初心者用の将棋アプリを始めた。電車で座れたときにだけやっているのだが、これがびっくりするほど難しい。
びっくりするほど難しい。
びっくりした。
「ずっとあなたの手番」というモードがある。これは遊戯王でいう「ずっと俺のターン」状態そのもので、こちらが王手をかけたときだけ相手側のCPUが応戦する。だからだいたい私だけが攻めているはずなのに面白いぐらい駒を取られた。
私はいつか藤井四段のすごさの一欠片だけでもわかるときが来るのだろうか?居酒屋のマスターに「あれは特別頭の良い人たちが、一戦で何キロも体重を落とすほど頭を使って行う宇宙的なやり取りなんだよ」と呆れられたが、 野球経験者じゃなくてもプロ野球の応援はできるわけだし。
強くなりたいわけじゃない。私も対局を見守りながら「そうきたか…」とか言ってみたい、ただそれだけだ。「力強い差し筋だ…」とか、「この持ち時間なら彼の方が優勢だ…」とか(いかんせんまだよくわかってないのでふわっとしている)。いわゆる少年漫画でよくある、戦闘に加わっていないけど的確な解説をする要員になりたい。
とにかく定跡をたくさん覚える必要があるっぽいことだけはうっすらとわかってきました。
あと、これほどまでに盤上が読めないとなると、私自身だってもう詰んでいるのかもしれないし、案外起死回生の一手があるのかもしれない。

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ひとつ仕事をして、前にお芝居を手伝った先輩にうまいロールキャベツやケーキをおごってもらい、その後初バイトに入った。いろんな紹介でなんとか生きている。
新宿のタカシマヤ近くに線路が見渡せるものすごく気持ちが良いテラスがあっておすすめだった。共産党の志位和夫さんの選挙演説がひどく聞き取りづらかったことに対して、家入一真さんは音質の良いスピーカーを採用しており、内容はともかくとしてぼそぼそとしたしゃべりは通り過ぎる人の耳に入った。とかそういう話から、「女の子は一人一種族」みたいなことなどを話した。推しの目の前で制汗剤を飲んでみたファンのことや、女の子に「かわいい」と言うことについてや。
初バイトは隠れ家っぽいバーだ。本当は先週から入る予定だったが体調を崩していけず、先方と連絡もつかず、これは見限られたか…? と思ったが直接乗り込んだら全然大丈夫だった。扉の前で深呼吸して、(何が起ころうとも…)と思った気持ち、忘れがたい。
いろいろやらかしたので以下はメモです。紹介してもらった人の顔をつぶさないようにしたいが、私はお酒が三口でも入ると別人のように陽気になってしまう。このあいだは帰路、みずしらずの外国人に話しかけて手に持ってるハンドスピナーを勝手に回してしかも落としてしまった。
・なので、まずはよくよく人を見ること。酔いの程度とかね。ちゃんと金払ったかとか、忘れ物してないかとか、こっちでよく見ておく。
・すぐおしぼり。
・飲み物をきく。
・ビールのグラスにはあらかじめ氷を入れておくのがベストだが、いきなりきたときには氷を2、3粒いれてお箸でめちゃくちゃかきまぜてグラスを冷やす。サーバーにグラスを斜めに傾け、レバーを手前に引いてゆっくりとビールをそそぐ。ある程度注げたら今度はレバーを奥に倒して白い泡を添える。
・割ものの水は奥
・飲み物出す時下に敷くやつを忘れない(忘れなかったからえらい)。郡上染め。ぐじょう。
・おつまみは、おなかいっぱいの人もいるので一言きくとよい。ナッツとかでもいい。お箸を忘れない。お腹空いてるよって人にはパンでもなんでも出す。
<空芯菜とにんにく炒め>
空芯菜で何か作ってみてと言われてものの見事に焦がし、お客さんにクックパッドを開いてもらって作り上げたテイク2。
ニンニクは包丁の腹で潰してからみじん切りにする。
たっぷりの油で軽く炒めてから、空芯菜の茎の部分を投入。1分くらい炒める。
鶏ガラスープなどをといたお湯と、葉の部分を鍋に一緒に投入。しばし煮詰める。
<山芋すりおろし>
手がかゆくなっちゃうから、持ち手を残してピーラーで削る。そしてすりおろし。持ち手の部分まできたら、中心をフォークや箸で突き刺して串バナナみたいにして、残りの部分も削り、すりおろす。
めげることばかりだけど、毎日が「会う、話す、読む、書く」に集約されているのは全然悪くない。いつか全部失敗するとしても、これは全然悪くない。
でもいつまで続けられるだろう!
世の中さまざまな保障がある。正社員になれば滅多に理不尽な理由でクビにならないし、毎月約束通りのお給料がもらえる。社会保障もある。結婚したらお互いにいろんな権利が発生し、相手の住民票簡単に手に入ったりする。いろんな契約にはいろんな保証が発生するけど、自分の情熱を保障してくれるものはない。恋も仕事も。
たいていのあらゆる、現在の保証はあるけど未来の保障はない。今ここにある気持ちはどこまで続くんだろうと思いながら、不義理を続けている。できていない返信が多い。

