ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 長谷部くん(26)が光忠くん(8)を助ける話 32016年1月17日 00:40方向音痴って文章書くときも方向音痴なんです。特に私は。小さいときに親と一緒に寝るとすごく安心しました。虐待のニュースとか見てると一緒に布団に入ったり熱だしたとき看病してくれたり、そういうのなかったのかな、って悲しくなります。自分の部屋のドアに鍵を差し込み、捻ってロックを解除する。外気に触れて冷たくなったドアノブを掌で押し下げ、ドアを引く。光忠が腕から落ちないように気にしながらドアを開けるのは至極困難なことだった。ゆっくり開くにはこのドアは重すぎる。鉛、というと誇張表現にも程があるが、片手に命を持っているとなればそう思えても仕方ない。玄関内へ入って後ろ手で鍵を閉める。普段ならきちんと揃える靴も今回は、と揃えずに脱いだ。脱衣所の踏み台に光忠を降ろす。シャツに手をかけると、今まで抵抗一つなかった光忠が弱い力で長谷部の手を押しとどめた。「……傷、が。見られるのは。嫌、です。あと、その、怖い、から」傷。そうだ。光忠は虐待をされていたのだ。なにより先ほど襲われかけていたのだ。シャツに手をかけ服を脱がされるのには恐怖があるに違いない。大人が子供に脱がす行動を起こせば少なくとも「そういう行為」と受け取れなくもない。大人の男が、子供に手をだす。そういった状況と同じだ。一旦シャツから手を引いて、光忠と目を合わせた。何度見ても大きな瞳である。「別に何もしない。洗うだけだ」もう一度シャツに手をかける。光忠の手は押しとどめはしなかった。シャツのボタンを外して、はたと気づく。ショートパンツをどうしろと。思いきり脱がされかけていたのを、さすがに脱がすのもなにか気が引けるものがある。「ズボンは、自分で脱ぐか? さすがに、脱がされるのは、嫌な思いがぶり返すだろう」「えっ……と、その」自分で脱げば良いという提案の発言に動揺するのも無理はない。長谷部は光忠のシャツを肩から外しながら、言葉を続ける。「洗うだけって言うのは本当だから、本音を言えば、信頼してくれると助かるのだが」垂れさがった眉は困惑を表わしていたが、きゅっと口を結ぶと、こくん、と頷く。長谷部はテキパキと光忠の服を脱がし、自分のシャツの袖と裾も再度まくる。タオルを持ってもう一度抱え上げ、風呂場の椅子へ座らせた。何も入っていない湯船にシャワーからお湯を出し、温度を確認する。熱すぎてはダメだ。調節してうえで足元にお湯をかける。途端光忠はびくっとした。その反応に長谷部がまたびくりとする。「お、お湯……」「お、驚くことか?」「……い、いつも水だったから……」衝撃を受けるのは長谷部である。シャワー片手に固まる。いつも水? いつも? 水? 光忠の言葉に衝撃を受けすぎて長谷部の手が止まったままだ。だが、風呂に入れると言った手前、きちんとお湯をかけなければならない。そうか、と返し、ぎこちなくシャワーを持つ手を動かした。温かいお湯に瞼を閉じる光忠。ほう、と息をつき、身を委ねた。温かさに体温があがり、頬も上気し、血色の良い肌になる。「寒かったな」頷く。「怖かったか」もう一度頷く。膝の上で握りこまれる両手。やはり早く助けるべきだったと長谷部は後悔した。「でも、助けて、くれたから……」振り向いて長谷部と目を合わせる。笑顔ではなかったが、瞳に優し気な光が見える。押し倒されて、怖い思いをしていた時とは、全然違う。シャワーを動かす手などもう長谷部の意識の中にはなかった。例えシャツにお湯がかかり濡れようが気にも止めないだろう程には、光忠から目を離せない。「あ、ありがとう……」不意に涙腺が緩みそうになった。それをぐっと堪えて、下を向いて、そうか。と返す。数回瞬きをして涙を堪えきった。泣くことなど数年前に忘れたな、と思っていた長谷部だが、やはり心にくる言葉ではあった。