ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 「パンケーキって、作れんのかな」 携帯の画面をじっと見つめていた荒北が、ぽつりと小さくつぶやいた。もぞ、と身じろいだ荒北の髪が東堂の太ももをかすめる。寮の消灯時間まであと一時間といったところだろうか。東堂の部屋、東堂のベッド、そして東堂の膝枕でくつろいでいた荒北の携帯を奪ってちらりと画面をのぞいてみると、関東の有名なパンケーキの店のレビューが載っているページが開かれていた。「なんだ、パンケーキって……珍しいな」「ンー……」「あ、あれだろ。昨日隼人がテレビ見て騒いでた……」「そぉ、なんかふわっふわのとか、うすっぺらいやつとかいろいろ特集してたじゃん」 ふわふわ、といういささか似つかわしい単語が荒北の口から出たことに少々悶えながら、東堂は話す荒北の髪を撫でた。「食べたいのか?」「あー、まぁ……店までいちいち行くっつーほどでもねェ」「おまえ、普段そうでもないのにあれだな。一度食べたいと思ったら食べるまで気が済まんタイプだろう」「ワカったような口きいてんじゃねーヨ」「うむ、でもそうだろ?」 荒北は別段甘党というわけではないが、甘い炭酸のベプシを愛飲しているということもあって、たまにこうして甘いものが食べたいと言い出すときがある。それが今で、しかもテレビの特集でふんわりもっちり、おいしそうなパンケーキを見てしまったのだろう。こうなると表立っては言わないが、食べるまでずっともやもやとしたままのはずだ。しかも、「食べに行けないなら作る」という発想はそもそも荒北にとっては一番タブーだと言える。 切って焼くだけ、のような料理すらほとんどできないし、作れる料理といえばスクランブルエッグぐらいなものだ。しかもそのスクランブルエッグも、卵がうまく割れないがゆえに目玉焼きを断念した末のものだといつだったか言っていた。 そんな荒北が「作れんのかな」とつぶやくのは、本人の意図はどうかはわからないが、無意識に東堂の手を求めているということに違いない。東堂も決して料理が得意なわけではないが、レシピを見れば簡単なものは作れるはずだ。「作れるんじゃないか、パンケーキ」「まぁじで?」「うむ。そもそも……ほら、ホットケーキミックスで問題ないだろう。卵と牛乳と、混ぜて焼くだけだから卵がうまく割れないおまえでも……痛っ」「うるせーうるせー! 卵ぐらい割れるっつの」「どうだかな……」「つーかホットケーキとパンケーキの違いっての? なんなわけ」「それがな……甘さ控えめの食事テイストなものがパンケーキらしいぞ。でも海外では全般パンケーキだそうだ」「へェ、グー〇ル先生はさすがなんでも知ってんなぁ」「レシピも知ってるぞ、先生は」 明日作るか、と言った東堂が荒北に向かってほほ笑む。すると荒北は頭をごろりと任せていた東堂の膝枕から起き上がり、ぼりぼりと頭をかいた。きっとお礼が言いたいのだろうが、照れくささがこみあげているのだろう。「明日、部活が終わったらコンビニに行くぞ」「……ン」「いいな、オレも楽しみになってきた」 こどものころに食べて以来、ホットケーキなんて食べる機会がほとんどなかった。ファミレスで勉強をしたり食事をすることはあっても、いつも新開が食べている甘そうなパンケーキやデザートに手を出すことがなかったから、自分が作ることになるなんて思ってもいなかった。しかし、荒北のためならば一肌脱ごうと思ってしまうのは惚れた弱みだろうから、致し方がない。 甘くてかわいらしいデザートなんててんで食べなさそうな荒北のために、東堂は荒北が部屋を出て行ってからも『ホットケーキ うまく焼く コツ』と先生に助けを求めるのだった。