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20/38

1 カロン、伏す

見ても見なくてもいい閑話の始まり。
馬鹿っぽい感じで色々な日常を見せれればと思っております。
 戦後処理というのは、本来であれば戦死者の処理や今後の敗残国との取り組みや要求の決定など、手間がかかるものが多い。
 ただ、今回に限ってはさほど苦労はしなかった。
 神都の主権は全てエルフへ譲渡し、周辺の土地を借り受ける代わりに物資の供給を約束している。残された住民の処断もエルフ任せにした。
 と言うのも、宗教の総本山には当然多くの巡礼者や観光客が訪れることになる。それをカロンが全て管理するのは無理があり、元老院が居なくなっただけでも大事なのにそこへ知らぬ人間が関わっては当然怪しまれる。
 なので、元老院の面々は老衰で倒れたことにでもしておいて、教皇であるエイラを主導にして取り繕う方向で話が決まった。
 怪しまれないわけがないのは分かっていたが、それ以外の方法はルシュカ曰く「まだ準備が出来ていないのです」とのこと。なんとなく想像できるが、カロンはその件には触れなかった。

 互いの利が一致さえしてしまえば、エルフに丸投げしても構わなかった。
 無論放置をするわけではない。今後も偵察は行うし、必要とあらばその首をもらうことも出来る。
 圧倒的な実力差がある以上、彼女たちは刃向かうことも出来ずに見えない首輪を括り付けて生活しなければならない。
 正直以前と大きな差がないが、反論は起こらなかった。
 肉体関係を強制されることもない。残飯を漁る惨めな暮らしもしなくていい。
 裏で属国の扱いをされたとしても、普通の生活が保障されるだけでエステルドバロニアに尽くすだけの理由が存在するのだ。
 反発されるのではと懸念していたカロンだったが、あまりにすんなり通ったので思わず首を傾げたが、丸く収まったのでよしとすることにした。
 調べても分からないものは見ない主義である。

 なにはともあれ、目的が達成されたことでそこそこ広い神都の領地は全て手に入れ、城周辺に固まっていた魔物を大分放流することが出来た。
 ただ、神都へ訪れる人間を懸念して、ある程度目立たないものを優先的に領土の境界線へと配置している。それでもバレる可能性はあるが、そうなったらそのときに考えよう。
 まだ大型の魔物が残ってはいるが、以前と比べれば遙かに安全となり、軍を使ってしっかり管理すれば交易をしても問題のないレベルまで落ち着いている。
 神都のエイラと相談しながら交換する物資を行き来させ、ずっと欲しかった家畜も入手できた。
 これからは一次産業を回復させて国を安定させてから次の動きへと移ることになるだろう。

 が、残念なことにカロンは次に進めそうになかった。


  ダークブラウンの壁紙に床一面レッドカーペットが敷き詰められた政務室。大きな転換期を迎え終わったことで慌ただしく仕事をする必要がなくなったことで、のんびりとカロンとルシュカの2人が政務をこなしている。
 ここ最近は神都の問題にかかりっきりで、なかなか二人っきりの時間が作れなかった。
 ようやく今までの独占時間が帰ってきたと内心でほくそ笑みながら、ルシュカは上機嫌にカロンへと顔を向ける。

「祭りのせいで食糧の消費が少し増えましたが、まだまだ問題はありません。ですが神都に家畜の確保を命じておかなければ次第に不安になると思いますので、早急に手配を……カロン様?」

 そこまで口にして、話を途中で止めて首を傾げる。
 どうにもカロンの様子がおかしい。普段のような覇気がないし、顔が机の上の書類よりも下を見ている。
 肩を上下に大きく動かし、右腕を机の上に置いた姿勢から動かず、どうみても苦しそうだ。

「カロン様!」

 その事態が何を意味するのかに気付いたルシュカは、持っていた紙を放り捨ててカロンの側へと駆け寄った。
 執務机の上に置かれた書類も重要かどうかは関係なしに払いのけ、カロンの両の頬を優しく包み込んで自分と目を合わせる。

