「硬派な男子」に弱い女子は多い。
やっぱ男は、男っぽくて信念があってシブくて、グイグイ引っ張ってってくれないと!ってやつ。
ジャニーズ事務所が王子様路線(トシちゃん)と硬派路線(マッチ)を同時に打ち出していたのもそういうニーズに応えるためだが、ジャニーズアイドルの打ち出す「硬派」って、立ち位置がアイドルである以上、一線を越えることがどうしてもできないわけで。その一線とは「漢気(おとこぎ)」と「大人の洗礼」。この壁を越えると「硬派」は男汁がグッと濃くなり、一気に本職(極道・右翼団体)に近づきます。
まあアイドルって当時は基本的に当事者も消費者もコドモだったから、「大人の男が好きってタイプの女子」のニーズには応えられなかったんだね。
 

そんな硬派好きで男汁が濃い大人の世界にグッと来る女子をターゲットとした大人数男所帯グループが80年代中盤に存在していた。
その名も「劇男一世風靡」。
 
 

 
 
「劇団」じゃないすよ「劇男」すよ。
どうよこの男汁の濃さ。
ゲイコミ・アンソロジーの「激男」
 
 

 
 
とも違うよ。
ある意味方向性は似てるけど。男汁が濃いという意味で。
ジャニタレ独占市場である日本芸能界男性アイドル部の、網の目から漏れてしまった因果な女子を狙ったニッチな商売だったが、これが大当たり。やっぱ男は、男っぽくて信念があってシブくて体育会で大人で熱くてクールで、グイグイ引っ張ってってくれないと!って女子のニーズにどんぴしゃり。「熱くてクール」って矛盾してんな。まあ気にするなや。「一世風靡」は1984年から1985年にかけて、文字通り一世を風靡した。


 
劇男一世風靡」は1983年に渋谷で発足した男性路上パフォーマンス集団。
歌手デビューしたのは、その中から歌部門として分派したユニット「一世風靡SEPIA一世風靡セピア)」である。
SEPIAは当初7人だったが、母体である「劇男一世風靡」は、もっともっと大人数男所帯だった。
最盛期は数十人は在籍していたと思われる。
 
 
劇男一世風靡」、その前身は「東京ビクトリークラブ」(年代ははっきりしないがおそらく80~81年頃発足)。
それが芝居関係の団体と合体して「劇男零心会(82年発足)」となり、それが更に分裂して「劇団一世風靡」と「零心会」に分かれた。
“「劇男零心会」内に硬派系と軟派系の派閥があり、硬派系が「劇男一世風靡」に流れ、軟派系は「零心会」に留まった説”があるが真偽は知らん。
「零心会」出身者には保阪尚希風見慎吾野々村真羽賀研二らが居り、「一世風靡」出身者には小木茂光哀川翔、柳葉敏郎、武野功雄中野英雄らが居るので、面子だけで判断するとその説は当たってんのかもしれない。
ちなみに柳葉敏郎は一世風靡内では「ジョニー」というニックネームで呼ばれていた。
ジョニー。ジョニー。日本人なのになぜジョニー。
ていうか、銀蝿ファミリーといい、一世風靡といい、なぜヤンキーグループは「ジョニー」と「翔」を名乗りたがるのか。
「翔」はわかる。元ネタは「ハイティーン・ブギ」だよな。
「ジョニー」はわからん。
ギバちゃんが劇団ひまわり時代にリーゼントだったから「ジョニーってイメージだね」と周囲に言われて「ジョニー」になったのは知っている。
だから、なぜそこで「ジョニー」。
ま、いっか。別に本気でルーツを知りたいわけじゃないから。
 
 
この一世風靡と零心会(集合A)と、欽ちゃんファミリー(集合B)との積集合A∩Bも気になるところだが、まあいい。
 
 

 
 
※積集合A∩Bに「勝俣州和」が入ってないが、この人を一世風靡のカテゴリに入れていいかどうか、結構ビミョーだったりする。
  
  
 
まあとにかく劇男一世風靡は非常に男汁が濃かった。
単に硬派でシブいだけでなく、サムライ・ニッポンな倭のテイストがプンプン臭った。
そういう意味でかなーり本職(極道・右翼団体)に近い雰囲気を醸し出していたと思う。
これは、劇男一世風靡という団体そのものから漂う体臭というより、その代表である大戸天童氏によるところが大きいと私は思っている。
劇男一世風靡の「団長」は現在も俳優として活躍中の平賀雅臣だが、「代表」は大戸天童(おおとてんどう)であった。
大戸は、いわば一世風靡のプロデューサー的な存在で、彼らの劇の脚本を書いたり、おそらくはSEPIAの作詞などにも関わっていた人物だ。
筑紫哲也との対談集「若者たちの神々―筑紫哲也対論集〈3〉」で、はじめて大戸天童の存在を知ったんですがね。
まあこれがアヤシイアヤシイ。山師臭が凄くて、これは要チェック物件だと自分の中の「行く末を見守りたい人リスト」のトップグループに追加しました。
 
