2012年01月31日
初めに断っておくが、黙示録が予言する通り、
反キリスト(獣)はハルマゲドンを指揮する者であり、
目には目を!テポドンにはピカドンを……!(冗談)
『日月神示』は「喩えでないぞ」と脅しながらも、
「一厘の仕組」で天変地異も戦争も最小限に抑えられる事を説いている。
故・サティア・サイババ氏も次のように言っていた。
「私に帰依する者がいなかったとしたら、世界はとっくに破滅していただろう。
私の帰依者たちの魂が洗われ、彼らの心の奥に愛が輝いているので、
これから先、一般に騒がれているような大規模な天変地異は起こらない。
異常があるとしても、常識の範囲内での大地震や大事故というものでしかない。
私は、昔からの預言書などに示された神の計画を徐々にキャンセルしている」
では、なぜ『日月神示』は、わざわざ恐怖を与えるような
終末を予言する必要があったのだろうか。
それは、「現状認識なくして対策なし」だからである。
今、地球は末期ガンに冒されているような状況である。
それを知らずに生きていると、ガンが進行して死が待っている。
ガンを治療する為には、まず現状を認識することだ。
単なる「ガン宣告」であれば恐怖を与えるだけだが、
末期ガンであっても快癒する方法「一厘の仕組」がある事が説かれているのだ。
むしろ、終末予言を与える事で「一厘の仕組」が発動すると考えて良いだろう。
地球の危機を知らずに、呑気に生きている場合ではないという事である。
汝、終末論を真剣に考えよ!
http://messiah666.seesaa.net/article/223465547.html
内海康満氏は次のように述べている。
「戦争の兆候がかなり色濃く出てきたので、現実をよく認識してもらう為に、
種観霊によって観えてくることを少しずつ口に出すようになったのだ」
王仁三郎は次のように述べている。
「王仁が出たのはお筆先を合わさぬようにする為である。
お筆先が当たってたまるか」
『大本神諭』で過激な終末予言が降ろされなければ、
それを止める救世主(王仁三郎)も現れなかったという事である。
須藤アキオ氏は『王仁三郎の霊界物語は科学でこう解ける』の中で、
このように述べている。
自己実現の過程では、多くの苦痛が伴う。
受け入れがたいコンプレックスを認めることは、
個人にとって一種の自己否定にも近いほどのショックだろう。
このさまざまな苦悩の過程が、地球の場合、
「大峠」と呼ばれる天変地妖や巨大な人災となって現れるのである。
人類という〈地球の自我(超自我)〉がいまや崩壊し、
精神病を患っている以上、本格的な治療を施さねばならない。
ユング派の療法家がさまざまな例を挙げているように、
自我が極端な危機に瀕しているとき、夢で〈自己〉が、
時に人の形(老賢人)をとって助言を与えることがあるという。
この〈超自我(物質界=集合無意識の中心)〉が極端な危機に瀕したとき、
〈超自己(Θ)〉が別の形をとって助言した。
これが天理・金光・黒住などのいわゆる教派神道であり、
その最後に大本が現れ、助言(予言・警告)として『お筆先』(出口ナオ筆記)、
『霊界物語』(出口王仁三郎口述)を与えたのである。
予言を信じるかどうかは問題ではなく、無理に信じる必要もない。
世界の出来事を見ていれば、これからどうなっていくかは
大体の見当がつくはずで、終末予言と同様の未来予測となるはずだ。
それもこれも自分の潜在意識が映し出している現象だが、
それが分からないのは内観不足である。
「よき目ざましもあるぞよ。
また悪しき目ざましもあるから、世界のことを見て改心いたされよ。
いまのうちに改心いたさねば、どこに飛び火がいたそうも知れんぞよ」
(大本神諭)
「世界がそなたに映っているのぞ。世界見て己の心早う改心致されよ」
(日月神示)
「世の様見て早う改心して、身魂洗濯致して、神の御用つとめてくれよ」
(日月神示)
つまり、内観をすれば戦争も治まるという事である。
人間的な視点で見ると、世界で起きている紛争や戦争、
災害などの原因が自分にあるとは思えないだろう。
「9・11はアメリカの自作自演」だとか、
「3・11はアメリカのプラズマ兵器」によるものだとか言われているが、
真の黒幕は自分自身だという事である。
自分の世界に於いて、人類は自分の側面の投影であり、
世界のあらゆる出来事は自分の潜在意識の投影だからである。
ホ・オポノポノの創始者が、内外反転の視点を持った5次元の
意識レベルの持ち主だと、獣が評価している理由がお分かりだろう。
『日月神示』には次のように示されている。
「臣民はすぐにも戦すみてよき世が来る様に思うてゐるが、
なかなかさうはならんぞ。
臣民に神うつりてせねばならんのざから、
まことの世の元からの臣民幾人もないぞ。
みな曇りてゐるから、これでは悪の神ばかりかかりて、
だんだん悪の世になるばかりぞ。
