2012-06-22 Fri
帰国してそろそろ3ヶ月になる。
口角炎については治療中・・・
父が先月たむし(または単なるまたの蒸れから炎症)になり、皮膚科でニゾラールクリームをもらっていたことが判明した。
父は結局ニゾラールクリームでものすごく悪化。炎症箇所が広がってしまい、ステロイドに変えてもらったら数日で治った。
彼はものすごく皮膚が薄くて弱い。私は悲しいかなそれと、母方のアレルギー体質を受け継いでいる。劣性遺伝のダブルパンチだ(涙)。
先輩の「口角炎に水虫薬が効いた」という助言を聞いて、ラミシールATクリームを塗ってみたが、どうも明け方に痒くて掻いてしまうことが続いたので、ラミシールはやめ、ニゾラールクリームを昨日から一日1回塗っている。
真菌(カビ)の細胞膜合成を阻害し、病気の原因となる真菌の増殖を抑えることにより抗真菌作用を示します。通常、皮膚真菌症(白癬、皮膚カンジダ症、癜風、脂漏性皮膚炎)の治療に用いられます。
塗ったところをドクターのアドバイス通り、無香料のリップクリーム(ちふれ)でカバーしている。
リチェックの返事をもらってから1ヶ月たち、ようやくアドバイス通りの治療ができている。情けない。
自分で薬の名前をネットでチェックして、日本ではどういう名前で出ているのかとか、処方薬か市販薬か、どうやって手に入れるかなど自分であれこれやらなくてはいけないから、なかなか思い通りに行かない。
処方薬の場合、近所の皮膚科でなんて言ってその薬をもらうかがまた大変だ。「アメリカの先生に画像チェック診断でそう言われたからくれ。」なんて言えないし。そもそも渡米治療のくだりから話すなんてうんざりだ。
今回は作戦失敗して結局手に入れられなかったが、父がたまたま持っていたから助かった。やれやれ。
アマゾンでヒットした輸入の薬だと4、5千円もしたりして、びっくりする。そんなの買う人いる?
ニゾラールクリームが効いて、口角炎から開放されますように。
渡米前は体中傷だらけだったので、ヨガをやると汗がしみたり動きが痛かったりしたが、おかげ様でそんな苦痛から開放されて、うれしい。
明日からは1年前にやめたヨガ教室を再開する。なるべく汗をかかないように、かいてもすぐシャワーで流せるように、生徒さんには自宅マンションの会議室に来てもらう。
1年前は、まさかまた再開できるとは思っていなかった。微々たるものだが、収入がある喜び。たとえ寝たきりでも、生きていればお金がかかる。
いい大人が誰の役にも立っていないという状況は、あまりに申し訳なくて苦しい。
自分は生きている価値がない、食事のたびに「働かざるもの食うべからず」ということばが浮かんで、自分はご飯を食べる資格がないのに食べるなんて申し訳ない、人間のくずだと思っていた。
そんなんで去年の夏は精神を病み、何を食べても全然消化してくれなくて、毎日下痢でおかゆやバナナやチーズ。今より10キロくらいも痩せてしまっていた。もちろん生理も無し。
たぶん7年前に2年ほど患ったうつ病の再発だったんだろう。30才を過ぎてアトピーが一向に良くならず、派遣切りにも遭って、「自分は一生健康にはなれないんだ」と思ったら、手塩にかけて育ててくれた両親に申し訳なくて、自分の将来に対しても絶望してしまった。
マクロビオティックをきっかけに治ったときは、自分で自分の人生を無駄にするようなこんな馬鹿げたこと二度としない、うつ病にはもう決してならないと確信していたのに。
「ひとでなし」から少しは這い上がれたかな。あせらず一歩ずつ、復活していきたい。
もともとおしゃべりで明るい性格で、アトピーで他人からいじめられたことは幸いにして一度もなかったのだが、皮肉なことに自分が一番自分をいじめて、いじめていじめて、いじめ抜いて、廃人にまでしてしまった。
帰国してからは、外出時も在宅時もいつも半袖でいられる幸せを感じている。
左腕
右腕
毎年、このくそ暑いのに何で自分だけ長袖で我慢しなければいけないのか・・・と思っていたが、そんな苦痛からも開放された。