「……あ」

 その顔は赤く染まり、虚ろな目は潤んでいた。
 伝う汗が鼻梁を通って鼻先から滴る。
 吐き出す吐息も、触れた頬も、火傷しそうなくらいに熱い。

 ちょっとエロ──

「警備兵! カロン様を私室まで連れて行くのを手伝え!」

 そんなわけがない。苦しそうにする姿に邪な考えが働きかけたが、緊急事態だと【リザードベルセルク】を呼び入れいた。
 一度として進入を許可されたことの無かった執務室に呼ばれた彼らは扉を開けて困惑したが、すぐにルシュカの形相とカロンの様子に気付いて鎧を五月蠅く鳴らしながら駆け寄る。

「カロン様! しっかりしてください! カロン様!」

 必死に呼びかけて意識を確かめようとするがカロンの返答はない。
 毒でも飲まされたのか。誰かに何かされたのか。あらゆる思考がルシュカの中を駆け巡り、それ以上にカロンの様態が心配で思うように考えられずにいる。
 ただ声をかけて意味のない励ましをしながら、向き合って両腕をまっすぐ伸ばして組んだリザードベルセルクの腕の上で横たわるカロンを涙ぐんで見つめていた。


 当のカロンはと言えば、

(……久し振りにひいたなぁ)

 心配するルシュカとは正反対に、冷静な思考で自分を判断していた。
 朦朧とする意識の中、異常に高い担架からの視線に、落ちないかを不安がるだけだった。





「かぜ、ですか」
「風邪だな」

 私室へと運び込まれたカロンは、横になっているからか少し余裕が出来たので、手を握ってずっと側にいたルシュカに病状を告げる。
 体が弱いわけではないが、一度風邪をひくと症状がかなり重いという経験があるカロン。今回もきっとその類で、おそらく極度の緊張状態から解放されて気が緩んだのが原因だろうと考える。
 昔から風邪は長引くことはなく、流行の治りにくい風邪であっても3日もすれば落ち着いてくれる。ただ、その3日の間はずっと寝たきりになってしまうのが辛いところだ。
 ただ、それがゲームの中で起きたのが非常に納得がいかず、こんな世界に迷い込んでも人間は人間と言うことに少しばかり落ち込む。
 薬を飲めば動ける程度には症状を誤魔化せるので、それを用意してもらおうと、そう思っていた。

「すまないが、薬を」
「カロン様」
「……なんだ?」


「“かぜ”とは、なんなのですか?」


 空白。


「……は?」

 幼稚園児ですらそうそうしてこない質問の意味を捉えかね、荒く呼吸をしながら呆けたように口を開いた。

「ですから、かぜとは一体どんなものなのでしょうか……吹く“かぜ”とは違うようですが……」

 両手を胸の前で抱いて不安そうに見つめるルシュカ。怯えたように体を震わせながら目に涙をため込んで風邪如きに凄まじい恐怖を抱いている。

(ああ、そういや魔物って病気に罹ることないんだったか)

 アポカリスフェの設定を思い出して得心する。
 魔力が具現化した存在、または魔力を中枢に据えた存在が魔物だ。人間や動物とは構造が違うため、ウイルスに影響を全く受けない。
 亜人や獣人であれば病気の概念はあるが、それは魔力の影響であって人間のそれとは別物なので宛てにはならないだろう。

「えーっと、だな。風邪というのは……」
「はい」

 さて、説明しようにもどう言えばいいのかがカロンには分からなかった。
 様々な病原菌によってあらゆる症状を引き起こすものだから、専門的な説明をしようにもそこまでの知識なんか持ち合わせていない。
 そもそも病気になる原因のウイルスの話を持ち出したって理解してくれるとは思えないので何処から話すべきなのか思い悩む。
 この国に人間は自分以外にいないので、カロンは思いつく限りの症状を説明することにした。

「症状は色々あるんだが、発熱、倦怠感、頭痛、目眩、吐き気、のどの痛み、咳、鼻水、くしゃみ、腹痛、下痢、節々の痛み、と。それくらいかな」

 今まで罹った時に経験した症状を取り敢えず上げ連ねてみた。今は発熱、目眩、吐き気、咳、鼻水くらいで、そこまで酷くはない。
 ただ熱が高いことからくる目眩が辛いから体を起こしていられないのが一番深刻だった。
 まだやること残っているんだけどと愚痴りたい気持ちが湧いてきたが、ちらりとルシュカを見ると、口に手を当てて驚いている。

 何故?