それで戦すむと思うてゐるのか。
自分の心よく見てござれ、よく分るであろがな」
「神はいつまでも待てんから、いつ気の毒出来るか知れんぞ。
戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が恐いのぞ。
それより己の心に巣くうてる悪のみたまが恐いぞ」
「戦は今年中と言っゐるが、そんなちょこい戦ではない。
世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは終らぬ道理が分らぬか。
臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、
ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。
己の心を見よ、戦が済んでいないであろ。
それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ。
早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一」
ハイパーネオデジタル内観には、ホ・オポノポノも組み込まれているが、
それによって、天変地異や戦争の原因である自分のネガティブ・カルマを
掃除(潜在意識のクリーニング)するのである。
だが、天変地異や戦争を完全に回避する事は出来ないようだ。
「神は大難は小難にすることできるのであるが、なくすることはできんぞ」
(日月神示)
内海康満氏も言っている。
「私は、99%の確率で戦争が起こるとは言っていない。
100%の確率で起こると言っているのである。
いわゆる予言というものや霊能者の占いなどは、
当たったり当たらなかったりするが、私は予言も占いもしない。
ただ、識っているだけである。
こういう恐ろしい事態を避けたいと思うのはやまやまだが、
私がここに書いていることは単なる予測や推測ではない。
すでに意識の世界では終わっていることなので、
どんなにあがいても避けることはできないのである」
だが、大難が小難になり、戦は囲碁や将棋程度で済み、
神の国の王将が勝利する仕組みになっているのである。
「神の臣民、掃除洗濯出来たらこの戦は勝つのぞ。
今は一分もないぞ、一厘もないぞ」
また、「戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が恐いのぞ。
それより己の心に巣くうてる悪のみたまが恐いぞ」と示されている通り、
内観こそが本当の「ハルマゲドン」なのである。
「戦や天災では改心出来ん。
いよいよになって助けてくれと走り込んでも、
その時では遅いから 間に合わんから 早う神の心悟れと申してあるのぢゃ。
学問や智や金を頼っている内は、まだまだ改心出来ないぞ」
「戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ。
戦出来ぬ様になりて、始めて分かるのぞ。
神の申すこと、ちっとも違はんぞ。
間違ひのことなら、こんなにくどうは申さんぞ」
「人民の戦や天災ばかりで、今度の岩戸開くと思うていたら間違いざぞ。
あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、
早う身魂磨いて恐いものないようになっておりてくれよ。
肉体の恐さではないぞ、霊の恐さざぞ。霊の戦や禍は見当取れまいがな」
「救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、
それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあるに、
きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん」
「急ぐなれど、臣民なかなかに言ふこときかぬから、
言ふこときかねば、きく様にしてきかす。
神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか」
「此処は先づ世界の人民の精神よくするところであるから、
改心せねばする様いたすぞ。
分らんのは我かまうひと慢心してゐるからぞ」
「神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、
臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ。
いつ何んなことあっても知らんぞ」
「百人千人の改心なれば、どんなにでも出来るなれど、
今度は世界中、神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、
そんなチョロコイ事ではないのざぞ」
