怪事と染垂れ(けちとしみったれ)

2012年7月
江戸しぐさ講 第4回
「ケチ」

現代では、ケチとは「金品を惜しがって出さないこと。卑しい様、事、人」を意味します。
ケチの語源は不吉な事を意味する「怪事(けじ)。あやしきこと。」で、それが訛りなどで音変化した結果「けち」となりました。江戸時代以降、「粗末な様」や「卑しい」などの意味を持つようになり、現代の意味になったようです。

落語・小咄にも、ケチは「あたじけない」などと頻繁に出てきます。「吝(しわ)いや」、「始末の極意」、「味噌蔵」、「片棒」「位牌屋」…。頓知の利いたケチはひょうひょうとしていられるのに、度を超えたケチにはちょっとしたしっぺ返しが来るのがお決まりのようです。

自分が節制する場合は勝手ですが、上の立場からそれを押し付けられるのは、やはり受け入れがたいものです。これらの落語では権力者を揶揄する話で笑いを生み、押さえ付けられている者の鬱憤を晴らしているのでしょう。

こうしてケチを悪し様に言ってしまいましたが、実は芝講師は自他共に認める「倹約家」つまり「しまりや」でございました。大らかなケチとでも言いましょうか。その徹底ぶりについては後ほどお話いたします。

「しみったれ」

しみたれ・しみったれにもケチと同様、あまり良い意味は見つかりません。
・けちくさいさま、またその人。
・考えや気持ちが狭いさま。
・ 見栄えがしないこと。
・ 貧弱なさま。
・ 醜女

など。加えて名古屋ではしみったれといえば「だらしがない」ことを言うそうで、もし自分が言われたとしたら、ケチよりも大きなダメージを受けそうです。

また「染み垂れる」「染っ垂れ」とも書き、意味は同じく物惜しみすること、こせこせして卑しいこと。この場合は水などがじわじわと染みとおることからの表現だそうです。なんとなく薄汚いイメージでちょっと嫌ですね。

けちんぼ(坊)、けちくさい、しみったれや…いろいろな言い方があります。直接的な言い方よりも耳あたりが柔らかく、意味が少し軽くなります。しかし両方の意味をきちんと把握した方はもう、他人様に対してそれらの言葉を安易に発するものではない、ということをご理解いただけたことでしょう。

ただそれだけで終わらないのが江戸の良さを見なおす会、でございます。記憶に残る芝講師のお話や書き残された資料だけでなく、更に新しい情報を加え、本日はケチとしみったれについて更に掘り下げてみたいと存じます。

「もったいない」と「みっともない」

ケチやしみったれを褒め言葉に変える魔法の呪文「もったいない」。この一見可愛らしい言の葉に秘められた恐べき威力で、日本は古来から節制、節約を美徳と考える風潮にありました。(但し、いつの時代も一部の特権階級は除きます。)

日常生活では聞かない日がないかもしれないくらい、我々には馴染みの深い言葉の一つです。 家庭では
「ご飯を残す」なんてもったいない
「水を出しっぱなしにして歯を磨く」なんてもったいない
「誰も見ていないテレビを点けている」なんてもったいない
会社では
「裏紙が白いままでコピー用紙を捨てる」なんてもったいない
「人のいないトイレのエアコンが常時稼働している」なんてもったいない
「居眠りばかりしている社員に払う給料が」もったいない…
と、枚挙にいとまがありません。

しかし場合によっては、それぞれにそうする理由があるかもしれません。個人情報を保護する為にも、必要なくなったらすぐにシュレッダーにかける。シュレッダーごみを分別して出せばリサイクルし易くなります。スイッチのON・OFFに余計に電力がかかるものならば、常時適温設定にしておいた方が電力が少ない場合もあります。

但し、お役所のクールビズのようなパフォーマンス主体の間違った「節約マナー」を流行にするのはいかがなものでしょうか。

公式文書を申請しに行った役所の窓口で、アロハシャツから出た腕がニョキッと出るのはあまり良い気分ではありません。同じ半袖でも白いワイシャツの方が見た目涼しく感じます。
着ている本人達が暑い(もはや熱い)からとお役所サイドはおっしゃいますが、お金を払う方を優先するのは商人しぐさの鉄則です。お上にこそ江戸しぐさが必要なのはいうまでもございません。

的確な状況判断もせずに使う「もったいない」は間違った呪文です。その結果は「節約」にならず、ケチやしみったれになってしまいます。但し何度も言うようですが、ケチやしみったれは他人様に向けて言う言葉ではありません。自分がそうならないよう気をつけましょう、と言うことです。

このような魔法の言葉「もったいない」も万能ではありません。それを邪魔するもう一つの呪文「みっともない」があるからです。「みっともない」は、人目に対して体裁が悪いという自分が感じる気持ちの事。他人の行為に対しては「見苦しい」が適切なのだとか。

まだまだ十分使えるのにも関わらず、見た目が少し古くなってしまったという理由だけで捨ててしまうのは「もったいない」。一方、まだなんとか使えはするけれど、騒音や悪臭が出るほど古くなっているものを人前で使うのは「見苦しい」。

もったいないと見苦しいは常に隣り合わせの関係なのかもしれません。常に正しい状況判断と相手を思いやる気持ちがあって、初めてもったいないの魔法は成功するのです。

そして日本が誇るべきこの魔法の言葉が、すでに世界に広まっているのをご存知ですか?