子供は無邪気である。それ故にその言葉が本心から発せられたのだと思うと胸が苦しくなる。「じゃあ、頭、洗うから、下向いて、目を閉じてくれ」言われた通りに頭を下げる光忠にシャワーをかける。黒い髪に透明なお湯は重力に逆らわずに落ちる。シャワーと共に手で髪を梳くと、柔らかい髪が指を通る。黒い髪は子供らしく優しく柔らかい。シャンプーを手に取って泡立てて、頭を洗う。時折「んむ」と泡が瞼を通り過ぎてむず痒そうな声が聞こえる。丁寧に丁寧に洗い、シャワーで洗い流す。肌に張り付いた髪をとって軽くリンスをつけ、シャワーですすげば、むうと目を瞑る光忠が見える。ボディーソープを泡立てて洗う。「……シャンプー、とか、使わせて、もらえなかったです……」腕をとって洗っている最中にそんな言葉を吐きだされてはやはり長谷部の心に刺さる。後悔と自責の念で何かを考える余裕を失いバーッと光忠の体を洗いあげた。手荒過ぎたかと思われたが、光忠はそんなこと気にするようでもなく、素直に洗われている。某液体がかかっていた足も渾身の丁寧さで洗う。煙草を押し付けられた痕が目立つ白い腕。殴られた痣や蹴られた痣が残って消えない腹や背中。こんなに白くて細い足。見ていて痛々しい。全身泡だらけになったところでお湯をかけると泡がすぐに消えていった。タオルで軽く拭き、少しは水気が取れたかと思って抱え上げる。脱衣所にてバスタオルで包み込むと、やっと子供らしくふにゃりと笑う。長谷部は俺の子供時代ってこんなんだったかな、いや違う、と悩まされる。使ったタオルを洗濯機に放りこんだ。シャツを着せて、パンツもショートパンツも履かせて踏み台に立たせる。ドライヤーを手に、光忠を鏡を向かせた。ぶおー、と温風が光忠の髪を浮き上がらせる。光忠は終始固まったままだ。何に驚いているのかは分からないが、長谷部が「目を見開いたままだと目が渇くぞ」と言えばはっとして瞬きをした。ソファーに座った光忠にキャップを取ったペットボトルを渡す。そっとペットボトルを受け取り、少しだけ飲む。「温まったか?」「……えと、はい」「もう気持ち悪くないか?」「……だ、大丈夫です」ぶんぶんと首を縦に振る様子を見て、これはもう安心できるなと長谷部は思った。だが縮こまった様子ではまだ怯えている節がある。どうしたものか、と悩んでいれば、インターホンが連打された。どこのどいつがやっているのか。馬鹿者もいたものである。長谷部は自分のことを棚にあげながら思った。通話ボタンを押すと、軽快な声が響いた。『長谷部の旦那! 部屋に入れてくれ! 寒い!』薬研が覗きこむように映っている。後ろで鶴丸が寒そうに腕を抱えていた。薄着なのが悪い、と長谷部が文句を言えば、まあそう言うなと返される。自業自得にほかならないのに口は達者だ。玄関の鍵を開けると、鍵の開いた音を聞いた薬研が勢いよくドアを開けた。冷たい風が部屋の中に入りこみ、思わず身震いする。部屋は暖房をいれていない。「お、まえ、ふざけるな! いきなり開けるな、馬鹿かお前は!」「いいじゃねえか。お邪魔するぜー、エアコンのリモコンどこだ?」「なあ、長谷部、ホットミルク作っていいか? というか冷蔵庫に牛乳あるのか?」自由奔放な二人だ。勝手に入りこみずかずかとリビングまで侵入していく。ソファーに座る光忠がまたも驚いて縮こまる。馬鹿な同僚がいると大変だ。長谷部はため息をつきながら鍵を閉める。ちなみに牛乳はない。その旨を伝えるとショックを受けた鶴丸は微動だにしなくなった。薬研はリモコンを見つけると暖房をつける。長谷部にとってはまだこの時期はさして寒いわけではなかったが、外の空気に触れれれば寒さを感じないわけにもいかない。リモコンはとりあげて温度を少し下げてからしまう。「なんだよ、ちょっとくらい温度あげててもいいじゃねえか。減るもんじゃねえだろ」「減るんじゃない増えるんだ」主に電気代がな、と付け加えると、他人事のように笑われた。