリは小さく震える吐息を吐きながら、あれ、おかしいな。小さな声でそう呟く。 彼女が混乱しているのは明らかだった。「……クダ、」「ごめ…ちょっと、なんかビックリしちゃって。はは」「――――――」 ぎゅう。クダリの手に力がこもり、俯くと髪がサラリとシャツを撫ぜた。力無く笑みを作るクダリの顔にふ、と影が差す。気付けば、温かいものがクダリを包み込んでいた。「……暫く、二人きりにして下さいまし」 押し殺したようなノボリの声が頭上から聞こえて、クダリは初めてノボリに抱きしめられている事に…そして、ノボリが怒っている事に気が付いた。.[newpage]「ノボリ、怒ってる」「……怒ってなど、おりませんよ」「ふふ…ノボリってけっこう、ウソ下手だよね」 クスクスと上がる控えめな笑い声はクダリのもの。天真爛漫を絵に描いたような普段の彼女しか知らない者が見れば、そのギャップに驚くだろう。それ程に密やかな笑みだった。「……バトルサブウェイは、バトルをするところ。色んな人が、さまざまな感情に駆られる場所。負ければ逆上する人もいるし、ただで済まないことも、ある」 ぽすっとノボリの胸に顔をうずめたクダリは、くぐもった声で静かに続ける。「ぼくが女の子だったから…ねぇ、ノボリはぼくの事を考えて、男の人の制服を着るぼくを見逃してくれてたんでしょ?」 でなければ規律に煩い彼が、制服を無視してスラックスを履く自分を咎めない理由がわからない。よく考えれば判ることだ。「…はい。ですが…」「そんな事、ぼく考えもしなかった。ただお揃いが好きで…ノボリが許してくれるのが嬉しかった」 その均衡を崩したのは、軽率な行動をとった自分だ。男のままであれば、負けた腹いせに押し倒すような、そんな手段を選ばれることはなかったのにね と。 大した事もなかったように。まるで今日は雨が降って残念だねというように振舞うクダリの、平然とした態度がノボリの眉間の皺を深くする。 一回り大きな手で包み込まれた彼女の拳は、未だ小さく震えていた。細い手首は赤紫色に変色し、それはまるで手錠のようにすら見えた。 それでも身の内にある感情をあえて押し込んで、クダリは平然とした態度で職員の前に立ったのだ。それは上司である自覚と、サブウェイマスターという矜持が彼女を奮い立たせるから。 こんな時ばかり涙を流すことのできない彼女に、ノボリの心は鈍く痛む。そして、「ノボリが、ぼくを男の子扱いしたがってた意味、よく解った」 思いもよらない台詞に、ひとつ大きく脈打った。「っクダリ、あなた…」 知っていたのかと。驚愕を示すノボリに、クダリはニコリと笑みを浮かべる。 あぁ、気付いていたのだ。自分がクダリを、男性として周囲に認識させようとしている事を。呆としているようでその実、クダリはいつでも核心を外さない。 途端、ノボリは遣る瀬無い思いに駆られた。 つまり自分は、今まで性別を偽るような負担をこの子に強いていたということだ。 クダリに気付かれないよう、ノボリはぐっと唇を噛み締めた。「…クダリ」 そっと肩に手を置き、自分に身体を預けているクダリに距離をとるよう促す。怪訝そうな声と視線が突き刺さった、けれど。「…クダリ」「ノボリ…?」 苦しげに掠れた声だった。くだり、もう一度小さく繰り返したノボリの声は消え入りそうなものだった。クダリは予想しなかった兄の反応に思わず口をつぐむ。 ひた、と絡み合う視線。 同じ色でありながら、一方は透き通った湖面のように。そしてもう一方は憂いと苦みと決意とを、様々に織り交ぜ映しながら。「クダリは…、気付いていたのですね。貴女が女性である事実を、私が周囲に隠すような真似をしていた事に」「うん、気付いてた。ノボリ、ぼくのこと心配してくれてたんだよね?」 クダリがそう言うと、ノボリの銀灰の瞳に暗く影が落ちてゆく。くしゃりと顰められてた兄の顔に、クダリは急に不安になった。「……はい。しかし、今は違うのです。その気持ちはいつしか…私の中で、違う意味を伴っていました」 ねぇノボリ、いつもの毅然したノボリはどこへいったの。どうしてノボリが泣きそうなの。何がそんなに悲しいの。ぼくが何かしたからかな。…ぼくが女の子だからかな。 ねぇどうしてこっちを見てくれないの―――。 足元が崩れていくような錯覚。ノボリに否定されたらどうしようと、クダリは混乱した。