*** ホットケーキミックスを二袋に卵、牛乳とバター、メープルシロップとチョコレートシロップ。スーパーではなくコンビニで買ってしまったあたりかなりの割高かもしれないが、自転車を数十分飛ばしている時間すら惜しかった。コンビニに材料を買いに行く最中に「これもデートだな」と言うとなかなかの強さの拳を横腹にくらったが、すたすたと速足で歩く荒北の後ろ姿がかわいかったから東堂の頬は緩むばかりだった。「よし、作り方は袋にも書いてるが昨日あれから調べたのだ。まず卵と牛乳を割って、混ぜる!」「た、たまご……何個?」「二袋一気に作ってしまうか。どうせおまえ、食べきるだろ……二つだな」「二つ」「ふ、なんで復唱してんだ」 ぷるぷると震える手つきで卵を割ろうとしている荒北は、笑っている東堂相手にチッと舌打ちをした。クラスが違えば一緒に調理実習などをする機会もないし、荒北とこうして料理をするのは新鮮でかなりわくわくしている自分がいることに気づく。東堂は荒北が卵を割ったボウルに牛乳を注ぎ、泡だて器でがしゃがしゃと混ぜ始めた。厨房から借りた泡だて器は少し大きいが、よく食べる荒北の胃袋に見合った量のパンケーキを焼くならばちょうどいいぐらいだ。「東堂ォ」「ん?」「粉は?」「卵と牛乳が混ざったら……そうだな、そろそろ入れるか」「おう」 卵と牛乳がきれいに混ざり合ったところで、荒北がばさばさとホットケーキミックスをボウルへと投入した。舞う粉にぎゅっと眉をしかめて、唇を尖らしている。「そしたらさっくり、混ぜすぎないのがコツだ。やるか?」「あぁ? さっくり?」「さくさく、だ。力任せにやるんじゃだめだからな」「……イイ」「え?」「おめーがやって」 東堂が手渡そうとした泡だて器の受け取りを拒否し、荒北は粉が投入されたボウルをしっかりと押さえている。押さえているからおまえが混ぜろ、という意味かもしれない。決して『さっくり』の加減を失敗したぐらいでホットケーキはまずくもならないし、そもそも荒北は食えりゃ一緒だなどと言いそうなのに、こういうところが意外にも慎重で、どこか臆病だから可愛くてたまらない。かわりに混ぜ合わせながら、東堂はぐっと歯を食いしばってこみあげてくる感情を抑え込んだ。「そしたら荒北、フライパンを温めてくれ」「ン」「ある程度熱くなってきたら、そこの……ふきんの上にいったん置いてくれ。そこから弱火だ。せっかくなのだ流し込むぐらいしてみたらどうだ、荒北」「やたらでっけェのできちまいそう」「その辺は加減だ、加減」「三十センチぐらい上からそーっと流し込め」「はぁ!? 三十センチって、ンなもん飛び散ったらどうすんだヨ」「大丈夫だ生地がもったりしてるから」「……マジで?」「マジだ」 しぶしぶおたまを受け取った荒北は「三十センチてこんぐらいか」とブツブツつぶやきながら自分の手のひらを使ってある程度の長さを測り始めた。真面目だな、と思わず笑ってしまうと、荒北は失敗しても知らねーからな、と大きな声を出しながら東堂をキッと睨んだ。そしてその勢いのまま、生地をフライパンへと流し込んでいく。広がっていく生地の大きさはちょうどよく、フライパンに接した瞬間から甘い匂いが漂い始めた。「穴がぷつぷつと開いてきたらひっくり返し時だ」「それはさすがにハードル高ェ」「ワハハ、じゃあそこはオレがしよう」「……頼むわ」「と言ってもオレとてうまくできるかはわからんが」 フライ返しに生地がついてこないことを確認し、ふうっと息を吐くと同時に思い切ってひっくり返す。すると、焼き加減もちょうどよく膨らんできたパンケーキはきれいな黄金色をしていた。「ウワ、うまそォ……」「いい具合に膨らんでいるな! 成功といったところか」「すげェ、こんな膨らむのな」「焼きたてだからというのもあるな。