ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 【S☆T/QN】あなたはこの世のすべて 担なし/トキヤ2014年8月21日 01:00【各話の設定】 ※「UP」アップしましたの印S☆T/QN(担なし):地方住み社畜 UPトキヤ:オーガニックコスメ店の美肌男子店員 UPレン:レンと繋がりたい六本木キャバ嬢真斗:真斗と結婚したい30代婚活喪女翔ちゃん:小学生なっちゃん:宇宙の力でライブチケットをゲットしようとするメンヘラスピリチュアル女セシル:元セシルアンチの大学生炎上ブロガー音也:音也を踏み台にしようとする早乙女学園同級生の売れないグラドル蘭丸:脱ヴィジュした蘭丸が許せないバンギャカミュ:ドリーム小説男子(2丁目勤務)嶺二:社畜エリートマンション持ち女性、彼氏は役者志望(29)で子役時代嶺ちゃんと同期藍ちゃん:娘が15歳の主婦設定は変わる可能性があります。トキヤの話のみトキヤ視点で、あとはファン目線です。[newpage]S☆T/QN(担なし):地方住み社畜『オープニング』 ビールのプルトップを弾く爪からメロンとオレンジの匂いがする。七色に塗った爪はST☆RISHカラーで、香りつきのマニキュアは混ざり合ってただの甘ったるい匂いになっていた。残り三本の指にはQURTET NIGHTの先輩組カラーを塗り、嶺ちゃんの緑色はペディキュアにした。「かんぱーい!」「Kちゃん残業おつさまー!」 新幹線の席で、隣の友人とビールの缶を触れ合わせる。一口飲んで、しびれた。一週間分の疲れが全部抜け出して、Kは風船がしぼむみたいに溜息をついた。――あと二十一時間後に、ST☆RISHとQURTET NIGHTに会える。三ヶ月前、奇跡的に『マジ LOVE LIVE 4th』のチケットが取れた。それからKは毎日、明日のライブの為だけに生きてきたと言っても過言ではない。歯科衛生士のKは、今日の仕事を思い出して微笑んだ。診療時間の終わり駆け込んで来た歯を折った血まみれの患者も、一時間ドアの前で泣き叫んでいたクソガキも、それをなだめない母親も、早めに上がると伝えた帰り際、備品の注文を頼んできた医者も、全員許す。「ハッピーパルスってすごい……」 呟いてビールを飲む。新幹線の時間に遅れそうで走っていたKは、駅の街頭に立っていたどこかの宗教の信者を見かけた。何かの冊子を配っていて、プラカードに「愛は赦すこと」だと書いてあった。時計を気にして走りながらKは、彼らもST☆RISHにハマればいいのにと余計なことを思った。イヤホンから流れてくるマジLOVE2000%の方が、謎の神様よりよっぽど愛と赦しを教えてくれる。「うちらさ、ライブ当てるためにめっちゃCD買ったじゃん。あれ隣で配ってやろうかと思った」「うわうわっ、ST☆RISH教?」「ST☆RISHは永遠だから! 二本目飲もうっと」 いくら飲んで酔ってもいい。後はホテルで寝るだけだ。岐阜に住んでいるKは、いわゆる地方住みのファンで、ライブはだいたい遠征だ。大阪か東京。チケットが取れれば北海道にだって行く。前乗りしてホテルに泊まり、始発でグッズ販売に並ぶのがいつものパターンだ。Kはカートに着替えやうちわを詰め込んで、ガラガラと引きながら新幹線に乗る瞬間「私、生きてる」と感じる。大げさだと笑うような友人はKの周りにはいない。「あっ音くんツイートしてるよ! キャー!」 スマホをタップしていた友人が小さく叫んで、Twitterの画面をこちらに見せた。ST☆RISHは今、ライブ中のみ期間限定で公式Twitterをしている。『ライブの準備万端! 明日が楽しみー!』 音也はそのツイートと、自撮りの写メを載せていた。ダンスレッスンをしていたようで、鏡を背にしてピースをしている。音也の着ているプリクロTシャツはトキヤのものだった。紫に靴下をはいたペンギン。Kは友人と顔を見合わせて、また小さく叫んだ。「何で音也がトキヤのTシャツ着てるの!」「やばい、音くんかわいすぎる! トキヤも音くんのTシャツ着てるのかな? みんな交換してたらどうする?」「そんなのヤバイ! 仲良しかわいい!」 ひとしきり悶えた後、他のメンバーのツイートを待ちながら、Kは窓の外を見た。