「クダリ」(やだ、嫌だノボリ、ぼくそれ聞きたくな、)「わ、たくし、貴女を失う事が恐しくて仕方がないのです…ッ!」 そこで齎された言葉は、クダリの想像していたどれとも違っていた。「……え?」「クダリ、ごめんなさいと謝らなければならないのは、私なのです」 ノボリの目からポタポタと落ちる雫を、クダリは茫然と見つめていた。 何を言っているのかわからなくて、理解できなくてクダリはただただ目を見開く。自分は嫌われたわけではないのだろうか。「……ノボ、リ…?」「いつからか私は、貴女を独占したいと思うようになりました。私の知らない男に言い寄られる貴女を、見たくないと思うようになりました……性別を偽ることに協力的だったのは、そんな思惑が、あったからです」 声を詰まらせながら、ノボリがクダリの肩口へ顔を寄せる。クダリの肩はしっとりと濡れ、移った熱で温かく感じた。「……ノボリ…?何を…」 初めて見るノボリのこんな姿に、クダリが背中へと腕を回したのは無意識だった。「愛して、ます。私はクダリを、一人の女性として…愛しているんです…っ」 懺悔。そんな表現がピタリと当てはまるような声で吐露された、ノボリの本心。おおよそ愛の告白とは程遠い彼の顔は、涙やら何やらで酷いものだ。「それ…って、」 それでも、思いの丈は確かにクダリへと伝わったらしい。 顔を上げたノボリが見たもの。それは陶磁のような肌をこれ以上ない程に赤く染めた、クダリの姿だったのだから。.[newpage] 深夜零時過ぎの執務室にずび、と鼻をすする音が鳴る。「落ち着いた?」「はい…大変見苦しい姿をお見せしました…」 濡らしたハンカチで熱を持った目元を冷やしながら、鼻声で答える自分が情けない。ノボリは居た堪れない気持ちで、顔にハンカチを押し付けた。 告白してしまった。…しかもかなり、情けなく。 もともと今夜告げる気ではいたけれど、これはどうなんだとノボリは内心で凹みまくっていた。 薔薇の花束を捧げ粛々と、とまでは言わないが、それなりのケジメと覚悟をもって挑むつもりでいた告白。にも関わらず、まさか職場で…しかもこんな勢いに任せた、泣き落としのようなものになろうとは。 止まったはずの涙が込み上げそうな心境になりながらも、言ってしまったものは仕方がない。気になるのはクダリの反応だ。「あの、クダリ…?」 すん、と鼻を鳴らしながら、ノボリは目の前に座る妹を伺った。「なぁに?」「いえ、あの…お返事を、戴きたいのですが…」 無かった事にされるのだけは避けたい。これでも現在進行形で、心拍数は異常値を叩き出しているのだ。 それとも、まさかあれだけハッキリ言ってもまだ意味が伝わっていなかったのだろうかと、あまりに様子の変わらないクダリにノボリの方が困惑する。 先ほどの赤面っぷりから一転。確かに見えたはずの僅かな手応えが、今や影も形もないとはどういう事だ。 そんな兄の心境をよそに、クダリはひとり笑顔を浮かべている。 それも、いつものニコニコと溌剌な笑顔ではない。ふわりと…花が、綻ぶような微笑み。見慣れているはずのノボリですら、しばし見惚れるような妹の姿。 これは、まさか。もしや期待しても良いのだろうか…軽蔑や困惑とは程遠い表情を前に、ノボリの胸にそんな僅かな期待が芽生えた頃。 天使のような笑みのまま、クダリはふっくらとした唇を開くと「うん」と一つ頷いて、「あんなにカッコ悪いノボリ見たの、ぼく初めて!」 見事なカウンターを返してくれた。 カッコ悪い。期待に胸膨らませていた分、ノボリのダメージは深かった。上げて落とすとは実に見事な手腕である。 意識していない時こそ 人は痛烈な一撃を繰り出すらしいという、実に有難くない教訓だった。 違いますクダリ、欲しいのは感想ではなく返事です…嘆く兄に気付かないまま、クダリはポツリと呟いた。「本当は今日、ノボリにお別れでも言われるかと思ってたから…すごく、嬉しい」「……は、い?」 あれ、何だかいま信じがたい言葉が聞こえた気がする。ノボリは耳を疑った。 嬉しい、と言ったのか。いやその前に「な、なぜ私が貴女と離れなければならないのですか!」 泡を食ったように身を乗り出したノボリに、クダリは「だ、だって」と尻込んで。「最近ノボリ、ぼくの事避けるし…お昼も真剣な顔で話があるとか、言うから」「それは…っ 今夜改めて、貴女に私の気持ちを伝えようとしたからです!