ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 深雪~鍛錬編~2016年10月1日 12:44下ろしたての体操着に、不似合いな白い不織布のマスク。そして不似合いなほど目映く白い、細すぎる手足。その手足はまるで、空気中で溺れるように、不格好に空を掻いた。よろけている、否、走っているのだ。彼女なりに。マスクの白がくすんで見えるほどに、その少女は蒼く透明に白い肌をしていた。苦し気に瞳が歪み、はくはくと、マスクが白い蝶のはばたきのように喘ぐ。 ッゼはっ、、ゼはぁァァッ…、少女――深雪は今にも倒れそうによろけながら、もがくように走る。体操着にマスク――、その病的にさえ思える不似合いな出で立ちは、この学園特有のものだった。 コンコンコンコン…っ、、 ゴホンゴホンゴホン…ゴホ、ゼホンゼホンゼホンゼホゼホ… ッゼィゼィゼィゼィっ、、ヒ―――ゴホ…! コホンコホンっコンコンゴホンゴホンっ、ヒ―――…っコンコンコホンコホン…ッハぁ、ハァ…ゴホ…!ゴホっ…ゴホゴホ…っよたよたと、お世辞にも俊敏とは言えない少女たちは、必死に走りながらもその咳を止めることができない。ここは鍛錬療法を行う全寮制の女子学園――重い喘息を患う深雪の転校先だった。 ッハ、ゼはァッ、ヒィ――…っゼほ、ゼハぁッ、ゲホゲホゲほェほ ゼィッハあァッ、 っヒ――…ゼホンゲホンゲホンゲホンゲホンっ、 うウ――…ッゲホンゲホンゲホンげほげほゼホごッ、ハァ、ァぐッ、深雪は俄かに胸を押さえると、苦しそうに咳き込み始め、よろよろと立ち止まりかけた、その時だった。 「何してる、新入り!」ぴしりと鞭打つような女の声。教師らしき二十五ほどの女が、竹刀を手にづかづかと歩み寄る。「少し咳が出たくらいで止まるんじゃない、良くならなくていいのか」口を押えようとした手をぐいと鷲掴み、そのまま引きずるように走らせる。 「す、すみませ…ッ、ッゼぉっ、ゼほぉォ゛ッぜぇ、ぜぇ…っゴホゴホゴホゴホっ、 っは、ゼはあ゛ァァッ、ゲホンゲホンゲホンゲホンゲホンげほほッ、ぅゲホぇ゛ほッ! 」ぎぅ、ぎぅ、と咳の狭間に肋骨の締まるような喘鳴。烈しくほとばしる咳に、生理的な涙が浮かび、つぃとマスクの縁を濡らした。「泣くな! …本当、そんな依存心の塊だから、たった200mで発作が出るんだ。 気のせいだと思え!」ばしり、と竹刀が地面を打つ。湧き上がる砂埃に、マスクを隔てても深雪の胸はゼキィと痛んだ。 ゼィぉ゙っ、ゼホッゼホッゼホッゼホッゼホッゼホッ、ッゼゴお゛ォォォ――…っ!! ぅゥゥ…ゼホっゼぉッゴホンゴホンゴホンゴホンゴホンゼヒぅ―――…っゼェぇ――ッほ!がくっ、地面に手をついて深雪は激しく咳き込み始める。教師は呆れたように、ちっと舌を打つ。「立て! その根性をどうにかしないと、発作でもっと苦しい目に遭うんだからな!!」一日校庭50周、腹筋100回、腹式呼吸5分間…“喘息は身体と心の弱さによる”“発作は気のせいだと思えばその内治まる”“自己コントロール力を鍛えるため、薬は最低限”それがこの学園の基本姿勢だった。[newpage]「ぐ…う…――ッ、」深雪は病みやつれた脚で何とか立ち上がり、ふらふらと走り始めた。 