紺色に染まった夜の風景に、街頭の白い光が線になって流れていく。楽譜みたいで音が聞こえそう。この世のどこかにST☆RISHが存在して、自分もいて、それだけで奇跡なのに、明日、彼らに会えるのだ。 Kは胸が締め付けられるような愛しさに唇を引き結んだ。しかしすぐに表情筋は緩んで、疲れた顔をたちまち蕩けさせる。――もうST☆RISHがいればいい。 もちろんQURTET NIGHTも。ST☆RISHに夢中になる自分を時々、Kの両親はバカにする。良い歳して若い男にキャーキャー言ってだとか、少しは貯金しなさいだとか。でも、ST☆RISHがいなかったら、Kは両親に対して、産んでくれてありがとうなんて思う回数は、今よりぐっと減っただろう。二十日前に別れた彼氏は、嶺ちゃんのことを悪く言った。『まいど!アイドルらすべがす』を一緒に見ていたら、こいつウザくない?って、その一言で大嫌いになった。仕事場では、忙しい時期を避けて有給を申請したのに、医者は実家暮らしは遊べていいねと嫌味を言った。ここで働いている意味はST☆RISHにあるのに。みんな、何にも、全然、分かってない!「セトリ楽しみだねぇ」 友人の声で我に返って、Kは彼女のノーメイクの顔を見つめた。新幹線の中で、メイクシートで落としたのだ。つやつやとオイルの残った頬を緩めて、スマホをタップしながら曲のリストをスクロールした。「月明かりのDEAREST聴きたすぎる」「聴きたすぎるー。昔の曲も聴きたいよね。永遠のトライスターとか」「泣くねそれは! あの変なダンスまた見たい!」「変とか言わないで! みんな頑張ってるから!」 笑い合って、なんで彼氏の言葉には腹が立ったのに、友人の言葉は傷つかないんだろうと思う。それは愛があるかないかの違いで、元カレは嶺ちゃんに愛がなかったからに他ならない。 ST☆RISHとQURTET NIGHTのほとんどのファンは、それぞれディープに好きなメンバーがいて、担当と呼ぶのだけど、Kと友人にはそれがなかった。 グループ全体が好きで、誰か特別に入れあげるのではなく、皆がまんべんなく好きだった。だから話も合うし、彼らを応援する熱の入れ方も近い。「レン様が新しいダンスの練習とか言ってたから、今までやらなかった曲もやるのかな?」「ジョカトラとか?」「えーん、忍び道とマスミラもやられたら死んじゃう! うちら劇見れなかったもんねぇ」「平日六時間に合わんないし、土日のチケット争奪戦で負けるんだよね……」「転職したくなるねー」 両手で顔を覆えば、甘ったるいマニキュアの匂いが鼻腔に流れ込んできた。「あ、翔ちゃんツイートしてるよ!」 友人の声で、iPhoneを取り出してTwitterを開く。『オレ、ST☆RISHで良かった!』 ST☆RISHのメンバーの集合写真。タオルを首に巻いて、それぞれが笑顔だ。中心に翔ちゃん、汗で濡れたレン様の髪がセクシーで、なっちゃんがいて、聖川様の隣にトキヤ、音也とセシル――Kの口から、あぁ、と溜息が零れた。Tシャツは音也とトキヤだけが交換したようで、他のメンバーはそれぞれバラバラのTシャツを着ていた。 Kはリプライボタンを押して、フリック入力で文字を打つ。『@Sho_K_SH 私もST☆RISHが大好きで良かった! 明日のライブ楽しみにしてるね!』 何百のリプライから私を見つけて読んでくれますように。祈るように送信ボタンを押すKの横で、友人が感極まったように呟いた。「ST☆RISHとQURTET NIGHTが私のすべてだよ」「分かる。この世のすべて」あと二十時間後、みんなに会える。[newpage]トキヤ:オーガニックコスメ店の美肌男子店員『CRYSTAL TIME』「トキヤぁ、日焼けで顔がヒリヒリする~」 トキヤが朝のジョギングから帰って来ると、洗面所で音也が泣きついて来た。音也は昨日、レギュラーで出演しているスポーツ系バラエティ番組『アスリートパラダイス SASUGA』の野外ロケの収録で、盛大に日焼けをしてしまったらしい。 赤くなった顔が痛々しくて可哀相だが、日焼け止めを塗らずに長時間、炎天下に出ていた音也が信じられなくて、心配してあげることができなかった。「自業自得です。