「人民同士の戦ではかなはんと云ふ事よく判りたであろがな。
神と臣民融け合った大和魂でないと勝てんことぞ。悪神よ。
日本の国を此処までよくも穢したな。
これで不足はあるまいから、いよいよ此の方の仕組通りの、
とどめにかかるから、精一杯の御力でかかりて御座れ。
学問と神力の、とどめの戦ざぞ」
故に、徹底的なデトックスをさせられることになり、
自発的に始めておかないと強烈な瞑眩(好転反応)の苦痛に襲われる事になる。
「どちらの国も潰れるところまでになるのぞ。
臣民同士は、もう戦かはなんと申しても、
この仕組成就するまでは、神が戦はやめさせんから、
神がやめる訳に行かんから、今やめたらまだまだ悪くなるのぞ。
〇の世となるのぞ、〇の世界となるのぞ。
今の臣民九分通り〇になりてゐるぞ。
早う戦すませて呉れと申してゐるが、
今 夜明けたら、臣民九分通りなくなるのざぞ。
神も人も一つであるぞ、考へてゐては何も出来ないぞ。
考へないで思ふ通りにやるのが神のやり方ぞ。
考へは人の迷ひざぞ。
今の臣民身魂くもりてゐるから考へねばならぬが、
考へればいよいよと曇りたものになる道理分らぬか」
「今度の戦で何もかも埒ついて仕まふ様に思うてゐるが、
それが大きな取違ひぞ。
なかなかそんなチョロッコイことではないぞ。
今度の戦で埒つく位なら、臣民でも致すぞ。
今に戦も出来ない、動くことも引くことも、
進むことも何うすることも出来んことになりて、
臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ。
それからが、いよいよ正念場ぞ、
まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ」
何故、内観が重要なのか。
「人間と云ふもは奇蹟見ても、病気になっても、中々改心出来んものぢゃ。
死後の生活がハッキリ判っても、未だ改心出来んのぢゃ。
それは外からのものであるからぢゃ。
マコトの改心は、中の中の神のキいただいて、ほっこん改心出来ねばならん。
世を生み、現在を生み、未来を生みつつあるのぞ」
内側を見なければ、ほっこん改心できないからであり、
また、真実の神(真我=真の自己)に出会う事ができないからなのだ。
『あるヨギの自叙伝』には次のように書かれている。
「わたしは長年、厳しい内観の行を続けてきました。
それは至難な英知への道です。
自分の心の動きをあくまで冷酷に凝視する厳しい自己観察は、
心身を損なうほど痛烈な苦行です。
これによって、心の底に巣食う最も頑固な自我を粉砕してしまうのです。
しかし、こうした真の自己分析は必ず、真理を洞察する覚者を生み出します。
これに反して、自我を容認するいわゆる“自己表現主義”は、
神や宇宙に対して自分勝手な解釈を施して譲らない
自己本位な人間をつくってしまいます。
人間は、自分の心の醜さに目を閉じて自分をごまかしている間は、
永遠の真理を理解することはできません。
人間の心の中を洗いざらい明るみに出してみれば、
過去幾生涯の間に無数の迷いによって歪められた醜さが、
正視に耐えないほど充満しています。
この心中の敵との戦いに比べれば、戦場の戦などは物の数ではありません。
心中の敵は、力ずくで絶滅できるような生やさしい相手ではありません。
この“無知な欲望”という敵は、至る所に潜んでいて、
巧妙な策略と恐るべき有毒兵器を隠し持ち、眠っている間でも、
たえず我々を殺そうと狙っているのです」
ハルマゲドンは、神と悪魔(善と悪)の最終決戦で、
神(善)が勝利することが最初から決まっているが、
決して悪を根絶するという意味ではない。
「善=霊主体従主義」で「悪=体主霊従主義」だが、
悪を抱き参らせて浄化し、統合する事が「霊体一致」であり、
「ミロクの世」の完成となるのである。
そもそも、「善と悪」、「神と悪魔」の戦いというのは、
人間に分かりやすく説かれた比喩に過ぎないのである。
「今日までの御教は、悪を殺せば善ばかり、
輝く御代が来ると云ふ、これが悪魔の御教ぞ」
「悪を殺すことは、善をも殺し、神を殺し、歓喜を殺し、総てを殺す結果となる」
「悪の改心、善の改心、善悪ない世を光の世と申すぞ」
「二二は晴れたり、日本晴れ、びっくりばこ いよいよとなりたぞ。
春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ、
早う改心せんとハルマゲドンの大峠こせんことになるぞ。
大峠となりたら どんな臣民もアフンとしてもの云へんことになるのざぞ、
何とした取違ひでありたかとじだんだふんでも、其の時では間に合はんのざぞ」
冬マケてハルマゲドンとは一体……。
二二は今年の冬至(12月22日)を連想させるが、果たして……。
ハルマゲドンによる獣の世界支配計画
http://messiah666.seesaa.net/article/200690620.html