ハぁ、ハぁ、ゼハぁあ゛ァァッ、、ゼキぅ――…っ紺色のショートパンツから伸びた白い脚に鳥肌が立ち、唇はマスクの下で青ざめていく。「ゼほ、ッぐ…ぅう――…!」 ゼゴぉ゛ォォォォ――…!必死にほとばしろうとする咳を堪えると、胸の中で喘鳴が代わりに砕ける。 ッゼはっ、ゼはぁ゛ァァッ、、ッハ、ゼゴおホッ、ぐ…う!荒い呼吸と咳に、緩い三つ編みが肩の上で跳ねる。ゼひゥゥゥ、、ゼキぅゥゥゥ、、ほとんど喘鳴しかない吐息の狭間になんとか息を吸うたびに、白いマスクが口元に貼り付き、ゼィゼィと震える唇の輪郭をなぞる。 ゼフぅゥゥゥ――…っ!ゼゴお゛ぉォォッ、、ゼゴぉッッ、ゼはあ゛――…っ!深雪が喘げば喘ぐほど、マスクは口元を塞ぐ苦しみそのもののように、きつく貼りついていた。砂埃で発作が起きぬようつけていた筈が、この薄い不織布一枚さえも苦しく思える。 ハぁ、ハぁ、ゼゴはァァァッ ッうぅ゛――…ッゼゴぉ゛ォォォッ、ゴぉンっ、ゴぉンっ、ッゼほ…!はぁはぁと続いていた吐息が途切れがちになり、咽せ喘ぐようになったかと思うと、 ぐらりと細い身体が傾いだ。ざ、と両手を砂で擦る。「う、ぅゥ――…! ぐ、ッ――…!」 ゼぉェッ、ゼぉゼホンゴホンゴホンゴホンゴホゴホゴホゴホゴホっ、ッうゥぁ…ッげほェほッッ ぅゼふゼふゼふェッッ、ゼェェっゼえホゼぉ゙ンゴホンゴホンゴホンゴホンっゼェ――…っ ゼえほッエほゼホゼホゼホゼホゼホゼホゼホッ…ッぅうぐゥ…ッ、深雪はきつく口をおさえ、痛々しいほど懸命に咳を押し殺そうとしたが、込み上げる嘔吐感に 幾度もうめかねばならなかった。 「また!未だ100mも走ってない!!」づかづかと女教師が歩み寄る。「す、すみま、せ…ッ――ぐぅゥ――!」 ヒゥゥげほンげほンゲホンゲホンゲホンゲホンっ、ぅうエッ…っゲホンゲホンゲホンゲホンゲホンゲホンガホンっ、 ゼホゼホゲホンゲホンゲホンゲホンゼッ、ヒうゥゥ――ッぅゲェッホンゲホンゲホンゲホンゲホンゲホンゲホンゲホン… 立て続けに起こる絶え間ない咳、 咳、咳……乾いた喉に砂埃が張り付いて、深雪はマスクの中で舌を突き出し、ウえっと呻いた。 ゴはァッッ、ゼハあ゛ッ、、ゼッえフぉ!ゲホンゲホンゼホゼホゼホゼホゼホンゼぉンゼぉンっ、、 ッは、ゼホぇッ!ゼほェッ!ッヒ――ッゼぉンッゴぉンゴホンゴホンゴホンゴホンゴホンゼピぅ…っゼェぇ――ッほ!マスクの口元を押さえかけた手に、ゼッゼと咳が浴びせられる。咳き入るたびにマスクから溢れた咳が、眉の辺りで切りそろえられた前髪を吹き上げ、細い肩がゼぎぅ、ゼぎぅと軋んで上下する。「話には聞いていたが、相当な軟弱者だな。元はお嬢様だか何だか知らないが…」吐き捨てるように、唇をゆがめる女教師。「ご、めんなさ…ッゼゴぉ゛えェェェッ、、うゥッ――!」 ッ――!ゼぉ゛ォォォッゼほゼホゼホゼホゼぉンゼぉンゴぉンゴボゴホゴホゼホゼホゼホゼホゼホゼホおぅエェェッ、、運動による激しい息遣いで誘発された発作は、息をする間もなく咳ばかりをほとばしらせた。 深雪はぺたりとその場にへたり込み、 喉を抑えながら生理的な涙を流して咳き入る。