日本の世界遺産とその見どころをまとめてみました
■文化遺産
文化遺産
1.法隆寺地域の仏教建造物(1993年12月。奈良県)
法隆寺は、現存する世界最古の木造建築として今なお飛鳥の時代を伝えています。1400年もの伝統を誇り、仏教文化の研究の宝庫として人々の注目を集めています。また、1993年に日本で最初に世界文化遺産に登録され、世界的に見てもその地位は高まっています。
境内は国の指定史跡、南大門・五重塔・金堂をはじめとする19棟の建造物が国宝に指定されています。もはや風情や情緒といったものではなく、非日常の神秘的な雰囲気が漂っているスポットです。当時の栄華が伺えます。
2.姫路城(1993年12月 兵庫県)
兵庫県姫路市にある日本の城。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、国宝や重要文化財に指定されている。また、主郭部を含む中堀の内側は「姫路城跡」として国の特別史跡に指定されている。また、ユネスコの世界遺産リストにも登録され、日本100名城などに選定されている。別名を白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう。詳細は名称の由来と別名を参照)という。
近年改築され、さらに美しくなった。
3.古都京都の文化財(1994年12月 京都府・滋賀県)
点在する17か所の寺社と城郭で構成される。
世界的にも有名な観光地でその見どころはあまりに多い。
4.白川郷・五箇山の合掌造り集落(1995年12月 富山県・岐阜県)
四季折々で村の風景が変わるのも魅力です
白川郷・五箇山の合掌造り集落(しらかわごう・ごかやまのがっしょうづくりしゅうらく)
~岐阜県白川村・富山県南砺市~懐かしさあふれる、三角屋根の独特な景観で、訪れる人をほっとさせてくれる合掌造りの集落。かつて、陸の孤島と呼ばれていた豪雪地域でしたが、辺境の地、豪雪、養蚕の地という厳しい環境で暮らす人々ならではの、知恵と工夫が詰まっています。
合掌造りとは、屋根の形が手を合わせたように見えることが由来だそうで、屋根の角度が60度と急なのは、雪を滑り落としやすくするためのものです。柱を縛るのに、釘や鎹(かすがい)を使わず、弾力性のある荒縄と、「ネソ」と呼ばれる植物の若木のみを使っているので、風雪や地震にも強く、国内でも豪雪地帯として有名なこの土地ならではの工夫がなされてます。
例えば、屋根に満遍なく日光を当て、南北の風を通すよう、合掌造りの窓の向きは、みな同じ方向を向いて建てられています。同じ方向を向いて佇む合掌造りの家々は、何ともかわいらしいです。家の中はどうなっているのかと言いますと、1階が、居住スペース、2階の屋根裏は現在は行われていませんが、江戸時代、養蚕のために使われていたようです。
茅葺きの大屋根は、約20~30年ごとの葺き替えが必要で主に春先に行わるようです。1軒替え終えるまでには、1週間以上の日数がかかり、大変な労力を要するため、昔の人々は互いに助け合う「結(ゆい)」という制度に基づいて村人みんなで行っていました。現在は森林組合に委託しているようですが、結の連帯感は現在も健在で、村民みんなで助け合って生活しています。
世界遺産に登録されたのは、1995年。
ノスタルジックな集落景観が、きちんと保たれていることと共に、周囲の自然環境も良好な状態で保存されていることが価値があると判断されたようです。現在も、人々は合掌造りの家に住み暮らしていることから、生活の場が、世界遺産に認定された稀有な土地です。世界遺産に登録されてから、訪れる観光客が増え、それゆえにマナーの悪さが問題となっていますので、訪れる際には、村民の方々に迷惑のかからないようにマナーに十分気をつけたいものです。
5.原爆ドーム(1996年12月 広島県)
世界遺産のうち、人類が犯した悲惨な出来事を伝え、そうした悲劇を二度と起こさないための戒めとなる物件を指す、負の世界遺産ともいわれる
■原爆(げんばく)ドームってなに?