「その、その風邪には何か治療薬はあるのでしょうか……」
「あー、特効薬みたいな物はないらしい。だから症状を和らげるための──」
「そんな! なんと言うことでしょう!」

 なんだろう、家の前と後を比べる番組っぽい台詞の意味は。

「では、どうすれば治るのですか!?」

 つかみかかる勢いでベッドの上に顔を寄せるルシュカの目からは既に涙が零れていた。
 まさかルシュカも風邪を引いたのだろうか。だが見た目こそ普通の人間だが、彼女もれっきとした魔物なのだから、それはあり得ない。
 単純に心配しているだけだ。大袈裟だが。

「暖かくして水分取って休むくらいだな」
「そんな。そんなことしかできないなんて……その時を待つしか無いというのですか……」

(いや、風邪ってそういうもんだろ。あとその時ってなんだその時って)

 内心でつっこみが入る。
 ルシュカは初耳だからなのか深刻に考えられているようだが、症状を緩和する薬を飲めば楽になるし、よっぽどじゃなければ肺炎にも進行しない。
 何においても安静にして体を休めるのが一番の薬なのだと、カロンがそれを口にして安心させようとするその前に、ルシュカは勢い良く立ち上がり、

「今すぐ軍議を行います。カロン様はどうかそのままお休みください。護衛にはハルドロギアをお付けしますので、何かあれば彼女にお申し付けを。それでは失礼します」
「え、あ、おいちょっと待て。軍議ってなんだ」

 深々とお辞儀をして早足で出て行こうとするルシュカを呼び止める。
 慌てて上体を起こしたせいで咳が出て息苦しくなると、彼女の表情は更に悲しげに変わった。

「ご安心ください。きっと、きっと我々が治す術を見つけてきますから!」

 くっと声を飲み込んで出て行ったルシュカを呆然と見送る。

「……寝てれば治ると言っただろ」

 なんだか、イヤな予感がするのはどうしてなのだろうか。
 その、最近カロンがよく感じる直感の答えは、すぐに分かる。





 軍事塔に備えられた会議室の中。
 円卓を囲んで重苦しい空気を作り上げる異形の者達は、空色の髪を持つ美しい魔物の言葉に聞き入っていた。

「──以上が、カロン様の様態だ」

 無力な自分を責めるように、ルシュカの手は強く握り締めて血が滴っていた。
 俯いて聞いていた団長達だったが、1人がこっそりと腰を上げる。

「兵衛、何処へ行く気だ?」
「いやなに、王の見舞いに行かねばならんだろう? 少し精のつくものを差し上げようと」
「座れ」
「あ、はい」

 抜け駆けする気満々だったが、鋭く光るルシュカの目からは逃げ出せない。
 同じようにコソコソと細工をしていたアルバートも睨まれたと同時に両手を上げて降参のポーズを取る。

「いいか。カロン様のご病気を治してさしあげるのが我らの使命。その“かぜ”と呼ばれる病を知るものは誰かいないか? 罹ったことのある者は?」

 グラドラ、エレミヤ、守善、兵衛、アルバートの5人が首を振る。
 病とは無縁な彼らでは、そもそも病がどんなものなのかもいまいち想像がつかないらしく、カロンの状態を聞いても只ならぬ事が起きているとしか認識していなかった。

「アルバート、貴様【真祖】ではないか。何も知らんのか?」
「生憎、私は生物に興味がないもので。死骸の事なら誰よりも詳しいと自負してますぞ? しかし、我らの王が死すなど許せるものではないですからな、どうにかせねばなりますまい」
「……私を甘く見るなよ。お前がカロン様を同じ姿に変えようとしているのは百も承知だぞ」
「はっは! いやなに、王も我らの素晴らしさを知っていただきたいのでな、つい」

 油断も隙もありゃしない。王も同じ真祖にすれば完全な魔物の国になり、王も今以上に遙かに強くなると目論むアルバートは兵衛の次に要注意な人物だ。
 釘を刺したので今回は諦めるだろう。なのでもう一度先程の問いを繰り返して確認をとる。
 団長陣は不仲ではないが、如何せん各々の欲求に従って動くことが多いので十分に注意をしなければならないと、先の戦争を招く流れを作った張本人が決意を改めて固めた。

「誰か、かぜを知っている者はいるか?」

 やはり5人は首を横に振った。
 人間との関わりなど王以外にはろくに持ったことがない集団の知恵ではそんなものだろう。
 深い深い落胆の溜め息がルシュカの口から零れ落ちる。それはもう「お前達のクズっぷりには飽き飽きだ」と言わんばかりの盛大なものが。