反キリスト(獣)はハルマゲドンを指揮する者であり、
目には目を!テポドンにはピカドンを……!(冗談)
『日月神示』は「喩えでないぞ」と脅しながらも、
「一厘の仕組」で天変地異も戦争も最小限に抑えられる事を説いている。
故・サティア・サイババ氏も次のように言っていた。
「私に帰依する者がいなかったとしたら、世界はとっくに破滅していただろう。
私の帰依者たちの魂が洗われ、彼らの心の奥に愛が輝いているので、
これから先、一般に騒がれているような大規模な天変地異は起こらない。
異常があるとしても、常識の範囲内での大地震や大事故というものでしかない。
私は、昔からの預言書などに示された神の計画を徐々にキャンセルしている」
では、なぜ『日月神示』は、わざわざ恐怖を与えるような
終末を予言する必要があったのだろうか。
それは、「現状認識なくして対策なし」だからである。
今、地球は末期ガンに冒されているような状況である。
それを知らずに生きていると、ガンが進行して死が待っている。
ガンを治療する為には、まず現状を認識することだ。
単なる「ガン宣告」であれば恐怖を与えるだけだが、
末期ガンであっても快癒する方法「一厘の仕組」がある事が説かれているのだ。
むしろ、終末予言を与える事で「一厘の仕組」が発動すると考えて良いだろう。
地球の危機を知らずに、呑気に生きている場合ではないという事である。
汝、終末論を真剣に考えよ!
http://messiah666.seesaa.net/article/223465547.html
内海康満氏は次のように述べている。
「戦争の兆候がかなり色濃く出てきたので、現実をよく認識してもらう為に、
種観霊によって観えてくることを少しずつ口に出すようになったのだ」
王仁三郎は次のように述べている。
「王仁が出たのはお筆先を合わさぬようにする為である。
お筆先が当たってたまるか」
『大本神諭』で過激な終末予言が降ろされなければ、
それを止める救世主(王仁三郎)も現れなかったという事である。
須藤アキオ氏は『王仁三郎の霊界物語は科学でこう解ける』の中で、
このように述べている。
自己実現の過程では、多くの苦痛が伴う。
受け入れがたいコンプレックスを認めることは、
個人にとって一種の自己否定にも近いほどのショックだろう。
このさまざまな苦悩の過程が、地球の場合、
「大峠」と呼ばれる天変地妖や巨大な人災となって現れるのである。
人類という〈地球の自我(超自我)〉がいまや崩壊し、
精神病を患っている以上、本格的な治療を施さねばならない。
ユング派の療法家がさまざまな例を挙げているように、
自我が極端な危機に瀕しているとき、夢で〈自己〉が、
時に人の形(老賢人)をとって助言を与えることがあるという。
この〈超自我(物質界=集合無意識の中心)〉が極端な危機に瀕したとき、
〈超自己(Θ)〉が別の形をとって助言した。
これが天理・金光・黒住などのいわゆる教派神道であり、
その最後に大本が現れ、助言(予言・警告)として『お筆先』(出口ナオ筆記)、
『霊界物語』(出口王仁三郎口述)を与えたのである。
予言を信じるかどうかは問題ではなく、無理に信じる必要もない。
世界の出来事を見ていれば、これからどうなっていくかは
大体の見当がつくはずで、終末予言と同様の未来予測となるはずだ。
それもこれも自分の潜在意識が映し出している現象だが、
それが分からないのは内観不足である。
「よき目ざましもあるぞよ。
また悪しき目ざましもあるから、世界のことを見て改心いたされよ。
いまのうちに改心いたさねば、どこに飛び火がいたそうも知れんぞよ」
(大本神諭)
「世界がそなたに映っているのぞ。世界見て己の心早う改心致されよ」
(日月神示)
「世の様見て早う改心して、身魂洗濯致して、神の御用つとめてくれよ」
(日月神示)
つまり、内観をすれば戦争も治まるという事である。
人間的な視点で見ると、世界で起きている紛争や戦争、
災害などの原因が自分にあるとは思えないだろう。
「9・11はアメリカの自作自演」だとか、
「3・11はアメリカのプラズマ兵器」によるものだとか言われているが、
真の黒幕は自分自身だという事である。
自分の世界に於いて、人類は自分の側面の投影であり、
世界のあらゆる出来事は自分の潜在意識の投影だからである。
ホ・オポノポノの創始者が、内外反転の視点を持った5次元の
意識レベルの持ち主だと、獣が評価している理由がお分かりだろう。
『日月神示』には次のように示されている。
「臣民はすぐにも戦すみてよき世が来る様に思うてゐるが、
なかなかさうはならんぞ。
臣民に神うつりてせねばならんのざから、
まことの世の元からの臣民幾人もないぞ。
みな曇りてゐるから、これでは悪の神ばかりかかりて、
だんだん悪の世になるばかりぞ。
それで戦すむと思うてゐるのか。