 
大戸天童ね、「竹の子族」の仕掛けにも関わってんですよ。この対談読むと。
「倭」に対するこだわりが強くあって、ジンギスカンアラベスクなどのユーロビートをかけて路上で着物を着て、日本的な振り付けで踊ったら面白いんじゃないかと「竹の子族」を企画したと。で、それが当たったんですね。ショーバイとして面白味がある時期までそれに関わり、話題性が尽きた頃にフィフティーズ(ローラー族)を企画。あの、50年代のカッコ(革ジャン、リーゼントのテディボーイスタイル)してツイストで踊るやつね。だからあの時期、原宿ホコ天で流行ってた路上パフォーマンスの2大勢力、竹の子族とローラー族、どっちにも大戸天童が絡んでいたわけで。
 
 

 
 
竹の子族とフィフティーズ、方向性は和と洋に分かれているが、共通項が1つ。
それは「ヤンキー」。
ヤンキーと右翼が親和性が高いのは衆知の通り。
ようするに、この人は竹の子族とフィフティーズで培った経験に、硬派と男汁と和モノというテイストを加算して国粋主義的なエッセンスをちょっとだけ振りかけて「劇男一世風靡」を発足させたってわけですよ。
なぜ国粋的な「エッセンス」かというと、この人はナショナリズムをイデオロギーやソーシャル・ムーブメントとしてではなく、「男の美学」として、すっごく表層的に捉えているように見えたから。なんですけどね。
SEPIAには「倭国無常、春らんまん」なんて曲もあるよ。
歌詞検索してみると色々興味深いので、暇な人はやってみるといいと思う。
 
 
で、「劇男一世風靡」内ユニット「一世風靡SEPIA」が「前略、道の上より」をリリースしたのが1984年。
「ソイヤソイヤ」で有名なあの曲ですね。ていうか、「一世風靡SEPIA」というと、もうあの曲しかないというか。「魁!男塾」のOPとEDも一世風靡SEPIAだったりして、まあ男汁の濃い活動を他にも色々やってたんですがね。
「若者たちの神々」での筑紫哲也大戸天童の対談読むとね、劇男一世風靡って「株式会社」になってんですよ。それでレコード、ポスター、文具、Tシャツなどのキャラグッズ全般の物販を全部この会社でやってたんですね。
「前略、道の上より」のレコード売上は28.8万枚だそうだから、当時の基準でも立派に「ヒット曲」だが、ミリオン行ったわけではない。
でも原盤権持ってたんなら、中間搾取がないからボロ儲けじゃんねえ。
オマケに物販までやってたんならさ。
あと、株式会社劇男一世風靡はいろんなことにも手を出して、事業拡大してたね。
芸能事務所、ファッションプロデュース会社、他にも何やってたんだがわかんない正体不明の会社を次々と。
で、それぞれの代表取締役に一世風靡のメンバーを就任させてた。
大戸天童って人は「金儲けの鉱脈」を探し当ててそれで商売するのが上手い人なんだな。
歌って踊れて芝居も出来て、自分達経営の芸能事務所に所属し、派生ユニットを色々抱え、事業のプロデュースまでしてしまう大人数男所帯…
これって、現代の芸能界に変換すっと「EXILE」じゃね?
うわあ、イヤなことに気がついたわ~。
「ヤンキー・DQN」という言葉で点と線が結びついてしまった。

 
しかし結局「劇男一世風靡」は大戸ばっか儲かって他のメンバーに金がうまいこと分配されないことで揉めて解散(1989年)。
一世風靡の遺産が尽きた頃に大戸は「ベンチャーソフト」というアニメとマンガの著作権管理会社を立ち上げた(2000年~2003年頃)。
著作権を押さえるのがビジネス的に如何にオイシイか、っていうことを一世風靡時代に学んだんだろうね。
松本零士御大を抱きこんで宇宙戦艦ヤマトの著作権ビジネスで一発当てようと画策したんだな。
宇宙戦艦ヤマト…これがまた某西崎プロデューサーといい、右翼色が強い人を引き寄せる物件で。
「ベンチャーソフト」関係もイロイロ裏事情が耳に入ってきてるがこのサイトの主旨と合わないので詳しくは書かない。
書かないが、まあすげえショッパイ事情があったと察してください。
 