原爆ドームは、第2次世界大戦末期に人類史上初めて使用された核兵器(かくへいき)により、被爆(ひばく)した建物です。ほぼ被爆した当時の姿のまま立ち続ける原爆ドームは、核兵器の惨禍(さんか)を伝えるものであり、時代を超(こ)えて核兵器の廃絶(はいぜつ)と世界の恒久(こうきゅう)平和の大切さを訴(うった)え続ける人類共通の平和記念碑(へいわきねんひ)です■原爆(げんばく)ドームと呼ばれるまで
(1)広島県物産陳列館(ひろしまけんぶっさんちんれつかん)の建設原爆ドームのもとの建物は、チェコ人の建築家ヤン・レツルの設計により、大正4年(1915年)広島県物産陳列館として完成しました。建物はれんが造りの3階建てで、正面中央部分は5階建ての階段室、その上に楕円形(だえんけい)のドームが載(の)せられていました。
物産陳列館は、県内の物産の展示や即売(そくばい)、商工業に関する調査・相談などの業務を行っており、美術展や博覧会などの文化事業の会場としても利用されました。
その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館(ひろしまけんさんぎょうしょうれいかん)と改称(かいしょう)し、戦争末期の昭和19年(1944年)からは内務省中国四国土木出張所、広島県地方木材株式会社など官公庁等の事務所として使用されました。
(2)被爆(ひばく)昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機(ばくげきき)により人類史上初の原子爆弾(げんしばくだん)が投下され、広島市街地の中心部の上空約600メートルで爆発(ばくはつ)し、一瞬(いっしゅん)のうちに広島市街地の建物が倒壊(とうかい)し、多くの人々の生命がうばわれました。
産業奨励館は爆心地(ばくしんち)から約160メートルの至近距離(しきんきょり)で被爆し、爆風(ばくふう)と熱線を浴びて大破し、天井(てんじょう)から火を吹(ふ)いて全焼しました。当時この建物の中にいた内務省中国四国土木出張所や広島県地方木材株式会社・日本木材株式会社広島支社・広島船舶(ひろしませんぱく)木材株式会社などの職員は全員即死(ぜんいんそくし)しました。戦後、旧産業奨励館の残骸(ざんがい)は、頂上の円盤(えんばん)鉄骨の形から、いつしか市民から原爆ドームと呼ばれるようになりました。
建物の崩壊(ほうかい)について
6.厳島神社(1996年12月 広島県)
宮島を観光すると言えば、やっぱり厳島神社と大鳥居。それから、表参道商店街で買い物したり、名物品の実演販売を見る。これだけで満足している人、結構多いんじゃないでしょうか?実際、ロープウェイで弥山の山頂まで上がっているのは、今や、外国人の方が多い印象です。そう、ここは、歴史や文化だけでなく、瀬戸内の自然にも触れることができる場所なんです。どうぞ、時間が許す限りじっくりと、色んな魅力を堪能してみてくださいね!
7.古都奈良の文化財(1998年12月 奈良県)
奈良県奈良市にある寺院などから構成される文化遺産1.東大寺 2.興福寺 3.春日大社 4.元興寺 5.薬師寺 6.唐招提寺 7.平城宮跡 8.春日山原始林からなり、それぞれ見どころは多い。
8.日光の社寺(1999年12月 栃木県)
103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」と、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」が登録されている
日光東照宮
日本を代表する世界遺産「日光の社寺」。その中でももっとも有名な「日光東照宮」は徳川家康がまつられた神社で、現在の社殿群は、そのほとんどが寛永13年3代将軍家光による「寛永の大造替」で建て替えられたもの。境内には国宝8棟、重要文化財34棟を含む55棟の建造物が並び、その豪華絢爛な美しさは圧巻です。全国各地から集められた名工により、建物には漆や極彩色がほどこされ、柱などには数多くの彫刻が飾られています。
※現在、日光東照宮陽明門は「平成の大修理」として、改修をおこなっております(終了予定:平成29年3月)。また、平成28年6月中旬から三猿(終了予定:平成29年3月)及び眠り猫(終了予定:平成28年12月)の改修工事を行う予定です。参拝の際はご注意ください。
なお、三猿、眠り猫の修理中は、複製品や写真の展示を行います。また、三猿に関しては修復工事を境内西回廊で見学できます
http://www.nikko-kankou.org/spot/2/
日光二荒山神社