「Mottainai」 世界が認めた日本の知恵

一人の女性環境保護活動家が出会い、感銘を受けた日本語「Mottainai」。その存在を世界に知らしめたのは、惜しくも昨年お亡くなりになった、ノーベル平和賞を受賞したケニア出身のワンガリ・マータイ女史です。彼女が「Mottainai」に出会ったのは2005年の2月でした。

京都議定書(地球温暖化防止京都会議にて採択された、気候変動枠組条約に関する議定書)関連行事出席の為に訪れた日本で聞いた言葉「Mottainai」。これをマータイ女史が広めたことで世界の共通語となり、新しい解釈となって日本に戻ってきました。

環境 3R + Respect = もったいない
Reduce(ゴミ削減)、Reuse(再利用)、Recycle(再資源化)という
環境活動の3Rをたった一言で表せるだけでなく、
かけがえのない地球資源に対する
Respect(尊敬の念)が込められている言葉、「もったいない」。
マータイさんはこの美しい日本語を環境を守る
世界共通語「MOTTAINAI」として広めることを提唱しました。

Mottainai(モッタイナイは、世界のアイコトバ)ホームページより

wastefulは「無駄」や「不経済」と訳されていますが、「もったいない」と訳す時、私はそこに江戸しぐさを感じています。

もったいない「勿体無い」とは仏教用語の「物体(もったい)」を否定する語で、物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちなんだそうです。

もったいないにも色々あり、「商人のもったいない」と「お母さんのもったいない」は別物と言ってもいいかもしれません。

前者は主にwastefulの意味。後者はプラス江戸しぐさ。しかし「あらら、こんなに残しちゃってもったいない。もーしょうがないから食べちゃいましょ。」は違いますよ、お母さん。

その場合は子供の躾の為、お母さんの下っ腹の為にも江戸しぐさ力を発揮してください。生ものなら火を通し、水っぽくなってしまうものなら煮詰めて次のご飯で本人に食べさせましょう。

そもそも食事とは命を頂く行為。残す事は命を粗末にすることです。命の大切さを学ぶ場でもあります。自分は「生かしてもらっている」と実感できるからです。それが理解できれば、多少口に合わなくても残すことは良くないという気持ちが生まれてきます。無理に食べさせる(お母さんが食べる)のではなく本人が自発的に残さず食べるよう促す事が正しい躾です。

そして料理上手とは始末上手のこと。お味が良くて見栄えの良い料理だけが上手な料理ではありません。作りすぎた煮物の残りでパスタのソースを作ったりするリメイク料理というのが最近流行っているようです。言われなければ残り物だとは気づかない美味しそうな料理が多く、とても参考になります。
特に若い世代からの関心が高いようで、不況の煽りが若い方々を苦しめている現状を憂いながらも、江戸しぐさ的な逞しさを感じる事ができる嬉しい発見です。

と申しますのも、お裾分けは良くない事とされていた江戸では、煮物が余ったから隣近所に配るなんてことを武士の嫁がしようものなら、さぁ大変。特に清貧を信条としていた武家では、食べ物の余りを出すなんて、実家に戻されても文句の言えない不出来な嫁とされました。
つまり「武士の嫁たるもの、その家計を預かりながら日々の食事に無駄を出すなどは言語道断、みっともないことこの上無しと思うべし。」ということでしょう。そのような考えを現代に持ってきても、嫁はもちろん姑さえ受け入れるのは難しいと思います。「やりくり上手」くらいで丁度いいのかもしれません。

いろいろな例えを出しましたが、直接環境保護に繋がる「mottainai」にはほど遠いかもしれません。しかし地球の環境を守り、場合によっては壊す最初の一滴が、我々が日々生活している家庭やごく身近な地域社会での些細な「もったいない」=イコール「江戸しぐさ」である。そう考えてみてはいかがでしょうか。

すると新たにエコバッグを買ったり、沢山残っている割り箸を残したままで「マイ箸」を買うのはちょっと違うという気がしてきませんか。そう、それが江戸しぐさを理解したからこその気付きなのです。

ケチケチするのではありません。そんなことをしていると経済が回らなくなり、日本という国自体が疲弊します。合理的に無駄を省き、バランスのとれた「もったいない」を実行する。そうすることで、原発という大きな問題の解決の糸口も見つかってくるのではないでしょうか。

原発に対しての賛成反対はここでは申し上げませんし、皆様にもご遠慮いただこうと思います。何故ならお一人お一人にご意見があり、どれもが正論だと思っているからです。
ただ、もしも今より「もったいない」の魔法を多くの方にかけられるとしたら、どのような方法があるのかをご一緒に考えてみたいと思います。

節電・節水・ゴミ減らし

<節水>
炊事
食器洗い
洗濯
洗顔&歯磨き
お風呂
トイレ

<節電>
照明
調理
冷暖房
空調(湿度、埃)
テレビ
安全確保

<ゴミ減らし>
焼却炉別の分別法は?
そのゴミはどこに行くの?
それは本当にゴミなの?
リサイクルの実施状況は?

本日のまとめ

大袈裟ですが、私にとって「ケチ」とは芝講師からの言祝ぎの一つでございます。もちろんケチやしみったれ等と直接言われたことはございませんが。
「これはもったいない」と考えて工夫した節約やその結果をご覧になったお顔から、「この人は良いケチをしたもんだ」という満足感が見て取れた時に、そう感じたのでございます。

自分の利益だけを考えたケチほど見苦しいものはございません。また、良いことだからと他人様にケチを強要することもよろしくありません。
しかしケチにも「良いケチ」と「悪いケチ」があると、本日お越しいただいた方々にはご理解いただけたのではないでしょうか。

そしてもう一つ。自分が思っている「もったいない」が、本当に正しい「もったいない」かを考えてみる。案外この二つで今の日本の危機が救えるかもしれません。

江戸の良さを見なおす会
代表 和城伊勢