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今日は朝からスマホの充電が心もとなく、そもそも出先であんまりスマホをいじらないように心がけたい最近だったので、電車の中などでは適当な考えごとをしながら過ごした。
適当な考えごとというのは、「海外に行って日本語以外の言語を自由気ままに浴びてみたいけれど、できることなら安全のためにムキムキの男性を連れて歩きたい。しかしムキムキの男性はどうやってスカウトすればいいのか? ムキムキの男性は本当に信頼のおける人物だろうか?」ということなどです。
バイト先の上司から簡単なHTMLとCSSの講義を受けた。「私は○○さんが想像している以上にパソコンが、ダメです……」と自己申告したら、「それは薄々勘付いています」と言って「サルでも分かるHTMLとCSSの基本」というサイトを使って説明してくれた。
すごくありがたかったのだが、このタイトルはまずもってサルに失礼だし、このサイトを読んでもよくわからなかった私にも失礼だと思う。
その後は謝礼等を込めてチヨさんにちょっと良い焼肉をおごった。2か月ほど会わなかったのは珍しい。会わないあいだに何をしていたのか話そうにも肉がうまくてあまりうまくいかなかった。ビールを飲んだので話したことも全然覚えていない。肉がとにかくおいしかったのは覚えている。
お互いの仕事のこととか、将来とかお金とかどうしよう、みたいな話をした気がする。あとツイッターの話、それに同年代の人たちがマンションを買った話とか。それにしても卵をくぐらせて食べるカルビはおいしかった。こんなに良いもの最近全く食べていないねという話には確かに合意した。
幸せじゃなくても生きていけるし、幸せじゃなくても生きるのは楽しい、みたいなことについても合意した気がする。歳とっていくの不安、みたいな話を(確か)したときにさらっと
「でも私たち、27歳って感じじゃない?」
ってさらっと言われたのがよかった。でも前後の文脈が曖昧だし、やはりこれも夢かもしれない。35歳くらいになったときにこれまでの自分の通知表がどうなっているかが気になるところだ。
スマホの充電がとうとう切れたので帰りみちは気力を持て余しながら電車に乗った。心から盆踊りを踊りたいと思った。家に帰って東京音頭と炭坑節の動画を見た。不幸を笑いとばすような良い歌詞だった……。

