ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 【けもケット6】アルーレン【ラグドゥネーム】2017年4月29日 22:00 着ているローブの衣擦れすら確かに聞こえるほどの静かな夜に、扉の[[rb:軋 > きし]]む音が響く。こんなに立て付けが悪かったか、と少し心の中で焦ったが、見回りの兵士がいる気配は全くしない。ほっと胸を撫で下ろしながら、城の中庭を忍び足で歩く。 ついこの間まで生活していたはずの城は、今はまるで別物のようにあまりにもぴりぴりとした雰囲気に包まれていた。中庭から兵舎の廊下に入ると、一定の間隔で存在する木製の扉の数々の隙間から明かりが漏れている。兵士達が夜更かしをしているのだろう。部屋の中からは、談笑する声が聞こえてくる。「……それにしてもさあ……」 廊下を早足で通っていると、ある部屋の中から会話が聞こえてきた。随分と声の大きい兵士だ。「前からいけ好かねえと思ってたんだよなあ、あの、この前追放された魔導師軍の大将」 俺は、反射的に足を止めてしまい舌打ちをする。うるせえな、と心の中で毒を吐いた。続けて別の兵士の声が聞こえてくる。「ああ、元帥の娘を[[rb:誑 > たぶら]]かしたんだろ? 誘惑の魔法の使い手だったし、いつかやるとは思ってたよな。ま、国家反逆罪もやむなしって感じ?」 握った拳が怒りで震えるのを感じた。抑えろ、抑えろ。今ここで激情に駆られたら、それこそあいつらの言葉の通り理想の大反逆人となってしまう。俺は足を止めたことを後悔しながら、再び早足で扉から遠ざかった。「……何が、娘を誑かした、だ。俺の魔法が怖くて嵌めやがっただけだろうが」 それでも、俺は口から怒りを少しずつ放出するかのように、小声で呟いた。俺がいくら民衆の前で身の潔白を主張しても無駄なのは分かっていた。だから、俺は元帥の口から直々に撤回させることにしたのだ。あいつら兵士達の言っていた、誘惑の魔法で。「ついでに、国民に隠しているあの部隊のことも暴露させてやろうか……」 そんなことをぶつぶつと言いながら、俺は廊下の突き当りの扉に手を掛け、ドアノブを回す。扉の先は食堂を兼ねたホールとなっており、見張りの一人くらいいてもおかしくない。しかし先程の兵士達の会話から、早く自らの無実を証明しなければ、と急いてしまっていたのか、力の加減が分からず扉を強く開けてしまった。「何者だ!」 やはり見張りの兵士がおり、俺は自分の失態を恥じる。まあいい、兵士一人程度なら何とかなる。 ホールの向こうからやってくる見張りの足音が近づいてきた。暗くて見え辛いが、どうやら鎖帷子を着た猫族のようだ。俺は腰に掛けていたランタンに明かりを灯す。「シャル様っ……!?」 見張りは俺の名前を声になっていない声で叫ぶ。声が反響しやすいホールでは、それは非常に幸運だった。俺の正体が予想外だったらしく、また夜目が利いているところに急な光がもたらされたこともあってか、少したじろいだのが分かった。 俺は、見張りがたじろいだ隙に一気に駆け出し、相手の息が掛かりそうなくらいの距離まで詰める。そしてランタンを顔の横に持ってくると、相手の目を真っ直ぐ見据えた。瞳孔が開いた瞳には、灰色の鱗を持つ赤い目の蜥蜴人が写っている。「目を見ろ」 俺がそう囁くと、相手は動揺からか言葉に従ってしまう。続けて瞬間的に魔法を詠唱すると、身を包むローブがやわらかな赤い光とともにはためき、俺の目を見ていた兵士の目が赤く光った。「他の奴らにばれないよう、静かにしろ」 続けて、[[rb:囁 > ささや]]く。「……はい……」 猫族の兵士の力の無い返事。成功だ。見張りが俺の命令に従順になったのを確認すると、俺は一呼吸置いた。 これが俺の得意とする、誘惑の魔法。魔法が掛かった相手は、俺のことを盲目的なまでに著しく敬愛するようになる。俺の言葉が、存在が、まるで自分の全てだと錯覚してしまうほどに。非常に便利なものだが、俺の目を見なければ魔法を掛けられないのと、一気に複数人に掛けられないのが欠点か。「よし、今日はもう疲れただろう。自室に戻って休んでいいぞ」「ありがとうございます……」「俺が来たことは、誰にも言うなよ」「分かりました……シャル様……」 見張りはそう言うと、目の焦点が合わないまま、ふらふらと俺に背を向けて兵舎へと向かった。