二荒山神社の社殿は、日光東照宮の西に鎮座する本社と中禅寺湖畔にある中宮祠、男体山(二荒山)頂上の奥宮の三社からなり、約3,400ヘクタールに及びます。そのご神域は、日光いろは坂や華厳の滝も含まれるほど広大な境内となります。その広大な敷地にはご神木や神が降りる場所とされる「高天原(たかあまはら)」などパワースポットと呼ばれる場所がいくつもあります。
日光東照宮から二荒山神社本社へ伸びる道は、パワーストリートと呼ばれています。なんでも二社の気が合流し、強力なパワーを得られるとか。せっかくなので、この道を通って良縁祈願といきましょう。
http://guide.travel.co.jp/article/1013/
輪王寺
日光山輪王寺はお堂や塔、15の支院全体の総称で、「日光の社寺」として世界遺産に登録されています。1200年以上前、日光開山の祖である勝道上人が四本龍寺を建てたのが始まり。天台宗三本山のひとつに数えられ、日光山全体を統合していました。日光三山の本地仏をまつるお堂「三仏堂」は日光山最大の規模を誇る木造建造物で、千手観音(男体山)・阿弥陀如来(女峰山)・馬頭観音(太郎山)三体の仏像がまつられています。毎年4月2日に三仏堂で行われる「強飯式」といわれる古い儀式は、修験者の姿をした強飯僧が強飯頂戴人に3升ものご飯を強いるというもの。強飯頂戴人になって儀式を受けると、無病息災、家運長久などの運を授かるといわれています。
http://www.nikko-kankou.org/spot/3/
9.琉球王国のグスク及び関連遺産群(2000年12月 沖縄県)
グスクの領域は全てが城ではなく御嶽(うたき)の領域でもある
グスクとは、 古琉球(ぐすく)時代の遺跡のことで、一般的には城(しろ)と訳されている。しかし、グスクの領域は全てが城ではなく、御嶽(うたき=聖地、拝所)の領域として拝所があり、多くの参拝者が訪れていた。
グスクの城壁は、琉球石灰岩を互いに削りながら曲線を描くように積まれていて、本土の城に見られるような直線ではない。地形にそった美しい曲線を描いているのは、豊かさの象徴のようにも思える。
【三山時代】
沖縄では、13世紀ごろから城(ぐすく)を構えていた按司(あじ=武将)を束ねる強力な王が現れ、14世紀には3つの国(南部の南山、中部の中山、北部の北山)が並立する時代(三山時代)になった。その後、中山の尚氏が1416年に北山を、1429年に南山を統一した。
辛酸をなめさせられている沖縄
琉球王国は、1429年の成立から琉球処分で沖縄県になるまでの450年にわたって中国、日本、朝鮮、東南アジア諸国との平和外交と交易で栄え、平和で豊かな国を築いてきた。
しかし、1609年に薩摩藩によって征服されて以降は、1879年(明治12年)に琉球処分で沖縄県とされ、戦時中は日本の捨石として地上戦の戦場にされ、戦後はアメリカ軍基地がひしめく基地の島になるという辛酸をなめさせられている。沖縄が、再び、平和で豊かな島になることを願ってやまない。
グスクの建造物は戦争ですべて焼失
グスクの建造物は戦争ですべて焼失。首里城跡の建造物群も戦後に再建されたもので、世界遺産には登録されていない。戦争で焼失する以前は、1700年代に建てられた正殿などがあり、国宝に指定されていた。したがって世界遺産に登録されているのは、城壁の遺構、建物の基壇などの地下遺構だけ。
首里城
首里城は、14世紀末から約450年間に渡り、政治文化の中心として繁栄した琉球王国の王城です。沖縄戦を含め4度消失し、復元を繰り返しています。2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。
朱い独特な建物が魅力の琉球王朝のお城があった跡で、那覇港を見下ろすことが出来る小高い丘にあります。沖縄へ訪れたら是非一度は訪れておきたい観光スポットですよね。メディアなどで目にする朱い建物の「正殿」があるこの古城跡はとても広い国営公園なんです。
http://find-travel.jp/article/1255
10.紀伊山地の霊場と参詣道(2004年07月 和歌山県 奈良県 三重県)
『紀伊山地の霊場と参詣道』は、三重、奈良、和歌山の三県にまたがる「紀伊山地の自然」がなければ成立しなかった「霊場」と「参詣道」及びそれらを取り巻く「文化的景観」が主役であり、世界でも類を見ない資産として価値が高い。
「熊野三山」、「高野山」、「吉野・大峯」は、古代以来、自然崇拝に根ざした神道、中国から伝来し我が国で独自の展開を見せた仏教、その両者が結びついた 修験道など多様な信仰の形態を育んだ神仏の霊場であり、熊野参詣道、高野山町石道、大峯奥駈道などの参詣道とともに広範囲にわたって極めて良好に遺存して いる比類のない事例である。