というか、あの話の流れからどうしてお別れなのですか…!」 あの時自分は、クダリに一度好意を伝えた筈だ。愛していると言った筈だ。そんな相手になぜ離れる話をしなければならないのか。「だってノボリ、ぼくを好きになってからどんどん遠くなっていく。最近じゃ一緒に寝てもくれないし…」「寝…っ!? そ れは、こちらにも諸々の事情があるといいますか…! クダリ貴女、私の話聞いていました?」「聞いてた!ノボリぼくの事、ひとりの女性として愛してるって言ってくれた!」 そうですね、言いました。 言いましたよね、それが理由なのですよ…! ダイレクトに復唱されればどうしても居座りが悪い。ノボリは若干顔に朱を昇らせた。「あ、愛しているから、一緒に寝られないのです!」「なんで?」 なんで、ときたか。 片思いの相手と一緒のベッドに入って平気な程、自分は枯れてはいないのだと。そう言ってやりたいがさすがにそんな事ができるはずもなく、ノボリは努めて冷静を装った。「そ、れは 私が、…っ私だって男です。今日のように…何か、間違いを起こす可能性だってあるのですよ?」「ぼく、ノボリなら良いよ」「ましてや私はあなたに……………今、なんと?」 繕ったばかりの冷静が、早々に崩れ去る。「ぼく……ノボリなら良いよって、言った」 恥ずかしげに目を伏せて、若干拗ねたようにこちらを見上げるクダリを、口をぽかんと開けたまま惚けたようにノボリは見つめ返した。 頬を薔薇色に染め、裾をきゅ、と握ってくる手は控えめに。 つまり、これは―――――夢なのだろうか。「……ねぇ、ちょっと。そこで黙られるとすっごく困るんだけど…っ」「い、ったたたたた」 ぎううううっと爪を立てて抗議され、これが夢でない事を確信する。 すみませんと謝りながらクダリの手を取れば、大人しくその中に収まってくれた。クダリが小さな声で呟く。あのね、「ノボリはぼくの事が好き…ぼくもノボリの事が好き。これってきっと、両想い」 両想い、という単語にノボリの喉がヒュッと鳴る。 そんなノボリにクダリはくすりと笑って、しかしすぐ哀しげに顔を伏せた。「だけどノボリは、ぼくを好きになればなるほど遠くなる。だってぼくは家族だから……ぼくが、」 ノボリの妹だから。 磨かれたリノリウムの床が俯くクダリの顔を映している。ぼやけて表情まではわからないのを、ひどく惜しいと思った。「クダリ、あなた…」「ノボリはいつからかぼくを…真剣な顔で、見るようになった。そしたらぼくも何だか意識しちゃった、って…いうか…」 あんなに熱心に見続けられたら、ぼくだって気付くんだから。そう続けるクダリに「そう、ですか…」と。 クラクラする頭でなんとかそれだけ返すと、ノボリは凭れるようにクダリを抱きしめた。 案外聡い、どころではない。ノボリの全身を脱力感が襲う。 所々突拍子もない勘違いはあるが、性別を偽らせる真意も自分の気持ちも、どうやらクダリは全てお見通しだったというのだから酷い話だ。笑い話にもなりはしない。 最初から、彼女は自分を受け入れてくれていたというのに。 あぁ、なんという道化だろう。両想いになって喜びよりも疲労感が勝るとはどういう事か。 遠くにいると思っていた妹は、ずっと自分を待っていてくれたのだという。 ……ただその表現方法が、普段のスキンシップとあまりに変わりないだけで。「私は随分と、勿体無い事をしていたのですね…」「ノボリ?」 腕の中でコテ、とクダリが首を傾げる。その姿に何でもありませんよと一言言い置いて親指で唇をなぞれば、桜色のふっくらとしたそれは僅かに開いた。 一体いつから、そんな疑問は後で解決するとしよう。それよりも。 遅れ馳せながら、じわじわと歓喜がノボリの胸に湧き起こる。「……触れても?」「…ん…。」 ふわり、またあの蕩けるような笑みを浮かべるクダリに吸い寄せられるまま、ノボリはクダリへと唇を寄せた。.[newpage] 数日後、ギアステーションの一角には口をあんぐりと開いた姉弟の姿があった。「「ク…クダリさんっ!?」」「あ、トウコにトウヤ!」 久しぶり!今日はマルチ?そうニコニコと話す白いサブウェイマスターは、立ち尽くす二人へとにこやかな笑顔を浮かべた。 ―――――ただし、その容姿をガラリと変えた状態で。 