「自分もわかんないくせに偉そうにするなよルシュカ。つか、最初から分かって聞いてんだろ? 俺達は病と無縁だってことをよ」
「勿論だ。貴様等に期待などしておらん。この私の、王の補佐であるこの私の考えついた素晴らしい策を聞かせるためなのだからな!」

 ドドン! と腕組みをして、自慢げに笑うルシュカに、まあそうだろうな、と皆変に納得した。
 カロンが絡むと実に面倒くさい生き物に変わるルシュカが、それだけの為に呼んだとは最初から誰も思っていなかった。
 王を救う策を思いついたことを見せつけて、自分がどれだけカロンに相応しいのかアピールしたがる。
 乙女チックだが、巻き込まれる側はたまったものじゃないし、意趣返しをしてやろうと思うのも仕方がなかった。

「聞いて驚け! 偉大なる我らが王の窮地を救う秘策! それは――」

「んじゃ、神都の連中にでも聞きに行ってみるか」
「だねー。お店行けばリーレちゃん居るしね。あの子なら詳しいでしょー」
「なら私は実際に神都の人間から直接聞くとするかね」
「良いけど、それ以外のことするなよジジイ。俺はリューさんとこ行ってくるわ。なんか薬あるかも知んないし」
「ただじっとしているなど出来んな。その“かぜ”とやらが何かを調べることからせねば。では拙者は少し」
「ガチホモ、てめぇはこっちだ」
「ぬおっ、何をするのだグラドラ! ええい離せ! 離さぬか! 主! あるじぃぃぃぃぃぃ……」


「……あれ?」

 腰に手を当て、意気揚々と英知を授ける予定が、それに割り込んでグラドラが言葉を発し、それに続いてぞろぞろと部屋から出ていきながらルシュカが賢明に考えた秘策を零す団長達。
 いの一番にカロンの役に立ちたがるルシュカ。しかし調子に乗って人に見せつけようとすると大体失敗することが多い。
 誰もいなくなって静まり返る会議室の上座で、ぐしぐしと顔を擦ったルシュカは、小さくカロンの名前を呼びながらとぼとぼと部屋を後にした。

 こうして魔物達の、特に団長陣を見ていると、仲が良いとは言い辛いかもしれない。
 しかし、別に犬猿の仲と言うわけではない。

 単純に個性が強すぎて協調性がないだけであった。

  



 エステルドバロニアの城下街では、現在生誕祭と称した祭りが開催されている。
 また祭りである。
 大半の魔物が暴力的でありながら、目立った問題を起こさずにいるのはこうしたストレスの発散場所があるからだ。
 日頃の鬱憤とは言わないが、抑圧された本能を何らかの形で解消したがるのは良い傾向だろう。
 ただ、今回はいつものとは違ってかなり大規模だ。国の生まれ変わりを祝うのだから当然ではあるが、産業が死んでいる状態で行われたら国の備蓄の消費が半端ではなくなる。
 祭りに対して国は支援を行う。その重要性を理解しているからそこに金を出し渋ったりはしない。
 しかし今回は食糧や趣好品自体を出さねばならず、加速度的に消えていく食糧を思うと気乗りしていないのだ。
 そんなことは露知らず、街は連日昼夜問わず愉快な笑い声で満たされていた。

 その騒ぎに乗じて儲ける一軒の食堂がある。
 カロンがその場所を口頭で述べたなら、亜人区画の中央、交流区と言うだろう。
 最も多くの亜人が入り乱れて暮らしているそこに立てられた定食屋【フルブルゾン】。
 その店の人気は他の区画からも足を運ぶ者も多く、城下街で一二を争う飲食店だ。
 エステルドバロニア建国当初から規模は違えど続いている店で、創業当時の面影を残した杉の木のぼろ屋を思わせる外観をしている。
 店内も古い木材を流用して綺麗とはお世辞にも言えず、照明もあまり明るくないので流行っている割に貧相で、流行るようにはとてもじゃないが見えない。
 しかし、近代的な建築物が建ち並ぶ中に残された昔を思い起こす建物は長寿の魔物には好まれており、その当時を知らない魔物でも変に格式張った雰囲気を持たないので気軽に訪れることが出来る。
 まさに大衆食堂と言っていいだろう。
 活気づく店内では右へ左へと忙しなく店員が料理を運んだりしており、厨房では慌ただしく調理が行われている。
 白い三角巾に白い無地のエプロンと、これまた古臭い格好で動くウェイトレスは種族が全く統一されていない。
 【ドリアード】や【ウェアウルフ】、【エルフ】【リザードウーマン】【猫又】、果ては【バンシー】なんて魔物も働いている。
 種族同士の仲が悪い組み合わせもあるが、同じ釜の飯を食べて共に苦労を乗り越えれば生まれる友情もある。
 店の中での喧嘩も禁じられており、昔は酷かったが今では隣に大嫌いな魔物が座ったとしても問題が起きたりはしない。
 城と共に苦難を乗り越えてきた店。その正午は目まぐるしく魔物が出入りをしていた。