小学生の頃は軽度で、炎症はひどくなくても傷のある腕を見られたくなくて夏でも長袖を着ており、同じマンションの子がお母さんに、「~ちゃんは半袖が変えない貧乏なの?」と聞いたと母から聞かされた。
悲しいよね、そんなこと聞かされて。
「暑くないの?」とよく聞かれ、「暑くないよ」とやせ我慢で答えていた。渡米治療中に、仲間も同じような体験をしたと言っていたっけ。
みんな小さい頃から傷ついて、いっぱい我慢してきたね・・・。
中学に入ったらセーラー服で必然的に夏服は半袖だったけれど、軽度だったしそれくらいの年齢になると先の例のようになんでもかんでも疑問に思ったことを口にする人はいなくて、誰にも何も言われずありがたかった。
渡米前はあまりに皮膚がボロボロで、痛くて何かでカバーしなくてはいられなかった。長袖シャツにももひき、首やおでこ、時に顔にまで三角巾を巻きミイラ状態、手には綿の手袋。
三角巾や綿の手袋がすぐに血だらけや汁だらけになるので、毎日洗濯が多くて参った。ここ数年は突っ張る顔以外は脱保湿をしていたのだが、以前はワセリンやステロイドとワセリンの混合を塗っていたので、洗濯後の服の裏側には黒い油の溶け残りが大量についており、洗い終わったものを再び洗面所に運んでゴム手袋をして熱いお湯で油を溶かして脱水して干していた。
たくさんのシャツやももひきを一枚一枚裏返すのは、ゴム手では非常にやりづらい。かと言って指が皮剥けだらけなので、痛くて素手では触れない。熱いお湯でジャブジャブやりながら、重いし暑いし、体はあちこちヒリヒリ痛くて、ドロドロで油臭いし、時々あまりに悲しくて、空しくて、泣きながらやっていた。
黒い油が溶けたお湯を毎日たくさん水道に流して、環境に悪いことしてるのも嫌な気分だった。
作業着などの業務用の油汚れ専用の洗剤をわざわざ使ったりもしていたが、日本のように低温の水でしか洗えない洗濯では落ちなかった。
乾いた洗濯ものの黒い油カスを古い歯ブラシでこそげ落としたこともあったけれど、取れにくいし量が多くてあまりに手間がかかった。なかなかどれもいい方法がなかった。
もちろん、大量のかさぶたや落屑、フケ、血だらけ汁だらけで部屋や布団の掃除も大変だった。時々掃除洗濯すべてを親にやってもらっている人に出会うが、そんなの親が見たら、本人よりもっともっと悲しいはずでしょう。胸がえぐられるような思いがするでしょう。
体が痛くても、脱ステの地獄のドロドロのゾンビ状態でも、落屑がどっさりで数時間おきにクイックルワイパーで掃除しないといけなかったと時も、絶対自分でやっていたっけ。
ドクターの治療を知ったら、あんな地獄の命がけの脱ステをわざわざする必要なかったと思うし、再発から14年、脱ステから8年間の掻き毟りの色素沈着を見るにつけ、もっと早くに出合いたかったと思う。
ドクターや先輩方曰く、皮膚がいい状態を続けていれば色素沈着は少しずつ薄くなっていくのだそうだ。ホントかな?私はひどかった時期が長いし、子どもや10代ならどんどん白くなっていくのかも。
他に最近気づいたこと・・・
ほとんど掻かないので、シャツや下着類がキレイなまま長持ちするようになった。渡米前はゴシゴシゴシゴシ一晩中掻いていたので、2、3回着れば、ひどいときは一晩でもう毛玉だらけだったのに驚きだ(笑)。
また、化繊だと痛んだ肌に引っかかるので綿100%じゃないとダメだったのだが、ユニクロのスポーツ用のドライメッシュシャツを着て眠れた。
化繊がOKになると、着られる服が増えてうれしい。
洗濯物を素手で干せるようになった。素手で料理するにはまだもう少しかかりそう。
その他もろもろ、楽になって、良かった良かった。アメリカまではるばる行って良かった。
ドクターやコーディネーターの高沢さん親子、明石さん、治療仲間、治療の先輩方にあらためて感謝している、帰国後3ヶ月経った今の私。
梅雨と夏の時期、あまり悪化せずに乗り切れたらいいなと思う。