また、それらが今も連綿と民衆の中に息づいている点においても極めて貴重な資産である。
http://www.sekaiisan-wakayama.jp/know/gaiyou.html
紀伊山地の霊場と参詣道(きいさんちのれいじょうとさんけいみち)は、
- 日本古来の自然崇拝に基づく神道と渡来した仏教が融合した神仏習合の宗教観により形成された紀伊山地の文化的景観は、東アジアにおける宗教文化の交流と発展をうかがわせる他に類を見ない事例であること
- 紀伊山地の社寺や参詣道には、今は失われた建造物や宗教儀礼に関する考古学的文化財が残され、宗教文化の重要な継承の場になっていること
- 紀伊山地の建造物や遺跡は、日本独自の信仰形態の特質を表す顕著な例であり、山岳地帯に残る修行場や神聖性の高い自然物は、信仰に関する独自の文化的景観を形成していること
などが評価され、2004年、文化遺産に登録された。
構成資産は和歌山県、奈良県、三重県にまたがる次の資産群。
吉野大峰
- 吉野山(よしのやま)
- 吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)
- 金峯神社(きんぷじんじゃ)
- 金峯山寺(きんぷせんじ)
- 吉水神社(よしみずじんじゃ)
- 峰山寺(おおみねさんじ)
熊野三山
- 熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)
- 熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)
- 熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)
- 青岸渡寺(せいがんとじ)
- 那智大滝(なちのおおたき)
- 那智原始林(なちげんしりん)
- 補陀洛山寺(ほだらくさんじ)
高野山
- 丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)
- 金剛峯寺(こんごうぶじ)-伽藍地区、奥院地区、大門地区、金剛三昧院地区、徳川家霊台地区、本山地区
- 慈尊院(じそんいん)
- 丹生官省符神社(にうかんしょうふじんじゃ)
参詣道
- 大峰奥駈道(おおみねおくがけみち)
- 玉置神社を含む
- 熊野参詣道(くまのさんけいみち)
- 熊野川、七里御浜、花の窟を含む
- 高野山町石道(こうやさんちょういしみち)
登録地域の面積は、構成資産 495ヘクタール、それを保護する緩衝地帯 1,137ヘクタール。
登録されている参詣道の総距離は 307.6km。「道」が世界遺産として登録されたのは、スペイン~フランスにまたがる巡礼道「サンディアゴ・デ・コンポステラへの道」についで2件目。
神仏習合の文化が育まれてきた紀伊山地紀伊山地の3つの霊場は、それぞれ異なる信仰の霊場だったが、それぞれが参詣道で結ばれ、日本古来からの神道と仏教が融合した神仏習合の文化が育まれてきた。
しかしながら、明治維新政府の神仏習合を禁止する神仏分離令(神仏判然令)をきっかけに、全国各地で廃仏毀釈運動がおこり、寺院や仏具が破壊された。さらに、明治39年(1906年)に施行された「神社合祀令」によって全国で5万もの神社がつぶされ、熊野でも神社の森が伐採されるという危機に瀕した。
この危機に対し、和歌山県出身の博物学者・南方熊楠(みなみかたくまぐす)は、「神社をつぶすということは自然と人間社会を破壊するもの」と日本で初めてエコロジーの考えを提唱して「神社合祀令」に反対、「熊野の森を守れ!」と立ち上がった。那智大滝の原生林や樹齢500年をこえる熊野古道の杉木立は、そうした運動により守られた。
【神仏習合(しんぶつしゅうごう)】
6世紀に伝来した仏教は日本古来からの神道との融和をはかり、神道も仏教との融和をはかるようになり、その中で生まれた「神の本体は仏」という思想。神は人々を救うために仮に現れている姿で、仮に現れた神のことを権現(ごんげん)という。本体である仏を本地といい、仮に神になって現れることを垂迹ということから「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」思想ともいう。
紀伊山地の3つの霊場(1)熊野三山
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の総称、参詣道で結ばれている。それぞれ自然崇拝を起源とする独自の信仰をもっていたが、互いの主祭神を併せ祀るようになり、一体化して熊野三山(あるいは熊野三所権現)呼ばれるようになった。