 その中で、ひときわ背の低いエルフが顔に金色の髪を張り付けて厨房と店内を行ったり来たりしていた。
 大人のドワーフと同じくらいの身長で、大柄な魔物たちの中に紛れてしまうと途端に埋もれてしまうくらい小さい。
 今日は普段の倍近い来客数を記録しており、てんやわんやの厨房とは対照的に笑顔で乗り切ろうと頑張っている。
 小柄な体で動き回る健気な姿はどこかハムスターを彷彿とさせ、その愛くるしさから働いて1週間も経たずに看板娘と呼ばれるまでに可愛がられていた。

「おーい、俺のサンマ定食まだかー」
「今持って行きますのでもうちょっと待っててくださーい!」
「酒早く持ってこい! 隣の奴の飲んじまうぞ!」
「それは困りますから今行きますねー!」
「餡掛け焼きそば一つ頼みます」
「はい、餡掛け焼きそばですね。混みあっているのでお時間頂くことになるんですが──きゃっ、誰ですか今お尻触ったのは!」
「おうてめぇかブルゾンの看板娘に手出した奴ぁ!」
「野郎、ぶっ殺してやる!」
「お前なんか怖くねえええええ!」
「ちょ、喧嘩は駄目ですよ! 追い出されちゃいますから!」

 あちらこちらと声をかけられて、疲れているだろうに楽しげに笑いながら全てに返事をしてみせる。
 客も面白がってからかうし、店員の皆も温かく見守っている。
 黒い刺青をはめられていて、並々ならぬ苦労をしてきた彼女は今、苦労の中で幸せの絶頂にいた。

「おーい、リーレちゃーん!」

 両手いっぱいに料理を乗せて、

「はい!」

 リーレは満面の笑みで応えた。


「お疲れさまー」
「いやー今日は酷かったわ」
「ねー、店長もいきなり生誕祭割引とかやらないでって話。まぁ、美味しい賄い食べれるから言えないけどさ」
「あはは、ほんとだね」

 昼を遙かに越えてから、ようやく人波が落ち着いたところで店員達の昼食が始まる。
 この時間だけは広い店内を従業員達が占領し、思い思いにくつろいで午後に備えていた。
 リーレはウエイトレスの仲間の輪に加わって食事をしているが、食べるのに夢中で全く会話に入っていない。
 何も言わないリーレを気にして目を向け、頬をパンパンに膨らませてご飯を食べる姿に、しょうがない子だなと言いたげな、優しい微笑みがウェイトレス達の顔に浮かんだ。

「それにしても、この子此処に来て結構経ったよね」
「あ、そういえばそんなに経つのかー」
「おー、よく続いたねー」

 ふとやってきた当初を思い起こすと、ここまで粘るとは誰も考えていなかった。
 突然【ハイエルフロード】の部下がリーレを連れてきて、ここで働かせてやってほしいと頼みに来たのが一番最初の記憶。
 その時は挙動不審で、ちょっと近付くだけでビクビク目を潤ませて怯えていた。
 一番凄かったのは、何に怯えてるのか尋ねようとしたウェアウルフに向けて呪術を繰り出そうとしたことだろう。
 ハイエルフロードの部下は訳ありで同族以外が怖いらしいと言っていたが、そんな娘が百鬼夜行も目を剥く怒濤の勢いでやってくる客の相手が出来るとは思えなかった。
 最初の1日は殆ど仕事にならず、2日目からどうにかこうにか動きだし、3日を過ぎてから徐々に慣れていき、4日目でようやく今の元気を見せるようになった。
 フルブルゾンの店長である老いたコボルトが強引にでも店内を歩かせたのが良かったのかもしれない。ショック療法に近かったが、成果はしっかりと現れた。