昨日冷蔵庫にカーマインローションが入っていると伝えましたよね? お風呂上りにちゃんと塗りましたか?」「カーマ……何それ? あっ、何かトキヤそんなこと言ってたかも……。ごめん、忘れました……」 トキヤの呆れた心情を察したのか、音也は珍しくシュンとした。それだけ肌が痛いのだろう。ようやく同情心が湧いてきた。トキヤは冷蔵庫からカーマインローションを取り出し、大判のコットンをヒタヒタにして、音也の顔をコットンパックしてあげた。 カーマインローションは、沈殿した肌色のパウダーが特徴的な収斂化粧水だ。日焼けした後のほてりを鎮める作用がある。「なんか絵の具みたいな匂いする! 筆洗った水の匂いだ!」「うるさい。しゃべるとコットンがズレます」「あ、でも冷たくて気持ちいい……」「いいですか音也、あなたは少し日焼けした方がかっこいいなどと思っているかもしれませんが、日焼けは火傷と同じです。帽子やカーディガンで物理的に防げない時は、SPFが低くてもきちんと日焼け止めを塗り、保湿をしっかりしなければ将来シミやシワになりま……ちゃんと聞きなさい!」 船をこぎ出した音也の頭をはたくと、彼はびっくりしてヨダレを啜った。「やべ、気持ち良くて寝そう……」「寝そうじゃなくて寝てましたよ。……はぁ、あなたはアイドルで、少なからず見た目でも評価を受ける仕事なんですから、もっと自覚を持ちなさい」「でもさ、女の子のアイドルじゃないんだし、そこまでする必要なくない?」「なくないです」 ピシャリと断言すると、音也は口をつぐんだ。これ以上は火に油だと思ったのだろう。さすがに付き合いが長いだけあって、トキヤの性格が分かっている。 会話のやり取りだけでなく、トキヤをイライラさせるのは、お手入れなど何もしない音也の肌が、トキヤと同じくらいキレイだということだ。ドラッグストアで買った適当な洗顔フォームを、泡立てもしないで顔を洗うくせに、肌理は整っていて張りがある。若さだけではない、遺伝子レベルで肌がキレイな男を見ると、トキヤはイラッとする。自分でも心が狭いと思うのだが、瞬間的に怒りが湧きあがってくるのだからどうしようもない。そういう時は、心の中でこの呪文を唱えることにしていた。――でも音也は十年後にきっと後悔する。 たぶん、絶対、後悔してくれなければ困る。「ごめんなさい、これからは気を付けるね」「そうしてください。カーマインローションのパックは今日の夜もした方がいいですね。ローションはあげますから、こまめに塗りなさい。あとは、保湿用の化粧水と乳液は持っていますか?」「ヒゲ剃った後に塗るやつしか持ってない」「アフターシェーブローションですか。メンソールが入っている……スースーするやつですよね?」「そう、それー」「それはダメです。日焼け後の肌には刺激が強すぎますから、私のストックをあげましょう」 洗面台の横の扉を開ける。いつもなら種類ごとにストックがあるのだが、一本も見当たらなかった。ここ最近忙しくて、買い物に行けなかったからだ。「ストックがなかったので、私の使いかけですがこの化粧水と乳液をあげましょう。敏感肌用ですから、刺激もなく沁みることもないですよ」 トキヤが愛用しているオーガニックブランドの化粧水と乳液は、半分くらいに減っていた。ウィッチヘーゼルというハーブが入っているから、炎症にも効くはずだ。 その二本と、大判のコットンの未使用の箱を紙袋に入れて音也に渡した。「あ、ちょっとヒリヒリおさまったかも」 コットンをはがした音也の肌は、それでもまだ赤い。「今は水分を含んでいるのでそう感じるだけです。痛くなったらローションをつけなさい」「はーい」 音也のためにビタミンの多いキウイを切り、ヨーグルトに混ぜて朝食にした。ご飯が食べたいと言われたが、低炭水化物で食事制限をしているトキヤの家にはお米もパンもない。「豆腐ならありますが」「えー、いいよ。どっかで食べてから行く」 ファストフードでしょう、と思った予感は当たり、後から家を出てスタジオに向かったトキヤのiPhoneに、音也から牛丼の写メが届いた。――なんで朝から牛丼が食べられるんですか。 羨ましい。トキヤも本当はその辺の若い男と同じ欲求を持っている。もともと太りやすい体質で、子供頃は今よりふっくらしていた。