銀色の長い髪を背に流し、今までキッチリ巻いていたサラシも外して下着を着けて。いつもは留めてあるコートの前も開いた状態なので、その双丘が白いシャツとネクタイを押し上げているのがよく見える。 うっすらと乗せられたメイクはほとんど地肌に近く、唇を彩るグロスはピンク色。ショートブーツもオーダーメイドなのだろう、女性らしい美しさを残しながらも丸いフォルムを形作るそれは、白いパンツスタイルに良く合っている。 以前と変わらない真っ白な衣装。にも関わらず、目の前にいる白のサブウェイマスターは紛うこと無く『女性』であった。 そんなクダリを前にして、唖然と顎を落とすトウコとトウヤを誰が責められよう。 なにせこの間まで男だと思っていた人なのだ。それがいきなりこんな、ふわふわとした――いや、以前からふわふわとはしていたが――女性になりましたなどと急に言われても、ハイそうですかなんて簡単に受け止められるはずもない。「クダリさん!?え、それ…っ」「どうしたんですかその格好!!」 驚いて声を上げる双子の勢いに押され、一転クダリは尻込みしたように目を泳がせた。 どうやらいつもの調子で話しかけたはいいが、自分の恰好を忘れていたらしい。つまりこの恰好になったのは、昨日今日の話ではないということなのだろう。 あ、えぇと、あのね。そんなことをもごもごと言いつつ胸の前で指を捏ねる姿は、正直言ってバトルサブウェイの頂点に君臨する者とはとても思えないほど可愛らしかった。 しばらく言葉を選ぶように開閉していた唇をきゅっと引き締めたクダリだったが、意を決したのかそろりと視線を上げて。「やっぱり…変、かな…?」「「いえ、すっごく可愛いですけど」」 おどおどとした口調のそれに まごうことなき本音をユニゾンでお送りすれば、ぱちくりと目を瞬かせる白い人。 あぁ、やっぱりクダリさんだ。 外観は大きく違えど、変わらないクダリのそんな反応に姉弟の胸はほっこりと温まる。実際には何の問題も解決していないのだが、所謂クダリマジックというやつだ。「クダリ。」 場の空気がまったりしはじめた頃、ふいに低いバリトンが一同の鼓膜を震わせた。 それにいち早く反応したクダリは、「あ!」と、声を上げるやいなや一目散に駆け出した。その際にトウヤの視線が弾む胸元に固定されてしまうのは…まぁ、男の性というやつだ。 そんな周囲の視線には目もくれず、彼女は全身を黒で固めた人の腕の中へとダイブした。「ノボリ!どうしたの、バトルのお誘い?」「いいえ、残念ながら車両点検の帰りでございます」「なぁんだ、」 つまんない! そんな事を言いながらも、兄の腕に頬を寄せる彼女の顔は至極幸せそうで。 あれ?と、思う。 今までもこういう光景には出会っていたが、今日は二人の纏う空気がいつもと違う気がするのだ。 言葉では言い表しにくい程の、微細な変化。ほんの違和感と言ってもいい。 強いて言うなら以前まで花が舞っていただけの背景が、今はうっすらピンク色にも見えるような…クダリの女性らしい格好がそう見せるのだと言われれば、そうなのかもしれないけれど。 そのあたりを微に入り細に入り聞きたいところではあるのだが、それよりも…。「―――あぁ。お二人は、この格好のクダリは今日が初めてでしたか」 それはさぞ驚かれたでしょう、と。 思い付くままに質問を連投する双子に、年上の双子は実に大人の対応であった。 順を追って説明してくれたのは、やはり兄であるノボリだ。 防犯上の理由と、サブウェイマスターというブランドを保つためにクダリが男装していたこと。しかし最近になって事が露見し、騒ぎになりかけたのでこうしておおっぴらにしてしまおうという結論に至ったこと。 途中で顔を見合わせたマスター二人が意味深な笑みを浮かべたけれど、トウコもトウヤもそこに含まれる意味を汲み取る事は叶わない。 とにかく。幼い双子にわかった事は、クダリが女性であったという衝撃の事実だ。 知らなかった。今まで散々、バトルしてきた人なのに。 凶悪なまでの強さと、その真意を悟らせないアルカイックスマイルに騙された。 精巧に造られた人形のようなその顔も、パフォーマンスじみた服や動作もフェイクに拍車をかけていたらしい。 なにが天使、小悪魔の間違いじゃありませんか。 気付けなかった事に申し訳ないと思えば良いのか、教えてくれればいいのにと憤れば良いのか。