何時終わるともしれない咳に、純白のマスクの縁を涙が濡らしていく。 ゼほェ!ぅうェ…ッゼぉンゼォンゼォンゴホンゴホンゴホンゼホゼホゴホゼホゼホゼホッ――うゥえェッ…! 咳き入れば咳き入るほど喉に乾いた痛みが貼りついてはさらに咳を強い、虚弱な胸が裏返る。もう苦しさに口を押さえることも出来ず、マスクの下では大きく口が開かれ、うえッ、ぅエぇっ、、咽ぶ度、マスクが突き出された舌の形に盛り上がる。女教師は、ちっと舌打ちすると、鞄から水筒を出し、深雪の顎をぐぃと上向かせた。「湯冷ましだ、飲め」 マスクを顎までずりおろし、紫がかった唇に水筒を押し当てる。その咳き濡れた青白い悩ましさに、一瞬女教師の手が止まった。 ッぐ――!ごぼっゴぼっごぼごぼぜィぜィぜィぜィ、ヒ――ゼほエほ!ェほぇほエホゼホぜぼ…ッ こく、と喉が鳴った途端、気道に流れ込んだ水が嘔吐めいた咳をほとばしらせる。ごぶ、と背中が波立ち、 うぅエッ、、ゼほぉッゼホォッゼぼぉッ、、ゼえホッェホゼホゼホゼホぜほゼッ、ぉ゙ッ ごぼっ、、 だばばっ、紫がかった唇から溢れた吐瀉が、がっと地面を黒く染めた。未消化の朝食に、半透明の痰がねっとりと、生々しい匂いを放つ。 ッゼはァァッ…ガは、ゼふ…ッ、うゥ…――!羞恥からか、深雪は両の手で顔を覆って呻き っゼほ、ッハ、ゴホ、ゴホ、ゼホ、ゼホゴホゴホゴホ…残滓がくすぶるような咳に、つぅ、と涙を流した。ぜほり、ぜほり、再び発作が鎌首をもたげる。「せん、せ…ッゼほお゛ッッ!も、もう…ッっうゥゥ――…!」 ゼェえふッえほぉエほォエほォッッ!ッゼゼエ――…ッゼぇエふッ、 うゥゼほぉ゛エほぉ゛ゼェほエフぉえほゼホゼホゼホゼホゼホッ、、言葉は形にならず、地面に爪を立てながらゼぇゲぇと咳き入った。[newpage] ゼェぇエほぉォォっ、、ゼヒぃィィ――…っうゥゥッ…! ぅゲェェほっ、、ゲホンゼホンゼホンぜほンぜほンぅぇェッ、 嗚咽するように咳き入り続ける深雪に、女教師は吐き捨てる。「おい甘えるな、ここじゃ嘔吐なんて日常茶飯事だ」ぐぃと深雪の腕を掴み、引き上げる女教師。 コぉンコンコンコンコンひィィ―――…っッゴぉンコぉンコンコンコンコン…っゴホンっ、、 ゼぉっ、ゼホゼホゼホゼホゼホ…っッゼほ、ゼほンっ!ハァ、ハぁ…ゴホゴホゴホ…、、 ゼはぁ、ゼはァァ…ッヒゴボゴホゴボっ、ゼィゼィっ…ヒゥ――ゲホン! ゴホっ、、ッハ ごほゴふッ、、ぅッ・・コンコン…ゴほ・・ッ、、うゥゥ…見ればあちこちで、胸を、口を押え、ゼィゼィと咳き入りながらも、よろよろと走る少女たち。中にはゼびぅ、ゼびぅ、と肺炎めいた咳を零しながらも、青ざめたまま、はっはと犬のように舌を出して走っている少女までいた。「あ…ァ、ゼふ…っ!」がくがくと、恐怖と酸欠に、人形のように整った顔はたちまちに青ざめる。終わりのない責め苦に、深雪は眼を見開いたまま真っ青に震えた。「痰は喀けたんだから、走れ! 」どん、と背中を押され、深雪は数歩よろめいた。「う…うゥ――…っ、」 ッゼはっ、ゼゴはっ、ゼお゛ゴハッ、、ゼぎぅ――…っ、、よろよろと、何とか歩を早め、少しでも前に進もうと、酸欠に震える腕で空を掻く。まるできつい首輪の苦しさに泣きながら、屠殺所に引きずられる家畜のよう。