自分の心よく見てござれ、よく分るであろがな」
「神はいつまでも待てんから、いつ気の毒出来るか知れんぞ。
戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が恐いのぞ。
それより己の心に巣くうてる悪のみたまが恐いぞ」
「戦は今年中と言っゐるが、そんなちょこい戦ではない。
世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは終らぬ道理が分らぬか。
臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、
ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。
己の心を見よ、戦が済んでいないであろ。
それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ。
早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一」
ハイパーネオデジタル内観には、ホ・オポノポノも組み込まれているが、
それによって、天変地異や戦争の原因である自分のネガティブ・カルマを
掃除(潜在意識のクリーニング)するのである。
だが、天変地異や戦争を完全に回避する事は出来ないようだ。
「神は大難は小難にすることできるのであるが、なくすることはできんぞ」
(日月神示)
内海康満氏も言っている。
「私は、99%の確率で戦争が起こるとは言っていない。
100%の確率で起こると言っているのである。
いわゆる予言というものや霊能者の占いなどは、
当たったり当たらなかったりするが、私は予言も占いもしない。
ただ、識っているだけである。
こういう恐ろしい事態を避けたいと思うのはやまやまだが、
私がここに書いていることは単なる予測や推測ではない。
すでに意識の世界では終わっていることなので、
どんなにあがいても避けることはできないのである」
だが、大難が小難になり、戦は囲碁や将棋程度で済み、
神の国の王将が勝利する仕組みになっているのである。
「神の臣民、掃除洗濯出来たらこの戦は勝つのぞ。
今は一分もないぞ、一厘もないぞ」
また、「戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が恐いのぞ。
それより己の心に巣くうてる悪のみたまが恐いぞ」と示されている通り、
内観こそが本当の「ハルマゲドン」なのである。
「戦や天災では改心出来ん。
いよいよになって助けてくれと走り込んでも、
その時では遅いから 間に合わんから 早う神の心悟れと申してあるのぢゃ。
学問や智や金を頼っている内は、まだまだ改心出来ないぞ」
「戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ。
戦出来ぬ様になりて、始めて分かるのぞ。
神の申すこと、ちっとも違はんぞ。
間違ひのことなら、こんなにくどうは申さんぞ」
「人民の戦や天災ばかりで、今度の岩戸開くと思うていたら間違いざぞ。
あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、
早う身魂磨いて恐いものないようになっておりてくれよ。
肉体の恐さではないぞ、霊の恐さざぞ。霊の戦や禍は見当取れまいがな」
「救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、
それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあるに、
きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん」
「急ぐなれど、臣民なかなかに言ふこときかぬから、
言ふこときかねば、きく様にしてきかす。
神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか」
「此処は先づ世界の人民の精神よくするところであるから、
改心せねばする様いたすぞ。
分らんのは我かまうひと慢心してゐるからぞ」
「神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、
臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ。
いつ何んなことあっても知らんぞ」
「百人千人の改心なれば、どんなにでも出来るなれど、
今度は世界中、神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、
そんなチョロコイ事ではないのざぞ」
「人民同士の戦ではかなはんと云ふ事よく判りたであろがな。