複雑な表情を浮かべた二人の前で、対するサブウェイマスター二人はひたすら通常運転だ。 黒の腕に白がきゅっと絡みつく。「……こら、クダリ。勤務中ですよ」「大丈夫、だいじょーぶ!」「何が大丈夫なのですか、全く…」「ね、どうせならぼく、明日からスカートで来ようか」「はい!? そ、そこまでせずとも良いのではありませんか?」「えー…でも髪の毛出すくらいじゃ、あんまり変わりない。ぼく背も高いし、別に可愛いワケでもない。インパクトと集客のこと考えたら、やっぱり遠目で見ても分かりやすくした方が…」「いいえッ!!」 良いんじゃない?と言いかけたクダリを、バン!とホームの柱に手を突いたノボリの声が遮った。「却下です!認められません。…いいですかクダリ、貴女はご自分の事を過小評価しすぎです。クダリは今のままでも随分と魅力的なのですから、そんな事をせずとも集客効果など充分です。そろそろ自覚を持ちなさい、でないと私おちおちバトルもできません!」「え、ええぇー…?」 拳を握って力説するノボリに、クダリはちょっと身を引いた。姉弟に至っては更に一歩引いた。 先程までいた「沈着冷静な大人の見本」のような人物が影も形もなく消え失せて、現れたのは限りなく重度のシスコンである。語る彼の目は本気だった。「あー…うん。そんな事思うの、ノボリだけ…」「そんな事とは何ですか!私が今までどれだけ貴女に想いを寄せる職員乗客その他諸々を秘密裏に………」「……」「…………」「ひみつり…?」「……――――とにかく!」 あ、強引に持ってった。隣から注がれる姉弟の生温い視線を感じながら、ノボリはゴホン!と咳払いをひとつ挟む。「貴女はその格好のままで、実に魅力的だということです」「……っ」 銀灰の瞳をひたと合わせて言い切ったノボリの言葉は、クダリだけならず背後のトウコとトウヤまでもを硬直させた。 真顔で何を言っているのか、この大人は!!流れ弾のようにドヤ顔を正面から受け止めてしまった双子は、何とも言えない表情のまま気まずげに目を逸らした。なまじ顔が整っているだけ心臓に悪い。 そして、ポカンとしばらく呆けていたクダリもまた、徐々に表情を歪めていった。 ……ノボリって、時々すっごく恥ずかしいよね。 口の中で恨み言を呟く彼女の頬は、その言葉とは裏腹にうっすらと赤く染まっている。 トウコの胸に、さっき感じた違和感が蘇る。 なんだろう、この二人を取り巻く甘い空気は。未だかつて感じた事のないほどの居た堪れない雰囲気は。 トウコは背筋がムズムズとするような感覚に耐えられず口を開いた。 だって、これじゃまるで…「ノボリさんとクダリさんって、ご兄妹でしたよね…?」(まるで、恋人同士みたいじゃない…?) 探るような視線を向けても双子の仮面は剥がれない。むしろ二人してきょとんと目を瞬かせるのだから、今までの言動に自覚すら無かったのかもしれない。 ……だとしたら、なんてはた迷惑な兄妹なのだろう。 口角を引き攣らせるトウコに気付いているのかいないのか、こちらの問いに答えてくれたのは白の車掌だ。 うん、そうだよ!と。そう言って片側に控える兄と一瞬交わしたアイコンタクトの、真意を思案する間もなくクダリが一歩前に出る。「ノボリは、ぼくのお兄ちゃん。あのね、」 カツンと高いヒールの音に、ふわりと舞うのは銀の髪。 同じく銀色の睫毛で縁取られた目は三日月のように、きゅっと引き上げた口元は艶やかに。 営業用のものとは違う色味を含んだそれが、やけにドキリと胸を打つ。 ふっくらとした唇が開き、歯のエナメルがチラリと覗いて紡ぎ出すのはいつもの常套句だ。「ぼく、クダリ。ノボリと一緒にサブウェイマスターをしてる」 ふわふわとした白い車掌はそう言って、まるで内緒話でもするように立てた人差し指を唇に添えてから。 ―――――兄と妹のふたりで、ね? コクリと、首を傾げてみせた。 ――――なぁ、知ってるか?あの噂 ――――噂? ――――夜中に地下鉄から見える、怪しい光の話だよ…… 嵐の夜、ギアステーションからは鬼火が立ち昇るのだという。 それは最近 巷でまことしやかに囁かれ始めた、とある小さなウワサ話。(ねぇ、ノボリ)(何ですか、クダリ?)(なんだかこの頃、雨の日にお客さんすごく多い。何でだろ?)(あぁ、どうやら最近は肝試しが流行りだそうですよ)(……え、なにそれ何のハナシ…?).