2012年6月 3日 (日)

エステル7、8章「神の怒りに任せなさい」

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 私たちは「怒り」や「憤り」の気持ちに振り回されて大きな過ちを犯すことがあります。それは「怒る者は争いを引き起こし、憤る者は多くのそむきの罪を犯す」(箴言29:22)と記されている通りです。

しかし、「万軍の主(ヤハウェ)憤りによって、その燃える怒りの日に、大地はその基から揺れ動く」(イザヤ13:13)などとあるように、神は憤りを発せられる方です。そして、「神のかたち」に創造されている者は、この世の悪に対して怒るべきときがあります。

 

しかし、私たちの怒りや憤りは、不安や愚かなプライドから生まれてはいないでしょうか。エステル記に描かれる王もハマンもすぐに憤りに満たされてしまう人々でした。しかし、モルデカイもエステルも、「怒る」のではなく「嘆いて」います。怒りの第一次感情は不安であると言われますが、ふたりは不安を嘆きと祈りに変えました。そして、神はそれに答えてくださいました。

パウロは、「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい(ローマ12:18,19)と言いましたが、モルデカイもエステルもハマンに力で対抗しようとする代わりに、嘆いて祈りながら、「神の怒りに任せた」と言えましょう。

 

1.「私にいのちを与え・・私の民族にもいのちを与えてください」

 多くの人々は、ユダヤ人モルデカイが、なぜ王命に逆らってまで、アガグ人ハマンに対し、「ひざをかがめず、ひれ伏そうともしなかった」のかを不思議に思います。ところがこの書では、その理由が明確には記されていません。ただ、ハマンが「モルデカイに対する憤りに満たされ」理由が、二度に渡って明確に記されています。

一回目は、「ハマンはモルデカイが自分に対してひざをかがめず、ひれ伏そうとしないのを見て、憤りに満たされた(3:5)と描かれました。この直後にハマンは、ユダヤ人絶滅計画を立て、その実行日を「くじ(プル)を投げ」ることで決め(3:7)、どの民族を滅ぼすかを伏せたまま、ペルシャ王アハシュエロスを動かし、王の全面委任を受けて、約一年後の第十二(アダル)の月の十三日に、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、家財をかすめ奪うことを命じる文書をペルシャ帝国全土に書き送りました(3:13)

そして、二回目は、ハマンが王と共に王妃エステルの宴会に招かれ、その帰り道のことが、「ハマンは、王の門のところにいるモルデカイが立ち上がろうともせず、自分を少しも恐れていないのを見て、モルデカイに対する憤りに満たされ(5:9)と描かれています。このときハマンは、高さ50キュビト(23)の柱を立てさせ、モルデカイをそこに吊るすことの許可を王から受けようと決めました。これによって、モルデカイの命は翌日には奪われ、せっかくのエスエルの決死の覚悟も萎えてしまう可能性がありました。

 

 ところが、その夜、ペルシャ王アハシュエロスは眠りにつくことができませんでした。それで王は、王国のできごとを記した記録を読み上げさせました。その結果、ユダヤ人モルデカイが、王殺害のクーデターを未然に防いだという功績に気づきました。

そして、王はハマンに、誰にどのような理由で恩賞を与えるかを隠したまま、「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう」(6:6)と尋ねました。ハマンはてっきりそれは自分のことと思って、その人に王服を着させ、王の馬に乗させ、その上で、王の首長の一人に馬を引かせて町の広場の人々の前でその人の功績をたたえさせるようにと進言しました。王はそのとき、ハマンの恐ろしい野心に気づいたことでしょう。

 その結果は、何と、ハマンがモルデカイを載せた馬を引いて、人々の前でモルデカイの功績をたたえるという逆転に至りました。

そしてそれを聞いたハマンの妻は、彼がモルデカイに負けてしまうことを予告しました。

 