 
で、しばらく公の場から姿を消したと思ってたら、2009年の週刊新潮“「ヒラリー国務長官」訴訟に登場する日本人は元「一世風靡」”という記事で久々に大戸天童の名前を見た。今の肩書きはNGO「国連の友アジアパシフィック支部 事務局長」だって。資金集めが問題になってるらしい。「国連」じゃないよ。「国連の友」だよ。
ははは、ブレないなあ。この人。
ご健勝なようで、何より。

 
 

一世風靡SEPIA - 前略、道の上より(1984)

 
 
今見ると「YOSAKOIソーラン」に酷似してる。
YOSAKOIソーラン」って竹の子族+一世風靡なヤンキーカルチャーの発展形だよね。
大戸天童が蒔いた種が十数年後に全国的な祭りとして花開いたって感じだ。
でもYOSAKOIソーランビジネス(発起人は長谷川岳)には大戸天童はまったく関わってないらしいが。
 
 
私は大戸天童に「時代の流れを察知してビジネスチャンスに変える嗅覚」があったとは、実は全く思ってない。
80年代初頭という「ヤンキー=かっこいい」という共通認識が日本中に蔓延してた異常な時代と、大戸天童の「倭」の嗜好がたまたま一致しただけだと思ってる。
だから、今後ポップカルチャーの仕掛け人として大戸天童が表舞台に出てくることは、たぶんもう無いと思う。
今度表舞台に出るとしたら、おそらく「政治」だ。
最初からそういうカテゴリの人だと思ってる。

cobo 凄く納得。大戸さんにそこまでの興味は発生しませんでしたが(笑)確かにこれは「政治」(政治家でない政治に絡む人も含む)の人ですね。

個人的にはナンシー関の名言である「日本人の血からヤンキーとファンシーは消えない」という言葉がありますが、個人的にはその辺で納得してしまってます。詳しくないけど「エグザイル」とかです。確かにヤンキーが「良い」という意味での市民権を得ていたのは80年代だけ、あのお祭り騒ぎでジャンキーな時代だけ、だったのかもしれませんが、充分今でも下地がある気がします。

いしまり 確かに。ヤンキーとファンシーは、日本人のDNAにしっかりと組みこまれている嗜好ですね。
また、ヤンキーとファンシーの相性がいいことってば。
ウチの近所の小学生女子が「ヤンキーの人ってさあ…」というので、「ヤンキーってどんな人?」と聞いたら、しばらく考えて「キラキラ光るジャージの上下を着てディズニーランドに行く大人」と答えました。なるほどなあ、と。

しかし本当になぜジョニー?
2012年現在、ジョニーと聞いてまず思い出すのは豆腐屋ですが、翔はまだまだ根強いですね。セットで桃子も。牧野和子が「ハイティーン・ブギ」を描き始めたのが1977年。35年たってもいまだに翔と桃子。たぶんヤンママたちは元ネタをしらないはずなのに。何か、ヤンキーのツボを正確に突いたネーミングだったんでしょうね。真剣にスゴイと思います。

>cobo様
ヤンキーを「かっこいい」という文脈で非ヤンキーが受け止めていた時期というのは1980年代前半のみだと思うんですが、非ヤンキーにもヤンキー的な部分っていうのは確実にあると思います。
人によってそれが多いか少ないかという差はあれど。
ヤンキー的なものが好きというのは日本人のDNAだと思うんですよ、いしまりさんの仰る通り。
あんまり認めたくないんですが、私の中にもそれは多少ありますね。

あと、大戸天童は出自がヤンキーというより、精神性がヤンキーなので目が離せないのです。「男と生まれたからにゃデカいことやってビッグサクセス掴んでナンボ」という基本理念の元に、なぜか色々怪しいことにばかり手を出す、という。
興味深い人ですよー。絶対にリアルで関わり合いたくはないけど。

>いしまり様

>「キラキラ光るジャージの上下を着てディズニーランドに行く大人

あっ、それ凄い!正鵠を射てるじゃないですか!

私も今はジョニーといえば豆腐屋だなあ。
ネットでジョニーについてググっていたら、「ギバちゃんのジョニーは、キャロルのジョニー大倉からとった」という説が見つかったんですけど、じゃあ、そのジョニー大倉のジョニーはどっから来たジョニーなわけ?と更に謎が深まりました。

それと、翔と桃子はホントにすごいネーミングですよね。
元ネタ知らない人の心まで打つなんて、ホンモノですよ、牧野和子&後藤ゆきお。

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