ほら、ぜんぶ焼く前に一枚アツアツで食べてみるか」 焼きたてのパンケーキを皿へと移し、東堂は小さく切り取ったバターを乗せた。熱で瞬く間に溶けてしみこんでいくバターに重ねるようにしてメープルシロップをかけると、つややかで一層おいしそうに見える。食べなくてもふかふかの食感が口の中に広がるようだ。「……食っていい?」「あぁ、もちろん」 寮の簡易キッチンにナイフなどおいていないから、フォークで切り取って大きな一口をぱくりとほおばった荒北は、ぎゅっと眉間にしわを寄せてじっくりと咀嚼をしている。一口が大きいせいで膨らんでいる頬をつつきたくなる衝動が走るが、東堂はぐっとこらえて荒北の反応を待った。 すると、ごくりと飲み込んだ荒北はもう一口分フォークにパンケーキを刺し、それをそのまま東堂の口元へと運んでこくりと一度うなずいた。「へ、荒北?」 間抜けな声が出てしまったが、これは「食え」という意味に違いない。荒北から属に言う「あーん」をされたのは初めてだったから(東堂からは何度もしたことがあるが)驚きながらも口を開く。押し込まれた一口は荒北サイズのためずいぶんと大きかったが、ふわふわした生地がメープルシロップを吸ってしっとりとしている。「……これは……!」「……やべーな。これ」「うまいな、こんなにうまいものだったか? パンケーキって」「ワカんね、でもすげー……うめー」 うまい、ともう一度言った荒北は、もぐもぐと夢中になってさらに次の一口をほおばった。きっと昔食べたパンケーキも同じぐらいにおいしかったのだろうけれど、少なくとも今こんな風においしいと思えるのはまぎれもなく、荒北のおかげなのだろうと思いながら東堂はまたフライパンを火にかけた。ただ食べるだけでなくて、食べたい作りたいと言ってくれるのも、買い物に行くのも、一緒に作るのも。最初から最後まで荒北と一緒だからこんなにも特別に感じるに違いない。 東堂も先ほどの荒北と同じように、だいたいの三十センチを手で測ってみた。そしてちらりと荒北のほうを見やると、荒北は残り一口を残して手を止めていた。そして再度、それをフォークに刺して東堂の口元へとよこしてくるものだから、東堂は慌てて生地を流し込んでから口を開いた。噛めば噛むほど、口の中に甘みが広がっていく。「……東堂ォ」「む、……ん、なんだ?」「……わりぃ、なオレの……その、付き合わしちまって」「へ、なにがだ」「なにって……コレだよ、食いてェって、いきなり言って、おめーに」「あぁ、この状況そのものがか? 今更過ぎてなんのことかと思ったではないか」 ぷつぷつと穴が開いてきたパンケーキを、ひっくり返す。荒北は、東堂のその一連の動作をじっと見つめている。「あのな、荒北」「……なに」「おまえは知らんかもしれんが、オレはおまえのためならわりとなんでもしてやるし、してやりたいと思うわけだ」「……へ」「パンケーキぐらい毎日だって焼いてやるし、休みの日に食べに行きたいならついて行ってやる。無論ふたりでな」「東堂」「悪いな、重いだろ」 ちっとも悪びれるそぶりもなくそんなことを言ってやると、机に頬杖をついて東堂のことを見ていた荒北の顔が、どんどんと熱を帯びていく 焼きあがった二枚目のパンケーキに、今度はチョコレートシロップをたっぷりとかけてやる。荒北の手からフォークを奪って、またしても東堂が口元へとんでやると、荒北はずいぶんと顔をゆがませて大きな口をぐわりと開いた。「ッ……甘ったりィ、マジで」 チョコレートとパンケーキが甘いのか、荒北を見つめる東堂の視線が甘いのか、もうどちらが正しいのかわからない。ただ、どちらもの甘さが荒北の体にじんわりと染みこんでいくのだけはわかった。END.