 その直後に開かれた王妃エステルの二回目の宴会の様子が、「王とハマンはやって来て、王妃エステルと酒をくみかわした(7:1)と描かれます。エステルは前日に、まさに命がけで、王から召されてもいないのに王の前に出てゆきました。それはユダヤ人絶滅計画を思いとどまってもらうためでしたが、彼女はそのときも、またその後の宴会でも、自分の願いを王に申し出はしませんでした

そのような中で、「この酒宴の二日目にもまた、王はエステルに」、「あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう」と尋ねたと記されます(7:2)。王がこのような表現を使うのは三度目です。これは当時の王が自分の権威を示す常套句かもしれませんが、エステルは、王が三度にもわたって自分の寛容さを紹介せざるを得ない状況を作ったとも言えましょう。

簡単に願いを言わなかったことで、王の方が、エステルの願いが何なのか聞きたくてたまらなくなっています。まるで王の心はエステルの手の内にもてあそばれているかのようです。

 

 そこで、「王妃エステルは」ついに自分の願いを表現して、「もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください」と言いました(7:3)

彼女は「私の願い」と言いながら「私にいのちを」、また、「私の望み」と言いながら「私の民族に(いのちを)」、「与えてください」と、明らかに王の意標をつくような、驚くほど控えめな願いを述べました。

 そして、そのように願う理由を、「私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、殺害され、滅ぼされることになっています」(7:4)と述べます。王はこのことばを、身を乗り出すように聞いたのではないでしょうか。自分の知らないところで、エステルの民族が、取引の材料にされ、滅ぼされようとされるというのですから・・。

これは、かつてハマンが銀一万タラント(当時の王家の年収の三分の二)もの金額を国庫に納めて一つの民族を根絶やしにすると言ったことを思い起こさせたことでしょう(3:9)。そればかりか、エステルは「私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたでしょうに。事実、その迫害者は王の損失を償うことができないのです」と付け加えました。

最後の文章は、「私たちの苦しみは王の損失に比べたら取るに足りませんから」と訳すことができます。彼女は王の同情を引き寄せるような表現でことばを始めながら、最後には、王の損得を自分は何よりも気にしていると付け加えました。

彼女は、ハマンのユダヤ人絶滅計画は、ただでさえギリシャとの戦争に負けて困難に陥っている王家を、さらに困難に追い込むことになると言外に言ったのではないでしょうか。王はエステルのことを大切に思っていましたから、彼女とその民を失うことが自分にとっても、とてつもない損失になるということが、すぐに理解できたことでしょう。

エステルは、決して、自分に対する王の愛情を確かめるような表現は使っていません。ただ、自分の切実な願いを、驚くほど控えめに、しかも、王の心や王の置かれている状況に寄り添うようにして表現したのです。

 

2.「そんなことを・・たくらんでいる者は、いったいだれか。どこにいるのか」

 それに対し、「アハシュエロス王は王妃エステルに尋ねて」、「そんなことをあえてしようとたくらんでいる者は、いったいだれかどこにいるのか」と言いました(7:5)。ここでは、「だれか」「どこか」という問いが強調されていますが、彼女は驚くほど簡潔に、「その迫害する者、その敵は、この悪い(忌まわしい)ハマンです」と答えました(7:6)

私たちの時代の常識からすれば、エステルはもっと慎重に、ハマンの悪事を証明する必要があるように思います。しかし彼女は本題に入るまでに十分すぎるほどの時間を取りながら、王が身を乗り出して、「だれか」「どこか」という質問をしたくなるように仕向け、最後は有無を言わさずにハマンを追い込むような会話へと持って行きました。

 

その結果が、「ハマンは王と王妃の前で震え上がった」と描かれます。彼はエステルの話を聞きながら、自分のユダヤ人絶滅計画が問題にされていることに驚きを覚え、何らかの弁明のことばを述べたいと思っていたかもしれません。しかし、エステルと王のあまりにも簡潔な会話の前で、すべての弁明の機会を失ってしまいました。

 