(2)吉野大峰
修験道の聖地とされる霊場。大峰山脈北部に位置する吉野山を中心とする地域と山脈に沿って南に25km進んだ大峰山(山上ヶ岳)周辺地域からなり、両地域を結ぶ参詣道は大峰奥駆道として修験道の修行の場になっている。
修験道(しゅげんどう)
日本古来の山岳信仰と神道、仏教、密教などが結びついて形づくられた日本独特の宗教。開祖は役小角(えんのおづぬ)、山岳修行によって霊力を会得することが重んじられている。
(3)高野山
弘法大師・空海によって弘仁7年(816年)に開かれた真言密教の聖地。1200年の信仰の歴史を秘めた山上宗教都市で、今もなお117の寺院が密集している。
神も仏も受け入れてきた共生の文化(平和の文化)
11.石見銀山遺跡とその文化的景観(2007年06月 島根県)
2007年7月2日、島根県大田市の石見銀山遺跡が世界遺産に登録されました。銀を精錬するためには、大量の薪炭用木材が必要とされます。石見銀山の特徴は、周辺の環境に配慮した「自然環境と共存した産業遺跡」であり、その点が高く評価され、世界遺産登録につながりました。龍源寺間歩入口
「間歩」とは銀を採掘した坑道のことをいいます。「龍源寺間歩」は1715年に開発された坑道で、大久保間歩に次いで長く600mもあります。正徳5年の開発で、永久、大久保、新切、新横相間歩とともに代官所の直営で「五か山」と呼ばれていました。
12.平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―(2011年06月 岩手県)
金色堂は、1124年(天保元年)に奥州藤原氏初代藤原清衡公が建立しました。 平等院鳳凰堂とともに平安時代の浄土教建築の代表例であり、中尊寺創建当初の姿を今に伝えています。「金色堂」という名の通り、堂の内外の扉、壁、軒から縁や床に至るまで、全て、漆塗りの上に金箔を貼って仕上げられています。
また、須弥壇の中には中尊寺を造営した初代清衡公と、その4代目までの子孫が木製金箔張りの棺に納められて安置されいるそうです。
奥州藤原氏は、当時東北地方で産出した砂金によって栄華を築いたとされています。その金をふんだんに使ったのが中尊寺金色堂でした。この「金でできた宮殿」の話は中国に伝わり、さらにマルコポーロを通じてヨーロッパに紹介されました。そうして多くの人々が黄金の国「ジパング」を目指し、歴史を動かす原動力となったのです。創建から長い年月を経てぼろぼろになっていましたが、1962年から1968年にかけて解体修理が行われ、今は創建当時の金色の輝きを見ることができます。
金色堂の魅力は、やはりその工芸技術。清衡公が極楽浄土の有様を具体的に表現するため、中尊寺の堂塔のなかでもとりわけ意匠を凝らしており、当時の工芸技術が集約されています。また、秋には紅葉も楽しむことができ、金色堂と紅葉、両方の美しさを感じることができるのも魅力のひとつ。
そして、2012年9月より、東日本大震災からの復興支援活動の一環として、東芝が金色堂や仏像、荘厳の芸術性・精神性をより効果的に表現できるLED照明を設置し、さらに美しい金色堂が見られるようになりました。
金色堂は、創建当時は屋外に建っていたのですが、1288年には外側から覆うような鞘堂(さやどう)が作られました。この鞘堂のおかげで、1124年に作られた木造の建築物を今も見ることができます。その後、鞘堂は室町時代に作り直されました。これも中尊寺の敷地内で見ることができます。現在の鞘堂は、1965年に建設された鉄筋コンクリート製の丈夫なものです。この鞘堂内で、ガラスケース越しですが900年も前に作られた当時のままの金色堂を見ることができます。
http://find-travel.jp/article/7739
13.富士山―信仰の対象と芸術の源泉(2013年06月 静岡県 山梨県)
構成資産は次の25資産。
- 富士山域(山頂の信仰遺跡、富士宮口登山道、須山口登山道、須走口登山道、吉田口登山道、北口本宮富士浅間神社、西湖、精進湖、本栖湖)
- 富士山本宮浅間大社
- 山宮浅間神社
- 村山浅間神社
- 須山浅間神社
- 冨士浅間神社
- 河口浅間神社
- 冨士御室浅間神社
- 御師住宅-小佐野家住宅
- 御師住宅-旧外川家住宅
- 山中湖
- 河口湖
- 忍野八海-出口池
- 忍野八海-お釜池
- 忍野八海-底抜池
- 忍野八海-銚子池
- 忍野八海-湧池
- 忍野八海-濁池
- 忍野八海-鏡池
- 忍野八海-菖蒲池
- 忍野八海-出口池
- 船津胎内樹型
- 吉田胎内樹型