食べることも好きだったし、今でも味のこってりしたラーメンや牛丼が食べたくなる時だってある。それにトキヤだって、朝のジョギングをサボリたい日だって、肌のお手入れを投げ出して寝たい夜だってあるのだ。でもその時天秤にかけるのが、アイドルとしての矜持だ。キレイ、美しい、とても男性とは思えない――それらの賛美はトキヤの耳に心地良くて、美を保つことは無意識のレベルまで落とし込むようになった。――何もしてなくても音也はアイドルのレベルとして合格点ですが、でも、十年後に後悔しますから。 ココナッツウォーターと一緒にイライラを飲み込んで、タクシーを降りた。 収録前にスキンケア用品を買うつもりで、駅近くのファッションビルへ足を運んだ。百貨店のコスメフロアを見て回る時間はないから、今日はいつものオーガニックコスメを扱う店へ向かう。 ここは都内に何店舗かあり、いずれも駅近のファッションビルに入っている。この駅の店舗に来るのは初めてだった。オーガニックコスメ特有のレモングラスとラベンダーの香りがする。「いらっしゃいま、せ……」 にこやかに挨拶をした女性の店員が、顔を上げた瞬間に真顔になった。黒いフレームの眼鏡だけで今日は帽子をかぶっていないから、ST☆RISHのトキヤだとすぐにバレてしまった。 店内には三人の女性客と二人の店員がいた。ざわめきは起きなかったが、あきらかに女性客の視線が注がれる。――ゆっくり見られる状況ではないですね。 渋谷や原宿の店で遅い時間なら、客が多くトキヤも紛れることができるのだが、そこまで賑わっていない街で、午前の空いた店内では、あきらかに目立ってしまう。 愛用しているブランドの物だけ買おうと棚を眺めていると「いらっしゃいませ」と、男の声がした。 振り向けば、店のエプロンをつけた男が微笑んで立っていた。コスメの店で男性店員とは珍しい。が、それだけではなく、トキヤはその男の肌に釘付けになった。 ふわふわの黒髪に、子犬のような顔。その肌は、陶器のように白く透き通っている。日本人ではないかもしれないと思うほどの色素の薄さだが、ネームプレートにはRと日本人の名前が書かれていた。 ゆでたまごのようなつるんとした質感に、もちろん化粧っ気はない。スッピンでなぜこのような艶のある肌が作れるのか。完璧に肌理が整い、ぬめるような色気もある男の肌に、トキヤは驚きを隠せず凝視した。「お探しのものはございますか?」「あ、はい、いえ……」 しどろもどろに受け答えをしながら、トキヤは棚に視線を戻す。 女性でキレイな肌の店員はゴマンといる。ビューティーアドバイザー、いわゆるBAと呼ばれる彼女たちは肌を美しく保つことが仕事だ。 しかし女性と男性では異なることも多く、メイクをすれば少しくらいのアラは隠せてしまう。共演する女優やアイドルたちが良い例だ。ハイビジョン対応のファンデーションは毛穴も吹き出物もマジックのように消せるのだ。――知りたい。この男の店員がどんなお手入れをしているか、どのブランドの化粧水を使っているのか、乳液なのかクリームなのか美容液かオイルなのか、スペシャルケアは何なのか? 聞きたいことが喉元に詰まって、トキヤはごくりと喉を鳴らした。――いや、やっぱり聞きましょう。 勢いよく振り返ったトキヤに、彼はビクッと肩を揺らした。悩むトキヤをずっと見ていたらしい。店員はもじもじしながら口を開いた。「あ、あの……Mのスキンケアラインを使っていらっしゃるんですか?」 Mはトキヤが愛用しているブランドだ。「あ、はい。一年くらい前から愛用していて、肌の調子が良いので……」「そうなんですね。Mはハワイのオーガニックコスメで、扱っているのはうちだけなんですよ。愛用してくださってありがとうございます」 丁寧におじぎをされて、トキヤもこちらこそ、と頭を下げた。お互いに照れ笑いを浮かべて。「トキッ……あ、いちのっ、あ、お客様は、お肌キレイすぎますよねっ?」 トキヤと口にしてしまったことで動揺したのか、急にフランクな口調になった。店員は頬を赤らめ、その赤は内側から滲むように色づいて映える。「名前でいいですよ、もう」「すみません……一ノ瀬さん。いや、実はうちのお店通ってくださってるの、知ってて」「え、どこか別の店舗にいらしたんですか?」