 その後の展開が、「王は憤って酒宴の席を立って、宮殿の園に出て行った。ハマンは王妃エステルにいのち請いをしようとして、居残った。王が彼にわざわい(悪)を下す決心をしたのがわかったからである」(7:7)と記されます。

王はこのときに、一瞬のうちに、それまでのハマンとの会話を思い起こし、ハマンの狡猾さと残虐さ、危険な野心に思いが至ったのではないでしょうか。なお、すでに、王がハマンに、「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう」と聞いたときの彼の反応を聞いたあたりから、信頼できない気持ちを持っていたと思われます。

 

そして、「王が宮殿の園から酒宴の広間に戻って来ると、エステルのいた長いすの上にハマンがひれ伏していたので」、王は、「私の前で、この家の中で、王妃に乱暴しようとするのか」と言ったというのです(7:8)。これはハマンがエステルにすがるために、その長椅子に手をかけていたという程度のことかと思われますが、憤っていた王には、ハマンが乱暴をしようとしているように見えたという意味だと思われます。

そして、「このことばが王の口から出るやいなや、ハマンの顔はおおわれたとありますが、これは当時の犯罪人が捕えられるときに頭に袋をかぶされることを指しています。ハマンは総理大臣の地位から一転して王家への反逆者として捕えられたのです。

 

 しかも、「そのとき、王の前にいた宦官のひとりハルボナが」「ちょうど、王に良い知らせを告げたモルデカイのために、ハマンが用意した高さ五十キュビトの柱がハマンの家に立っています」と言いました。それに対し、王は即座に、「彼をそれにかけよ」と命じました。そして、その結末が、「こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りはおさまった」(7:10)と記されます。

ハマンが憤りに満たされてユダヤ人絶滅計画を立て、またモルデカイを木にかけて殺そうとして行動したことが、結果的に、王の憤りを買うことにつながり、ハマンは自分が用意した木にかけられて殺されました。

まさに、「穴を掘る者は、自分がその穴に陥り(箴言26:27)と記されている通りです。また、日本語のことわざの「策を弄して墓穴を掘る」に相当すると言えましょう。

 

3.「王はハマンから取り返した自分の指輪をはずして、それをモルデカイに与え」

8章の初めには、「その日、アハシュエロス王は王妃エステルに、ユダヤ人を迫害する者ハマンの家を与えた。モルデカイは王の前に来た。エステルが自分と彼との関係を明かしたからである。王はハマンから取り返した自分の指輪をはずして、それをモルデカイに与え、エステルはモルデカイにハマンの家の管理を任せた」と簡潔に描かれますが、これはまさに天地が引っくり返るようなできごとです。

つい一日前までは、ペルシャ全土のユダヤ人はハマンの策略によって、絶滅の運命が定まっているかのように思えました。モルデカイは本来、この時間にはハマンの家に立てられた木に吊り下げられていたはずでした。

ところが今、モルデカイはハマンに代わって、法令を発布する王の指輪をあずかる総理大臣の立場に上げられたのです。

 

これまでの物語の展開の鍵は、「憤り」にありました。エステルが宮殿に召されるようになったきっかけは、王が前王妃ワシュティが命令に従わなかったことに「非常に怒り、その憤りが彼のうちで燃え立った(1:12)ことから始まっていました。ユダヤ人虐殺計画は、ハマンがモルデカイの不遜な態度に「憤った」ことから立てられました。そして、ハマンの滅亡は王の「憤り」によって決まりました。

ところが、モルデカイもエステルの場合も、彼らが「憤った」という表現がありません。彼らは当然ながら、ハマンに対して憤ったはずですが、ここに記されているのは、彼らを初めとするユダヤ人すべてが嘆き叫びながら断食をして神に祈ったということです。