魔法の掛かりがかなり深かったように感じたため、恐らくあいつは向こう一週間は俺の言いつけを守ってくれるだろう。「あいつも、俺のことを殺したい程嫌いになるんだろうな」 俺は誰に言うでもなくそう呟くと、ランタンの明かりを消し、再び歩き始めた。 * 階段を登り、元帥がいるであろう魔導師軍棟へと続く廊下を歩く。窓からは月明かりが入り込み、廊下を柔らかに照らしている。国を追放されるまでは、このどこか温かみの感じる薄暗さが好きだった。今となっては、身を隠すのに不便なだけだが。 曲がり角に差し掛かる直前、カツカツという硬い足音が聞こえてきた。金属が擦れ合う音も聞こえてくるため、恐らく先程のような鎖帷子を着た見張りがいるのだろう。どうやら音の数から一人だけのようだ。棟へ行くためにはこの道しかないため、回り道などはできない。少々事を荒立てる必要がありそうだ。 俺は角で足音が近づいてくるのを待った。不意打ちをし、同じように相手が驚いている隙に魔法を掛ければ良い。次第に近くなる音。こちらからグリーヴのつま先が見えた瞬間、俺はランタンに明かりを灯すと同時に、わざとローブを翻しながら相手の前に躍り出た。「なっ……!」 案の定、見張りは驚いている。俺は流れるように距離を詰め、明かりを顔の近くに持ってくる。赤い毛並みを持つ、狼族だった。「俺の目を見ろ」 そう言って相手の目を見た。―澄んだ蒼色をしていた。その綺麗さに赤い目の俺は少し嫉妬しながら、魔法を詠唱し始めた。何百回と、いや何千回と唱えてきたその詠唱文は、今やどんなに寝ぼけている時であっても完璧だった。俺は流れるように、詠唱を完了させる。 ……しかし、魔法が掛かったことを証明する赤い輝きは、相手の目に現れなかった。確かに魔法を詠唱した際の光は現れたはずなのに、謎の静寂が二人の間を支配している。「なんだ……?」 見張りの動揺した声が響く。バカな。詠唱が間違っていたのか? いや、数え切れないほど唱えてきた魔法を、今更間違えるわけがない。「……もう一度、俺の目を見ろ」 傍から見たら、なんと情けない光景だろうか。こんな状況下でもう一回やり直させて下さいと言っているようなものなのだから。ただ幸いなことに、相手はかなり間の抜けた奴のようだ。俺の二度目の命令にも、素直に従った。再び魔法を詠唱する。今度は一字一句間違えないように、こんな切羽詰った状況ではあり得ないようなゆっくりとした早さで。 だが、二度目の詠唱を終えても、相手の目が光ることはなかった。「なっ、なぜ……!」「も、もういいか?」 聞くなよ、そんなこと。むしろ俺が動揺している間に捕らえろよ、とすら思った。「いや、良くない……が……」「お前、もしかして侵入者かなにかか?」「は? 俺のこと、知らないのか?」 なんだこのやり取りは。今まで自らの地位を偉ぶったことは一度もなかったが、この前まで魔導師軍の大将を務めていた自分を知らない人間を城内で見たこともなかった。 魔法が掛からない、自分のことを知らない人間が存在することに動揺してしまい、ついランタンを持つ手を緩めてしまった。顔の高さから落ちたガラスのランタンは、大理石の床に叩きつけられ、大きな音を立てて割れた。「どうした、グロシエ!」 別の見張りの声が、近くの階段の下から聞こえてくる。グロシエ、とはこの赤毛の狼人の名前だろうか。「ああ、ちょっと来てくれ」 目の前の狼人が声を張り上げる。このままではまずい。俺は狼人が伸ばしてきた手を払いのけると、一目散に逃げた。背後からは、おい! という声が聞こえたが、捕まるわけにはいかないので足を止めなかった。登ってきた階段まで戻ると、その下からも別の兵士が駆け上がってくる足音が聞こえた。「くそっ、あいつらこんなときだけ優秀かよ!」 俺は悪態をつくと、しゃがんで手の指先を自分の脚に伸ばす。そのまま魔法を詠唱すると、魔法詠唱の赤い光と共に脚が青い煙のようなものに包まれた。それを確認すると、俺は自分を鼓舞するため、声を張り上げ窓へと走り出す。「おっらああああああ!!!」 そのままの勢いで、俺は思いっきり窓に体当たりをした。年季の入った窓は容易に割れ、ガラス片が飛び散る。俺の身体は月明かりの下、外界に投げ出されたのだ。