「いえ、僕の彼女がST☆RISHのファンで、雑誌とかよく読むんですよ。そこでWのリップクリームを紹介してたじゃないですか。あれもうちのお店でしか扱ってないので、そうかなって。ちなみに彼女も僕も、一ノ瀬さんの影響でそのリップ使ってます」 何となくゲイかと思っていたけど違った、という下世話な感想を彼に持ちながら、トキヤは微笑んだ。「そうだったのですね。リップいいですよね」「ですよね。荒れないですし、UVカットもできるので」「大切ですよね、UVカットは」「ですよね。あ、Wの新しい日焼け止めはもう使いました? ノンケミカルの日焼け止めって、ベタベタするし白くなるの多いじゃないですか。今回の全然白くならなくて」 店員に促されるまま新しい日焼け止めをタッチアップしてもらう。「あ、本当ですね。使い心地良いですね。これでSPF50ですか?」「はい、そうです。Pa+++なのでケミカルの最新物よりは数値が低いんですけどね。ウォータープルーフじゃないので海などはケミカルがいいですが、日常使いはコレがおすすめですよ。石鹸で落とせるのに全く焼けないですし。僕も使ってます」「あ、じゃあこれ買います」「即決ですね! ありがとうございます」 僕も使ってます、は殺し文句のようにトキヤに響いた。僕も使ってます、と全部のコスメを勧められたら買ってしまうかもしれない。「あの、失礼ですが、店員さんはどこのスキンケアを使っていらっしゃるんですか?」「僕ですか? 僕は色々なんですけど、メインで使っているのはずっとFというブランドですね。モロッコのオーガニックブランドなんですけど、アルガンオイルとローズウォーターがベースで、結構パワーある感じというか……」 彼はFのブランドの棚までトキヤを案内して、青いスプレーボトルの化粧水をすすめてくれた。トキヤはその熱心な説明を聞いていたが、ふいに彼は黙り込んだ。「……?」「すみません、僕今、一人ですごく熱く語っちゃったなと思って……大丈夫ですか? 一ノ瀬さん、一人で見たい派だったら迷惑でしたよね。申し訳ないです……」 いきなり饒舌だったのに、急に説明がなくなる方が困ってしまう。トキヤは苦笑して首を振った。「いえ、楽しいですよ」「……楽しいですか?」「はい、こういう話をできる人が周りにいないので、楽しいですよ。アルガンオイルってやっぱり良いんですね」 結局、すすめられた日焼け止めと化粧水、乳液とオイルを買い込んだ。「また是非いらしてくださいね。新商品のフェイシャルソープの試供品、入れておきます」 彼は最後までにこやかに、感じ良く接客してくれた。 すすめられたFの化粧水は、トキヤの肌に合っていた。次の日、鏡に映った肌が心なしかふっくらしている。化粧水はエキゾチックな香りがした。「私が愛する君を愛して」 この言葉は、トキヤが出演する野菜ジュースのCMのキャッチコピーだ。CM映像と共に、タイアップ曲が渋谷の大型ビジョンに映し出される。自分の声が聞こえて、トキヤは雑踏で立ち止まり見上げた。――私は誰に愛されているのでしょうか。 アイドルの仕事をしていると、時々分からなくなる。『マジ LOVE LIVE 4th』のチケットは即完売して、入手困難となった。オークションでは転売チケットの値段が高騰していると聞く。それだけ、ST☆RISHに、自分に、会いたいと思ってくれる人がいるということだ。 それはたぶん愛なのだろう。けれど、あまり実感が湧かない。だから、トキヤは自分で自分を愛すのだ。自分が嫌いになるようなことはしたくない。例えば、夜中にケーキを食べるだとか。 iPhoneが鳴る。ポケットを探り画面をタップすると、音也からLINEのメッセージが入っていた。『この前トキヤがくれた化粧水ちょー良かった! なくなったからまた買いたいんだけど、どこで買えばいい?』 一週間以上もたっていれば、日焼けは落ち着いたはずだ。『またお店に行くので買ってきますよ。同じ物でいいですか?』『いいの? ありがとー! でも顔が白くなった』 泣き顔の変なスタンプが送られてくる。それを既読無視して、iPhoneをポケットにしまう。普段お手入れをしないから、美白効果のない化粧品でも肌が白くなるのだ。ちょっとイラッとする。 