エステル記には敢えて、神の名が省かれていますが、彼らがハマンに対して憤りの気持ちを顕にする代わりに、すべてを支配する神に向かって叫んだということは明らかです。

そして、神はご自身の姿を隠しながら、エステルを王妃の立場へと導き、クーデター計画をモルデカイに気づかせ、時間が経過してから、王を不眠にしてモルデカイの功績に気づかせ、ハマンが高慢になるのにまかせて自滅への道を開いて行かれました。モルデカイもエステルも、ハマンに対する復讐心に駆られて行動したのではなく、神のさばき、また神が立てた王のさばきに信頼しようとしていました。

 

ハマンは最後の最後まで、エステルが自分のことを、「その敵は、この悪い(忌まわしい)ハマンです」などと呼ぶとは思いもしませんでした。ハマンは自分が王妃からも高く評価されていると思い込んでいたのです。

彼女はもちろんハマンを心から憎んでいたはずです。しかし、憤りと憎しみの心を、神に訴えることによって、極めて冷静な行動を取ることができました。

また、モルデカイも決して、ハマンに対して卑屈になることも、怒りを顕にすることもありませんでした。ハマンがしぶしぶ、モルデカイを王の馬に乗せて人々の前で彼の功績をたたえざるを得なかったときにも、モルデカイは決して嫌味の一言も言わなかったに違いありません。

 

モルデカイもエステルも、神にはすべてを逆転させる力があることを信じて、憤りに身を任せはしませんでした。しかも彼らは、神がすべてを支配しておられるなら、自分たちは何もしなくても良いはずだなどとは決して思ってはいません。

エステルの願いにより、ペルシャの首都に住むユダヤ人は三日三晩の断食をして祈りました。エステルはそのとき死を覚悟しました。そして、三日目に王の前に決死の覚悟で出たときから、すべての歯車の動きが変わったかのようです。これはイエスが十字架で死んだ後、三日目によみがえったことを示唆するできごとです。

 

4.「王の指輪で印が押された文書は、だれも取り消すことができない」

エステルは、モルデカイが総理大臣の地位に抜擢されたことに満足することなく、ユダヤ人絶滅計画自体を無効にするために、初めて具体的な提案を、「泣きながら嘆願」しました(8:3)。それは、「アガグ人ハメダタの子ハマンが、王のすべての州にいるユダヤ人を滅ぼしてしまえと書いたあのたくらみの書簡を取り消すように、詔書を出してください」というものでした(8:5)

しかし、一度出された王命を取り消すことはできません。それで王は、「王妃エステルとユダヤ人モルデカイに」向かって、「あなたがたはユダヤ人についてあなたがたのよいと思うように、王の名で書き、王の指輪でそれに印を押しなさい。王の名で書かれ、王の指輪で印が押された文書は、だれも取り消すことができないのだ」と言いました(8:7,8)。

それでモルデカイはアハシュエロス王の名で新たな命令を書きました。その内容は、「どこの町にいるユダヤ人にも、自分たちのいのちを守るために集まって、彼らを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、殺害し、滅ぼすことを許し、また、彼らの家財をかすめ奪うことも許した」(8:11)というものでした。

先には、ペルシャ帝国内のすべての民に向かって、「すべてのユダヤ人を根絶やしにし・・・家財をかすめ奪え」という王命が出されていましたが、それを無効にするためにユダヤ人に徹底抗戦を許したばかりか、襲いかかって来た者の家族までをも根絶やしにし、家財もかすめ奪うことを許可したのです。つまり、ユダヤ人の自己防衛権をペルシャ王が保護し、それを応援するという姿勢を見せたのです。

 

国際政治で熱い戦争を防ぐために「抑止力」ということばが用いられます。たとえば北朝鮮は、何度も公に韓国の政権に鉄槌を下すと脅していますが、それを実行できないのは、韓国およびその同盟国アメリカの戦力が自分たちに勝っていることを知っているからです。

軍事力を持つことの最大の意義は、攻撃を退けること以前に、敵の攻撃の意欲をなくしてしまうことです。ミサイルの最大の存在意義は、攻撃力よりも抑止力にあります。

 