- 人穴富士講遺跡
- 三保の松原
14.富岡製糸場と絹産業遺産群(2014年06月 群馬県)
富岡製糸場と絹産業遺産群は、群馬県富岡市の富岡製糸場、荒船風穴、高山社跡、田島弥平旧宅
明治5年(1872)に明治政府が設立した官営の器械製糸場です。民営化後も一貫して製糸を行い、製糸技術開発の最先端として国内養蚕・製糸業を世界一の水準に牽引しました。また、田島家、荒船風穴、高山社などと連携して、蚕の優良品種の開発と普及を主導しました。和洋技術を混交した工場建築の代表であり、長さ100mを超える木骨レンガ造の繭倉庫や繰糸場など、主要な施設が創業当時のまま、ほぼ完全に残されています。
http://worldheritage.pref.gunma.jp/ja/tkn4/
15.明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(2015年07月 山口県・鹿児島県・静岡県・岩手県・佐賀県・長崎県・福岡県・熊本県)
8エリア、11サイト、23構成資産からなる資産構成
16.ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-(2016年07月 東京都)
自然遺産
17.屋久島(1993年12月 鹿児島県)
屋久島は本土最南端・鹿児島県佐多岬の南南西約60km海上にあります。 住所は、「鹿児島県熊毛郡屋久島町」になります。
屋久島は1993年12月11日、白神山地とともに日本初の世界自然遺産として正式に登録されました。 特に「標高による連続植生、植生遷移や暖温帯の生態系の変遷等の研究における重要性を持つこと」や、 「ヤクスギを含む生態系の特異な景観を持つこと」などの特徴が、学術的に大きな価値をもつものとして評価されました。
世界自然遺産登録が素晴しい事であるのは言うまでもありませんが、遺産前、更には昭和39年の国立公園指定以前から、 屋久島を訪れた植物、動物学者達は「類を見ない島」「人類の至宝」と評価しています。
「連続植生、生態系変遷の重要性、生態系の特異景観が素晴しい」等と言葉を並べるよりも 「世界自然遺産である」と一言でその素晴しさを表現できるように、 屋久島にとっての「世界自然遺産」は、名詞ではなく形容詞である、と言えるのです。
http://yakukan.jp/abo/index.html
屋久島といったら縄文杉!屋久島の象徴ともいえる屋久杉の中で最大最古のものが、この縄文杉です。樹高 25.3m、胸高周囲16.4m 、樹齢2,000年代~7,200年にもなるそうですよ!
縄文杉を見るには、ハードな道のりのため本格的な山歩きの準備が必要ですが、堂々とした姿に疲れも忘れてしまいそう。縄文杉にたどり着くまでには、三大杉、ウィルソン株、大王杉などさまざまな巨木にも遭遇できます。
縄文杉は、日本で最も太いスギでもあり、台風の常襲地帯に育つ屋久杉の特徴である背が低いずんぐりした樹形は、長年この地で雨風にさらされながらも、耐え抜いてきた力強さを感じますね!2005年に折れた千年の大枝「縄文杉 いのちの枝」(全長5m、直径1m)は、「縄文杉いのちの枝」と名付けられ、屋久杉自然館に展示されています。
http://find-travel.jp/article/14149
18.白神山地(1993年12月 青森県 秋田県)
青森県の南西部から秋田県北西部にかけて広がっている標高1,000m級の山地(山岳地帯)。「人の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布」(世界遺産登録理由)
19.知床(2005年07月 北海道)
20.小笠原諸島(2011年06月 東京都)
小笠原諸島は東京の南、はるか1,000kmにある島々で、全域が東京都小笠原村に属しています。
聟島(むこじま)列島、父島列島、母島列島、火山列島(硫黄島列島)の4つに分かれており、村の中心は父島にあります。
大小30余の島々からなりますが、一般の人が暮らしているのは父島と母島だけです。
なお、硫黄島・南鳥島には自衛隊の他、気象観測のため気象庁などの職員らが常駐していますが一般人は行けません。
そもそも世界遺産とは
世界遺産(せかいいさん)は、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リストに登録された、遺跡、景観、自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことで、移動が不可能な不動産やそれに準ずるものが対象となっている。(ウィキペディアより)