あの店の彼に会いたいと思い、トキヤは店へ足を運んだ。しかし、今日は彼の姿はなかった。Rという名前は覚えているが、他の店員に聞くことは憚られる。音也用の化粧水と乳液を買い、余計な物は買わずに店を出た。ガッカリしている自分に気付いて、トキヤは苦笑する。美白効果のない化粧水で白くなった男に嫉妬した気持ちを、彼なら分かってくれるかと思ったのだ。話す気もないくせに、寂しがる自分がおかしかった。 近くのスタバに入って、コーヒーを注文した。音也に化粧水を買ったことを伝えると、近くにいるから会おうということになった。『スタバで待っています』『三十分ちょいかかるかも』『近くないじゃないですか。台本を読んで待っていますから、遅くなってもいいですよ』 まったく。溜め息をついて、カウンターの席につく。何気なく隣を見ると、なんと横にいたのはRだった。思わず二度見して、その発光するような肌のキレイさで本人だと分かり、トキヤの方から声をかけた。「えっ、一ノ瀬さん?」「はい、この前はありがとうございました」「えーっ! いや、こちらこそ、たくさんお買い上げ頂いて……あれっ、もしかして店行きました? 僕いま休憩中なんですよ!」 彼はしきりに残念がった。相変わらずの肌のキレイさで、何を買ったんですか? と、紙袋を指差した。「自分用ではなくて、頼まれたものなのですが」「あ、そうなんですか。彼女さんですか?」「は? いえ、違います。音也です」 いきなり踏み込んだ会話になったのでびっくりした。エプロンを外して、今は素の彼に近いのかもしれない。「あのFの化粧水どうでした?」「すごく良かったです。アルガンオイルが肌に合ったみたいで」「オイルは合うと効きますよね。今度アボカドオイルも試してみてください。毛穴が一晩で消えますよ。まぁ、一ノ瀬さん毛穴ないですけど」「ありますよ」「本当? 見えないです。僕もう二十九なんで、毛穴開いてやばいです」「二十九!?」 自分と同じくらいかと思っていたが、トキヤよりはるかに年上だった。やっぱり十年後、お手入れをしていれば後悔しないのだ。「あの、一ノ瀬さん、いきなり失礼かもしれないですけど、サイン貰えませんか?」「いいですよ」 彼の申し出をトキヤは快諾した。写真撮影はNGだが、サインくらいなら事務所から許可が出ている。「やった、嬉しい」 彼は小さなバッグから油性ペンを取り出すと、iPhoneカバーを外して本体を手渡してきた。「え、この裏に書くんですか?」「はい、書いちゃってください。あ、僕の目覚ましの音楽CRYSTAL TIMEなんですよ」「あぁ、ありがとうございます」 言われた通りにiPhoneに書くと、彼は満足気にお礼を言って、またカバーを嵌めこんだ。「てっきり、彼女さんのために頼まれたのだと思いました」 トキヤが思ったことを口にすると、彼はiPhoneを両手で挟んでニヤリとした。「いや、彼女には一ノ瀬さんが店に来たことも言ってません」「そうなんですか?」「うん。このサインも見せないです。彼女とケンカした時、でも僕は一ノ瀬さんからサイン貰ったんだぜって、思うだけで溜飲が下がるから」「……それは」「僕の彼女、たまにメイク落とさないで寝るんですよね。まだ二十歳なんですけど。そういう時、なんかイラッとしてケンカになるんです。職業病かなぁ。もう、いつか後悔すればいいって思います」 彼の肌は、一瞬輝きを失った。トキヤが言葉を失ったのを知らず、アイスコーヒーを飲み干して席を立った。「またお店来て下さいね。これからも応援してます」 そう言い残して、手を振ってスタバを出て行った。 入れ違いに音也が入って来る。小麦色に日焼けして、汗で頬をつやつやさせて、トキヤを見つけると微笑んだ。「トキヤ、久しぶりだね! あれ、なんかキレイになった?」 化粧水を変えたんです、とは言うつもりはなかった。十年後、後悔する音也を見て、自分は果して溜飲が下がるだろうか? 自業自得ですと、もう笑える気はしない。「……化粧水を変えたんです」 トキヤがそう口にすると、音也は財布を持って立ち上がる。「ふーん。あー、お腹空いた! キッシュ食べよっと」 うんと伸びをして、興味なさそうに受け流した。 やっぱり、音也は十年後、後悔すればいいと思った。