酷い話である。「さっきの子供どこだ?」「後ろだ、ソファーに座っている。お前らがきたせいで怯えているんだが」こりゃすまねえ、と大袈裟なまでに喋り身振り手振りをした。どかりと光忠の隣に座ると、子供のように足を伸ばす。黒い靴下がぶんぶんしている。「なあ、名前なんて言うんだ?」「……み、光忠」「へえ光忠かい! 俺っちは薬研藤四郎。で、そこに突っ立ている白い兄ちゃんは鶴丸。それから、助けてくれた人相が悪い兄ちゃんが長谷部」はせべ、と光忠が小さく呟き、長谷部の顔を見てから再度はせべ、と声に出した。なにか期待のこもった眼で見られている気がするのは気のせいだろうか。いや気のせいだ。気のせいに違いない。それよりも人相が悪いという言葉は撤回しろ。そういった長谷部の動揺が如実に表れたのか、眉根が寄せられているのを見た薬研が盛大に笑った。黒く真っ直ぐな髪が光忠の前で揺れた。距離の急激な縮み方に怖がったのか、薬研から離れようと胸の前で両手を握り合わせている。「あの長谷部って兄ちゃんはな、ちょいと不器用でな。鬼の形相してるけど、あれ、ちょっとびっくりしてるだけだぜ」にししと笑う薬研は実に腹立たしい。今まで茫然と突っ立ていた鶴丸が、やっとのことショックから立ち直りはっとして我先にとソファーに座った。「そうだぜ、あの長谷部ってやつはツンデレでな。素直じゃないんだ」口角をあげてしてやったりと満面の笑みを長谷部に向けた。細い男と言えど大人だ。光忠はまたも隣の人間に怯えたようにしている。「お前ら……光忠を怯えさせるのもいい加減にしろ。近い」薬研を引っ掴みソファーから引きずり剥がすと、「うお、やめろ」と抵抗した。引き続き鶴丸をソファーから引っ張りあげる。抵抗なけれども残念そうな顔をした。自分の年齢を考えるべきである。「おお? 嫉妬か? 見苦しいぜ旦那」「俺にも話させてくれよ……」反応は意外にも違ったが、それには答えずに長谷部はソファーに座る。見下ろすように光忠を見ると、大きな金色、蜂蜜色の瞳が見上げてくる。瞬きをする様子は大きな瞳が零れるのではないかと思うくらいだ。「病院に行って健康かどうか調べるから、もう今日は寝ておけ」光忠の頭を撫でる。少しだけ、嬉しそうな顔をした。「じゃあな、長谷部の旦那」「また明日なー」玄関先で二人が小さく手を振っている。長谷部も少しだけ笑みをこぼして手を振り返す。ドアを閉めて鍵をかける。二人は長谷部と光忠の分の、遅めと言えど夕飯を作り、光忠を可愛がった。そして嵐のように去って行った。なんとも煩い二人だったが、こんな日でも悪くはない。気分的に、少し高揚している。「さあ、寝るか」スラックスにしがみついていた光忠の手を取り寝室へ連れていく。ベッドの掛け布団をめくり光忠を横たわらせる。布団をかけて、目にかかっている前髪を払ってやる。睫毛がぱちりと動く。「……え、っと、長谷部さん、は」「ん? 俺か? ソファーで寝るつもりだ」前髪を払ってやるだけのつもりが、無意識のうちに撫でていた。はっとして手を離す。何事もなかったかのように振舞うべく、屈んでいた長谷部が立ち上がろうとすると、不意にシャツの裾を掴まれた。弾みでよろけそうになる。「なんだ?」「ひっ、ひとりは、いや」力強い言い方を、初めて聞いた。裾を握る手の力が緩む気配はない。「わ、わかったから、裾を掴むな」慌てて裾から手が離れる。見上げるように光忠が見ている。眉が垂れさがり、悲しそうに、長谷部を、見ている。「でも嫌だろう。警察の人間だが、大人だぞ」怖くないのか、と続けるはずだった言葉は、でなかった。それでもじっと長谷部を見つめる光忠。その目から、意志の強さが伝わる。変なところで頑固な子供である。「……あー……わかった。じゃあ、端に寄ってくれ」こくんと頷いた。温かくない布団に二人。足元の冷たさも、シーツの冷たさも、変わらない。目の前の小さな子供は、目を閉じているだけだった。長谷部も眠ろうと、目を閉じた。