咳き喘ぎ苦しみにひきずられるように、走る深雪。「あ、あァっ…ゼほぉ゛ッッ!! ゼゴぉ゛ォォッ、ゼホゼホゼホゼホゼホゼホ…っ」咳は止まらない。苦しさにだらだらと涙が溢れ、微かに吐瀉を浴びたマスクを濡らす。胸の奥で大蛇が横たわり、ずるずるとうごめくように、窒息と咳が波のように押し寄せてくる。 っゼはぁ゛ァァッ、ッゼェぉンゼぉンゼぉンゼぉンゼぉ゙ォンっ、っは、ゼハぁあ゛ァァッ キぅゥゥ――…ッゼごぉハッ、ゼぉ゙ッゼぉ゙ッゼィぉンゼィぉンゼィお゛ォォォォッ、、 ゼゴあ゛ッッ、ゼお゛っ、ギィ――…っゼはッゼはッゼはッゼはッゼはッ…咳とも吐息ともつかない喘鳴をほとばしらせながら、深雪はただ陸で溺れるように走る。掠れた喉から血の味が込み上げ、胸の中で咳の発作がぐぷごぷと渦を巻いた。「そうだ、いいぞ、まずは咳き込んでも走るのを止めないことだ」腕を組んだまま、何も知らない女教師がほくそ笑む。 ゼヒぃィィィ――…っゼぉ゙ッゼぉ゙ッゴンゴンゴンゴンっ ッうぅ――…!っは、ゼぉはぁァァッ、、胸の病巣がごぷ、ぐぷと煮えたぎるような咳が、校庭を舞う。よた、よた、深雪は数歩よろついたが、ゼギぅ、と肩で息をつなぎ、そのままよろよろと進む。 はァっ、はァ゛ァァッ、ゼお゛エッ、、息を深めようとする胸は、そこに巣食う病を吐き出そうと裏返る。よたりと深雪は両の手で口を押えた。「ぅゥ―…っ!ゼぉ゙ゼォほっ、ゼォゼホゼホゲホゲホゲホゲホっ、 ッゼは、ゼゴぉ゛ォォォッ、ぇほっ、ゼほォォォッ、ゼィっ、ゼィっ、ゼィっ、、 ッうぐゥ…っ――ゼゴぉォォォ――ゼぉゼホンゼホンっ、ゼはぁあ゛…ッヒ――…!」もはや立ち止まることもできずに、咳に引きずられるような深雪。走っているせいではない、汗が滝のように、体操着の下を滑り落ちていく。飛び散る唾と痰、吐瀉の残滓に、マスクのこもった空気が嘔吐を誘った。「うぅ、ゼほェ゛っ!」嘆きのような咳に、ごぷり、と何かがせり上がる音がした。陽を浴びたことのない、白い脚ががくがくと震え、ふらりと傾いでは前につんのめる。「う、ぅゥ…!ッゼほえ゛! っは、ゼはぁ゛ッッ、、っゼホンゼホンゼホゼホゼホ…っ ッゼゼエぇぇ――…ッ!ッゼゴぇぇッッ、はァ、はァ、っエふッ、ゼェェえほゼホゼホゼほぉ゙ゼぉ゙ッッ、、」よたたっ、咳の勢いに身を折り、足が止まりかけた。肺からの嘔吐のような咳、咳、咳。「こら、また休もうとして…!!」異変に気付いた女教師が駆け寄るが、その声はすでにほとばしる咳に聾され、 ゴぇぇ゛っ…ゼぇエほっ、――ゼぼお゛ッッ!!吐瀉が、涙が、鼻腔を塞ぐ。深雪は溺れるように首をのけぞらせ、 ゼふォゼッほゼッふォゼフぉゼフぉゼフゼフぇェェ゙っ――! ――ごぶり、ばたたっゼォごぼと病んだ澱のような吐瀉が、マスクから吹き上げられた。 ――ひぃぃィィ――…っ ――きゃあ…っ、、 ゼッほゼホゼホゼホゼホゼホゼふゼふ…ッギぃ――…ッゼぉッゼぉッゼぉッ…ゴぼぼッ、、悲鳴のなか、咳とともに、吐瀉物が弧を描いて、咳と嘔吐の濁流に飲まれるように深雪が崩れ落ちる。真新しい体操着が、吐瀉と痰にじわじわと染まり、校庭には咳と悲鳴ばかりが、波紋のように広がっていった。