しかも、この王命には、具体的な日付が、「このことは、アハシュエロス王のすべての州において、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに行うようになっていた」と記されていました(8:12)。これは、ハマンがくじ(プル)て決めたユダヤ人絶滅計画の実行日に当たります。つまり、ユダヤ人にはいつでもどこでも、敵に復讐する権利が認められたのではなく、ユダヤ人絶滅計画の予定日に限って、復讐が認められたのです。

そして、「各州に法令として発布される文書の写しが、すべての民族に公示された。それはユダヤ人が、自分たちの敵に復讐するこの日の準備をするためであった(8:13)と記されますが、ユダヤ人がこの日に徹底的な防衛の権利を王から認められているのをすべての民が知ることによって、彼らはユダヤ人への攻撃を思いとどまりました。

 

この法令はシュシャンの城でも発布され」ましたが(8:14)、その後、「モルデカイは、青色と白色の王服を着、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。するとシュシャンの町は喜びの声にあふれた。ユダヤ人にとって、それは光と、喜びと、楽しみと、栄誉であった。王の命令とその法令が届いたどの州、どの町でも、ユダヤ人は喜び、楽しみ、祝宴を張って、祝日とした」と描かれます(8:1517)

ユダヤ人はこのことを毎年覚えてプリムの祭りを祝いますが、その時期は過ぎ越しの祭りの一か月前です。それはカトリック教国におけるカーニバルに似ています。過ぎ越しの祭りには、祝い方の厳密なルールがありますが、この祭りは、心の奥底からの喜びを自由に表現する日、まさに、「光と、喜びと、楽しみと、栄誉」の日として祝われる日です。

 

そして、その結果が、「この国の民のうちで、自分がユダヤ人であることを宣言する者が大ぜいいた。それは彼らがユダヤ人を恐れるようになったからである(8:17)と記されます。自分たちの立場を公にできるということは、神の民がこれからは堂々と礼拝のために集まり、神の民としての愛の交わりを自由に深めることができることを意味しました。

これ以降も、ユダヤ人は世界中で自分たちの共同体を築いてゆきますが、その原点がここに記されています。私たちも自分が神の民であることを互いに喜ぶ交わりを、この世に対して証することができます。私たちが特別な「神の民」であることを周りの人々も評価せざるを得なくなるということ、それこそ最大の伝道になります。

 

ペルシャ王アハシュエロスは暗愚な王ではありますが、当時の王権と神のご主権には似た面があります。神もすでに出されたご自身のことばを変えることはできません。神はご自身に逆らう者にのろいを下されると警告しておられました。また神はご自身が創造された世界を台無しにする者たちに「怒り」を発しておられます。

私たちは神の「怒り」と「のろい」を受けるのにふさわしい者でしたが、神は何とその怒りを、ご自身の御子をなだめのそなえものとすることでご自身でしずめてくださったのです。

イエスは私たちの身代わりに神ののろいをその身に引き受けられました。それによって、イエスに信頼する者は、「のろい」から「祝福」へと移されました。イエスを主と告白する者は、もはや神の怒りとのろいを恐れる必要はありません。エステル記での大逆転はそれを示唆しています。

 

モルデカイはイエスのひな型でもあります。ヘブル57節には、「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました」と記されますが、モルデカイもハマンの策略によりユダヤ人絶滅計画が王命として出されたとき、「着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でひどくわめき叫びながら町の真ん中に出て行った」(4:1)と記されていました。

彼は何かの具体的な計画を練ろうなどと考える前に、ひたすら泣き叫んだのです。

神はそれを聞き入れて状況を逆転させ、死ぬはずだったモルデカイを生かしたばかりか、彼を総理大臣の地位に引き上げました。それは神がイエスを死から救い出してご自身の右の座に着座させたことに通じます。

私たちは人々の前で強がる必要はありません。恐れや悲しみが迫ってきたときには、人から軽蔑されるほどに泣き叫んだら良いのです。ただ、それを神の御前ですることが何よりも大切です。神はすべて逆転させてくださるからです。

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