「いつの間にか看板娘の座奪われちゃうし、もうびっくりだよ」

 綺麗なバンシーが種族らしく嘆くことをせず苦笑を浮かべると、周りも釣られて笑い出す。
 その声に初めて意識が向いたのか、一生懸命租借していた物をごくりと飲み込んで周りを見回すリーレを見てまたも笑いが起こる。

「え、なんですか?」
「いや、リーレちゃん頑張ってるなって。最初の頃とは大違いだって話してたの」

 クスクス喉を鳴らしてエルフに笑われ、リーレの顔色は恥ずかしさで赤くなるのではなく、後悔で真っ青になった。

「ごごごごめんなさい! あの時は悪いことしちゃって、本当にごめんなさ、あ、あわわっ」

 暴走して攻撃を加えようとした初めて来た日の光景が一気に思い浮かび、慌てて立ち上がって頭を下げると、勢いが良すぎてバランスを崩し転びそうになっている。
 いつも一生懸命に生きている風に見え、彼女が疎まれることはなかった。
 その直向ひたむきな姿勢が好感を呼んで、彼女は看板娘になったのだから。

 ほら、と猫又が体を支えてやると、小さく「面目ないです」としょげた声で呟いていそいそと席に戻る。

「何も気にしてないってば。今まで大変だったんでしょう? 外から来たんなら尚更だよ」
「そりゃ怖いよね。私達のご先祖もリーレちゃんみたいにカロン王に拾っていただいたけど、みんな怖かったって言うから。あの頃ってこんな治安良くなかったらしいし」
「あー知ってる。戦争も多かったけど犯罪もめちゃめちゃ多かったってお爺ちゃん言ってた」
「それが今や種族気にしないで和気藹々とやってけるんだから、カロン王さまさまだよ」
「うちらってその頃知らないからピンと来ないんだよね」

 国の過去を振り返ってワイワイ話しだす同僚達を見つめながら、リーレは一人上の空になる。

 唐突に森で拉致されて、眼が覚めたら自分より高位の存在であるハイエルフが居た。
 拷問されたり尋問されたりするのかと思いきや、とても人道的に話を聞いてくれて、優しく子供をあやすように何度も「もう大丈夫だよ」と言ってくれた。
 いつか、きっと、それを口癖にして神都のエルフ達は頑張ってきたが、大丈夫だと声をかけてくれる人は居らず、初めて自分の努力が報われたのだと知り咽び泣いたものだ。
 それからその日の内にこの食堂に連れてこられ、有無を言わさず働くことを指示された。
 周りには話で伝え聞くような魔物や、見たことも聞いたこともない魔物までいる。魔物の暮らす国だと聞かされていたが、(おぞ)ましいまでに強さを見せつける姿に戦々恐々としたのも覚えている。
 救われたと思ったらどん底に落とされたと感じ、だが実際はやっぱり救われていた。
 怯えながらも仕事だと覚悟を決めてみれば、自身の2倍は背丈のある人狼の魔物は口が悪いけど気さくな人で、紳士服を着た老人と右腕が巨大な青年は憎まれ口を叩き合いながらも仲がよさそうで、下半身が複数の犬になってる女性は優しく応援してくれた。
 どの人も直視するだけで遥か天上の強さだと分かる。そんな人達が他の魔物と一緒になって楽しく食事をしているのを見て、これがこういう国なのだと本来の意味で理解できた。
 その気になれば殺せるのに、隷属の呪のせいで手も出せない人間。
 その気になれば殺せるのに、わだかまりなど感じさせない日常を作る魔物。
 言葉は似ていても意味が大きく違う2つを見比べれば、恐ろしくても幸せな今は手放したくないと思えた。
 エステルドバロニアと呼ばれる、魔物の集まる国。
 その中に放り込まれた少女は、目の前で楽しそうに話を続けるバラバラな種族を見てほろりと一粒涙を零した。

 欲しかったものは、ここにあるんだ。
 神様は、間違ってなかったんだ。

 身も心も違うのに、こんなに仲良く手を取り合って生きている。
 そんな世界が、此処にはあるのだ。
 いつの間にかリーレの涙は留処なく流れ始め、話を中断して心配してくれる仲間の優しさにまた泣いた。

 亜人に生まれたその身を嘆くことは、もうなかった。

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