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白状をします。
私は5月の終わりくらいにひとつ、大勢の人に伝えたいできごとがあり、
ツイッターの文面を考えるためにとりあえずスマホを家において夜の散歩に出た。
困ったときには川に行く、この日も例を違えず川へ行って橋を渡ってまた戻って、
そのころには文面がだいたいできていてよっしゃいけるわと思った。
そうして家へ帰る道すがら、駅と自宅のちょうど中間くらいかなあ、
細い横道に入る手前に芍薬が1輪落ちていた。
芍薬のことは前からとても好きだ。
大好きな友人の花嫁衣装を彩った花であるし、昨年も
芍薬をうまく咲かせようとして1輪は失敗し、
もう1輪はそれはそれは美しくあでやかに咲いてくれて、
それは大事な記憶になっている。夢みたいに白い芍薬だった。
落ちていた芍薬はピンク色で、だいぶ開ききっており、
誰かの花束からこぼれ落ちてしまったもののように思われた。
私は芍薬のことは大好きだし、去年出会った芍薬たちに恩を感じているので
それを家まで持って帰って雑に活けた。
芍薬はすでに開いていたけどまだまだ綺麗で、
私の家にいるあいだにもう少し開いて、やがて散った。
道に落ちてる芍薬を拾って太い茎をつまんでいるとき、
「ああこれはうまくいくなあ」と思った。強い感覚だった。
魔法使いが自分の杖を手にいれたような心強さで、
実際、伝えたいできごとは概ねうまくいった。
この2か月ずっと、いろんな人にお世話になった。
それに加えて、あのときの芍薬のおかげだなあとも、
やっぱり思っている。信じているといってもいいくらい。

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以下は自分の内面のことばっかりなので私以外つまらないやつです。備忘。
おととし、職人さんの家に行ってスケッチの真似事をしたことを何度も何度も思い出している。「輪郭ですね」と言われた声はあのときから大きく小さくたしかに響き、わんわんと揺り返してくる。最近はとくに。
このできごとを記録できただけでも、ブログ始めてよかったと思う。
自分に対して、輪郭にならないようにならないようにと念じている。祈っているといってもいい。
社交における自分の負けパターンはいくつかあり、大概は自滅だ。「もっと愛嬌があったら」、「サバサバとした物言いができたら」、「気の利いた返しができたら」、「この場の空気を変える力があったら」と希望ばかりがあたまに浮かび、それに応えられない自分が嫌になる。場をジグゾーパズルのように眺めて、欠けているピースを思い描いて、そのピースになれない自分はダメなんだと思い込んで、勝手に絵から弾かれた気分になるやつ。すごく悲しい。
そしてだいたいの悲しみに、画期的な解決など存在しない。でもだいたいの悲しみは飽きる(飽きない悲しみももちろんある。でも、飽きた悲しみは、飽きて良い悲しみなんじゃないか)。
フェルナンド・ペソアのbotで流れてきた
「私は気をとりなおし ほとんど陽気になる/悲しみに飽きたものが ほとんど陽気になるように」
という言葉であるとか、笹井宏之さんの
「しあきたし、ぜつぼうごっこはやめにしておとといからの食器を洗う」
という短歌であるとか、飽きる、ということのなすすべのなさ、翻ってその救いはすごい。ちょっとした天災だ。飽きたなら仕方がない。
私のできることをするし、できないことはしないぞ、と開き直って白紙のノートに覚えるべき事項を書き出した瞬間、どうしたってわくわくした。懐かしいわくわくさだった。ひらきなおって、諦めた気分で、真っさらなノートを開く瞬間が好きだ。
あと「こうありたい自分」に拘泥していると視野がびっくりするほど狭くなり、人を観察できなくなるなあ。今にも吐きそうな人とか、おかわりがほしい人を見つけたり、料理ができたら皿を出すとか、そういう具体的な配慮を一個一個やれたい。無理をしない。人と対峙するときに一番気疲れしない自分のありかたを模索する。求められてるっぽい役割は特に答えない。適当にやる。世の中には頑張る必要のある飲み会がいっぱいあるのは百も承知なんだけどさ……。
サークルの打ち上げで、先輩から答え合わせするみたいに一方的に叱られる慣習がすごくすごく怖かった。憎んでるといってもいい。今いる飲み屋のマスターが、「接客の世界に法律はないからねえ」「ハイボールの作り方なんて知らなくてもいいんだよ」「(接客のうまさは)天性だからねえ」などのんびり言ってくれるの、じわじわ効く傷薬みたいだ。
それにしても最近は「みんな意外と人生楽しんでるな!?!?」って思ってる。

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