神と臣民融け合った大和魂でないと勝てんことぞ。悪神よ。
日本の国を此処までよくも穢したな。
これで不足はあるまいから、いよいよ此の方の仕組通りの、
とどめにかかるから、精一杯の御力でかかりて御座れ。
学問と神力の、とどめの戦ざぞ」
故に、徹底的なデトックスをさせられることになり、
自発的に始めておかないと強烈な瞑眩(好転反応)の苦痛に襲われる事になる。
「どちらの国も潰れるところまでになるのぞ。
臣民同士は、もう戦かはなんと申しても、
この仕組成就するまでは、神が戦はやめさせんから、
神がやめる訳に行かんから、今やめたらまだまだ悪くなるのぞ。
〇の世となるのぞ、〇の世界となるのぞ。
今の臣民九分通り〇になりてゐるぞ。
早う戦すませて呉れと申してゐるが、
今 夜明けたら、臣民九分通りなくなるのざぞ。
神も人も一つであるぞ、考へてゐては何も出来ないぞ。
考へないで思ふ通りにやるのが神のやり方ぞ。
考へは人の迷ひざぞ。
今の臣民身魂くもりてゐるから考へねばならぬが、
考へればいよいよと曇りたものになる道理分らぬか」
「今度の戦で何もかも埒ついて仕まふ様に思うてゐるが、
それが大きな取違ひぞ。
なかなかそんなチョロッコイことではないぞ。
今度の戦で埒つく位なら、臣民でも致すぞ。
今に戦も出来ない、動くことも引くことも、
進むことも何うすることも出来んことになりて、
臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ。
それからが、いよいよ正念場ぞ、
まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ」
何故、内観が重要なのか。
「人間と云ふもは奇蹟見ても、病気になっても、中々改心出来んものぢゃ。
死後の生活がハッキリ判っても、未だ改心出来んのぢゃ。
それは外からのものであるからぢゃ。
マコトの改心は、中の中の神のキいただいて、ほっこん改心出来ねばならん。
世を生み、現在を生み、未来を生みつつあるのぞ」
内側を見なければ、ほっこん改心できないからであり、
また、真実の神(真我=真の自己)に出会う事ができないからなのだ。
『あるヨギの自叙伝』には次のように書かれている。
「わたしは長年、厳しい内観の行を続けてきました。
それは至難な英知への道です。
自分の心の動きをあくまで冷酷に凝視する厳しい自己観察は、
心身を損なうほど痛烈な苦行です。
これによって、心の底に巣食う最も頑固な自我を粉砕してしまうのです。
しかし、こうした真の自己分析は必ず、真理を洞察する覚者を生み出します。
これに反して、自我を容認するいわゆる“自己表現主義”は、
神や宇宙に対して自分勝手な解釈を施して譲らない
自己本位な人間をつくってしまいます。
人間は、自分の心の醜さに目を閉じて自分をごまかしている間は、
永遠の真理を理解することはできません。
人間の心の中を洗いざらい明るみに出してみれば、
過去幾生涯の間に無数の迷いによって歪められた醜さが、
正視に耐えないほど充満しています。
この心中の敵との戦いに比べれば、戦場の戦などは物の数ではありません。
心中の敵は、力ずくで絶滅できるような生やさしい相手ではありません。
この“無知な欲望”という敵は、至る所に潜んでいて、
巧妙な策略と恐るべき有毒兵器を隠し持ち、眠っている間でも、
たえず我々を殺そうと狙っているのです」
ハルマゲドンは、神と悪魔(善と悪)の最終決戦で、
神(善)が勝利することが最初から決まっているが、
決して悪を根絶するという意味ではない。
「善=霊主体従主義」で「悪=体主霊従主義」だが、
悪を抱き参らせて浄化し、統合する事が「霊体一致」であり、
「ミロクの世」の完成となるのである。
そもそも、「善と悪」、「神と悪魔」の戦いというのは、
人間に分かりやすく説かれた比喩に過ぎないのである。
「今日までの御教は、悪を殺せば善ばかり、
輝く御代が来ると云ふ、これが悪魔の御教ぞ」
「悪を殺すことは、善をも殺し、神を殺し、歓喜を殺し、総てを殺す結果となる」
「悪の改心、善の改心、善悪ない世を光の世と申すぞ」
「二二は晴れたり、日本晴れ、びっくりばこ いよいよとなりたぞ。
春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ、
早う改心せんとハルマゲドンの大峠こせんことになるぞ。
大峠となりたら どんな臣民もアフンとしてもの云へんことになるのざぞ、
何とした取違ひでありたかとじだんだふんでも、其の時では間に合はんのざぞ」
冬マケてハルマゲドンとは一体……。
二二は今年の冬至(12月22日)を連想させるが、果たして……。
ハルマゲドンによる獣の世界支配計画
http://messiah666.seesaa.net/article/200690620.html