目の下が欠片で傷つくのを感じながら、空中でなんとか足から着地するために体勢を整え、静かな裏庭に大きな音と共に着地した。 二階から飛び降りることとなったが、脚に痛みはない。痛覚麻痺の魔法の効果を実感しつつ、俺はそのまま走り、城を後にした。 *「ぐっ……あああっ……!」 翌日の早朝、俺は城下町のはずれの橋の下で、脚への激痛と共に目が覚めた。脚を覆っていた青い煙は消え、その痛みが痛覚麻痺の魔法の効果が切れたことを表していた。「くっそ……があ……」 この世の全ての魔法には、副作用がある。魔導を知るための初歩の本の最初のページには、必ずと言っていいほど書かれている一文がある。〝人の利益になるだけの魔法など決して存在しない。〟その副作用は魔法によって様々だ。例えば傷の治りを早める魔法は、一時的に新陳代謝活動を促した反動として、後に老廃物が蓄積されやすくなり傷の治りが遅くなる。炎を起こす魔法は、同時に詠唱者も指先から火だるまになる。そして、痛覚を麻痺させる魔法には、麻痺させた分だけ後々自殺を望むようになるまでの痛みに襲われるのだ。 骨がずれている感覚がする。包帯と添え木が必要だ。さらに誰かに牽引をしてもらわなければ、回復が遅くなるだろう。城内ではすっかり有名人になってしまったが、城下町のしかもはずれならまだ俺のことを知らない人間がいるはずだ。俺は医者を探すため、地を這いつくばりながら橋の下を後にした。 普段は農業に従事している者くらいしか通らない道を這いながら進む。通行人がいれば誘惑の魔法を掛けて医者まで運ばせるつもりだったが、あまりに早朝のためか誰一人としていなかった。這いつくばっての移動は、普段使わない場所の筋肉を使用する。元より魔導師軍に所属し、肉体面でそれほど自信がない俺は、すぐに息も絶え絶えとなってしまった。 治安維持のための兵士の巡回を警戒し、物陰で休憩する。ぜえぜえと息をしながら患部を触ると、鈍い痛みが走った。「畜生……、こんな国なんて……!」 元より俺は出世に興味が無く、軍に所属する理由も国立図書館の秘蔵の書物を読む権限があるからに過ぎなかった。誘惑の魔法の才能があることを知ったのは、ある日同僚が眠れないと俺に催眠魔法を掛けるよう依頼してきた時のこと。直前まで誘惑の魔法に関する書物を読んでいた俺は、ちょっとした悪戯心から書かれていた詠唱を同僚に施した。すると怖くなるほどに深く魔法に掛かってしまった同僚は、一週間ほど俺のことしか考えられなくなってしまったという。 ……それだけなら、まだ笑い話で済んだのだが。全ての魔法には、副作用がある。簡単な話だ。この世で一番好きになる魔法を掛けた代償は、この世で一番嫌われることだった。仲の良かったその同僚は、魔法の効果が切れた瞬間に俺のことを殺したいと思うほどに憎んだ。周りの人間にも、俺のあることないことを吹聴して回った。その結果、俺は軍で一番の嫌われ者となってしまった。 それでも、俺が大将まで上り詰めたのは、その誘惑の魔法があまりに強力だったからだろう。どんなに相手が偉くても、魔法さえ掛かれば俺の意のままになる。無血開城や大きな取引といった場には必ずといっていいほど俺の姿があり、成果を出し続けた。 その結果、内部ですら恐れられる存在になってしまった。畏れではなく恐れから、排除しなければいつか自分達が利用される、と考えていたに違いない。そして、魔導師軍元帥の罠に嵌められてしまった。俺は元帥の娘の演技で、誘惑の魔法を利用し手篭めにしようとしたように仕立て上げられ、身内に悪意ある魔法を掛けたとして国家反逆罪となり追放されたのだ。軍中で嫌われていたこともあってか、俺は悪人としてそれはそれはすんなりと認知された。 思い出すだけで、腹が立ってくる。脚の痛みが、俺の怒りを増長させる。「……くそぉっ!!」 俺は思わず声を出して地面を拳で殴った。じんじんとした痛みは、まるで己の無力さを嘲笑うかのようだった。「誰かいるのか?」 俺が怒りに震えている間に、いつの間にか通行人がいたようだった。俺は善良な市民の振りをするために、先程までの激情を隠しできるだけ弱々しい声でその呼びかけに答える。「ああ、助けてくれ……」 ざりざりと、足音で声の主が近づいてくるのが分かる。「あ……」「お、お前は……」 脚を痛め、逃げられない俺の前に現れたのは、昨日のグロシエと呼ばれていた赤毛の狼人だった。